とあるダンジョンのラスボス達は六周目に全てを賭ける

太嘉

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番外編

ヘリオドール・アガットの献身と受難─3─

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ヘリオドール・アガットが城塞都市トーリボルに到着した翌朝。

「…は?」

起きて朝食を摂った後、フェンティセーザから「鳥に変化してアーマラットに飛んでくれ」といきなり言われて、さすがにヘリオドールも呆気に取られた。

「…誰でも鳥への変化が出来るとか思うなよ」
「おや、出来なかったか?」
「…できるけどさ!」

んもー!んもー!とむくれるヘリオドールに

「…済まない、暫定ではあるが、自分がここの支部長でな、王都に目をつけられているだろうから今は動けないんだ」

自分が動いた方が色々と手っ取り早いんだが、と申し訳なさそうに付け加えるが、確かに自分の旅路でも辟易するほど煩わしかった王都側の介入を思うと、フェンティセーザは下手に動かせない。

「で?何すんの?
向こうに拠点登録するるついででいいなら。

「この住所に行って、コレを渡してくれ」

紙片を二枚、渡される。
一つはアーマラットの街の中の住所とそこに住む住人の名前の様だ。そしてもう一枚は──

「せ め て 封筒に入れなよこんなん」

流石に両のこめかみを拳でぐりぐりする。
内容が内容なだけに、これはフェンティセーザも甘んじて受けた。

「ちゃんと封緘もしなよ」
「分かった分かった」
封緘して術による封印を施したのがこちらだ、と、懐から封筒を取り出される。
「じゃあコレは何だよ」
「君の脳内に覚書だ」
人の脳味噌のリソースを勝手に使うなと、もう一度両のこめかみを拳でぐりぐりする。

本当に、本当にこいつはもう──!

「ああもう、じゃあ今から行ってくる!
どっち方向だよ!?」
「ここからだと南東方向だ」
トーリボル近辺の地図を取り出して、アーマラットの街の位置を指す。
「──分かった」

懐に手紙を入れると、何か固いものが手に触れる。
「あ」
それを取り出して
「コレ。渡してなかった」

柔らかい布に包まれたそれは、フェンティセーザの眼鏡だった。

「ああ……ありがとう」
こちらはなかなか使いづらくてね、と、掛けていた眼鏡を外して自分のを掛け直す。

「備品の方(めがね)はこっちで連絡付けるから持ってて。通信機器の設置、持って来てるから設置忘れるなよ。
今から行けば今日中には向こうに着くだろうから用事済ませて明日には戻る予定。
それと、右下の引き出しの、役に立ったよ。ありがとう」

窓際に立つと、変化の呪文を唱え──何の変哲もない一羽の燕の姿となったヘリオドールは、一路南東へと飛んだ。

 ────

トーリボルトの城塞都市の壁には、飾りの様に見えるが、中心である城から見た方角に合わせて八本の湾曲した突起がある。
南東方向の突起に一度止まり、地図で見た森や林、地形と一致しているかを確認して、燕の姿を取ったヘリオドールが飛び立った。

強い鳥の姿を取れれば、外敵にも狙われにくいため、できればそちらの姿を取りたかったのだが、王都の領域内はどこに目があるか分からないので、どこにでも居そうな鳥の姿の方がやり過ごしやすい。渡り鳥の様に時期を選ばなくても済む。

一番怖いのは人間の、狩りだ。

何事もなく、矢も攻撃呪文も届かない位の高さを滑空する。
このまま行けばもうすぐ、南東の国境を越え、土は砂となり広大な砂漠へと変わるだろう。
水の沸くオアシスごとに造られる交易都市の他は、空からでも目と方向を惑わす一面の砂の海。

目指すは2つ目の交易都市──代々聖女マナヤによって護られる交易都市・アーマラット。

────

陽が水平線の下に落ち始めるころ、一羽の燕がアーマラットの街の入口の門の前に降り立ち、人の姿を取った。
そのまま座り込んでぜーはーぜーはーと荒い息を整えようとする。
「……おい、大丈夫か……?」
不審者にしては哀れみを誘う姿に、さすがの衛兵も恐る恐る声を掛ける。
「す、すみませ…迷って……」
絹糸の様な金色の髪を振り乱しながら、息も絶え絶えに、男──ヘリオドールがそのまま倒れ込む。

なんだよあいつ、平然と飛べって言ったけど飛ぶのがこんなに辛いとか思わなかった…!鬼…!やっぱ帰ったら殴る!あの顔に一発今度こそ入れてやる!出来た試し無いけど!

