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16.傷
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その夜、中々寝付けなかった私は夜風にあたりたくなって、庭のベンチに座りながら夜空を眺めていた。少し標高が高く、しかも周りに建物が少ないせいかここから見える星空は本当に綺麗だ。キラキラと無数に輝く星々は、永遠に見ていられるような気がした。
ふと静寂の中に何かが羽ばたく音が聞こえる。音のする方を振り返れば、見覚えのある黒い影があった。大きくて逞しい羽が上下するシルエット。間違いない。あれは飛竜だ。恐らくエドゥアール様が国境沿いの城から帰って来たのだろう。
しばらくして地上に降り立つ飛竜。いつ見てもすうっと華麗に着地をするその姿はかっこいい。そして、その飛竜の背中からこれまた優雅にスタッと地面に飛び降りるエドゥアール様。こっちは更にかっこよかった。
「おかえりなさいませ、エドゥアール様」
「エリワイド嬢…なぜここに…」
私の姿をとらえたエドゥアール様は驚いたように私を見た。私は苦笑しながらエドゥアール様の質問に答える。
「少し眠れなくて、気晴らしに外へ出ていました」
「こんな時間にか?…君も噂は聞いているだろう。物騒なときに令嬢が夜の外で一人でいるのは感心しない」
エドゥアール様の指摘に、確かにと私は思った。この城での暮らしが平和すぎて、一人でいるのが危険という発想がなかった。寝ているナタリーを起こすわけにも行かないので、普通に気にせず行動してしまっていた。
「申し訳ありません。次からは気をます」
「ああ、そうしてくれ」
それにしても今日は随分と遅い帰りだな、エドゥアール様。何となく気になった私は、自分の寝床へと戻っていく飛竜を見送るエドゥアール様に声をかけた。
「随分とお忙しそうですね。こんな遅い時間までお仕事なんて」
「まぁな。野暮用で王都まで行ってきたから余計に時間がかかった」
「王都まで…それは大変でしたね」
それほど国境では大変なことが起きているのだろうか。何だかこの城でのほほんと過ごしている自分が申し訳なく思った。
「…まだ中には戻らないのか?」
「はい。もう少しこうして星空を眺めていきます」
そう言って私がベンチに再び腰を下ろし、夜空を眺めていると隣に誰かが座った。驚いてそちらを見れば、それはエドゥアール様だった。
「あれ?お戻りにならないのですか?」
「この状況で君を放置できるわけないだろう。君に何かがあれば責任を取らなければならないのは私だ。これ以上、君の父親に仮を作るのはごめんだからな」
「それはすみません…」
なんだかんだエドゥアール様って、義理深い人だよね。いや、後々面倒になるのが嫌なだけなのかも知れないけど…。
「園芸商会の方はどうやら上手くいっているようだな」
「はい。おかげさまで順調です」
「…辺境の見回りをした際、住人から礼を言われた。園芸商会ができたことで、農業という仕事に張り合いがでたとな。冬は稼ぎが安定しないため質素な生活を送っていたが、温室のおかげで冬でも作物が育てられて生活が安定するし、何より作物を通して自分が大好きなこの辺境の魅力を外へと発信できることが嬉しいそうだ」
「それは嬉しいですね。住民の方の指示を得られるかどうかが一番の問題でしたので、いい方向に進んで良かったです」
「ああ。この調子ならもっと大きな商会に成長するだろう。住民の暮らしも今よりもっとよくなるはずだ」
私も少しはこのブルーナイト辺境の発展に貢献できたようで嬉しい。まぁ、私は発案しただけで実際の事業の部分は仲間たちや住人の人たちがやってくれているんだけどね。
「エリワイド嬢。この辺境に大きな恵みをもたらしてくれたこと、礼を言う。ありがとう」
不意に述べられたエドゥアール様の言葉に、私は目を丸くする。それと同時に、滅多にないエドゥアール様からのお礼に心が弾んだ。
「どういたしまして。でも、私がしたくてやったことですし、何より商会が作れたのはご協力くださっている辺境の皆さんのおかげです。お礼なら皆さんにお願いします」
「そうか。そうだな。…だが、このままでは其方に大きな仮ができたままだ。何か礼をしたい」
お礼か…別に何か欲しいものがあるわけでも…あ、あった!欲しいもの。私はいついかなる時でも取り出せるようにと懐にしまっていた1枚の紙を取り出すと、エドゥアール様に差し出した。
「お礼なら、この婚約届にサインを…!」
「却下だ」
即座にそう答えるエドゥアール様。それに私は少し落ち込む。
…分かっていたけどさ、そう直ぐに断られるとこっちも少し落ち込むよね。もうちょっと逡巡してくれてもいいんじゃない?
