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第30話 エレノアと新たな日々

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 それからエレノアも他の者たちも皆、不安な時間を過ごした。
 王都より届くだろう魔法鳥を待って、自然と皆で集まって無事に辿り着いたのかと話し合う。ついそわそわとした空気になるのを、正道院長であるイライザやグレースがたしなめ、皆それぞれの作業へと戻っていく。
 だが、イライザやグレースも気持ちの上では同じなのだ。
 誰もが皆、王都からの連絡を祈るような思いで待っている。

 朝の貴族用祈祷舎にエレノアが足を運ぶと、そこには熱心に祈るスカーレットの姿があった。そっとエレノアは彼女の隣に座ると、同じように祈る。
 そんな姿はもう一つの祈祷舎でも見られた。
 グレースやリリーは菓子の販売の前に、必ず祈祷舎で祈っている。
 やるべきことをやった彼女たちはそれでも強く願う。
 「皆で作り上げた菓子が無事に届き、人々の喜びとなるように」と。
 貴族研修士ヴェイリスも平民研修士ラディリスも、その立場や身分を越えて同じ祈りを捧げた。
 
 エレノアの部屋にいるシルバーは青い瞳を輝かせ、胸を逸らす。
 シルバーが見込んだ通り、エレノアには特別な力がある。
    それはおそらく、目には見えないものだ。
 純粋な彼女たちの願いに、神もシルバーも力を得て世界は安定へと向かう。
 
《清らかな魂の子、汝は自身で気付かぬうちに、この世界を変えていくのかもしれないな》

 誰もいない部屋でぽつりとシルバーは呟くと、楽しそうにしっぽを揺らし、再び眠りへと落ちていくのだった。


*****


 建国記念のその日、平民研修士ヴェイリスたちはいつもと同じように神に祈りを捧げた。一年の中でも最も多くの祈りが神へと捧げられる日である。
 貴族用の祈祷舎では、エレノアとスカーレットが祈りを捧げていた。
 二人の表情は穏やかである。昨晩、兄のカイルは無事に王都に着き、「聖なる甘味」は正道院へと届けられていると魔法鳥で知らせが来たのだ。
 
「昼過ぎに儀式が終わるそうです。兄が終わり次第、魔法鳥を寄こすと言っておりましたの」
「では、もうすぐですわね。無事、『聖なる甘味』が王都に届いたようで何よりです……。コールマン公爵令嬢の御力に助けられて、皆さまの今までの努力が認められる。本当に良かった……」

 「聖なる味覚」が自身の元婚約者のせいで失われるかもしれない。そんな恐れから自身を責めていたスカーレットは安堵する。
 だが、その言葉に困ったようにエレノアは指摘する。
 
「そこにはクーパー侯爵令嬢の御力もありますわ。あなたが私に現状を打ち明け、協力を願い出た。そうでなければ、解決への糸口を見つけることは出来ませんでしたわ」
「コールマン公爵令嬢……それはあなたのおかげですわ」
「それに、私はまだこれからだと思っておりますのよ」

 そう言って微笑むエレノアはしなやかだが力強い。 
 そんな彼女の姿勢に、スカーレットも自身を奮い立たせることが出来たのだ。
 微笑む二人の元に、祈祷舎の窓をすり抜け、一羽の魔法鳥が降り立つ。
 兄カイルの魔法鳥が、建国記念の祈祷の状況を知らせに訪れたのだ。

「コールマン公爵令嬢……」

 手紙を受け取ったエレノアは、スカーレットに、そして後ろで控えていたカミラやペトゥラたちにも視線を移す。
 
「正道院長室へ参りましょう。おそらく、信仰会からも報告が来ているはずです。皆で行動した結果、それは皆で共有するべきです」

 エレノアの言葉にスカーレットも頷く。
 聖リディール正道院で皆で作り上げた「聖なる甘味」、建国記念の祈祷の場でそれがどう評価されたか、その思いも皆で分かち合いたい。
 そんな思いはこの「聖なる甘味」に携わった者、全ての思いだろう。
 エレノアたちは手紙を読むことなく、正道院長室へと向かう。
 祈祷舎に残された兄の魔法鳥は、少し小首を傾げるとふんわりと消えていった。