視界をぐるぐるさせながら、意識を手離すのだけは必死に堪える。
「おい!しっかりしろ!」
様子のおかしさに、呼ばれた奥の衛兵達が飛び出してくる。何とか意識を保ったまま、ヘリオドールは詰所に運ばれていった。

意識を保っていたつもりだったが、それでもしばらく飛んでいたらしい。
気がつくと、涼しさを感じる部屋に寝かされていた。

「…気がつかれましたね」

ほっとした様な声が、上から降ってくる。

「このくっそ暑い中を鳥の姿で飛んで見えられるとか自殺行為ですよ?無事着いたから良かったものの…」
「…ここは…」
「『学府』のアーマラット支部です。
衛兵さんが、貴方のイヤカフの紋章からこちらに連絡を下さいまして、急ぎこちらに連れてきて頂いた次第です」

努めて優しく声を掛けてきた男は、支部長のムーラン・ルージュだと名乗った。有名な歌劇の題名だ──偽名だろう。
亜麻色の長く豊かな髪を無造作に後ろでまとめた、異国の──アーマラット特有の雰囲気を纏う中性的な男だ。


他に用事が無ければ泊まって行かれるとよろしい」
「一箇所、所用がありまして…」
「でしたら、軽く食事を摂ってから向かわれるとよろしい。明日の朝までに、タグの拠点登録など終わる様に手配は済ませてあります」
「ありがとうございます」
「ムーちゃーん、食事できたぜ!
お、起きたかエルフのあんちゃん」

ヒョコトコと、ハーフフットの男がやってきた。
銀色のふわふわの短髪を逆立てた、青い瞳の可愛らしい人形の様だ。だからか──首の真っ黒い首輪がやけに目立つ。

「オレはディース。これでもここの支部員さ。
ムーちゃんとくっついて迷宮探索とここでメシ作るのがオレの仕事」

飲みねぇと、ひんやりとした液体の入ったコップを手渡してくる。

「アーマラット名物の西瓜シィグア水だよ、熱中症に効く」

飲んでみると、西瓜の強い甘さと、少しの塩味が身体に染みる。

「西瓜の実の過食部を細かくミキサーに掛けて…って美味いだろ?そいつが美味いってのは間違いなく熱中症だよ」
「無理に起きたらまた外で倒れますよ。陽が落ちて少し涼しくなってから移動なさるといい」

ディースを付けますので、というムーランの厚意に、ヘリオドールは素直に甘えることにした。

────

支部で早めの食事にありついた後で、ヘリオドールはディースを伴って目的地へと向かった。
振舞われた料理は、アーマラットの家庭料理らしいが、そのどれも香辛料が効いていて美味しかった。

聞けば、この支部はムーランが支部長に就いてから二人で切り盛りしているらしい。
職員の絶対数が足りるのだろうかと思ったが、迷宮が稼働しているわけでもない以上、そこまでの人手は不要な様だ。また地下2階への階段前に既に封印が施されているため、見張りの目を盗んで入っても地下1階までしか入れない様になっているらしい。
週に1回の最下層の封印の及び、各階の召喚陣の確認と修復だけとの事なので、その時だけ冒険者ギルドに依頼を掛けてパーティを募り、潜るのだそうだ。

そしてディースはこの街の生まれで、物心付いた時には既に封印されていたこの地下迷宮に魅せられて、『学府』の研究員として入ったのだそうだ。詳しくは話さなかったが、部屋を持たない研究員の立場の低さは本部ですらも目に余るところがあった。支部であれば尚のこと──否、ムーランと一緒に居る時の彼は、とても落ち着いている様だ。今は安心できる状況なのだろう。

