とあるダンジョンのラスボス達は六周目に全てを賭ける

太嘉

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番外編

ヘリオドール・アガットの沈潜と受難

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早朝、陽が昇り始める頃──

細い手が、玄関の外扉に掛札を掛け、すぐに引っ込んだ。

そこには、一言だけ
『臨時休業』
と書かれていた。

────

トーリボルの地下迷宮が隆起して一月ほど経とうとする頃、領主の居城の裏手の草原が大火災を起こし──そしてなぜかすぐに収束し、広大な草原が燃えたに終わったという怪事象が発生した。
一部始終を領主その人及び、冒険者ギルド長達が目の当たりにしていた為、自警団や警察組織が大々的に動く事もなく『事故』として処理された。

その翌日、冒険者ギルド本部が新規受入以外の業務を一時停止し、『学府』トーリボル支部が臨時休業の札を出した。

冒険者達にとって重要な施設の二つが同時に臨時休業した事から、草原の大火災について、トーリボルに籍を置く冒険者達の中では様々な憶測が街の中を飛び交ったが、それについては領主も、ギルド各施設も、『学府』も、住民達も一切触れなかった。

「……」

その騒動を、関係者達は、各々の所属する寄合所で静かに聞いているだけだった。

トゥーリーンは『円卓の集会所』で
ギムリは『サムライ長屋』で
マネラとアレンティーナはカパタト神の『診療所』で
ハロドは『絡繰商工会』で

ただただひっそりと、無い事に尾鰭背鰭が付いていく様を肴に、静かに過ごしていた。

そして──

────

台所で調理の音がする。

「アイツがあんな状態なら、パーティで他にする事多分無いから一日オフで。なんなら申し訳ないけど、今夜は寄合所に泊まって来て欲しい」

パーティのブレインが完全に塞いでしまった事から、『学府』トーリボル支部長・ヘリオドールは、ここを拠点とする残りのメンバーに施設の合鍵を渡してさっさと追い出した。

そうして、アーマラットからトーリボルに出向してすぐ、冷蔵庫や貯蔵庫に食糧だけは充分に詰め込ませていたのを利用して、ヘリオドールは淡々と、フェンティセーザの意識を引き上げる準備に取り掛かった。

『夢見』を応用して、本人の、塞いだ心と混濁した意識の中に、直接潜るのだ。

無論、ヘリオドール本人にしか扱えない。他人の意識の中に潜り込むだけでもそれなりに魔力を必要とするし、瑕疵をできるだけ残さずに行き来するのに精神力や集中力を必要とする。

その為に、『学府』で開発された──長丁場の探索やレポートの追い込みなど──ここぞという時に食す、一時的に魔力と体力を増幅させ、回復させる焼き饅頭と、合わせて食べる事で、集中力と焼き饅頭の効果をより長く持続させるスープを作っていた。

魔術師というのは、えてして調理など出来ないと思われがちだが、『学府』の徒で、発掘や探索を生業としているなら話は別だ。出先や探索時には、可能な限り食糧を現地調達して調理して食べるので、意外と食うのに困らない位の腕前を持つ。

包丁で細かく叩いた肉と、みじん切りにした葉野菜と香草と調味料を練り合わせ、小麦粉を寝かせて伸ばした生地で包んで焼き上げたものと、ハーブの香りが強くて酷いスープを鍋ごと、食卓に置く。

材料を揃えるのが一部大変なものもあるが、作るのは簡単な部類に入る。
難点は香草をふんだんに使うせいか、食した後の匂いが強いを通り越して酷い事だが、そんな事に頓着している『学府』の徒はほとんど居ない。

昨日は夕方から、少々どころではなく気が重い時間を過ごしたせいで、正直あまり眠れていない。朝からこんなに重いものを腹に収めるのも厳しいのだが、今後を考えるとそうも言っていられない状況でもある。

「……」

食事の前の祈りの様に両手を合わせると、ただただ無言で、エネルギーを蓄えるかの様に、準備した料理を静かに全て胃の腑に収める。
味は付けているはずだし、肉汁もたまらない。いつになく上手くできたのに、どこか味気ない。
使った食器や調理器具を水に浸けながら、牛乳を沸かしてシチュードティーを作ってゆっくり飲んだ後、味の無いエルフの焼き菓子エルヴン・クッキー2、無理やり流し込んだ。

手を合わせて食事を終えると、いつもより丁寧に口を濯ぐ。

今からやる事は、できれば誰にも知られたくない。

『学府』という閉じた施設せかいの中なら何とでもなったが、外の世界で知られたら最後、どんな扱いを受ける事か。

だから、どんなにフェンティセーザの仲間だと、信用できる相手だと分かっていても、人払いをした。

そして、今までやった事がない長丁場に挑むのだ。

(魔力がこれでいいけどね)

