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36 マーシア2
しおりを挟むマーシアは黒いドレスに身を包まれていた。
抵抗すらむなしく、結局はなされるがままに事が進んでゆく。
日が傾いている。
まだ外は明るいが、東の端は、わずかに赤みがかっていた。
このまま、花嫁にされてしまうのか。
マーシアは広い部屋をくまなく探るが、逃げ出せる場所も術もなければ隠れる場所さえなかった。
何も出来ないまま時間が過ぎてゆく。
少しずつ傾いていく太陽を見ながら、マーシアの中の絶望が増していく。
これほどまでに恐ろしいことが始まろうとしているのに、今、マーシアを包むのは気味が悪いほどの静寂だった。
助けが来ないかと、わずかな希望をかき集めて待つ時間は、気が狂いそうなほど長いのに、花嫁となるために進む時間は恐ろしいほどに早い。矛盾する二つの時間軸がマーシアの中に存在し、それがまたマーシアをさいなむ。
恐ろしく長い時間が、気がつけば恐ろしいほどの早さで過ぎていっている。
気が狂いそうだった。
先ほどまで明るかった空が、赤みを増していた。マーシアの目にはそれがとてつもなく不気味に見えた。血をにじませた様なその色は絶望の色か。
東の空から、夜がじわりじわりと訪れる。昼間の光を食らうようにゆるりと浸食してゆくその暗闇は、マーシアの心を浸食してゆく絶望という名の闇に似ていた。
そして、日の光が全て闇に浸食された時、マーシアに本物の絶望が訪れるのだ。
マーシアは窓の向こうの夜に浸食されてゆく空を見ては、息が止まりそうなほどの圧迫感を感じていた。
「奥方さま」
背後から聞こえる声にマーシアは体を震わせた。
窓の外はわずかな山の輪郭を映し出す光が残るのみで、空は暗く、星がうっすらと瞬いていた。
「……私は……」
魔王の花嫁になどはならない。
必死の抵抗のつぶやきは、いとも簡単にかき消される。
「どうぞ、こちらへ」
人型の魔物がマーシアを促した。
ここで泣いて暴れたら何かが変わるだろうか。ここで走って逃げ出せば何かが変わるだろうか。
マーシアは立ち止まり今の状況を改めて考える。
そしてマーシアは真っ直ぐに前を見た。
確かな足取りで、魔王の待つであろうその場所に、すすめられるがまま歩む。
いっそ、理性を放棄して感情のままに泣き叫ぶことが出来たなら、もっと楽だったかもしれない。けれど、小国の姫として美しさのみを武器に、他国から侮られないよう培ってきた精神力が、マーシアにそれを許さない。
ならば、最後の理性で、出来ることは一つだった。
マーシアは、一歩進むごとに覚悟を決める。
大きな広間があった。その中央に黒衣の男がいる。
マーシアの覚悟が今にも崩れそうに思えた。足ががくがくと震える。逃げ出したくなる衝動を必死に押さえ、マーシアは真っ直ぐに魔王を見て足をすすめた。
冷酷に己を見つめる魔王の瞳に、マーシアは胸が凍り付いたように思えた。
もし、自分が魔王と契ったのなら、自分もこの凍り付くような目になるのだろうか。
その思いが過ぎり、ぞっとした。心底死んだ方がましだと思った。
魔王がマーシアのもとに歩み寄る。
私は、決して魔王の花嫁にはならない。そうなるくらいなら……。
覚悟は決まっていた。
私は、魔王の……氷の花嫁になど、ならない。
マーシアを魔王が冷酷な瞳で見下ろしていた。
窓の向こうには、闇色に染まった空が見える。
ここまでなのだ。マーシアは静かに絶望する。
婚礼が始まろうとしていた。
そして、静かに、魔王が告げる――。
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