「頑なですね…。エドゥアール様の女性恐怖症の話は既に小耳に挟んでいますけれど、…私、そんなに悪女に見えます?」
「いや、見えない。悪女にしては表情が読み取りやすすぎるし、お人よしがすぎる」
それはよかった…のか?その言い方だとなんか貶されている気がしなくもない。というか、それなら―
「え…、なら何故、拒まれているんですか、私」
思わずその疑問を口にする。すると、エドゥアール様は少し間を置いてから心底理解できないという風に言葉を発した。
「君はなぜそこまで私にこだわる?何度も言うが、君ほどの器量があれば若くて有望な男を選び放題だろう」
「エドゥアール様が好きだからです。他の人に興味ありません」
他の男性には興味がない。私はエドゥアール様の婚約者になりたいのだ。
「…顔に傷がある年老いた男の一体何がいいのだ」
「傷は寧ろ魅力ですよ。ほら、よく言うじゃないですか。傷は男の勲章って。何かを守ろうとした証。かっこいいと思います。それに年齢を重ねていた方が、人生経験の豊かさからでる大人の余裕みたいなものがあって、魅力的です」
赤い瞳がりんりんと光る左目にスッと縦に一本入った傷跡。造形のような顔立ちに、アンバランスに入ったその傷が、反ってその顔立ちに人間味を生み出している。年齢によって少しこけた頬により、少し憂いおびて見えるその顔立ちも最高だ。
興奮する気持ちを抑えながら、私がそう言うとエドゥアール様は伏し目がちに言った。
「私に余裕などない。常に己のことで精一杯で、周りのことなど気に掛ける余裕もないのだ。…それに、この傷はそんな大層なものではない。これは私の罪の一つであり、戒めだ」
あのいつも孤高の道を我が物顔で行く、堂々としたエドゥアール様が弱音を吐いている。その事実に私は息を呑んだ。エドゥアール様の罪。それって一体どんなものなのだろう…。
「幼い頃、私には友人がいた。当時の辺境には貧民街があって、彼はそこの住人だった。出会いのきっかけは忍びで視察をしていた私が、賊に襲われそうになった時、彼が助けてくれたことだ。貧しくても、人一倍思いやりがあって、いつも困っている人を助けている、彼はそんな奴だった」
貧しい民と領主の息子。…きっとエドゥアール様にとって、物凄く刺激的な出会いだったんだろうな。私も商会を立ち上げてから平民の暮らしを知ったけれど、色々と衝撃を受けたもん。
「世間知らずの私に、彼は沢山のことを教えてくれた。山で採れる食べ物のことや、金がなくても生きていく術。民の暮らしの情報から巷に流れている噂の数々まで。この城にいては学ぶことのできなかった大切な全てを、私に教えてくれた」
そう述べるエドゥアール様の横顔は、どこか懐かしそうで、そして優しいものだった。
「幼かった私は初めてできた友人に浮かれていた。今思えば迂闊だったな。自分が彼に近づくことで起こる影響を全く考えていなかった」
エドゥアール様が近づくことで起きる影響…?エドゥアール様のただならぬ様子に私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「ある日、悲劇は起きた。夜中、彼が私の部屋に忍び込んできた。暗くて相手が彼だとは気づかなかった私は、咄嗟に自分を貫こうとしたナイフを避け、部屋の外にいる護衛を呼んだ。この傷はその時、彼に襲われてできた傷だ。咄嗟のことに攻撃をよけきれなくてな」
左目の傷を抑えながら、エドゥアール様はそう語る。私はただじっと彼の話を聞いていることしかできなかった。
「その後、僅かな光に照らされた侵入者の顔を見て、侵入者が彼であることに気づいた。私は咄嗟に護衛を止めようとしたが…間に合わなかった。運悪くカーペットに足を滑らせた彼に、護衛が持っていた剣が刺さってしまった」
…なんでそのご友人はエドゥアール様を殺そうとしたんだろう。話を聞いている限り、仲は良かったんだよね?
