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第一章 出会い編
閑話 眠り姫を抱くは騎士かそれとも②
しおりを挟む鼓動の止まった物言わぬ妻をかき抱いたまま泣き続け、どれ程の時間が経っただろう。
未だ月が闇を照らしているところを見るに、さして時間は経っていないのかもしれないが。
自分にとっては永遠とも思えるくらいに泣き続け、最早流れる涙もない。
妻の髪も自分の涙でぐっしょりと濡れ、端正な顔に貼り付かせているのを綺麗に横に流してやるとベッドのシーツを剥ぎ取り何も纏わぬ身体を包んでやる。
本当は身体も全部綺麗にしてやりたいが……今は一刻も早く、この陰鬱な屋敷から彼女を連れ出したいと涙で濡れ曇った眼鏡を拭き上げると彼女を抱えて歩き出す。
屋敷の簡素な門の柵に繋いでおいた馬に騎乗し、落ちないようしっかりと彼女を抱えて領地の、自身の屋敷へと向かう。
やがて門へとたどり着くと、久方会ってもいなかった門番役が警戒心も露わに飛び出してきた。
「…な、何者だ!!」
こんな夜分に屋敷を訪れたものなど久しくいなかったのかもしれないが、いかにも寝起きといった慌てた様子に眉を顰める。
(………変わっていなかったとは、な)
9年間シェイラが外出も助けも求めることが出来なかった事を知って、てっきり使用人同様元の門番役は解雇されているものと思い込んでいたがこれは…おそらくあの男にまんまと買収されたのだ。
父の代から仕えている者たちも多く、それだけにやるせない。
行き場のない怒りを湛えた冷たい視線に漸く目の前にいる人間が誰か思い出した門番役は、一気に顔を蒼褪めさせる。
「だっ、旦那様……!?お、お戻りになったんで……ヒィ!!」
そうして私が腕の中に抱える妻を視認した途端に悲鳴を上げた男を氷のような冷え切った眼差しで見下ろしさっさと門を開けるよう命令する。
わたわたと泡を食って門を開く彼らをちらりと一瞥すると騎乗したまま敷地内へと足を踏み入れた。
「…あ、あの。旦那様……」
「ご苦労、もう失せて下さい」
「「「へ???」」」
「私がここに来たことの意味を、お前達は理解しているはずです。
分かったら、さっさと、失せろ。
……今なら追手もかけませんよ」
「「「!!!」」」
ジロリと睨みつける私の視線にたった今解雇されたことを知った男達は、次いで自分達が裏切っていたことを見逃すと暗に言われて慌てて走り去っていく。
全く…始終落ち着きのない、と小さくため息を吐き、そのまま屋敷の中……ではなく、裏に広がる『迷いの森』へと向かう。
森の入り口で馬を降り、妻を横抱きにして森へと足を踏み入れる。
月が出ているとはいえ、未だ暗闇が支配する夜。
それも『迷いの森』に単身なんの備えもなしに足を踏み入れるなど、領民が見れば自殺行為だと叫びそうな行動だが、躊躇う気持ちは露ほどもない。
何故ならこの森にはー…もう一つの名があることを現当主である自分は知っているから。
この森の別名はー『王住う森』
仕える王がいるが故に表立って呼ばれることのなくなったその名は、今ではもう伯爵家当主である自分しか覚えてはいないだろう。
かつて精霊王が住んでいたと言われたこの場所も、最早伝説や御伽噺のそれと同じ扱い。
幼い頃迷った記憶しかない自分は決して信じる事はなかったが、亡き妻ー…エリーシェだけはその伝説を固く信じていたのを思い出したからだ。
『あの森にはね?本当に精霊王様が住んでいるのよ!
ふふ……『迷いの森』なんて酷い名前!誰だって自分の家に誰彼構わずに上がり込まれたら怒るでしょうに。
私ね、一度だけ王様に会ったことがありますのよ?』
私達が結婚したら 一緒に森へピクニックにいきましょう
もしかしたら王様も また姿を見せてくれるかもしれないわ
そうしたら私が貴方をあの方に紹介してあげる だって約束したもの
大丈夫 きっと仲良くなれるわー……
まだ学園に通っていた頃に楽しそうに語った彼女の言葉をこんなに月日が経ってから思い出したのも、きっと彼女が森へ行きたいと自分に囁いたからかもしれない。
忙しさにかまけて実現してやることの出来なかったそれを、今こそー…
そう思って当主となって以来一度と足を踏み入れたことのない森に足を踏み入れてどれ程歩いただろうか。
やがてたどり着いたのは、ぽっかりと木々の開けた、小さくも美しい湖が存在する場所だった。
肺を満たす清浄な空気と月の光を反射してキラキラと湖面を輝かせる様は幻想的で、本当に精霊王の住処のように感じられた。
「…ああ……綺麗ですね、エリー……」
澄んだ湖の前に、自分と妻の二人きり。
美しい情景に見惚れ、口をついて出た言葉はただの呟きに過ぎない。
だというのにー…その声は自分の鼓膜を揺らしたのだ。
『やっと来たか、このうつけが』
「!!?」
驚き妻を抱えたまま硬直した私の前ー湖の上に光の粒が集まり、その光は一人の男へと姿を変えた。
透き通るような白い肌
肌と同じ色を持つ長い長い髪
背丈は高く 身には長い袖の教皇の着る法衣に似た物を纏っている。
そして何より、こちらをまっすぐ見つめるその瞳は…妻と同じ澄んだ琥珀の色をしていた。
ゆったりとした歩調でこちらに歩いてくるその足は湖の上に立っており、湖面に波紋を描きながら進むその様は、彼が人ならぬ存在であることを物語っていた。
湖から大地へ。
そうして目の前まで迫って歩みを止めたその人外の美丈夫は、自分が抱える妻の遺体を見遣り、哀しそうに目を伏せると彼女の頭に触れる。優しい手つきで彼女の髪を撫でて梳き、小さく呟く。
『………本当に、遅すぎるぞエリーシェよ』
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※次回 『閑話 眠り姫を抱くは騎士かそれとも③』は17時頃更新を予定してます♪(´ε` )
お楽しみに~!!
応援ありがとうございます!
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