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第二章 禁断の勇者と魔王の夜宴

Page.28 魔界令嬢の夜

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 人間界には多数の魔王の拠点が存在する。
 それは人目を避けて隠されていることもあれば、土地そのものを支配して堂々と見せつけるように存在していることもある。
 自然を利用した洞穴が拠点である者もいれば、まさに魔王といった感じの城を拠点にしている者もいる。

 ソーラウィンド家の場合はどちらも後者だ。
 彼らには彼らが支配する領地があり、彼らの住む立派な城がある。
 その城の一室で、一族の当主の妹エンジェ・ソーラウィンドは一人で荒れていた。

「うううう……ぐうううう……っ! ぐやじいいいいいいーーーーーーっ!! パステルに負けるなんて……ありえまぜんわッ!!」

 パステルやその仲間たち、自分に付き従う配下たちの前では何とか隠していた感情が、自分の部屋に帰ってきた途端止まらなくなってしまったのだ。
 部屋に入って以来、食事もとらず従者の言葉にも応えずで城中大騒ぎになっていた。
 そんなこともお構いなしにエンジェは涙を吸いすぎて完全にびしょ濡れの枕を抱えてただただ泣き続けていた。

 彼女にとってパステルに負けるというのは精神がおかしくなって当然の事態なのだ。
 他の誰に負けても構わないが、パステルだけはダメだった。
 それなのに、この広い人間界でまさかこんなに早く再開してあろうことか負けるなんて……。

 出会った時は懐かしさと安心感にも似た感情を覚え上機嫌だったエンジェ。
 また魔界の時のように自分の近くに置いておくため、連れて帰ろうかとすら考えていたのに、まさかさっさと目的を果たして帰ってしまうとは……。

「ああああああ……どうしてあんな子になってしまったの……。あんな強気な笑みを浮かべる子ではなかったのに……。いつも不安そうにしかめっ面をしているパステルが私は好きだったのに……」

 なんとも身勝手な言い分だが、彼女が大きくパステルに依存していたのは間違いない。
 ただ、必要なのは『弱い』パステルなのだ。

「いっちょまえに配下まで引き連れて……。いったいパステルの身にこの短期間で何があったというの……。魔界では後ろ盾はおろか友人すらいなかった子が、いきなり人間界で優秀な配下を捕まえるなんて……何かずるい手を使ったに決まってますわ! 色仕掛けとか!」

 悲しみは徐々に疑問へ、そして怒りへと変わっていく。
 このまま泣いている場合ではないとエンジェが思いだしたその時、部屋の扉が優しくノックされた。

「エンジェ、いるのか?」

「その声は……兄さま!? はい! エンジェはここにいます!」

「そうか、では入ってよいか?」

「あ、あの……酷い顔をしているので……」

「かまわん」

 鍵のかかった扉を合いカギで開けて入って来たのは、エンジェの兄にして現在のソーラウィンド家の当主フレイア・ソーラウィンドだ。
 まっすぐな長髪はエンジェと同じく燃える炎のような赤色だ。
 強気な鋭い目もエンジェとそっくりだが、フレイアには目の形だけではなく経験からくる鋭さを宿している。
 背が高いので細身に見えるが、実際はがっちりとした体系で魔法だけでなく武術にも優れている。
 人は彼をソーラウィンド家始まって以来の大秀才と呼ぶ。
 エンジェにとっては尊敬できる兄であり、同時に自分の劣等感を増幅させる存在でもある。

