18 / 21
第二夜『屋敷と遠征』
十一(第十八話)
しおりを挟む鳥を食べ終えたユトロはナユタナに別れを告げ、再びブランヴェルの宿へ戻った。
宿札を出すと、鍵番はちょうど灯に油を注ぎ足していたところで、ユトロに気付くなり慌ただしく立ち上がる。
「はいはい、今開けますよ……」
雑な手つきで油壺を片づけ、吊り灯を揺らしながら階段を上ってゆく。
踏み段の軋む音が二階の廊下に響き、戸口の前で鍵を探る金具の音が続いた。
ガチャリ、と戸が開く。
その物音に、部屋で寝ていた者たちがむくりと身じろぎし、寝ぼけまなこで咳払いをして不満を示した。
ユトロは鍵番の脇をするりと抜ける。
気配を消し、足音ひとつ立てず、まるで影のように寝台へ向かった。
床板は軋みもせず、戸も揺れぬ。
闇に紛れるように身を沈めると、部屋はしんと静まり返った。
さきほどまで鍵番の音に不満を漏らしていた者たちも、無音の大男の気味悪さに身を縮め、そっと目を閉じた。
ユトロは胸を撫で下ろした。
竜討伐について来たがるナユタナに、「あなたは弱いのだな」と告げられずに済んだ。
「つまらないので森へ帰りたい」などと言われるのではないかと、内心怯えていたのである。
ユトロには、ナユタナを守り切る自信がないだけだった。
気を失うのは当然として、意識のない彼女を抱えながらでも倒せる相手であれば、連れてゆくこともできる。
しかし黒竜は、色付きの中でもひときわ大きいと聞く。
魔法の手数も攻撃の範囲も測れぬ相手だ。
見誤れば、取り返しのつかぬ事態になりかねない。
ナユタナの願いを叶えてやれぬ自分を、男は歯がゆく思った。
ナユタナの夫となるには、もっと強くならねば──
自らの弱さを思えば、この遠征で死人を出すまいと決めるのは当然だった。
人族を守りきることができぬなら、冒険心の強い森人を守ることなど到底できぬと思ったのだ。
面倒に感じていた遠征隊での討伐も、よき鍛錬になると考え直す。
「クゥルバ」などと言い、おかしな構えをしていたナユタナの姿を思い出し、ユトロはふっと口元をほころばせた。
ナユタナがくれた酒を大事に抱きかかえ、そのぬくもりに包まれながら、静かに眠りに就いた。
△ ☽ △
まだ闇の濃い早朝、ユトロは次の宿泊地であるカリネスの村へ走った。
道の状態がやや悪く、馬車の車輪がガタつきそうな所は、ついでとばかりに足で踏み均しておく。
問題が起こりそうな場所はないか、目を光らせた。
馬が怯えそうな獣がいれば追い払い、村の様子を確かめる。
周辺に不穏の気配もなく、村は静かだ。
朝焼けのにじむ空は、今日の天候の良さを物語っている。
ブランヴェルへ戻る途中で、狩りに良さそうな森を見ておく。
大きな川があったため、魚を捕る仕掛けもひとつ残しておいた。
町の近くの平原まで戻ると、サリネが魔法の練習をしていた。
他にも、体を動かしている者たちの姿が見える。
「お、おはようございます、ユトロさん……」
「何をしておるのだ?」
「その……魔法の調子が悪くて……」
ユトロは顎に手を当て、サリネの魔法を眺めた。
風で小さな渦を作っている。
サリネは杖を大きく振りながら詠唱し、魔素をそこへ集めようと必死だ。
体内で魔力を錬成できない人族は、周囲の魔素に頼るしかない。
半分人族であるユトロも、体外の魔素を用いることは多い。
だが“介属性”が使えるため、不便を覚えるほどではなかった。
「今は新月だ。魔素が足りなくて当然であろう」
「……え?」
サリネはきょとんと目を瞬かせ、それから鞄から紙束を取り出し、その中から数枚を選んでユトロに差し出した。
「で、では、この日と、こ、この日も、新月のせい……なのでしょうか?」
細かな文字で埋められた記録を、ユトロは眉を寄せて見つめる。
男は細かい字を読むのが苦手だ。
すぐに紙をサリネへ返した。
「新月は十四日の巡りで戻り、二日つづく。
そのあいだは地上の魔素が薄れる」
サリネは慌てて木炭筆を走らせた。
頬を染め、興奮を隠しきれない。
「ず、ずっと不思議でした……なるほど!
魔素の量は、月の満ち欠けと関係がある、と……?