「着いたよ」

ディースに声を掛けられて、建物を見上げると、そこは鍛冶屋の看板がかけられていた。
表札には、『ギムリ』と『マネラ』の名前がある。

「あ、ここです。ありがとうございます、ディース」

どういたしまして、と返すと、ディースが軽やかに呼び鈴を鳴らす。

「…あいよ、もう店仕舞いしちょるがの」
「オレだよ、ディースだよ。いつもお世話になってるよ~今日はお客さん連れてきたんだよ~」

ギィ、と重い音を立てて扉が開くと、白髪の中年のドワーフが顔を見せた。

「あの、フェンティセーザ師の遣いで、言伝を持って参りました」
「おやまあ。懐かしい名が」

ヘリオドールの言葉に、奥から物腰柔らかな女性の声が聞こえてくる。
こちらです、とドワーフに封書を渡す頃には、亜麻色の髪を丁寧にまとめた、褐色の肌の小柄な女性が姿を見せた。額の角が、彼女が信仰心深き大地の種族・ノームである事を示している。

「はじめまして、エルフのお方。
わざわざ仲間からの伝言をありがとうございますね。
私はマネラ。こちらはギムリ。この街で修繕屋と鍛冶屋をやっております」
「はじめまして。私はヘリオドール。『学府』に所属しております。この度は同僚のフェンティセーザ師の言伝を持って参りました」
「うぉおいマネラ…こりゃちとワシらだけじゃ返事できん」
「どれどれ…」
「ディース、ムーラン呼んでくれんか」
「分かった」
「大丈夫ですよ、もう来てますから」

短いやり取りの途中でいきなり背後からムーランの声が聞こえてヘリオドールは驚いた。
<転移>で飛んできたのであろう。

「支部は閉めて来ましたので、ご安心を」
「そうか。まあ、皆入ってくれや」

ギムリに促されて、全員中に入った。

────

玄関を入り、応接間兼居間に通される。
ギムリがムーランに書簡を渡すと
「…何をするつもりなんですかねぇ」
ムーランがのんびりと呟きながらディースに渡し
「うっわ、ほんと」
目を通したディースが苦笑しながらギムリに戻す。

手紙の内容は簡潔で
魔術師専用の武器「魔術師の弓」を百挺、持って来て欲しい──たったこれだけだった。

そもそも職業専用武器という珍しいものが百挺もあるのかとも思ったが。

「エルフの兄ちゃん…ヘリオドールだっけか?」
「はい」
「モノは準備できるが、直ぐには無理だ。
ワシらは『学府』の雇われでもあるんでなぁ…」

準備できるんだ。
スケールが大きすぎる事をぽんぽん言われても困るが、理由を聞いて納得する。

二人は『アーマラットの呪われた地下迷宮』の完全制覇パーティのメンバーだった。あの一癖も二癖もある双子と渡り合えるというか、多分、なんとか出来ていた仲間だった。

そして、週1回の地下迷宮の確認に、打ってつけの人材である。

「しかも多分、あの子の事だから、向こうでまた潜るつもりでいますよ。私達も一緒の算段のはずです。というより、私達以外であの子をどうにかできるなんて人は皆無かと。
行くとするなら店を畳んで行った方が負担が少ないでしょうね」

ああ、この方達もあいつに押し切られてたりするのかな…などと、ヘリオドールはぼんやりと思う。
出されたシチュードティーがしみじみ美味しい。

「うーん…こちらとしては困りはしますが、せっかく頼られてるのですから、向かわれてくださいな」
軽い口調でムーランが返す。
「今、トーリボルって新しく地下迷宮が立ち上がったとかでしょう?私だって行きたいですもの」
「ムーちゃんムーちゃん、本音本音」
「本当に、もうすぐ私も任期来ますからまるっと一新で交代申請出しましょうかねぇ…」
「いいんじゃねぇのか?」

ガハハハと笑いながら膝を打つギムリが

「…というこった。
準備や移動時間込みで一月くれやと伝えておいてくれ」
「え?あ、はい。分かりました」

いきなり話を振られて、ヘリオドールが慌てて返す。

「彼、無理して飛んできたみたいで、まだ疲れが残ってるみたいですね」
「自分基準で出来る出来ないを考えるから、周りに無理させますもんねぇ、あの子は」

全くもう、困った子で…みたいな感じで続く会話をどこか遠くに感じられた。

「あ、寝ちゃった」

しー、とディースが口元に人差し指を当てる。

「暗くなりましたし、今夜は泊まっていかれませんか?」

外はもう日が落ち切って、街灯の灯りが煌々としている。アーマラットの夜は、大通りでなければ何が起きてもおかしくないのは、今も昔も変わらない。
それは、大通りから少し入った所にある鍛冶屋でも同じ事だった。

