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10.みんなで夕食

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「なぜ、こんな広い家にショウタさんを一人残して出て行ってしまったのですか?」
 ショウタの傍にいてやってくれとミホに言うセイスケが、なぜショウタを置いて出て行ったのかミホは疑問に思っていた。
「私が中央病院の院長だった時、身内の気安さからショウタに数多くの手術を頼んでしまった。ショウタも私の恩に報いようと文句一つ言わず、寝る間も惜しんで治療に当たっていた。そして、一年前のある日崩れ落ちるようにショウタが倒れてしまった。私は鬼の丈夫さに甘えていたんだ。二日間も目を覚まさないショウタを見て、院長を辞めることを決めた。ショウタにしか救えない命があれば、私はまたショウタに手術を命じてしまうだろうから」
 
 一年前にショウタが倒れ、二日も目を覚まさなかったと聞いて、ミホはとても痛ましいと思った。
 あの優しいショウタならば、自分の体より患者の命を優先するだろう。
 ショウタを医者にしたことを後悔していると言ったセイスケの言葉の意味が、ミホはやっと理解できたような気がした。


 麻酔が開発され、一般の患者にも使用され始め、無痛で手術ができるようになっていた。しかし、病気の特定はかなり困難であり、切開してから病巣を探すこともしばしばあり、開腹手術はまだ安全な治療法とは言えない。
 外国ではX線装置と呼ばれる体の中の様子を印画紙に写す医療器具が開発されて、この国にも数台輸入されているが、地方の病院で購入できる価格ではない。そして、骨以外はぼんやりと絵のように映るだけなので、正確な診断には熟練が必要だった。

 ショウタの目は、手術中に患部を立体的に見ることが出来る。匂いでも病巣を感じることも出来た。
 そのため、最小の時間で適確に患部を摘出したり、傷を繋ぎ合わせたり出来る。正常な組織を傷つけることもない。
 ショウタにしかできない困難な手術は多い。優しいショウタは身を削るようにして、ひたすら難易度の高い手術を繰り返していた。

「中央病院の今の院長は、ショウタの勤務をきっちりと管理した。手術は月曜日と木曜日のみ。重症患者の手術は木曜に行い、経過を見るため夜勤。火曜日と水曜日は外来と検査、回診。土曜日の午後と日曜日は完全休日というようにね。ショウタはもっと働くと言ったけれど、倒れる方が迷惑だからと納得させた」
「確かに今はその勤務です。たまに残業がありますが、それほど頻繁ではありません」
 ミホはそのような勤務になって本当に良かったと思う。
 ゆっくりとご飯を食べて、広いお風呂を楽しみ、ぐっすりと眠る。ショウタはそんな毎日を送っている。少なくとも倒れるほど疲れているようには見えない。



「院長?」
 座敷の方から聞き慣れたショウタの声がする。ミホはショウタの帰宅時間も忘れて話し込んでしまっていた。
「私はもう院長ではないぞ。それに家では父と呼べと言っているだろうが」
 セイスケは顔を上げてショウタを睨んだ。
「お義父さん、突然どうしたのですか?」
「抜き打ちでショウタの生活を見に来ただけだ。思った以上にいい生活をしているではないか」
 戸惑うショウタを見て、セイスケは声を上げて笑った。

「ミノル、夕飯の用意を急いでするわよ。私はポークカツレツを揚げるから、食卓を布巾で拭いて」
「わかった。僕が皿も運ぶよ」
 布巾を水で絞り、食卓に向かうミノル。
「私は刺身を切るぞ。私が釣った鯵だからな。期待しろ」
 セイスケは冷蔵庫から鯵のさくを取り出した。

「俺も手伝うから」
 ショウタが土間に降りて仕事が欲しそうにミホを見る。
「ショウタさんはお仕事で疲れているのだから、座って待っていてください」
 ミホは食卓を指差す。
「俺だけ、何もしないで待っているのか?」
 皆の仲間に入りたくて不満そうなショウタ。
「ポークカツレツを揚げているので、今忙しいです。話しかけないでください」
 ミホは初めての料理で余裕がない。