ふう、と息を吐いて、ヘリオドールは二階へ上がる。

エルフの焼き菓子を一度に2枚は、流石に辛い。
一日一枚上限なのを痛感しながら階段を登り切る頃には、頭がぐらぐらしていた。
それでも、今からやる事を考えたら、足りるだろうか。

────

「……入るよ」

ノックをして、一言形だけ断ると、するり、と部屋に滑り込んだ。

「…言ったこっちゃない」

ほらみろ、と言わんばかりの声色で、ベッドに腰掛ける男に言葉を掛けた。

表情を無くしたフェンティセーザは、何も応えない。

『お前の能力ちからが過小評価されるのが、我慢ならない』

たったそれだけの理由で、この男は、ヘリオドールが観た悪夢と向かい合った。
弟子を使い、仲間を使い、ヘリオドールが夢で観た最悪の蹂躙を、証拠の品物を以て立証した。
それだけではない。
その後で詳らかにされていく夢の内容を、耳を塞ぐ事なく全てを聞いていた。時にトゥーリーンの耳を塞ぎ、妹の震える肩を抱いてやりながら、ヘリオドールが言葉に詰まる所をさらりと補足したりもしていた。
──同席していたトゥーリーンとアレンティーナにも相当負荷が掛かる内容で、二人とも今にも暴れ出しそうな──怒りよりももっと黒いモノを、押し殺しきれていなかった。

追い出した先で、トゥーリーンはフォスタンドの、アレンティーナはマネラの精神治療を受けているだろう──もしかしたら、ギルドの状況によっては、トゥーリーンは後でカパタト神の診療所に回されるかもしれないが。

そして、身体を張ったフェンティセーザの代償が、今のこの有様だ。

森を失ったフェンティセーザが──故郷の森の命運を託されながら、救えなかった男が、自分を含めた全てに対して、どれだけ責め立てる衝動が渦巻いているのだろうかと、ヘリオドールは軽く溜息を吐く。

フェンティセーザの故郷の森を滅ぼしたのも『王都』だった。
生き残った者達が、どんな目に遭ったかは──最早知る由はないとしても、容易に想像はつく。

こうしてフェンティセーザが心を塞いでしまった事で、昨日の密室の内容は、ハロドを通してギムリとマネラに伝わるはずだ。
普段は面白楽しく話を膨らませる悪癖も、こんな時はなりを潜め、無駄なく正確に伝える『小さなひとハーフフット』は、こういった状況では信頼に置ける。
下手したら二人の侍の耳にも入るかもしれないが、あの二人なら──自分が知る、ヒノモトで己の役に就いてきていた『侍』なら、外に漏らす事もないだろう、きっと。

「他人の為に、やりすぎなんだよ、お前」

身体をふらつかせながらも、ヘリオドールはフェンティセーザに近づくと、身体を押し倒そうとする。が、自身の暴走しそうなまでのエネルギー過多と、魔術師とはいえ弓を引くせいか意外と逞しい身体の重みに早々に諦め、向かい合う様に膝の上に座った。

──この馬鹿は、自分が居なかったらどうなるのだろうか。

この男は、滅多に大きな感情を露わにしない。
吐き出すなり爆発させるなりすればいいものの、全て自分の内へ抱え込んでしまうのだ。

(横になった方が密着できるしラクなんだけどな、仕方ないや)

少し前屈しているせいで窮屈だが、そうも言っていられない。
フェンティセーザの腕を自分の腰に回させ、顎を肩に載せさせると、ヘリオドールは自分の腕を相手の腰に回し、大きな耳にそっとすり寄せるように頬を付けた。

─────

こぽぽ、ごぽごぽ……

暗闇の中、深く水の中を沈んで行く様に、ヘリオドールの意識が、深く、深く潜って行く。

『夢見』の応用で、他人の、無意識と落ち込んだ意識の混沌に潜る。

(……落ち込み過ぎだよこの馬鹿)

閉ざした心の行先は余りにも深かった。

こうやって、今まで数度、心を閉ざしたフェンティセーザの意識を引き上げた事があったからこそ、やってのけれるし要領もそれなりに掴んではいるのだが、意識の混沌を潜り、帰りの道標を保たせながら本人の意識の奥深くに辿り着くまでに相当な魔力を消費する。
しかも辿り着いた先にあるのは、繊細で傷付きやすい、最も『柔らかい』部分だ。下手に触れば死んでも癒えない傷を残す。

(もう、馬鹿ティス馬鹿ヤケに付き合うのもうんざりなんだよね)