「お言葉に甘えさせていただきます」

ムーランの返事に、今日は楽しいお酒が飲めそうね、とマネラは穏やかに笑った。

────

ヘリオドールが目覚めたのは、翌朝だった。
そのまま居間のソファーで寝倒して、毛布を掛けて貰っていたようだ。

「私からトーリボルへは連絡しておきますので、今日は一日休まれたらよろしい」

そう残して、ムーランとディースは支部へと帰っていった。

「フェンティスが巻き込んでしまって、ごめんなさいね」

香辛料を効かせた甘い乳粥を出しながらマネラが言葉を掛けてきた。

「いえ、もう慣れましたんで…今回も最後まで付き合わされるんだろうなーって」

諦めたような、呆れたような返事に、あらあら、とマネラが笑う。

「ありがとう、付き合ってくれて」
「好きで付き合ってる訳じゃないんですけどね」

むう、とむくれながらもヘリオドールは続ける。

「あいつが居なかったら、私はもっと…うん、だいぶ、ものすごく助けられたから、一人ぐらいいてもいいだろって、付き合ってやってやるって奴が……あいつには言わないで下さい。つけ上がるから」

最後早口で締めて、いただきます、と感謝の意を述べて、乳粥を一口含む。優しい甘さが身体に染みる。

「そうねぇ」
「ところで、ギムリさんは…」
「明けてすぐに、冒険者ギルドと商店に向かいましたよ」

聞けば、この街の武器屋に、地下迷宮に潜っていた頃に大量に入手した武器を、倉庫を借りて預けているのだそうだ。

「そうか、お二人も向こうに向かわれるんでしたね」
「ええ。持って行く物の量も量ですので、砂漠のうちはのんびりラクダで向かいますよ。
砂漠を抜けたら、馬車を雇いましょうかねぇ」
「それなら、王都の国境を抜けたら、結構介入が入って来るかもしれませんので…」
「ありがとう、とっても大事な情報よ?それ」

運び方に一工夫入れようかしら、色々相談しなくちゃね。などとのんびりと返される。

「きっと、なんとかなりますよ。私達の事は安心してて頂戴な」

貴方は?と訊かれ「今日の夕刻帰ります」と返した。昼間は駄目だ、暑すぎる。夜目が効く猛禽類に変化して夜通し帰る方がよっぽどマシな気がする。

「そうね、夜は夜で冷え込むから、少し厚着してからの方がいいかもしれませんね」
「ありがとうございます。支部の方で備品の外套があるかどうか聞いてみます」

そうね、とマネラが食後のシチュードティーを出しながら返す。
熱い飲み物をなるだけ熱い状態で飲んで、発汗させて身体の熱を冷ます、暑い地方ならではの涼の取り方だ。発汗を促す効果がある香辛料と一緒に乳で煮出してある茶で、茶の味と共に、強めの甘味とほんの少しの塩気を感じる。
作り方を聞くと、待ってましたと言わんばかりに材料と作り方を書いた紙を渡される。トーリボルの夜は意外と冷え込んだので、向こうで香辛料を手に入れられる様になったら真夜中に作って飲むのもいいかもしれない。

しばらくゆっくり過ごして、一夜の宿と食事の礼を述べて、ヘリオドールはギムリとマネラの家を辞した。

 ────

「お帰りなさい、出来てますよ」

とりあえず大通りに出て、手持ちの共通貨で香辛料と茶葉を少し入手し、支部に戻ると、ムーランが受付に座っていた。

「ありがとうございます」
「だいぶ顔色も良さげですね」
「はい…ご迷惑をお掛けしました。帰りは夕刻にしようと思います」
「そうですね、コノハズクあたりなら、明日の朝には着くでしょう。上着、お貸ししますので着ていかれるとよろしい」
「お言葉に甘えます」
「おっかえり~!」

