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第二章 帝国編
閑話 天使は淡い初恋と羨望と憎悪に狂う
しおりを挟むside:リオン
(綺麗な人だったなぁ……“シェイラ”さん……)
白磁宮を出てふらふらと辺りを散策しながら
ぼんやりと先程宮内で初対面を果たした女性の姿を脳裏に浮かべて微笑む。
まるで宝石のような人だ、それが初めて会ったシェイラへの第一印象。
真っ赤な長い髪に整った甘い顔立ち。
形の良い小振りな鼻とぷっくりと柔らかそうな唇。
服装こそ簡素で大人しいドレスだったけれど、参内で宮に訪れる貴族女性と違って香水臭くもない。
寧ろ花の香りに似たほんのりと優しい匂い。
そして何より目を引くのが、彼女の瞳の色。
アメジストと琥珀の宝石を嵌め込んだかのようにキラキラと輝く左右色違いの大きな瞳は大変美しく、彼女を人であることすら忘れさせるほど印象的でリオンをして魅了した。
声も張りがあるのに年頃の令嬢のように甲高くなく、耳に優しい。
いつまでも聴いていたくなる心地よさだった。
(あれが、義兄上の“特別”かぁ)
帝国へと帰還した義兄。
珍しい赤い髪をした他国の貴族令嬢を気に入り、ここへと連れ帰ってきたと聞かされた時、初めは酷く驚いたものだ。帝位に上がる前、いや上がってからも頑に婚約者を決めようとしなかったあの義兄が他国の令嬢を連れ帰るほど気にいるだなどと。
何かの聞き違いか誤情報かとも疑ってみたこともあったが、実際会ってみて納得してしまった。
優しさと知性を覗かせる彼女はさぞ、義兄に魅力的に映ったことだろう。
何せ僕の知る限り義兄ー…ベルナードは人の情というものに酷く飢えている様だったから。
彼女と宮で出会ったのは本当に偶然だった。
優雅な歩調で歩きながらどこか不安げに瞳を揺らして辺りを窺っていた彼女が、
正面から近づく僕の姿を視界に捉えると少し焦ったように、でもどことなくほっとした様に笑顔を浮かべた。
女性の笑顔に対しての褒め言葉に“まるで華が咲いた様だ”と評することがあるのを知っているが、彼女の笑顔は正にそれだった。
瑞々しい蕾が艶やかな花弁を一気に開いた如く華やかで美しい。
思わず初手から口説く様な台詞を挨拶がわりに吐いてしまったことを思い出し、
そんな愚かな自分に苦笑する。
見目は良い方だと自負している。
天使の様に可憐だと誰かにも言われた。
だが男としては酷く魅力に欠けていることも同時に自覚があり、
女性が自分と対面した時異性としての魅力を感じず、愛玩動物に相対するように接することも。
彼女も例外ではなく、僕を年下の少年だと思い込んでいたようだから、
それを利用して初対面だというのに名前呼びを強請った。
17年もこの外見で生きていれば、
この男にしては可愛すぎる外見を利用し利を得るのに何ら躊躇いはなくなる。
彼女は少し戸惑いながらも照れたように笑って許してくれ、その後僕の年齢を聞くややはり少しだけ驚いた様だった。
しかしあからさまに驚くわけでもなく、侍女を探すのを手伝うと言った僕の提案に柔らかい笑みを浮かべたままやんわりと断りの言葉を口にした。
外見を利用した申し出や“お願い”を今まで面と向かって断られたことがなかった僕は、彼女が義兄の相手だということに気付きながらもまた会って話がしたいと思ってしまった。
彼女であれば、いつか僕を、僕だけを見てくれるかもしれない。
そんな妄想まで湧いてくるほどに、
少し話しただけの初対面の彼女が気になって仕方がない。
(……っ!…少し遠出しすぎたか…)
少しばかり息苦しさを感じて、自分がいつもよりずっと長く出歩いていた事実を自覚する。
ポケットを弄り、中から薬の入った瓶を取り出すと手のひらに出して舐める。
すぅ……と乱れた呼吸が落ち着き、同時にまた薬を彼に頼まなければと独りごちる。
義兄が帰還してからというもの服用する量が格段と増えてきているが、
それを注意する者もいないので気にはしない。
痛みには慣れた。
でも苦しいのは嫌だ。
寝込むのも、咳き込むのも、血を吐くのも。
すぐに体調を崩す弱い自分の身体が嫌いだ。
幼い見た目も、自分の周りに誰もいないのも。
だから僕は義兄が本当に嫌いだ。
僕が理想として憧れた彼の兄は皆と同じく死んだのに、彼だけが全てを得て生きている。
なんの病気もしたことがなく、周囲には彼の味方がいて、成長した姿は彼の母親である現・正皇妃とそっくりなのに男性的な魅力に溢れていて、その眼差しは己への自信に満ちて迷いがない。
僕に向ける眼差しが優しい?違う、憐んでいるだけだ。
気遣う言葉?違う、病弱な僕を見下しているだけ。
その点では同じ嫌いな人間でも彼の母親の方が幾分ましだ。
彼女は奔放に見えて聡く、僕の本心に気づいているようだった。
先帝である父が帝位を彼に譲り引退した際に、父と母の宮で務める女官に薬を渡した。
彼から楽になる薬だと聞いていたから、きっと二人の政務で疲れた身体を永遠に楽にしてやれる、そう思って。
だけどそれを服用したのはおそらく今なお姿を見せない父のみ。
義兄の次に嫌いな人間であるあの義母は元気いっぱいで、
先日も茶会へ乱入した僕を睨み、追い返した。
本当に聡い人だ。
薬を盛った女官は何故か僕に心酔していて、薬の混入がバレた際に自殺したらしいが正直言って興味がない。
どうせ死んでくれるなら、僕の嫌いな人間全員道連れにしてくれれば良かったのにとすら自分勝手に思う。
あの薬がどのような効果を齎らしたのかは確認していない。
確認の必要性も、今となっては感じない。
正直、父が死のうとどうでもいい。
死んで欲しかったのは義母、そして義兄なのだから。
はぁ……
小さく嘆息する。
この薬を服薬すると呼吸は楽になるがどうにも思考が負に落ちやすくて困る。
瓶は彼に返却しなければならないからしっかりとポケットにしまい、
今度こそ部屋へと歩き出す。
そうして歩きながら再び今日出会った彼女を思う。
『……では私のこともシェイラ、と。
それでおあいこでございますわ』
彼女が名を呼ぶことを許してくれた時のはにかんだ笑顔を思い出して頬を緩ませる。
(本当に、綺麗な人だったなぁ……。
義兄上には勿体無いや)
本当は義兄の大切な人である彼女は“消して”しまおうと考えていたが、気が変わった。
彼女は義兄には勿体無い。
だから殺さず、僕のモノにしようー…。
天使の如き外見をした若き青年は、
自分の思考が静かに狂っていっていることに気付いてはいなかった。
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