他人の意識の中に自分の意識を潜り込ませているのだ。考えている事なぞ筒抜けなのだが、それでもヘリオドールは思わずにはいられなかった。

どれだけの年月、抱え込めば気が済む。
どれだけの年月、背負い続けるつもりだ。

長命種であるが故に、一度苦悩を抱えれば、人間が産まれ落ちて天寿を迎えるよりも長い期間、それを抱え続ける羽目になる。
その荷を全部降ろしてしまえとは言えないが、少しづつ軽くしていくとか出来ないのかと、思わずにはいられないのだ。

囚われ続けるというのなら、こんな後ろ髪引かれる様なものではなく、こう、もっと──

そうしているうちに、沈む先に小さな光が見えた。

(……あれか)

今までになく深く潜ってきた自覚はある。
その奥底、フェンティセーザが後生大事に抱え込むそこへ、迷う事なくヘリオドールは飛び込んだ。

────

そこは、一面の荒地だった。

一面に雑草が生い茂り、一度燃えたのであろう──黒々とした木々から新しく芽吹いた命が、林を作り始めていた。

数歩先には、立ち尽くす一人の古代種エルフがいた。フェンティセーザだ。
一人だけだ。双子の妹アレンティーナはいない。

──『一族の宝である『木霊の弓』を手に、時を翔んで戻ろうとしたが、固有魔具アーティファクトが作動しなかった。慌てて森に向かったが、着いた時にはもう森は無かった』

いつぞや聞いた話を思い出す。

が──

(おかしい)

ヘリオドールは矛盾に気付いた。

固有魔具アーティファクトを使って時を翔ぶとしたら、最低でも10年単位だ。下手すれば100年単位だってあり得るのに、この有様は

フェンティセーザ本人の記憶の認知の歪みと言えばそれまでだが──

そんな中、フェンティセーザが懐から何かを出すそぶりをした。ちゃり、と手からこぼれ落ちた鎖が小さく鳴く。燻んだ色合いは見覚えがある──確か、懐中時計だ。

(……あれは)

『学府』に居たころ、フェンティセーザが後生大事に懐に入れてていたものだった。

現実世界で見た時は何も感じなかったが、今は時計の内側から漏れ出る魔力で、それがただの時計ではない事を見抜く。

(もしや──)

目を伏せたフェンティセーザの表情に、諦めと、絶望と、不安が混じる。

(まさかこの馬鹿……)

時を翔ける固有魔具アーティファクトがあるのだ。数こそは無いが、過去を『視る』固有魔具も確かに存在する。

手にしている固有魔具を、過去を辿る道具にでもするつもりなのか。

──『過去を辿る術』なぞ、それなりの魔力量に加えて、発動なぞするものではない。
それをこんな所で発動させたら、良くて魔力枯渇、下手をすれば意識がズタズタになって廃人だ。

(馬鹿、止めろ。過去でも『視る』気か──)

思わず出てしまった制止の手が、懐中時計を叩き落とそうと握る手に触れる。その瞬間、どくり、と、ヘリオドールの心臓が跳ねた。

────

(くっそ、持って行かれた……!)

意識の奥深くに潜り込む為に、腹の中に溜めに溜めてきたはずの魔力が、一気に底が見えた。かろうじて腹の中でじりじりと再生している感覚はある。

意識の中、実体も何も無いのだが、自分以外の魔力の流れで介入を知ったフェンティセーザが顔を上げる。

「へり、お」
「馬鹿かお前!」

あまりの無茶ぶりにヘリオドールが思わず怒鳴った。

同時に、二人が見ていた風景が、炎に染まる。
慌てて、ヘリオドールがフェンティセーザの服の裾を掴んだ。ここは意識と思考の世界。次の瞬間にはのだから。

「これ、は」

ぽろり、と、フェンティセーザの口から言葉が溢れた。

今まで何度、視ようとしたか。
試して、駄目で、それでも諦め切れなかった風景が広がっていた。

無いはずの五感に鮮明に訴えるそれは、故郷の森の最期だった。

数えるのも嫌になるほどの、死体。
森の外にあるそれらは『王都』の紋章を背負っていた。

「みな、は」

木々を炙る炎の中に、ちらちらと鬼火が揺れる──

「やけに呆気なく終わったな」

やや遠くから、人の声がした。
見やると、黒い甲冑を纏い、黒毛の馬に載る騎士が居た。その後ろには、『王都』の紋章を付けた兵士達の軍隊が、一個中隊ほどだろうか、控えていた。屍の数までざっくりと入れれば、この森の制圧に、一個大隊位は来ていたのだろう。

「もう少し、抵抗があるかと思ったが」

その淡々とした口調からは、感情は窺い知れない。

(──あれは)