ヘリオドールの声を聞きつけてか、奥からディースが顔を覗かせる。

「ムーちゃん、ヘリオドール、今日のクッキーの試作が焼けたよ~」
「クッキー?」
「うん、エルフの焼き菓子エルヴン・クッキー
「簡易版ですけどね」

ああ、と内心、ぽんと手を打つ。
そもそも「エルフの焼き菓子」の製法はどの氏族であっても門外不出のはずだ。それを、森の外の世界でも手に入る材料で近いものに『再現した』のがアレンティーナが作成した汎用レシピだ。
一日一枚が限度量で、一枚を少しづつ水分と一緒に摂る事で、1枚で1日歩き続けても空腹感無く、かつ充分なエネルギーと栄養素を確保できるという、等価交換を無視した代物だ。ヘリオドールも、何度もレポート作成が終盤を迎える時期の世話になっていた。
味はともかく、な所も、等価交換を無視した様な代物なのも本物とは変わらないが、本物に比べたら三倍ほど分厚い。

しかし、これは──

「薄い…ですね」
「だろ?ムーちゃんと二人で汎用レシピ弄ってさ、ちょっと薄くてかなり味良く仕上げてみたんだぜ」

今日は香辛料きつめと木の実系で攻めてみた、と言われて、ムーランとヘリオドールがひとかけらづつ試食する。

「お、美味し……っ!」

ヘリオドールが思わず感動の声を上げる。
確か元の汎用レシピは、一気食いを避ける為にわざと不味く作ってあったはずだ。それをここまで昇華するには………と、はた、とに行き当たる。
にこにこと幸せそうに欠片を口にしているムーランと視線が合うと「おや」という表情を一瞬だけ、向けられた。

まさか。
いや、まさか──思い至った可能性がもし本当なら、
なので、喉から出掛けた言葉を飲み込んで

「……これ、10枚入り二袋づつ買います……!
トーリボル支部に請求で」
「へへっ、毎度~!」
にひっ、とディースが親指を立てた。

────

試食した「エルフの焼き菓子」はまだ試作という事で、製品になるにはもう少し時間が掛かるらしい。もしもギムリとマネラの旅立ちに間に合うなら預けて欲しい、と手配を掛けた。

「二つの味のを1組は、ギムリさんとマネラさんに昨夜の御礼として渡して下さい。もう1組は、そっと荷台の隅にでも積んで持って来て貰えたらと伝えてもらえますか?」
「分かりました。伝えておきますね」
「…マネラさんとムーランさん、確か(あれ)を摘みに酒呑んでらっしゃいましたよね…」
「おや、見られてましたか」

 酒盛りの様子をを遠くに聞きながら意識を揺蕩わせていたら、とにかくピリッとしたいい香りが鼻を突いたのだ。なんとか目を開けると「エルフの焼き菓子」を摘みにしている二人の姿が目に入った。しかし起き上がる事が出来ずに再び瞼を閉じ──

「真似はね、駄目ですよ。一気に回りますから」

回るのは酒か、それとも栄養素か。
どちらも怖い。しかし、あの汎用レシピそのままのものですら酒の摘みになりそうで、試してしまいそうな自分がいる。元より呑めないけども。

「あと、フェンティセーザ師とアレンティーナ師には食べさせないでくださいね?」

はいこれお土産、と、ムーランが紙の包みを渡してくる。どうやら試食用で焼いたもののお裾分けのようだ。

「──あの、それって」

もう答え言ってる様なものです、というヘリオドールの視線に、ムーランはお茶目なウインクを返して来た。
事情があるなら、触れてはいけない。
二人は、恙無く今この時を過ごしている──だから、思い至ったという事自体を、無かったことにしよう。

「……有り難く頂戴します」
「そんなに畏まる必要はありませんよ?」
「長期探索時の甘いものって、それだけで心が保てますから」

助かります、と頭を下げる。
長期探索時に、砂糖を溶かして煮詰め、硬く練り、溶けにくく作った飴を持ち込む者は少なくない。カカオの実を乾燥させ粉砕させ粉にしたものと砂糖を練り混ぜ固めたものも人気だが、そのどちらも、緊張状態が続く長丁場では「甘さを感じられるもの」が必要だというあらわれでもある。
ヘリオドールは研究室での実験や研究が主だが、現場に採取探索に行くことだってあるのだ。
ただ、トーリボルではどうなるか分からないが。

「それでは、服の準備をして、昼はゴロゴロして過ごしましょう。アーマラットでは昼は暑すぎてどこも店は閉まってますしね」
せっかくなので街の造りなどを見てまわりたかったが、昨日の行軍を思い出して、ヘリオドールは素直に従う事にした。