「彼には妹のように可愛がっている少女がいたのだが、その子が病気になり薬が必要になったらしい。そんな時、彼のもとに1人の男がやってきて、彼にこう言ったそうだ。領主の息子を殺してこい。それができたら薬を買ってやると」
そう言うとエドゥアール様は膝に置いた拳をぎゅっと握った。
「彼は自分が殺そうとした相手が私だと知って、目を丸くしていた。私は自分が領主の息子であることを彼に伝えていなかった。だから彼は知らなかったのだ。ハラハラと涙を流しながら、今にも事切れそうな声で、彼は私に何度もごめんと謝っていた。私は彼を助けたい一心で必死に止血を試みたが…刺さりどころが悪く、出血が止まらなかった。…結局彼を助けることはできなかった」
私はその話を聞きながら、その当時のエドゥアール様に想いを馳せた。きっと物凄く辛かっただろうな。大切な友人が自分の腕の中で冷たくなっていくなんて、想像するだけで心が潰されそうだ。
「その後私は、せめて彼が守ろうとした少女を助けようと、少女の元まで急いで駆けつけた。しかし、間に合わなかった。その子も既に息をしていなかった。私は悔やんだ。あれほど一緒に居たのに、彼のピンチに気づけなかった自分の愚かさに腹が立った」
悪いのはそのご友人を利用しようとした人物で、エドゥアール様じゃない。でも、エドゥアール様はきっと自分のせいでご友人が死んだと思っているんだろう。領主である自分がご友人に近づいたせいで、そのご友人が利用されたとそう考えているんだと思う。
「私は自分の大切な友人ですら守れなかった男なのだ、私は。そんな私と婚約などしても、君は幸せになれない。私は君を幸せにはしてやれない」
そう自虐気味に言葉を告げたエドゥアール様に私は首を大きく横に振った。
「…私の幸せは私が決めることです。勝手に決めないでください。それに私、エドゥアール様に幸せにしてもらおうなんてこれぽっちも考えていませんよ?だって、幸せは自分で作るものでしょう?与えられるだけの幸せなんて、そんなのつまらないです」
幸せにしてほしいなんて、そんな贅沢は言わない。エドゥアール様のお傍にいて、エドゥアール様の支えに少しでもなれたなら、私はそれで充分幸せだ。
「きっかけは一目惚れでした。でも、今は違います。ここで暮らすうちにエドゥアール様過去のこと、沢山使用人の人たちから聞きました。良いことも悪いことも全部。それを聞いたうえで、私はエドゥアール様の隣に居たいって思ったんです。エドゥアール様の過去と未来の葛藤全部、私も一緒に背負っていきたいなってそう思ったんです」
「…それは随分と熱烈だな」
「ようやく気付きました?そうですよ。私、超本気なんです。10年越しの私の想い舐めないでください!」
「そ、そうか…」
私の言葉にエドゥアール様は少しうろたえた。エドゥアール様に初めて出会った10年前。父とはぐれ、王宮の庭で迷子になった私を、父のもとへと案内してくれたエドゥアール様。今思えば、あれが私がイケオジ好きになったきっかけなのかもしれない。
ふと、とある名案が脳裏に浮かび私はあっと声を上げた。エドゥアール様はそんな私を不思議そうに見る。
「良いこと思いつきました。エドゥアール様、お礼はデートにしてください!」
「デート…?」
「私たちに必要なのはもっとお互いをよく知る時間だと思います。私が女だとか、そういうのは一旦置いといて、私という存在をもっと見てほしいんです。私という人間が、これからも貴方の隣にいてもいいか。それで判断してください」
きっとエドゥアール様は過去に心の傷を負いすぎた。女性関係は特に色々な苦労をしているのだろうと思う。きっと後2週間で消えるようなそんな傷じゃない。
「だが、今の私は君に恋愛感情は持てない。いや、持てないのではないな。その余裕がないのだ。過去の呪縛から抜け出せない」