 明らかに気落ちした様子でショウタは食卓の前であぐらを組んだ。
「もう尻に敷かれているのか?」
 セイスケは大いに笑った。

 夕飯の食卓は随分と豪華であった。きつね色に揚がったポークカツレツはいい匂いがしているし、大葉の上に載せられた鯵の刺身はとても新鮮だ。
「ポークカツレツとキャベツはおかわりありますから」
 ミホの言葉を聞いた途端、ショウタがポークカツレツにかぶりつく。
「これは旨い!」
 ショウタは本当に幸せそうに食事をする。
「本当だ。ミホ姉ちゃん、凄い美味しいよ」
 ミノルも大満足だった。
「これは絶品だ。たまには肉もいいものだな」
 セイスケは魚好きだが、ソースのかかったポークカツレツは思った以上に口に合った。
 美味しそうに食べる三人を見て、ミホも幸せな気分になった。



「ショウタさん、昼間はごめんなさい。変な女がミホ姉ちゃんとショウタさんを馬鹿にするから、ショウタさんがミホ姉ちゃんの婚約者だって嘘ををつきました」
 あらかた料理がなくなった頃、ミノルがショウタに頭を下げた。
「それは別にいいけど、変な女って誰だ?」
 不思議に思ってショウタがミノルに訊く。

「母方の従妹なんです。私が行き遅れていることを揶揄されたから、ミノルが庇ってくれたのです。でも、嘘は良くないですからね。ショウタさんはちゃんと叱ってください」
 ショウタに迷惑をかけてしまったし、ミノルの教育のためにも悪いことだと自覚させたいと、ミホはショウタに頼んだ。

「嘘をついては駄目みたいだ」
 ショウタはミホの婚約者と言われて悪い気はしていない。しかし、ミホは怒っているのだろうと、少し落ち込んでいた。
「それでは甘過ぎます。もう少し迫力を出してください」
 ショウタの物言いはあまりに優しすぎるとミホは感じていた。せめて、極道の親分と対峙した時の半分ぐらいの迫力は欲しい。
 子ども相手に迫力を出せと言われて、ショウタは困ってしまっていた。

「嘘をついたのは悪かったけれど、あの女が中央病院へ行こうって言い出したんだよ。ショウタさんに迷惑をかけたのはあの女だ。それに、ミホ姉ちゃんがショウタさんの愛人だと噂になっていると言っていたし。自分は帝国大学出身の弁護士と結婚するのに、ミホ姉ちゃんは結婚できなとか言うから、僕は悔しくて」
 ミノルは昼間のことを思い出したのか、悔しそうに頬を膨らましていた。
 それを聞いたショウタの顔色が変わる。いつもは人より少し赤い肌が蒼白になっていた。
「そんな噂になっているのか?」
「一緒に買い物をしているのを見られていたらしい。ショウタさんは鬼だから目立つし」
 鬼に偏見を持っていないミノルは事実を口にした。しかし、ショウタには辛い言葉だった。

「ごめん。俺、一緒に買い物をするのが楽しかったから。世間でそんな風に言われていることに気が付かなくて」
 ショウタはミホに土下座した。ミホもミノルも普通に接してくれるので、ショウタは自分が鬼であることを忘れかけていた。

「私もショウタさんと買い物に行くのはとても楽しいです。だから、これからも一緒に行って貰えませんでしょうか?」
 ミホはショウタと買い物へ行く時間より楽しいことを経験したことがない。だから、これからも続けたかった。
「しかし、俺の愛人なんて言われたら、嫁に行けなくなってしまう」
 ショウタは顔を上げる。ミホにこれからも一緒に買い物に行きたいと言われて、顔が緩みそうになるのを耐えていた。
「私はいいのよ。結婚なんてするつもりはないから。ショウタさんは迷惑ですか?」
 世界最高峰の医師だというショウタの婚約者として、平凡な自分は相応しくないとミホは思う。



「ミノルの言う通り、このまま二人は婚約者になったらいいのではないか? そうすれば愛人なんて言われないぞ。我ながら名案だな」
 セイスケが満足そうに頷いていた。
「しかし……」
 自分が鬼であることを考えるとショウタは素直に頷けない。

「嫌なら婚約を解消すればいいだけの話だ。ミホさんは行き遅れと言われずに済み、ショウタも嫁の来手がないと心配されることもない。いいことばかりだ」
 セイスケはミホとショウタを交互に見ている。

「俺はそれでいいけど、ミホは鬼の婚約者と言われるのは嫌じゃないのか? 愛人はもっと嫌だと思うけど」
「ショウタさんがいいなら、私はそれでいいです」
 ミホはたとえ形だけの婚約でも、ショウタの傍にいる理由ができたと思った。
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