悪役令嬢の見る夢は

伊簑木サイ

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前日譚

ツンとデレる

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 いくつもの馬車を従え、三十人におよぶ護衛を付けられた豪華な馬車が、教会の前に停まっていた。ラウルが育った――お嬢様と出会った――教会だ。騎士達はいまだ馬から下りず、警戒を怠っていない。そこへラウルとロドリックは駆け込んでいった。
 騎士達が槍をかまえかけたが、ロドリックの顔を見て、馬を引く。そのまま二人は、侯爵家の紋のついた馬車の前へと通された。
 ロドリックが、「早くしろ」とばかりに、馬車に向けて顎をクイッとやる。ラウルはおずおずと馬車の扉を叩いた。

「どなたですか?」
「ラウルです」

 馬車の窓のカーテンが少し開かれ、が顔を覗かせた。思わずラウルは、顔を引き攣らせて後退った。この侍女に薬を盛られたあげく、侯爵を呼んでこられたのである。またろくでもないことになりそうな予感に、反射的に踵を返した。
 だが、ロドリックに立ち塞がられ、冷たい目で見下ろされる。背後で、ギイと扉の開く音がした。

「お嬢様がお待ちです。どうぞお入りください」

 侍女は踏み台を下り、ラウルへと道を譲った。ロドリックどころか、まわりじゅうの騎士に注視されている。逃げ道はない。ラウルはすごすごと馬車へと向いた。
 中はカーテンを閉め切られて薄暗かったが、奥にドレスを着た人影が見える。

「失礼いたします」

 ラウルはそろそろと踏み台を登り、中に入った。扉の枠をくぐって、中腰のまま躊躇する。床に膝をついて侍るべきとわかっていても、とにかく尻と内腿が痛くて、すべらかに次の動作にうつれなかったのだ。
 なのに、突然バタンと扉を閉められ、尻を扉でひっぱたかれて、前のめりに転んだ。

「いたぁっ!」

 お嬢様の足下でつっぷしたラウルは、痛みのあまり動けなかった。涙がにじみ、うめき声をかみ殺すので精一杯だ。

「ごきげんよう、ラウル。お久しぶりね」

 淑やかなのに、どこかピリッとした声音に、ラウルはピャッと体を起こした。正座する。痛いとか言っていられない、なにかそうしなければならない雰囲気があった。

「ご無沙汰しておりました。お嬢様におかれましては……」

 そこで、はっとして顔を上げ、無礼も忘れて、お嬢様を上から下まで何度もしげしげと見る。壁近くに座る彼女は、カーテンを通った光に照らされて、思ったよりよくその姿が見えた。
 どこかに大きな怪我を負っている様子はなかった。特に、その美しい顔に傷でも付けられたのではないかと、ラウルは心配していたのだ。とりあえず目立ったものはなく胸を撫で下ろした。
 だが、服の下まではわからないし、もっとその奥、心の傷までは推し量れない。淑女の鑑と名高かった彼女が追い落とされたのだ、屈辱なんて言葉では言い表せないものを抱えているだろう。
 ラウルはまた畏まって、決意を込めて言葉を続けた。

「なんなりとお望みを、この私めにお申し付けください。必ずやお心に添う結果を、ご覧に入れます」

 育ての親の神父仕込みの倫理観――人を傷つけるなんて罪深いことはできない――を持つラウルだったが、今はどす黒い怒りに駆られていた。
 これほど常に己を律し、寛大で心ばえの美しい人を、泥棒猫ごときに惑わされて、傷つけるなんて。誰が罰しなくても、俺が思い知らせてやる。どんな手を使っても――――と。

「……でしたら、なぜ、あんな報告書を送ってきたのです」

 どことなく拗ねて聞こえる、ぜんぜん関係のない質問に、ラウルはキョトンと首を傾げた。

「え……と、どの報告書の話でしょうか……?」
「わたくしを砦の貴族の相手にと推したでしょう!? そんなに、マギーとやらがよくなったのかしら? それとも、キャシー? エレーナ? ああ、年増の未亡人にも声を掛けられているんですってね。ソフィーといったかしら?」

 じっとりとした声で、職人頭の娘、パン屋の看板娘、酒場のウェイター兼娼婦に、最後は下宿を切り盛りしているおかみさんの名を挙げられる。
 一人挙げられるごとに、なぜか冷や汗がふきだしてくる。どうして知っている!? と疑問が浮かび、それはロドリックが報告したからに違いない、とすぐに答えが出た。あるいは、他にも潜り込んでいる間諜かもしれない。
 だが、それがなんだというのだ。彼女らと気安く話せる間柄になったのは、諜報活動の一つだ。特に、売り子やウェイターや娼婦、主婦の情報網はあなどれない。……と必死に心の中で反論を試みている自分に気付き、この追い詰められた気持ちは、まるで浮気を疑われている亭主のようだと思う。

「え? あれ? 嫉妬されている……?」

 あまりの意外さに、無意識に口から、ぽろっとこぼれ出た。あわてて口を閉じたが、遅い。ピシッと空気が凍りついたかのような緊張がはしり、ゆったりと座っていたお嬢様が、身じろぎした。ツンと窓の方へと顔をそむける。

「ええ、そうでしてよ。悪くって?」

 うわああああ、とラウルは心の中で叫んだ。お嬢様がとんでもなくかわいかった。いつもは高貴さに彩られている表情が、年相応に少女らしく拗ねている。
 心臓がもんどりうって止まってしまいそうだった。頭がカーッとして、胸がドキドキ痛くて、心臓の位置を押さえて黙り込む。
 とても何かを考えられるような状態ではなかった。彼は言葉も忘れて、ボーッとお嬢様に見惚れたのだった。
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