そ、そうかもしれません……!」
彼女はそれをユトロ独自の見解だと思い込み、嬉しそうに何度も頷いている。
ユトロにとっては、母から教わった当たり前の話であった。
ユトロは、サリネの使っている石付きの杖に目を留めた。
それは人族のものではない。
サリネの耳の形も、においも、気配も人族であり、異種族とは思えぬ。
だが杖だけは別だ。
「お前は、精麗族の混血か?」
「え……わ、私は人族です。
こ、この杖は、下宿先のお茶屋さんに忘れられていた物で……
や、やはり、風人のものなのでしょうか……」
“風人”とは精麗族の通称だ。
杖へ注がれるユトロの視線に、サリネは居たたまれなくなる。
忘れ物を無断で使い続けていることに、ずっと罪悪感を抱いているのだと告げた。
「貰ってしまっても構わんのではないか?」
「そ、そんなことはできません……持ち主に、お返しするつもりです。
……あの、この杖はやはり……良い物なのでしょうか?」
サリネは涙目になり、口籠った。
聞くまでもない。
この杖が良いものだと、自分でもわかっているのだ。
「大事なものであれば、探しに戻ると思うが」
「お、お店のご主人も、そうおっしゃいましたが……
ゆ、ユトロさんは、この杖が何で出来ているのか……わ、わかりますか?」
差し出された杖をまじまじと見る。
木製であることはわかるが、木の種類まではユトロにも見分けられなかった。
石にも心当たりがない。
森人のナユタナなら見抜きそうだが、そこまでする義理もないだろう。
杖をサリネへ返すと、ユトロは場を離れ、宿屋へ食事を取りに向かった。
遠征隊はブランヴェルの町を出発した。
空には薄い雲が流れていたが、天候は崩れず、道も不思議と整っており、夕暮れには無事カリネスの村へ辿り着いた。
小さな村ゆえ、今夜は周辺の平地にて野営となる。
バルグロスの号令で馬車を囲い、班が振り分けられた。
馬は二頭を見張りに残し、三頭は村の厩で休ませることになった。
食事は村の酒場でふるまわれ、ユトロはそこで地酒を二瓶分けてもらった。
同じ班にはカイルスがいたため、最後の見張りを引き受けると約束し、「酔い覚ましの散歩だ」と言い残して村を離れた。
酒場の奥では、地酒を切らしたと聞かされてモルバスが腹を立てていた。
日がすっかり暮れたため、鳥を狩るのは諦め、ユトロは川底に仕掛けた罠を覗き込む。
大きなガーネスが一匹、マナスが三匹かかっていた。
ユトロはその場で腸を抜き、血合いを洗い落とす。
川辺で拾った香りの強い落ち葉と、岩肌に生えた香苔を腹へ詰め、仕上げに酒を振りかけて縄で縛った。
開けたついでに味見をしたカリネス村の地酒は、ナユタナの蜜酒には遠く及ばぬ、荒く酸っぱい味である。
これを土産と呼んでよいものか、ユトロは少し悩んだ。
その夜は、屋敷の露台でナユタナが待っていた。
夜更けに自分を待つ者など、これまでなかったことだ。
今夜は驚いて気絶せぬよう、ナユタナはしっかりと心構えをしていた。
ダランを傍らに置いていたというが、ユトロが姿を見せた途端、竜の従者は音もなく姿を消したらしい。
ユトロは怪しむように周囲を見渡す。
広い露台は、どこまでも片付いている。
「稽古をしておったのだ」
「稽古だと……?」
ナユタナは棒切れを握りしめていた。
先ほどまでダランから、剣の手ほどきを受けていたという。
それを聞き、ユトロは眉を寄せた。
「奴は剣技を使わぬであろう」
「ダランは“的”の役をやってくれたのだ。
尻尾をな、こう振ってもらってだな……私はそれと戦ったのだが、何度も弾き飛ばされてしまった」
ナユタナは埃まみれで、額にはこぶまで作っていた。
ユトロは荷物を置くと、ゆらりと立ち上がり、指の関節を鳴らす。
ナユタナはびくりと身を竦め、後ずさった。
「……奴をどうにかせねばなるまい」
「ま、待つのだ……ダランは私を鍛えてくれたのだぞ?
私が竜の攻撃から身を守れるようになれば、あなたも安心して私を竜退治に連れていけるであろう……?」
ユトロは黙り込んだ。
怒りが鎮まったのを見て、ナユタナはほっと息をつく。
だが次の瞬間、男は握りしめた拳を己の顔へ叩き込み、ぐらりと崩れて膝をついた。
ナユタナは目を丸くする。
自分に自信がないせいで、ナユタナ自らが強くなろうとしている──そう思えてならなかった。
理には適っている。
だがそれは、ユトロの理想とは違っていた。
この森人は、じっとしている質ではない。
露台の端で怯えながら、ナユタナは倒れ伏した男を眺めた。
静かになってしまったのが気がかりで、棒の先でそっとつつく。
「ユ、ユトロよ……大丈夫か?