『王都』のものではない、黒い騎士の紋章は、ヘリオドールとって見覚えのあるものだった。
それは決して、この場に居るはずのない、存在だった。

もだけど、なぜ、

「申し上げます、『黒騎士』!」
騎士の元に、黒い甲冑を着た戦士が走って来た。
『王都』の兵のものとは格式が違う。
使い込まれてはいるが、良く手入れされているのが分かる。
「何だ」
「確認完了、敵は全滅、により敵味方共遺体の回収は不可であります!」
「……なるほど、神の奇跡を拒否する術を持っていたか」
初めてだな、と漏らすと、ほう、と息を吐いた。

「『鬼火』……」

古代種と言われる存在は、死した後に復活の奇跡を受ける事なく埋葬されると、鬼火となってしばらくの間、現世を揺蕩うとされている。

「そうか、仲間達は皆……」

鬼火となった今、尊厳は守られたという事か。

そこに、同じく黒い甲冑を着た別の戦士が走ってくる。

「申し上げます、『黒騎士』!」
「何だ」
「………」
しかし、その戦士は、ちらり、と『王都』の兵を見やる。
「報告を上げよ」
「…はっ!……数を確認した所、我らが把握していたよりも敵の総数は少なく……」
「……ん?」
「……女子供らしき姿は、どこにもありませんでした」

その報告に、『王都』の兵士達からざわめきが上がった。

狂気を孕んだソレは、「女子供」という格好の獲物を追い詰めるという愉しみからだろう。

しかし。

「静まれ」

短く、馬上の騎士が一喝した。
その一声で、『王都』の軍勢が黙り込む。
馬上から見下ろしながら、声を通す為か、騎士は兜を取った。

その騎士の顔は、遠目に見ても、右側半分が醜く焼け爛れた跡があった。にもかかわらず、その佇まいに──存在そのものに、人を惹きつけてやまない何かがあった。

ただ、その身から滲み出るものは──間違いなく『邪悪』であった。

その後ろに、黒い甲冑を纏った戦士達が横に並び、控える。

「いくら私が招ばれた者であり『王都』の軍の者で無くとも、私に率いられている以上、私の指示に従って貰わねば困る」

良く通る様になった声で、淡々と、騎士は兵に告げた。

「私は『騎士』だ。
信念を持って戦う者を尊ぶ。
逃げる者は追わぬ。
女子供には手を出さぬ。
我が軍である以上、貴君らにも同じ様求める。
その求めに応じられないのであれば──」



最後の、たった一言で、一個中隊から次々に血飛沫が上がった。

人が倒れ、折り重なる。
暫しの後、立っている者は誰一人として居なかった。

「……」
(……)

騎士のたった一言で、『王都』の一個中隊が全滅した。

それを見届けて、馬上の騎士は兜を被り直す。

「……皆、森から炎を貰って来なさい。
この場ごと、死体を焼き払ったのを確認して、お前達は先に
報告は私一人いれば事足りる」

先程とは打って変わってどこか優しげな声に、後ろに控えていた黒い甲冑の戦士達が、馬上の騎士に敬礼する。敬礼に見送られて、馬上の騎士は一人その場を去った。

────

手から何かが滑り落ちた感覚で、フェンティセーザが我に返った。

「いまの、は」

風景は、一転して元の景色に戻っていた。
視線を落とすと、手から滑り落ちた懐中時計が割れ、崩れて砂になるところだった。

時を翔んで『視た』のか、それとも──

「もし、これが、ほんとうなら…」

涙が、頬を伝う。
その瞼を、ヘリオドールはそっと手で覆って閉じさせた。
崩れ落ちる様に、フェンティセーザが膝を付いた。

「……力、使いすぎたろ?」

隣に膝を付いて、そっと、囁く。

夢の中ここでくらい、思い切り、泣くといいさ。
、誰も見てない」

そうして、片手を瞼に添えたまま、もう片方で、そっと、頭を胸にかき抱く。

「…こうしていれば、私も見えない」

その一言が、フェンティセーザを決壊させた。

────

どれほど泣いていただろうか。

「…気が済んだ?」
「……ああ」

袖も服も、涙と鼻水で見るも無残な状態だったが、流石に夢の中、瞬時に無かった事になる。

──夢の中で逢うヘリオドールは、いつも全く別の姿だった。

絹の様な髪は、金からぬばまたの黒へ。
目も心なしかぱっちりとしている。
肌は透き通るような白さが増していて、肌理も細かく、指を添えただけで吸い付くのではなかろうかという位だ。

今も、そうだ。
元から細いが今は更に華奢で、腕の中にすっぽりと収まってしまうし、そのまま抱きしめて少し力を入れれば折れてしまいそうだ。

「じゃあ、気が済んだついでに、せっかくだから森の奥に行こうか」
立ち上がると、ほら、とフェンティセーザに手を差し出す。
「何をしに?」
「こんな機会もうないからさ、探検だよ」