「今はそれで構いません。恋愛感情がなくても、私という人間と婚約することでエドゥアール様に利益があるなら、私と婚約してください。貴族らしく、政略結婚でいいです。エドゥアール様の心を奪うのは、仕方がないから少し待ってあげます」
こうなれば、今は利害関係の一致だけでもいい。勿論、いずれはエドゥアール様にも私のことを好きになってもらいたいし、これからも好きになってもらう努力はするつもりだ。でも、とりあえず社交界までに婚約を承諾してもらわなければそれすらもできなくなってしまう。なんとしても婚約だけは了承をしてもらわなければ、私は笑顔で王都に帰ることはできない。
「…ふっ、君はどこまでもぶれないな」
私の言葉にエドゥアール様はそう息をこぼした。少し軽くなったその場の空気に、私も自然と心が軽くなる。
「…大分遅くなっちゃいましたね。お疲れなのに、長話に付き合ってくれてありがとうございました。風邪ひいちゃうといけないので、今日はもう部屋に戻ります。おやすみなさい。エドゥアール様」
「…ああ、おやすみ」
わっ、エドゥアール様からの初めての「おやすみ」貰った!なんか今日はいい夢見れそう。パタパタと小走りで建物の中へと戻った私は、そっと自分の部屋に戻るとぐっすりと眠りについたのだった。
ふと静寂の中に何かが羽ばたく音が聞こえる。音のする方を振り返れば、見覚えのある黒い影があった。大きくて逞しい羽が上下するシルエット。間違いない。あれは飛竜だ。恐らくエドゥアール様が国境沿いの城から帰って来たのだろう。
しばらくして地上に降り立つ飛竜。いつ見てもすうっと華麗に着地をするその姿はかっこいい。そして、その飛竜の背中からこれまた優雅にスタッと地面に飛び降りるエドゥアール様。こっちは更にかっこよかった。
「おかえりなさいませ、エドゥアール様」
「エリワイド嬢…なぜここに…」
私の姿をとらえたエドゥアール様は驚いたように私を見た。私は苦笑しながらエドゥアール様の質問に答える。
「少し眠れなくて、気晴らしに外へ出ていました」
「こんな時間にか?…君も噂は聞いているだろう。物騒なときに令嬢が夜の外で一人でいるのは感心しない」
エドゥアール様の指摘に、確かにと私は思った。この城での暮らしが平和すぎて、一人でいるのが危険という発想がなかった。寝ているナタリーを起こすわけにも行かないので、普通に気にせず行動してしまっていた。
「申し訳ありません。次からは気をます」
「ああ、そうしてくれ」
それにしても今日は随分と遅い帰りだな、エドゥアール様。何となく気になった私は、自分の寝床へと戻っていく飛竜を見送るエドゥアール様に声をかけた。
「随分とお忙しそうですね。こんな遅い時間までお仕事なんて」
「まぁな。野暮用で王都まで行ってきたから余計に時間がかかった」
「王都まで…それは大変でしたね」
それほど国境では大変なことが起きているのだろうか。何だかこの城でのほほんと過ごしている自分が申し訳なく思った。
「…まだ中には戻らないのか?」
「はい。もう少しこうして星空を眺めていきます」
そう言って私がベンチに再び腰を下ろし、夜空を眺めていると隣に誰かが座った。驚いてそちらを見れば、それはエドゥアール様だった。
「あれ?お戻りにならないのですか?」
「この状況で君を放置できるわけないだろう。君に何かがあれば責任を取らなければならないのは私だ。これ以上、君の父親に仮を作るのはごめんだからな」
「それはすみません…」
なんだかんだエドゥアール様って、義理深い人だよね。いや、後々面倒になるのが嫌なだけなのかも知れないけど…。
「園芸商会の方はどうやら上手くいっているようだな」
「はい。おかげさまで順調です」
