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148.俺が最後まで見届けてやる

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 みんなが一斉に振り返る。書架に腕を組んで寄りかかっていたラスプは、相変わらず浮かない顔つきのまま目を逸らした。

「オレなら約束を取り付けて入国する事は可能……だと思う」
「ラスプ……」

 みんながしんとなり、静かに見守る。そんな中を私は彼の前まで歩いていく。目の前に立ち、まっすぐに見上げると一言だけ尋ねた。

「お願いできる?」

 ようやくこちらに視線を合わせた深紅の目に、一瞬だけ迷うような色が走る。だけどしばらくして、彼はほんの少しだけ目を細めた。

「……わかった」

 その笑みに良心がチクリと痛む。事情はよくわからないけど帰りたくなさそうなのは明らかだ。それなのに私は……。だけど気持ちを切り替えたらしいラスプはテキパキと話を進めだした。

「そうなりゃ台本を考えなきゃな、いきなり帰国したいだなんて言っても怪しまれるだけだ。何か適当な名目をでっちあげて連絡を取る」

 私も一つ頭を振って気持ちを切り替える。ちょっとだけ考えて意見を出した。

「人間との間に戦争が起こりそうなので帰らせてください、とか」

 どうよ! と、言い放つのだけど、評価の代わりに返ってきたのは脳天チョップという物理的なツッコミだった。

「アホ、そんな情けない理由で帰ったら上陸したその場で八つ裂きだ」
「ライカンスロープ族は、誇り高き戦士の一族だからねぇ」

 のほほんと補足するグリの横で、ライムが「ぴこん!」と、さぞ名案が浮かんだような表情をする。藍色の瞳をきらめかせた少年は乗り出すように提案をしてきた。

「じゃあさ、じゃあさ、こんなのはどう?」

 彼の口から出てきたアイデアに、私たちは一人残らず面食らった。それはなんというか、大胆な作戦ではあるけれど……。

「っ、いいわ! それでエリック様が助かるなら、そのぐらいやったろうじゃない!」

 拳を握りしめて覚悟を決める私の隣で、完全に撃沈した様子のラスプはうめきながら机に頭を沈めている。耳をすますと「なんでオレばっかこんな目に」とかブツブツと小さく聞こえてくる。ゆ、許して、今回だけだから、ねっ?

 それから『エリック様、救出大作戦』を煮詰めること一時間。つじつま合わせの脚本はグリが担当してくれることになった。各々が解散した後、私はステンドグラスが嵌められた窓を見上げた。知性を表すオリーブのモチーフに聡明な右腕の事を思い出す。

(ルカ、生きてる? あなたが居なくても私たち何とかやってみるわ。そして必ずあなたの事も助けに行くから、それまで待ってて!)


 ***


 それから数時間後の昼過ぎ、メルスランド国家から市民に向けて正式な声明文が発表された。

 勇者エリックが祭典の場で暗殺されたことに対し、リヒター王は激しい失望と遺憾の内に崩御。
 王位は自動的に二人の妹アンリエッタ夫人とグレーテ夫人へと継承されるが二人はこれを辞退。アンリエッタ夫人の長男ボリスが第三十七代メルスランド国王として即位した。

 ボリス王はまず何よりもまず卑劣な悪魔の国ハーツイーズへの報復を優先することを宣言。ルシアン・バルドロウを後継勇者として任命し、勇敢なる先代勇者の仇を必ずや取ることを――

「アイツぅぅぅ!!」

 日刊メルスを大広間の机に叩きつけ、私は怒りを顕わにした。新聞を持ってきてくれた情報収集部隊のリカルドが顔をしかめながらなだめてくる。

「落ち着け、こうなることは予期できただろうが」
「なにが仇よ! エリック様はまだ生きてるっつーの! いけしゃあしゃあと嘘八百並べ立てて!」

 いかに自分が窮地に陥りながら脱出したかを書面上のルシアンは語っている。自分を逃がしてくれたエリック様のお涙ちょうだいエピソードとかまで盛り込んで言いたい放題だ。自分で!刺した!くせに!