昼前になると、ムーランとディースが、建物の壁のあちこちに設置されている仕掛けに<小凍>の呪文を掛けて回る。これで冷気を全室に循環させて涼を取るとの事だった。
魔術師であるヘリオドールはともかく、どうやら戦士らしいムーランや盗賊らしいディースまでもが魔術師の呪文を使えるのも珍しい──ヘリオドールはこの時に初めて知ったのだが、実は冒険者稼業をやっていれば「なくは無い」事ではある。
本職よりも使える回数は少なくなるが、魔術師からの転職を経れば、一度積んだ経験はそのまま残るのか、どんな職業になっても使えるのだ。
上級職になる恩恵も素晴らしいが、迷宮固有武器エピックにもなれば、フェンティセーザが所持する『木霊の弓』の様に専門職にしか使えない強力な武防具なども存在する為、上級職への転職を望まれても敢えてしない者もいるほどである。

ひんやりと心地よい涼しさの中で、昼は香辛料を効かせたカレーと熱々のシチュードティーで身体を芯から温める。初めて食べる味におっかなびっくりしつつ美味しく平らげるヘリオドールに、喜んで貰えた様で、とムーランとディースから笑みが溢れた。

────

そして、陽も落ち掛けた頃。
夜の寒さ対策に厚手の生成り色の外套を借りたヘリオドールは
「え、と。先日はご迷惑をお掛けしました…」
深々と頭を下げる。しかし門の衛兵達は「良いって事よ」「回復して良かったな」と気楽に返してきた。

「で?結局何しに来たんだ?」
「こちらの支部に派遣されて来ましたので、その登録を」

衛兵に尋ねられて、素直に冒険者ギルドのタグと『学府』のプレートを出して見せる。

どちらも拠点はアーマラットに書き換えられていた。

「ですが、こちらよりもトーリボルの方が人手が要りそうだったので、出向して貰うことにしました」

あっさりと、ムーランが続ける。
トーリボルの噂は、アーマラットまで届いていた。

「ヒノモトだけじゃなくトーリボルもか…随分ときな臭くなるな」
「…それで『学府』が一枚噛んだ形になりまして」

ヒノモト領が兵力を増強している件は数年前から噂が流れていたが、トーリボルの『試練場』が再起動した上に更に迷宮が見つかった件は、トーリボルが望もうと望みまいと、兵力の増強に繋がってしまった。
ただでさえ、規模は小さいながらも最初期に造られ最高難易度を誇る事で名を轟かせた地下迷宮である。それが規模を拡大して再起動とか、にわかには信じられない話である。
それも拡張部分は『宝物庫』ときたものだ。
名誉や一攫千金を求めて、実力に自信がある有象無象が集うと決まっている。

──近隣国の中で唯一「最初期」の「最高難易度」の「広大な地下迷宮」を「王都」は尚更、喉から手が出るほど手中に収めたいだろう。

それを「遺跡保存と研究」という大義名分と今までの実績で『学府』が一枚噛む事によって阻止しているのだ。でなければ、いくら強固でも碌に兵も居ない城塞都市など唯の烏合の衆の檻。攻められればひとたまりもない。

「エルフの兄さんがどんな風にしてここの暑さを凌いでいくのか見ものだったのになぁ」

衛兵の言葉に、どっと笑いが起きる。
確かにそうだ、とヘリオドールも思わず笑ってしまった。

「……それでは、そろそろ」

行って来ますね、とヘリオドールが呪文を唱え、鳥に化ける。目の前の術に、流石の衛兵達からも歓声が起こった。
足元にちょこんと立つコノハズクをディースが拾い上げると

「投げるよ、いち、に…」
さん、と高く放り投げる。

その勢いを使って、コノハズクは空を飛び始めた。

更に沸き起こる歓声が、少しづつ遠くなる。

(……多分、衛兵さん達の何人かは、そのまま私が落っこちると思ってたろうな)
自分でも投げられた瞬間にはそう思っていたので怒りはしない。しかしまあ、うまく飛べたものだ。
コノハズクの目はエルフの目と比べてもとても遠くまで見える。門の前で大きく手を振るひとたちの姿を一瞥して、ヘリオドールは一路トーリボルへと向かった。

このまま飛んでいけば、方向さえ間違えなければ、夜明け前には着くはずだ。
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 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

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