「…辺境の見回りをした際、住人から礼を言われた。園芸商会ができたことで、農業という仕事に張り合いがでたとな。冬は稼ぎが安定しないため質素な生活を送っていたが、温室のおかげで冬でも作物が育てられて生活が安定するし、何より作物を通して自分が大好きなこの辺境の魅力を外へと発信できることが嬉しいそうだ」
「それは嬉しいですね。住民の方の指示を得られるかどうかが一番の問題でしたので、いい方向に進んで良かったです」
「ああ。この調子ならもっと大きな商会に成長するだろう。住民の暮らしも今よりもっとよくなるはずだ」
私も少しはこのブルーナイト辺境の発展に貢献できたようで嬉しい。まぁ、私は発案しただけで実際の事業の部分は仲間たちや住人の人たちがやってくれているんだけどね。
「エリワイド嬢。この辺境に大きな恵みをもたらしてくれたこと、礼を言う。ありがとう」
不意に述べられたエドゥアール様の言葉に、私は目を丸くする。それと同時に、滅多にないエドゥアール様からのお礼に心が弾んだ。
「どういたしまして。でも、私がしたくてやったことですし、何より商会が作れたのはご協力くださっている辺境の皆さんのおかげです。お礼なら皆さんにお願いします」
「そうか。そうだな。…だが、このままでは其方に大きな仮ができたままだ。何か礼をしたい」
お礼か…別に何か欲しいものがあるわけでも…あ、あった!欲しいもの。私はいついかなる時でも取り出せるようにと懐にしまっていた1枚の紙を取り出すと、エドゥアール様に差し出した。
「お礼なら、この婚約届にサインを…!」
「却下だ」
即座にそう答えるエドゥアール様。それに私は少し落ち込む。
…分かっていたけどさ、そう直ぐに断られるとこっちも少し落ち込むよね。もうちょっと逡巡してくれてもいいんじゃない?
「頑なですね…。エドゥアール様の女性恐怖症の話は既に小耳に挟んでいますけれど、…私、そんなに悪女に見えます?」
「いや、見えない。悪女にしては表情が読み取りやすすぎるし、お人よしがすぎる」
それはよかった…のか?その言い方だとなんか貶されている気がしなくもない。というか、それなら―
「え…、なら何故、拒まれているんですか、私」
思わずその疑問を口にする。すると、エドゥアール様は少し間を置いてから心底理解できないという風に言葉を発した。
「君はなぜそこまで私にこだわる?何度も言うが、君ほどの器量があれば若くて有望な男を選び放題だろう」
「エドゥアール様が好きだからです。他の人に興味ありません」
他の男性には興味がない。私はエドゥアール様の婚約者になりたいのだ。
「…顔に傷がある年老いた男の一体何がいいのだ」
「傷は寧ろ魅力ですよ。ほら、よく言うじゃないですか。傷は男の勲章って。何かを守ろうとした証。かっこいいと思います。それに年齢を重ねていた方が、人生経験の豊かさからでる大人の余裕みたいなものがあって、魅力的です」
赤い瞳がりんりんと光る左目にスッと縦に一本入った傷跡。造形のような顔立ちに、アンバランスに入ったその傷が、反ってその顔立ちに人間味を生み出している。年齢によって少しこけた頬により、少し憂いおびて見えるその顔立ちも最高だ。
興奮する気持ちを抑えながら、私がそう言うとエドゥアール様は伏し目がちに言った。
「私に余裕などない。常に己のことで精一杯で、周りのことなど気に掛ける余裕もないのだ。…それに、この傷はそんな大層なものではない。これは私の罪の一つであり、戒めだ」
あのいつも孤高の道を我が物顔で行く、堂々としたエドゥアール様が弱音を吐いている。その事実に私は息を呑んだ。エドゥアール様の罪。それって一体どんなものなのだろう…。