*****
 
 
「リリーさんたちも気になっていらっしゃったのね」
「コールマン公爵令嬢! ……グレースさまがお伝えしてくださるのをお待ちしようって思っていたんですが、もうじっとしていられなくって」

 正道院長室のドアの前で、そわそわと落ち着かない様子で待っていたのはリリー、そしてアレッタだ。昼過ぎに終わったであろう祈祷の報告を待ちかねたのだろう。
 だが、正道院室を訪ねるのも気が引けたようだ。そんな姿に皆、つい笑ってしまう。少しむくれるマーサの前で正道院長室の扉が開く。
 そこに立っていたのは正道院長イライザだ。

「……皆さん、こちらに。今、信仰会より魔法鳥が届きました」

 その一言に皆の表情が引き締まる。
 イライザは室内へと戻り、そのあとにエレノアやスカーレットたちが続く。リリーとアレッタは開いたドアの前でおろおろと中に入らない。
 そんなリリーを不安そうにマーサが見つめる。

「私は『皆さん』と、そう言ったはずですよ?」

 イライザの言葉にパタパタと正道院長室に入った二人に、グレースが微笑みながら部屋のドアを閉じるとイライザは初めて手紙の封を開けた。
 イライザの隣では華やかな鳥が毛繕いをしている。信仰会の魔法鳥だ。
 静かに手紙に目を通していくイライザを皆が見つめる。不安げに見つめる目、朗報であった欲しいと願う目、信じて待つ目、そんな様々な視線を一身に集めたイライザが手紙から皆へと視線を移す。

「……王都での祈祷が無事終了したようです」
「あぁ! 良かった……!」
「無事に終わったのですね……!」

 わっと部屋中に歓喜の声が響くが、イライザの言葉はまだ終わりではない。
 皆が喜ぶさまをじっと見た後、軽く咳払いをして再び手紙に目を戻す。その姿に皆も正道院長イライザの言葉を待つ。

「ですが、例年にないことも起きたようです」

 ひゅっと誰かが息を呑み、部屋は緊張に満ちた。
 イライザは手紙に目を向けながら、ぽつりと呟く。
 
「これは……誰にも予測出来なかったことでしょうね……」

 その言葉は無意識のものだろう。
 イライザ自身も驚きが表情に現れている。

「儀式の際、神と王族に我々が作った『聖なる甘味』を捧げました。それは皆さんもご存じのとおりです。儀式上のことで形のみ行われます。ですが、それに手を伸ばし、口にした御方がおります」

 その言葉に驚きの声が上がる。
 長年の神聖な儀式というものは形式が決まっている。
 まして、いくら安全性が確かめられていようと王族が危険を冒し、口にする理由はない。異例中の異例とも言える出来事だ。

「え、ですが、あのような場所では決して口にしないものでは……」
「えぇ、私もそのように認識しております」
「どなたが、どなたが私たちの『聖なる甘味』を召し上がられたのですか?」

 正道院長イライザがエレノアを見つめる。
 
「第二王子であられるエドワードさまです」

 驚きで皆、声を上げる部屋でエレノアはじっとイライザを見つめた。
 第二王子エドワードはエレノアが攻撃魔法を使用しかけた際に止めに入った。そんな彼の行為は、少年らしいまっすぐさから生まれたものだ。心情としても行為としても間違っていたわけではない。
 だが、それがエレノアの罪を重くした。
 それもまた事実である。

「不躾なある者が儀式中に『聖なる甘味』を非難したそうです。罪を犯した者の作った汚れた菓子だと。そんな騒動の最中、第二王子エドワードさまが菓子を一口召し上がり、『聖なる甘味』を称賛したそうです。その姿が神秘的で清らかで、それを見た人々の中にまで涙を流す者がいた、そう手紙には書かれておりますね」