「本当に酷い顔をしているな」

「ごめんなさい……」

「それだけ泣けるということは体に異常はなさそうだな」

「はい……」

 エンジェはしゅんと小さくなってしまった。
 実の兄とはいえ、一対一で話すとどうしても威圧感を感じてしまう。
 今回のように負い目を感じていればなおさらだ。

「それで……しおりは手に入ったか? あの勇者の言っていた情報は本当だったと伝令の者から少し前に聞いていたが、肝心の迷宮を攻略することは出来たか?」

「それが……その……」

「『はい』か『いいえ』で答えろ」

「いいえ……」

「ふん、迷宮の試練を乗り越えられなかったから逃げ帰って来たのか? それとも城のベッドと食事が恋しくなって帰ってきたのか?」

「ち、違います! 断じてそんな情けない理由ではありませんわ! ただ……」

「ただ……なんだ?」

「あ、あとから来た他の魔王に先を越されてしまったのですわ……」

「なにぃ!? 他の魔王と接触したのか!? それでお前自身は戦ったのか!?」

 エンジェの肩を抱いて揺さぶるフレイア。
 その勢いが怖くてエンジェの目からはまたポロポロと涙が零れ落ちる。

「ご、ごめんなさい……ぐすっ、戦ってません……」

「そうか……よかった」

 心底安心した顔をするフレイア。
 エンジェは彼の顔を見ることもなく枕で涙を拭き続ける。

「それで拭いても余計濡れるだけだ。これを使え」

 どこからか持ってきた大量のタオルの束をエンジェに渡すフレイア。
 代わりに涙に濡れた枕を受け取る。

「係りの者に洗わせておく」

「はい……。ありがとうございます兄さま。タオルをこんなに……」

「それよりも、遭遇した魔王の名はわかるか? 特徴も覚えている限り全部話せ」

 フレイアは椅子に腰かけ、机の上に紙を広げた。
 ペンをインクに浸し、準備万端といった顔をする。

「名前は……パステル・ポーキュパインですわ」

「パステル……ポーキュ……ん? その名はどこかで聞いたような……」

「魔王学園時代のクラスメートですわ」

「ああ、あの白紙の魔本を持つ娘か……。なるほど、ついに頭角を現したか」

「そ、それはどういうことですの? まさか兄さまはパステルの本当の力を見抜いていたというのですか?」

「正確には違う。ただ、冥約のページをもって生まれた魔王というのは大なり小なり他にはない特別な能力、あるいは魅力というものを持っている。戦いにおいてそれが役に立つかどうかはこの際関係ない。何かしらのその者だけの個性がある」

「私の場合は……暴走ということですか?」

「ああ、そういうことだ。危険だが圧倒的な火力を生み出せるお前だけの個性だ。しかし、その娘パステルの場合は白紙でまったく個性が読み取れん。わからないというのは最も危険なのだ。本来ならば生まれてすぐに呪文の一つや二つ魔王ならば覚える。魔王学園を卒業しても目覚めないとなると、よほど異質な力が眠っているのだと私は考えている」

「異質な力……パステルにまさか……」

「エンジェもそれを感じ取っていたから、昔からあの娘に固執していたのだろう?」

「あ、ああ……まあ、その通りですわ!」

「やはりな……。それでどんな能力に目覚めたのだ? しおりを先に奪われたということは、それなりに力の片鱗を見せているはずだ」

 エンジェは固まる。
 素通りさせたあげく特に能力を探るでもなく、従者たちの魔法によるシャワーを浴びてくつろいでいたら先を越されたなんて言えない。

「う、うーん、パステル自身は何もしていませんでしたわ……。配下の者が三人いて、みな強かったので……」

「ほう、ではその三人の特徴で構わん。話してくれ」

 頭の中から自分の配下から聞いた情報を引っ張り出すエンジェ。
 なにせ彼女がパステルに仲間がいることに気づいたのは、先を越された後なのだ。
 特徴など見た目のことしかわからない。
 それでも何とか不自然にならないように情報を話し、フレイアはそれをメモしていく。

「毒を操る人間、メイド服を着たサキュバス、自我を持ったスライムか……。なんとも奇妙奇天烈なパーティだ。出会おうとして出会えるものではない」

「まったく、何があったんだか……」

「ただ、この時点でエンジェは負けている。パステルという娘本人の能力は関係なくだ」

「ど、どういうことですの兄さま!?」

「確かにパステルの配下は優秀だったのだろう。だが、我々ソーラウィンド家に仕える戦士たちも劣ってはいないと私は信じている。だというのに、お前が引きつれるのは落ちこぼればかりだ。彼らの成長を信じて使っているのならばよし。しかし、本当は違うな? お前は自分より優秀な者を近くに置きたくないのだ」