もし、さっき「視た」出来事が本当なら、ここには危険は無いはずだ、と。

「いろんなのがごちゃ混ぜになってるみたいだから、お前の中の整理と確認も兼ねて」

そもそもが深層意識の奥深くなのだから、ごちゃ混ぜであってもおかしくないのだが、敢えてそこは伏せて、ヘリオドールはフェンティセーザに先を促した。

「整理と確認と言っても…」
「?」
「私は、あのとき、足がすくんで、森のおくへは、入れなかった。ただ、故郷が、もう、喪われているのを確認したに、すぎない」

ぽつり、ぽつりと、呟く様に、言葉が、そして涙が、零れ落ちる。

それは、フェンティセーザ自身を未だに責め立てることの一つでもあった。
故郷の喪失という事の大きさに向き合いきれず、逃げる様にその場を去ったのだ。

「それでもだよ」

むう、とヘリオドールが少しだけむくれてみせる。

「せっかくのお前のこきょうを、私に見せてくれないのか?」

わざわざ来てやったのに?ととぼけてみせると、ややあって、袖で頬を拭ってフェンティセーザがゆっくりと立ち上がった。

────

随分長いこと森を離れていたものの、身体は道を憶えていた。変わり果てた道なき道を奥へと進んで行く。

「私たちの、一族は、木の上に、住居を、かまえていて、な」

ぽつり、ぽつり、と言葉が紡がれる。
侵入者から身を護り、森に住まう猛獣達との共存の姿勢だった。

「移動は、枝に通路をつくりつけたり、つりばしを掛けたりしていたんだ。
ほとんどこうして、地面を歩くことは、なかったんだが、な」

フェンティセーザの目には、きっとかつての森が、集落が重なってみえているの見えているのだろうなと、横顔を見やりながらヘリオドールは感じた。

奥へ、奥へと手を取り歩む二人が、草や固いものを踏み分ける音だけが、やけに耳についた。

長い年月を掛けて木を育て、森とする。
不要な枝葉を落として整え、それらはもれなく活用される。地上に比べれば足元の安定さには欠けるが、日々の生活で体幹や筋肉は鍛えられるから問題は無い──それ故か、この一帯の中では強者として、他の種族からも認められ、頼られていたという。

ただ、この造りは炎に弱いのと、外部と森の中から枝葉でカモフラージュする為すぐには住処を拡げられないのが難点だ。

変わり果てた森の姿に、もうかつての面影を見る事は無いはずだった。が──

森の最奥に、それは残っていた。

「ここは?」

枝の上に櫓が組まれ、その上に丸太で住処が造られていた。
誰もが憧れるであろう、巨大な樹上の家だ。

「ここは……」

フェンティセーザが故郷に辿り着いた時には確かに、森そのものが無かったはずだった。

「長老の、すみかだ」

人が住むにしては広過ぎるそれは、集会所も兼ねているのだろうとヘリオドールは踏んだが

「集会所に、書物庫、神殿が併設されてる。
有事の時の、司令所でもあった」

森の民の中枢部でもあった様だ。

「なぜ、これだけが、のこって」
「ここはお前の無意識の中だからね、記憶とか記録とか思い出とかが複雑に絡まって混線してるんだ。矛盾があるのが普通だよ」

そこに別の要素が絡む可能性だってあるのだが、そこまで言及するといくら時間があっても足りなくなるので、ヘリオドールは敢えて触れない事にする。

突風が、吹いた。

その風に呑まれそうになって、思わず二人は互いの手をしっかりと握り直す。
逸れないように、フェンティセーザがヘリオドールを引き寄せて腕の中に収めた。

音を立てて、更に風が吹く。
無意識の──もしくは、無意識を介した何かの──これ以上踏み込んでくれるなという拒絶が、風の強さに現れる。

「……もう、帰る時間だ」

ぽつり、とヘリオドールが呟いた。

「ティス。無理して残ると後々面倒だから、これに乗って一旦戻るよ」
不貞寝なら戻ってからしなよ、と声を掛けてやると、無言で抱き締める腕に力が籠る。

「……来たくなったら、また来ればいいさ」

来れるかどうかは分からないけどさ、という呟きは、突風に巻き上げられた。

────

じわり、と熱と共に、染み込む様に肌から魔力が流れ込んで来るのを感じながら、その熱を追い、辿る様にふわりと意識が浮かんだ感覚を、フェンティセーザは覚えた。

目の奥が酷く痛む。
ものすごく瞼が重い。
瞼だけではなく、全身も重い──

「……目は、開けるなよ、ティス」

あんな無茶やって、万が一にも失明してたら事だから、と続く声が細く聞こえる。

「…ヘリオ?」
「ああ、私だ。変な気を起こされても困るから引きずり上げた」

どこか覇気の無い声に

「……そうか」

ぽつり、と、重たげな、呟く様な返事が返ってくる。

「……動けるなら、このまま横になってくれないか」

重い。
一言、心底嫌そうに告げると、フェンティセーザはヘリオドールを巻き込む様に、無言でぱたり、とベッドに倒れ込んだ。がつん、と頭同士がぶつかる。

「…やっぱ重い」
「…すまん」

弓を引く腕は、力が抜けているからこそ、尚のこと重い。
フェンティセーザは顎を肩から離すと、ヘリオドールの身体を胸の中に抱き込んだ。

「……ヘリオ」
「なんだよ」
「おまえは、いったい」

何者なんだ、と、続く言葉が出てこなかった。

鑑識眼そらいろのめで見える姿はいつも二重。
夢の中や意識の中では、常に重なって見える「もう一つの」姿だ。

夢というにはあまりにも精緻なを観るし、自分が知らない──トーリボルの二度目の蹂躙の四人の将や、今回の『黒騎士』についても、『学府』の書物に記されている様な正確に知っている様だった。

今まで見て見ぬフリをしてきたが、そもそもなど、定命のモノが使うには、余りにも過ぎた力だ。

しかし、フェンティセーザが言えずにいる言葉を、汲み取れないヘリオドールではなかった。

「…全部、話すよ。長くなるけど」

──甘えていた。
空色の瞳には、自分の姿がどう映っているかなんて、分かりきっていた。それでも、変わらずに接していてくれる二人に、甘えていた。
見えていて、尚且つ自分という存在を、まるごと、受け入れてくれていると、甘えていた。

「……長くなるから、お前が回復してからな。
聞いてくれるか?」
「ああ。付き合おう」

話して、どうなるかは分からない。
隠していた訳ではない。
ただ、聞かれなかったから、そのままだっただけで。

もしもこれで離れて行くなら──また、独りになるだけだ。
独りは、慣れてる。

仲間が居て、弟子が居て。
横に並ぶ相手が居て。
こんなに賑やかな時間の方が、ヘリオドールには少なかったのだ。

「……ひとまず、休もうよ」

魔力からっけつだよ、とヘリオドールがぼやく様に言うと、フェンティセーザが抱き込む腕に、そっと力を足した。

まるで、何があっても手離さないと言わんばかりに。

────

翌日、調理場。
開けっ放しの窓から入ってくる気持ちの良い空気の中、背後に見えるほどの怒気を背負ったマネラとアレンティーナの前で、フェンティセーザとヘリオドールが床に座っていた。

「使った調理器具はきちんと片付けて下さいねって、言いましたでしょう?汚れは落ちなくなるし虫が沸きますからって」
「どんな無茶振りすればなるのよ二人とも」

全くその通りな小言に、二人とも言い返せない。

追い出された翌日早朝、マネラとアレンティーナが合鍵を使って戻って来てみれば、台所は散らかったまま、香草と香辛料のどぎつい臭いが充満していた。
それに加え、双子故の感覚共有でもあったのだろうか、アレンティーナが両眼に酷い痛みを感じたらしく、慌てて二階の個室に上がってみたら、二人とも相当酷い有様だったらしい。
空気の入れ替えを、と窓を開けたら、外気の流れで目を覚ましたヘリオドールから状況を伝えられ、マネラとアレンティーナが呪文でフェンティセーザを治療した後、併設されている湯殿に二人まとめて叩き込んだのだ。

ひとまず、ヘリオドールの容姿が、という事には一言もなかった。

全身を丸洗いしている間に呼び戻されたのだろう。壁の向こうからトゥーリーンとハロドの声が聞こえる。水音もするから、洗濯でもしているのかもしれない。

湯船に浸かりながら、フェンティセーザとヘリオドールは、目下、姿を思案していた。
今のところ、トーリボルでは、ヘリオドールのこの姿を知っているのは、『鑑識眼』を持つ双子のエルフしかいない。が──

(あんまり、この姿を見られたくないんだよね)

普段の姿なら、無頓着な姿でいればそこまで変なのは寄ってこないが、この姿だとそうはいかない。
それで、ヘリオドールを拾った『学府』での師は、何か姿を変える術を施したはずなのだが…