「幼い頃、私には友人がいた。当時の辺境には貧民街があって、彼はそこの住人だった。出会いのきっかけは忍びで視察をしていた私が、賊に襲われそうになった時、彼が助けてくれたことだ。貧しくても、人一倍思いやりがあって、いつも困っている人を助けている、彼はそんな奴だった」
貧しい民と領主の息子。…きっとエドゥアール様にとって、物凄く刺激的な出会いだったんだろうな。私も商会を立ち上げてから平民の暮らしを知ったけれど、色々と衝撃を受けたもん。
「世間知らずの私に、彼は沢山のことを教えてくれた。山で採れる食べ物のことや、金がなくても生きていく術。民の暮らしの情報から巷に流れている噂の数々まで。この城にいては学ぶことのできなかった大切な全てを、私に教えてくれた」
そう述べるエドゥアール様の横顔は、どこか懐かしそうで、そして優しいものだった。
「幼かった私は初めてできた友人に浮かれていた。今思えば迂闊だったな。自分が彼に近づくことで起こる影響を全く考えていなかった」
エドゥアール様が近づくことで起きる影響…?エドゥアール様のただならぬ様子に私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「ある日、悲劇は起きた。夜中、彼が私の部屋に忍び込んできた。暗くて相手が彼だとは気づかなかった私は、咄嗟に自分を貫こうとしたナイフを避け、部屋の外にいる護衛を呼んだ。この傷はその時、彼に襲われてできた傷だ。咄嗟のことに攻撃をよけきれなくてな」
左目の傷を抑えながら、エドゥアール様はそう語る。私はただじっと彼の話を聞いていることしかできなかった。
「その後、僅かな光に照らされた侵入者の顔を見て、侵入者が彼であることに気づいた。私は咄嗟に護衛を止めようとしたが…間に合わなかった。運悪くカーペットに足を滑らせた彼に、護衛が持っていた剣が刺さってしまった」
…なんでそのご友人はエドゥアール様を殺そうとしたんだろう。話を聞いている限り、仲は良かったんだよね?
「彼には妹のように可愛がっている少女がいたのだが、その子が病気になり薬が必要になったらしい。そんな時、彼のもとに1人の男がやってきて、彼にこう言ったそうだ。領主の息子を殺してこい。それができたら薬を買ってやると」
そう言うとエドゥアール様は膝に置いた拳をぎゅっと握った。
「彼は自分が殺そうとした相手が私だと知って、目を丸くしていた。私は自分が領主の息子であることを彼に伝えていなかった。だから彼は知らなかったのだ。ハラハラと涙を流しながら、今にも事切れそうな声で、彼は私に何度もごめんと謝っていた。私は彼を助けたい一心で必死に止血を試みたが…刺さりどころが悪く、出血が止まらなかった。…結局彼を助けることはできなかった」
私はその話を聞きながら、その当時のエドゥアール様に想いを馳せた。きっと物凄く辛かっただろうな。大切な友人が自分の腕の中で冷たくなっていくなんて、想像するだけで心が潰されそうだ。
「その後私は、せめて彼が守ろうとした少女を助けようと、少女の元まで急いで駆けつけた。しかし、間に合わなかった。その子も既に息をしていなかった。私は悔やんだ。あれほど一緒に居たのに、彼のピンチに気づけなかった自分の愚かさに腹が立った」
悪いのはそのご友人を利用しようとした人物で、エドゥアール様じゃない。でも、エドゥアール様はきっと自分のせいでご友人が死んだと思っているんだろう。領主である自分がご友人に近づいたせいで、そのご友人が利用されたとそう考えているんだと思う。
「私は自分の大切な友人ですら守れなかった男なのだ、私は。そんな私と婚約などしても、君は幸せになれない。私は君を幸せにはしてやれない」
そう自虐気味に言葉を告げたエドゥアール様に私は首を大きく横に振った。
「…私の幸せは私が決めることです。勝手に決めないでください。それに私、エドゥアール様に幸せにしてもらおうなんてこれぽっちも考えていませんよ?だって、幸せは自分で作るものでしょう?与えられるだけの幸せなんて、そんなのつまらないです」
幸せにしてほしいなんて、そんな贅沢は言わない。エドゥアール様のお傍にいて、エドゥアール様の支えに少しでもなれたなら、私はそれで充分幸せだ。
「きっかけは一目惚れでした。でも、今は違います。ここで暮らすうちにエドゥアール様過去のこと、沢山使用人の人たちから聞きました。良いことも悪いことも全部。それを聞いたうえで、私はエドゥアール様の隣に居たいって思ったんです。エドゥアール様の過去と未来の葛藤全部、私も一緒に背負っていきたいなってそう思ったんです」
「…それは随分と熱烈だな」
「ようやく気付きました?そうですよ。私、超本気なんです。10年越しの私の想い舐めないでください!」
「そ、そうか…」
私の言葉にエドゥアール様は少しうろたえた。エドゥアール様に初めて出会った10年前。父とはぐれ、王宮の庭で迷子になった私を、父のもとへと案内してくれたエドゥアール様。今思えば、あれが私がイケオジ好きになったきっかけなのかもしれない。
ふと、とある名案が脳裏に浮かび私はあっと声を上げた。エドゥアール様はそんな私を不思議そうに見る。
「良いこと思いつきました。エドゥアール様、お礼はデートにしてください!」
「デート…?」
「私たちに必要なのはもっとお互いをよく知る時間だと思います。私が女だとか、そういうのは一旦置いといて、私という存在をもっと見てほしいんです。私という人間が、これからも貴方の隣にいてもいいか。それで判断してください」
きっとエドゥアール様は過去に心の傷を負いすぎた。女性関係は特に色々な苦労をしているのだろうと思う。きっと後2週間で消えるようなそんな傷じゃない。
「だが、今の私は君に恋愛感情は持てない。いや、持てないのではないな。その余裕がないのだ。過去の呪縛から抜け出せない」
「今はそれで構いません。恋愛感情がなくても、私という人間と婚約することでエドゥアール様に利益があるなら、私と婚約してください。貴族らしく、政略結婚でいいです。エドゥアール様の心を奪うのは、仕方がないから少し待ってあげます」
こうなれば、今は利害関係の一致だけでもいい。勿論、いずれはエドゥアール様にも私のことを好きになってもらいたいし、これからも好きになってもらう努力はするつもりだ。でも、とりあえず社交界までに婚約を承諾してもらわなければそれすらもできなくなってしまう。なんとしても婚約だけは了承をしてもらわなければ、私は笑顔で王都に帰ることはできない。
「…ふっ、君はどこまでもぶれないな」
私の言葉にエドゥアール様はそう息をこぼした。少し軽くなったその場の空気に、私も自然と心が軽くなる。
「…大分遅くなっちゃいましたね。お疲れなのに、長話に付き合ってくれてありがとうございました。風邪ひいちゃうといけないので、今日はもう部屋に戻ります。おやすみなさい。エドゥアール様」
「…ああ、おやすみ」
わっ、エドゥアール様からの初めての「おやすみ」貰った!なんか今日はいい夢見れそう。パタパタと小走りで建物の中へと戻った私は、そっと自分の部屋に戻るとぐっすりと眠りについたのだった。
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※本編は完結となりますが、端折った話は数話の短いお話として公開していきます。
※他サイト様にも連載中
※「【完結】わするるもの 〜龍の騎士団と片翼族と神子令嬢〜」と同じ世界観で、より前の時代の話ですが、こちらだけでもお楽しみいただける構成になっています。
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