 いかん、冷静になれ自分。ふーっと深呼吸した私は紙面にもう一度目を走らせる。先ほどから気になっていた点を挙げた。

「それにしてもサイードの「さ」の字も出てないみたいだけど」
「紙面にゃ出てないがボリスの補佐についたとさ。実質的なナンバーツーだ。表立つより裏からの方が色々と動きやすいんだろうよ」

 ボリスは最初っからサイードの仲間だったのかな。それともただ踊らされているだけ? それに気になることがもう一つある。

「ねぇリカルド、王様が死んじゃったら普通何をおいてもまずお葬式だよね」
「気づいたか?」

 鷹のように鋭い眼光をした新聞記者は、持っていたペンのお尻をこちらに向けて話し出した。

「『緊急事態だから』らしいが、明らかにおかしいよな。死体だって誰も見てない。つまり……」
「リヒター王はまだ生きていて、どこかに幽閉されている可能性がある?」

 私が言葉を引き継ぐと、リカルドは小さく頷いた。少しだけ希望が湧くのだけど即座に忠告が入る。

「が、あくまでも可能性でしかない。吸血鬼と一緒で活かすも殺すも向こう次第ってことは忘れんなよ」

 私は伏し目がちに思考を巡らせる。もし生きてるとしたらどうして殺さないんだろう。まだ使い道がある、とか。考え込む私に向かって、リカルドは今いちばん重要な情報を伝えてくれた。

「声明文はこう締めくくられている。メルスランド建国記念日である十月十六日正午までに全面降伏を認めさせ、魔王アキラの身柄を拘束するとな」
「『ハーツイーズ国に滞在している人間は、三日前までに検閲を受け自国に戻ること。それ以降の安全は保障できない』、か」

 具体的な攻め込み方は書いてないけど、その建国記念日に合わせて魔焦鏡リフレクションカノーネを撃ち込んで来るんじゃないだろうか。あと九日……。

 ふと視線を上げると同じように難しい顔をして考え込んでいたリカルドと目が合う。軽く笑った彼は片手を広げて冗談めかして言った。

「さぁ、どう出る魔王様。物語で言ゃクライマックス直前ってところか。お前さんの行動に全世界が注目してるぜ」
「なに傍観者気取ってんのよ。あなたも中心人物なんだからね」

 そうだ、ここがハッピーエンドで終わるかバッドエンドで終わるかの瀬戸際なんだ。真剣な顔をして言うと、目の前の新聞記者は頭を掻きながらこんな事を打ち明けた。

「中心、ねぇ……実をいうとな、最初はこの国がヤベェ事になったらとっととズラかるつもりだったんだ。でもなんでだろうなぁ、いつの間にか惹き込まれてたんだよな」

 スッと目をあけた彼は、まっすぐにこちらを見て彼なりの激励をくれた。

「勝てよ魔王。この国の行く末がどうなろうと、俺が最後まで見届けてやる。報道官として真実を伝え続けてやる」


 ***


 心配していたパニックは起きなかったものの、ハーツイーズ城下はぶきみなほどに静かだった。いつもなら活気にあふれるメインストリートもひっそりとし、どの顔を見ても表情は暗かった。

 メルスランドの声明文が出て一日だというのにこの地を去った者も少なくない。けれども私は引き留めずに彼らを見送った。彼らの選択を止められるはずもない。

 私は玉座に腰掛けたまま正面を見下ろした。深々と頭を下げていた一人の少女が顔を上げ、聞き取りやすい丁寧な口調で挨拶を述べた。

「お初にお目にかかります。ライカンスロープ島より特使として参りました朱華(シュカ)です。以後お見知りおきを」

 燃えるような真紅の髪をサイドテールでまとめ、同じ色の瞳が眼鏡の奥で揺らめいている。白いジャケットに赤いプリーツのスカートと白のニーハイブーツ。立ち振る舞いも含めて麗しいと言う言葉がピッタリなシュカさんは豊穣祭の夜、ラスプと話していたあの女性だった。

「しかし驚きました。あれだけ帰るのを渋っていたお兄様がどういう風の吹き回しです?」
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