疲れているのではないか……?」
「……すまん。手土産だ」
俯いたまま、ユトロは荷物を差し出した。
ナユタナはちらちらと男を気にしながら、中身を確かめる。
「……おお、ガーネスではないか! 立派な大きさだ。
マナスも三匹おるな。脂が乗っていて美味そうだ。
稽古で腹が減っていたのだ。
……おお? こ、これは……北の酒ではないか?!」
乳白色の陶瓶に気付いた途端、ナユタナの笑みがぱっと咲いた。
瓶を掲げてユトロに見せる。
「カリネス村の地酒だ。
魚の下処理に使ったが……味が良いとは言えん」
質の悪さを気にしていたユトロの心配をよそに、森人は酒瓶にしがみついた。
「私はこの土産がいちばん嬉しい!」
そのひと筋の光のような明るさに、ユトロはようやく顔を上げる。
胸底の重しが、静かに和らいだ。
「さぁユトロよ、魚を焼いてくれ。
私は酒の準備をするのに、このとおり、動けんからな。
あなたが明日も無事に帰って来るよう、歌でも歌おう」
ナユタナは酒瓶を抱いたまま歌い始めた。
ユトロは火鉢を据え、炭を熾す。
ナユタナの歌声は、決して美しいものではない。
だが、どこか心をあたためる。
その歌は、「明日の酒は私を驚かす」と歌い出される、手土産への期待を込めて紡がれた詩であった。
炭火が赤く揺れるたび、調べもまた微かに揺らぎ──
その温かな響きは、ユトロの耳に長く残った。
0
あなたにおすすめの小説
拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました
星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎
王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝――
路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。
熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。
「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」
甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。
よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、
気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて――
しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!?
「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」
年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。
ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。
『辺境伯一家の領地繁栄記』スキル育成記~最強双子、成長中~
鈴白理人
ファンタジー
ラザナキア王国の国民は【スキルツリー】という女神の加護を持つ。
そんな国の北に住むアクアオッジ辺境伯一家も例外ではなく、父は【掴みスキル】母は【育成スキル】の持ち主。
母のスキルのせいか、一家の子供たちは生まれたころから、派生スキルがポコポコ枝分かれし、スキルレベルもぐんぐん上がっていった。
双子で生まれた末っ子、兄のウィルフレッドの【精霊スキル】、妹のメリルの【魔法スキル】も例外なくレベルアップし、十五歳となった今、学園入学の秒読み段階を迎えていた──
前作→『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合
アイムキャット❕~異世界キャット驚く漫遊記~
ma-no
ファンタジー
神様のミスで森に住む猫に転生させられた元人間。猫として第二の人生を歩むがこの世界は何かがおかしい。引っ掛かりはあるものの、猫家族と楽しく過ごしていた主人公は、ミスに気付いた神様に詫びの品を受け取る。
その品とは、全世界で使われた魔法が載っている魔法書。元人間の性からか、魔法書で変身魔法を探した主人公は、立って歩く猫へと変身する。
世界でただ一匹の歩く猫は、人間の住む街に行けば騒動勃発。
そして何故かハンターになって、王様に即位!?
この物語りは、歩く猫となった主人公がやらかしながら異世界を自由気ままに生きるドタバタコメディである。
注:イラストはイメージであって、登場猫物と異なります。
R指定は念の為です。
登場人物紹介は「11、15、19章」の手前にあります。
「小説家になろう」「カクヨム」にて、同時掲載しております。
一番最後にも登場人物紹介がありますので、途中でキャラを忘れている方はそちらをお読みください。
異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?
来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。
そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった!
亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。
「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」
「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」
おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。
現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。
お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、
美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!
絡みあうのは蜘蛛の糸 ~繋ぎ留められないのは平穏かな?~
志位斗 茂家波
ファンタジー
想いというのは中々厄介なものであろう。
それは人の手には余るものであり、人ならざる者にとってはさらに融通の利かないもの。
それでも、突き進むだけの感情は誰にも止めようがなく…
これは、そんな重い想いにいつのまにかつながれていたものの物語である。
―――
感想・指摘など可能な限り受け付けます。
小説家になろう様でも掲載しております。
興味があれば、ぜひどうぞ!!
優の異世界ごはん日記
風待 結
ファンタジー
月森優はちょっと料理が得意な普通の高校生。
ある日、帰り道で謎の光に包まれて見知らぬ森に転移してしまう。
未知の世界で飢えと恐怖に直面した優は、弓使いの少女・リナと出会う。
彼女の導きで村へ向かう道中、優は「料理のスキル」がこの世界でも通用すると気づく。
モンスターの肉や珍しい食材を使い、異世界で新たな居場所を作る冒険が始まる。
召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?
浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。
「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」
ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる