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三話
しおりを挟む幼い頃から思い描いていた運命の人なんて幻想に過ぎないと、本当は疾うの昔から分かっていた。
だがフィオナは、運命の人と出会ってしまった。これは幻想なんかじゃなく、今正に現実に起こっているーー。
フィオナは今、城の宿舎で寝泊まりをしている。一人部屋ではあるが、手狭なので余計な荷物は持ち込めず、趣味である読書も儘ならない。故に、一ヶ月程前から書庫の整理や清掃を担当する事になり密かに喜んでいた。何しろ、ちょっとした手隙に読む事が出来る。それに書庫に行けば、彼に会う事も出来るーー。
「やぁ、フィオナ」
「ロイ様」
フィオナが書庫へと入ると、今日もまた彼の姿があった。テーブルに書物を積み上げ、真剣な表情で眺めている。
そんな彼を見て、内心喜んでしまう自分がいる。思わずダラシなく緩みそうになる頬を堪え、これは仕事なのだと自身に言い聞かせ気を引き締めた。
「ひと段落したら休憩にしようか」
すっかり日課となってしまった。
フィオナが午前の作業を終えると、彼が持参したお菓子を振る舞ってくれる。
城で侍女として働く様になってからは、無論お茶の時間などはなく必然的に甘い物を摂取する機会が略略ない。それ故に甘党のフィオナには、毎日の彼とのこの時間が愉しみで仕方がない。
ただ一つだけ気になる事がある。
彼は一体何者なのだろうかーー。
フィオナが知っているのは、彼の名前がロイという事と、城で働いているという事だけだ。後、お菓子を与えてくれる良い人ーーこれはかなり重要だ。
テーブルにはカゴに入れられた甘い匂いを漂わせている焼き菓子と、お茶が置かれている。無論全て彼が用意してくれたものだ。
「フィオナは、本当に甘い物が好きなんだね」
今日のお菓子はフィナンシェだった。その前はフルーツの砂糖漬け、またその前はチョコレート、その前はビスケット、その前はーー。
フィオナは、ゆっくり味わいながら至福を噛み締める。
(頬っぺたが落ちそう~)
これはただのフィナンシェではない! と断言出来る。絶妙な甘さとバターの香り……正に極上だ!
「ロイ様も、甘い物お好きですよね」
「あぁ、好きだよ」
即答し真っ直ぐにフィオナの目を見つめたまま、そんな風に言われると勘違いしそうなってしまう。
高鳴る鼓動がバレてしまわないかと、気が気でない。折角のお菓子も味が良く分からなくなってしまうと焦りながらもモグモグと咀嚼する。
「可愛いね、菓子屑がついてる」
「っ⁉︎」
「うん、甘い」
不意に手が伸びて来たかと思えば頬に触れた後、今度は彼の端麗な顔が近付いてきてフィオナの唇を舐めた。
余りの出来事に、目を見開き固まってしまう。
「どうしたの? 随分と顔が赤いよ」
「あ、あ、あのっ‼︎」
顔は無論の事、舐められた唇も火でも灯したかの様に熱くなる。だが彼といえば、別段気にした様子はなかった。きっと彼にとってはこれが普通の距離感であり、気にし過ぎなのかも知れない。意識している自分が妙に恥ずかしくなった。
「そう言えば……アレはファーストキスだったのかい?」
脈略のない会話に、一瞬何の話かと頭を悩ませるが直ぐにアレが何かを察した。
アレとは正しく彼と出会った時、フィオナが人工呼吸器をした事に違いない。
この歳で未だに婚約者すらいないフィオナは、キスの経験などある筈もなく紛れも無くアレがファーストキスだ。
「い、いえ……」
だが口を突いて出た言葉はそれを否定した。
分かっている、嘘は良くない。だがもし肯定すれば、優しい彼は気が咎めるかも知れないと思うと正直に言えなかった。
「でも、婚約者はいない筈だよね?」
(あれ、私……婚約者がいないなんて話したかしら……)
「君のファーストキスを奪った男は、誰?」
笑顔で詰め寄られ、言葉に詰まってしまう。
「あー……その、内緒です」
えへ、と柄にも無く笑って誤魔化してみた。
我ながら陳腐な言動だと呆れるが、相手が存在しないので致し方がない。だが強いて言えば貴方です! と言いたい。しかも奪われたのではなく寧ろ自分から奪われにいったと表現する方が近いと思うと複雑だ。
「うん、可愛い笑顔だね。もしかして、態とかな? 悪い子だね」
「え……」
普段穏やかで優しい彼が、今は少し怖く感じる。笑顔には違わないのだが、瞳の奥に秘めた劣情の様な揺らめいて見えた気がした。
「妬ける」
まだ一つ、カゴの中に残っていたフィナンシェが床に転がっていく。勿体無い! そう思った時には視界が揺らぎ、既にテーブルの上に組み敷かれていた。
一瞬の事で自分の身に何が起きたか直ぐには理解出来なかった。
「ロイさ、んっ……」
彼の唇がフィオナのそれを塞いだ。
焼ける様に熱く、そして柔らかいーー。
始めは角度を何度も変えながら啄む様にして触れていただけだったが、暫くすると今度は舌を使いフィオナの唇をこじ開け様としてきた。
(ダメっ……婚約者でもない人と、こんな……)
きっと彼は勘違いしている。アレは略事故みたいなものだ。もしかしたら誰にでもキスをする不埒な娘だと思われたのかも知れない……。
「っ……んッ」
女性とはまるで違う大きく少し骨張った手が、耳や首筋を撫でた。もう片側の手は、親指でフィオナの下唇をゆっくりと開かせる。次の瞬間、ぬるりとした感触を感じた。彼の舌だ。
逃げる舌を舌で絡め取り、吸い上げられる。互いの唾液が混ざり合い、段々と境目が分からなくなっていく。
(気持がいいーー)
全身の力が抜け、頭がぼうっとする。
彼が触れている耳や首筋、口内への感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。
「フィオナの唇も甘いね」
名残惜しいと言わんばかりに最後に唇を軽く舐めると、彼はゆっくりと離れていった。
舌舐めずりをして、彼のともフィオナのとも分からない唾液を舐めとる。
暫し妖艶な姿に目を奪われるが、我に返り身動いだ。
「ロ、ロイ様! 何をするんですか⁉︎」
「何って、キスだよ?」
「そうではなくてっ」
悪びれもしない彼の身体を力一杯押し除け様とするが、小柄なフィオナでは成人男性の力に敵う筈はない。
「もしかして、私とのキスはお気に召さなかったかい?」
眉を上げた後、直ぐに眉根を寄せた。
何とも言い難い哀愁が漂い、まるで捨てられた仔犬に見えてくる。
「い、いえ、そうではなくて」
「なら、どうだった? 気に入ってくれたかい?」
「え……あ、あの、いえ、はぃ……」
否定すれば、落胆するのは目に見えていると思い戸惑いながらも頷く。彼が悲しむ顔を見たくないと、何故か分からないがそう思った。
それに正直、嫌ではなかった。寧ろーー。
(もっといっぱい……)
そこまで考えたフィオナは、邪念を払う様にして頭を横に振った。
(わ、私ったら一体何を考えてっ……)
「嬉しいな、フィオナ」
曇っていた彼の表情は一気に明るくなる。
多分自分より何歳も歳上であろう彼だが、可愛いとすら思えてしまう。
何となく敗北感を覚えた。
「ああ‼︎ フィナンシェが……」
すっかりフィナンシェの事を忘れていた。
フィオナは跳ね起きると、慌てて床に転がるカゴとフィナンシェを拾い上げる。
しゃがみ込み、暫し手にしたフィナンシェと睨み合いをするが諦めてカゴに戻した。
「勿体無いです……」
幾ら何でもこれは食べてはダメだとフィオナのちっぽけな自尊心が言っている。
「すまない、フィオナ。次はフランポワーズのスコーンを持ってくるから、そんな顔しないで」
「……本当、ですか?」
「うん、約束するよ」
まるで幼子をあやすように優しく頭を撫でられる。我ながら単純だと思うが、頬が緩んだ。
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