「……師匠以外での発動と解除の条件、なぁ」

ヘリオドールが思い出したのは、術を施した本人以外での、発動及び解除条件がこれまた難物だったという事くらいで、おまけに、肝心な所を思い出せずにいた。

「……ヘリオ、お前の師は今」
「生きてはいるけど、どこに居るかまでは分からないよ……」

ヘリオドールの師は、学府に身を寄せるまでの探索情報と引き換えに研究室を貰い、しばらくは『学府』に居たが、上層部の命令を受けて、研究室を閉めて単身出て行った。
「『学府』のタグが戻って来てないから、どこかで生きてるとは思うけどね」
居場所を調べるにしても、瞬時に辿れる訳ではないし、流石に湯殿の中からは無理である。

「まあいっか。ティス。面貸せ」
「?」

反応の隙を付いて、ヘリオドールがフェンティセーザと唇を重ねた。

次の瞬間、まるで薄衣を纏うように──ヘリオドールの姿が普段の姿に戻る。

「ティス、見え方どう?」
「どう?って……戻っているが……?」

今までと同じように、ヘリオドールの姿が二重に視える。

「元と同じなら、いい」
それだけ言い置いて、ヘリオドールはさっさと湯船から上がり始めた。

「ヘリオ、どういう事だ?」

本人の中でさっさと片付いてしまった事について行けないフェンティセーザに

「いけるかなと思ったらいけただけだよ」

なんとなく。
と、ヘリオドールが返す。

「条件も分からずにか?」
「ド忘れした条件どうこうより目の前の難題の解決の方が優先だよ!」

解決したからとりあえずはいいじゃないか!と湯船とフェンティセーザの腕から抜け出しながら

「…私の師匠、古代種エルフだったから、お前でもいけるかなって」

「…は?」

ヘリオドールの言い方に、流石にカチンと来たのを隠せなかった。

自分は、なのか?と。

「じゃあ、アレンティーナと今みたいな事してもいいのかよ」
「例え相手がお前でも駄目を通り越して無理だ流石に処すぞ」

久々に、妹超強火担な台詞を聞いた気がした。
そうだよ、この男はこうでなくては、と、どこか安心する。

「だろ?私も彼女にこんな事したくない」
「当たり前だ、いや言いたい事はそこじゃない」

ふかふかの大判のタオルで身体を拭き上げるヘリオドールに詰め寄った。

「お前、師と接吻なぞ」
「そこかよ」

呆れ果てた口調に「そこだとも」と即答が返って来る。

「する訳ないだろ。せいぜい師匠からこめかみに口付けを貰う程度だよ」

──この時は余程切羽詰まっていたのか、で発動も解除も可能で、本人に維持の自覚が無くともそうそう解ける事はない変化の術と言うのも、

という事に気付く二人ではなかった。

気付いたとしても、怒らせてはいけない二人をとっくに怒らせているという現実の前では即座に吹き飛んでいただろう。

そんなこんなで簡単に身支度を整えてからの、説教タイムである。

「酷い匂いだねぇ」

洗濯を終わらせて来たのだろう。水気を纏ったトゥーリーンとハロドが調理場に入ってくる。

「効果最重視採算度外視香草薬草特効薬マシマシで作ったからね。そこらへん無しで美味しくも作れるけど」
「こら」

応えたヘリオドールの脳天を、マネラがごつんと叩く。意外に痛い。

「まだ話は終わってません」
「ぬあ…っ」

思わず頭を抱えて転がったヘリオドールに「痛い様に叩きましたから」と鼻息荒くマネラが言う。

台所の散乱具合もだが、建物に臭いが付くのが余程嫌だったのだろう。

「それはそうと」

床に転がるヘリオドールを見やりながら、トゥーリーンが一言。

「ヘリオドール。さっきから貴殿あなたの姿がチリチリしてるのだが…」
「へ?」
「うん、何というか、チリチリしてる。
二つの姿が混じって…うーん…重なって見える感じかなぁ」

ハロドまで言い出す。
マネラを見やると

「私もさっきからそうですよ」

ずっと見てると目が疲れますねぇ、と続けられて、アレンティーナに視線をやると

「いつもより見え方の荒れがひどいわ」

相当魔力持って行かれたのね、と頭を撫でられた。

「どういう事だい?」
「兄さん、今までに何度か塞いだことがあって、その度にヘリオドールが引っ張り上げてくれてたんだけど、相当魔力消費するみたいで、いつもこんな感じだったのよね」

無言で、フェンティセーザが動いた。
がっ、とヘリオドールの両頬を掴む様に両手で包み込むとそのまま引き寄せて口付ける。

「────!!!!」

唇をこじ開け、舌を捩じ込む。逃げようとする舌を絡め取り、くまなく口腔を荒らし、唾液と共に魔力を流し込む。
ヘリオドールがどんなにフェンティセーザに爪を立て、腕を叩き、髪を強く引こうが、フェンティセーザはやめなかった。