 神に捧げ、王族も席を共にする儀式中の暴言に皆驚き、ざわめきがその場を包んだ。そんな暴挙を犯したのは他でもない、ヒギンス伯爵家のローガンだ。
 彼はすぐ取り押さえられたものの、儀式の荘厳な空気は乱され、誰もが落ち着かぬ中、第二王子エドワードの行為が大きく流れを変えた。
 悪しざまに言われた菓子を自ら口にし、その安全性と神秘性を自身の行為で証明したのだ。

「――そうでしたか。それで、その不躾な者はどうなりましたか?」

 そう口にしたのはエレノアだ。第二王子の行動ではなく、不躾なある者のその後の処分が気になるのはスカーレットを案じてだろう。
 手紙にはしっかりとヒギンス家のローガンの名が記されているが、イライザはヒギンス伯爵家だとあえて口に出さない。
 だが、エレノアはそれが誰かすでに察している。

「現在、牢に拘束した上で調査中だそうですよ。先日出た疑惑や不正をこれで正式に国が判断するでしょうね。まぁ、情報や証拠は十分にどこからか出ているようですが……」

 ちらりと向けられたイライザの視線はエレノアに注がれる。
 だが、エレノアは悠々と微笑みを浮かべた。

「国がきちんと調査に乗り出したのでしたら、たとえ貴族と言えど不当な貸し付けも問題視されますよね」
「えぇ、彼らから不当に貸し付けを受けていた人々は、負債自体が見直されることでしょう」

 その言葉にやっとエレノアは安堵したように笑う。貴族らしいものではなく、白い歯を見せた少女らしい笑顔は、淑女らしからぬものだが喜びに満ちている。
 そして、その笑みはまっすぐにスカーレットへと向けられた。
 
「スカーレットさま! これできっと、不当な負債はなくなりますわ。そして、弟さんの治療の不安もなくなり、本当の意味で全て解決に向かうかと思いますわ」
「そんな、エレノアさま……」

 ぼろぼろと大粒の涙を流し、安堵からやっとの思いで立っているスカーレットの左右をペトゥラとエヴェリンが支える。その後ろではマーサとリリーが抱き合って喜び、その隣でアレッタも涙を流す。
 
「言ったでしょう? まだこれからだって」
「そうね、それにわたくしたちもまだこれからなのですね。きっと」

 自然とお互いの名を呼び合う二人の姿を、正道院長イライザが温かな眼差しで見つめる。正道院長室には共に笑い合い、涙を拭い合う少女たちとそれを見守る大人たちの姿があった。
 「聖なる甘味」はこれからもこの聖リディール正道院、そして各地域の正道院で愛されていくだろう。
 窓から差し込む春の日差しは彼女たちの新たな日々を祝福するかのように、温かく彼女たちを照らしていた。

 その後、クーパー侯爵家への不当な負債は見直され、侯爵家とヒギンス伯爵家の 関係も解消された。スカーレットが罪を犯した時点で、婚約は解消されていたため、この二つの家を縛り付けるものは何もなくなったのだ。


 
 《汝の強い純粋な願いが多くを変えたな》
「……うーん、それはどうかしら。きっかけになっただけで、皆がそれぞれに努力したのよ。それに皆が願って、それが力になって世界が安定するってシルバーが言ったのよ?」

 膝の上でふわふわもふもふとしたシルバーを撫でながら言うエレノアに、カミラは温かな紅茶を入れる。今日もこのあとは菓子の試作に乗り出すだろう。
 「聖なる甘味」は復活した。だが、その開発はまだ始まったばかりなのだ。
 エレノアはこれからもこの聖リディール正道院で菓子作りに勤しむだろう。
 それを心待ちにし、喜んでくれる人々のために。
 断罪後の彼女エレノア・コールマンの生活は、誰かの笑顔のためにある。
 それこそが、彼女に今出来ること、すべきことなのだ。
 
 ハルが大事に作り上げたレシピの本から、エレノアは聖なる甘味を作り出す。
 転生令嬢エレノアの異世界スローライフはまだ始まったばかりである。

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