「……」

帰って来て早々、長々と、一から十まで、熱烈としか言えないその様を、真正面から見せつけられる事になるとは思って無かったのがギムリと、一緒に付いてきていた『シマヅ』と『ミフネ』だった。

口をやっと離したかと思ったら、そのまま「誰にも見せるものかと」と言わんばかりに、ヘリオドールの頭を抱え込む。

「これは流石に朝から刺激が強すぎる」と目隠ししようとする『シマヅ』と見たい盛りの『ミフネ』の静かな攻防と、女性陣に加えハロドまでが「きゃあ」と言わんばかりの表情で凝視している背景まで含めて、昨夜の深酒の酔いも吹っ飛んだわと、ギムリは軽く溜息をつくのだった。

────

結局。

魔力を受け渡して気絶したフェンティセーザと、元の姿に戻りながらもそのままホールドされて身動きが取れないヘリオドールという大の男二人を引き剥がして改めてベッドに叩き込み、この日も一日『学府』トーリボル支部は臨時休業となった。

焼き饅頭の酷い臭いがまた冒険者達の噂のタネになるかと思われたがそんな事はなく。
数時間後にはその臭いもなぜか調理場から綺麗さっぱりなくなってしまい、不思議に思いながらも掃除の手間が省けたと胸を撫で下ろしたマネラだった。

────

流石に翌日の朝、『学府』トーリボル支部の臨時休業の札が取り下げられた。

「……どういう事?」
押しよせる冒険者の波に、渋面を隠さないヘリオドールに、かくかくしかじかと冒険者達が言うには、冒険者ギルドが新規受入以外の業務を一時停止しているのだという。

「あー……」

そう言えば、ギルドマスターが「幹部うえを呼ぶ」とか言ってたな…と思い至り

「多分ね、監査」
「監査…っすか?」
「うん。私も良くは知らないけれど、ここほら、新しく『立て直した』ギルドから、きちんとしてるかどうか不定期に監査が入るとかなんとか耳にしたことがある。
確かここに所属している冒険者達の素行もチェック入るとか言ってたから、今はギルドがきちんと再開するまで大人しくしてた方が、後々の自分たちの為だと思うよ」

まあ、嘘八丁手八丁なのだが、この程度を通せなければ一施設の長などやってられない。

「こっちから冒険者ギルドに伺い立てて、とりあえずどの業務をどうするか寄合所に指示出すから、待っててもらえるかな?」

そう言って、冒険者の波を引かせる。
残ったのは魔術師関係なのを確認して──きっと彼らが、ここでの指示を持って仲間たちの元にに帰るのだろう──彼らを待合室に招き入れると、居候達に頼み事をし、後を任せて日々の業務に取り掛かる。

「あの、ヘリオドールさんは、迷宮には」
「ああ、私は……遺跡としてみたここトーリボルの『探索研究』で来てるからね。仲間が居たとしても、冒険者としては『潜れない』んだ」

『学府』本部から許可が降りてない、と、指示を待つ魔術師に話しかけられて、ヘリオドールが答える。

「そもそも遺跡を探索したり、構造物のサンプルを持ち帰って研究する分にはみんなの様に呪文も必要ないしね。
だからここで、皆のバックアップに努める事にしている。何か必要なものがあったら、魔術師の寄合所を通して遠慮なく言うといい。こちらで準備できる物資であれば『学府』に掛け合おう」

ざわざわと小さなざわめきが起こるのを確かめた後

「勿論、対価として、持ち帰れそうな構造物…そうだね、拳大くらいの土壁の小さな塊とか、崩れた遺跡の柱みたいなのを見つけたら、こっちに持ってきて欲しい。荷物を圧迫しない程度の量で構わないよ。」
「分かりました」

善意では無く、取引なのをそれとなく匂わせると、方々から了承の声が返ってきた。

冒険者の様な「荒くれ者」には、余計な善意はあまり必要無い。むしろ、対価を示した取引の方が乗ってくれる確率が高い。今までの経験上、ヘリオドールはその事を心得ていた。

やがて、冒険者ギルドの様子を見に行ったハロドが返事を持って帰って来るだろう。そうしたら、また各寄合所への業務の割り振りに忙しくなる。下手したら今日は一日、それで終わるかもしれない。

(それでも、この街の為には力を出し合わなきゃだもんなぁ)

双子に荷物を届けるついでに、余計な煩わしさに振り回される事なくトーリボルの施設などの研究をしにきただったのに、完全に巻き込まれている。
しかも、巻き込んだ元凶は、魔力不足が改善されず、今もベッドの住人だ。

(あいつが絡むとほんっっっっと、最後まで付き合わされる羽目になるんだよなぁ)

今度の「最後」はいつなんだろうか。とふと思いを馳せ、数年は来ないだろうなとヘリオドールはため息をそっと漏らした。
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