「うっ……」

「それはプライドを守るためか?」

「ち、違いますわ! ただ、ソーラウィンド家の長い歴史の中でも、飛びぬけて出来の悪い私のことを嫌っている者もいるのではないかと思って……。特に家に長く仕えている者は、この家に生まれたというだけの無能には従いたくないのではと考えてしまうのですわ……」

「確かにお前を悪く言う者もいる。しかし、それだけではない。目をそらさず一人一人信用できる者を探すのだ。それこそあの娘のようにたった三人従えるだけでもいい。今回お前が負けたのは戦いにおける力の差ではない。他人を信じる力の差だ」

「他人を信じる力……」

「もしかしたら、あの娘はまだ力に目覚めていないのかもしれない。だからこそ、誰かを信じることの必要性を知っていた。弱者がのし上がるには誰かと手を取り合うしかない。私とて一人では魔王同士の争いに勝つことはできん。頼れる配下が側にいなくてはな」

「…………」

 エンジェはうなだれてしまった。
 フレイアの言うことが信じられないのではなく、納得できてしまうからこそ今までの自分が否定されたようで脱力感に襲われていたのだ。

「まあ……配下の誰よりも強い魔王を目指すのは間違っていない。むしろ魔王としてはそれが当然だ。俺だってこの城にいる兵の中では一番強いという自負があるし、プライドもある。それに惹かれて命を預けてくれる者がいるのも事実だ」

「…………」

「それにエンジェとて一人の魔王だ。兄だからといって私のいう事ばかり聞いていては立派にはなれん。王らしく自分の信じる道を進むことも時には大切だ。優秀な配下で周りを固めることよりも、自分の腕を磨くことを優先するのならば、それもまたよかろう」

「そう……ですわね。まだ気持ちの整理がつきませんけど、とにかく私は自分の力を使いこなせるようにならないと誰かに自分を信じてくれとは頼めませんわ。だって、暴走した魔法は平気で味方を傷つけますから……」

「ならばそれがエンジェの答えだ。今日はもう寝ろ。明日から自分に厳しくいけばいい」

「はい! ありがとうございます兄さま。長々と私のような出来の悪い妹に構ってくださって本当に感謝していますわ。宴も迫っているので、お忙しいでしょうに……」

「今回はアースランド家が主催の年だ。特に忙しくもない。そういえば、エンジェは誰かを宴に招待したか?」

「あっ! そうですわ! あの時は気が動転していて、思わずパステルに招待状を渡してしまったのですわ! ああ……きっと、しおりの力を見せつけてくることでしょう……」

「ならば、それを打ち破ればいい。宴の余興の武闘大会でな。そうすればお前も一歩前に進む実感を持てるだろう。自信を持てばおのずと魔法も制御できるようになる」

「兄さまがそう言うのならば、私は信じて戦いますわ!」

「ああ、だから今日はもう寝ろ。替えの枕は従者にすぐに持ってこさせる」

 フレイアはエンジェがベッドに潜り込むのを確認してから部屋を出た。
 昔からエンジェのやる気は空回りしがちで、褒めると夜でも魔法の修行を始めてよく暴走していたのだ。
 ベッドに寝ころばせるのが重要だ。
 泣きつかれている日はすぐに眠ってしまう。

「ふっ、こんな堅苦しい家に生まれていなければ、今頃エンジェは最強の魔王だ」

 憐れむような目でぐしょぐしょに濡れた枕を見つめ、フレイアはつぶやく。

「あの力は押さえつけて型にはめるものではない。むしろ恐れず枠を取り払って解放しなければ……。俺にはそのきっかけを与えてやることは出来なかったが、パステル・ポーキュパイン……エンジェが一番心を開いているお前ならば……」

 大して知りもしない妹の元クラスメート。
 だが、フレイアには何か確信めいた予感があった。

「もうエンジェの口から『出来の悪い』などと言わせないでくれ……」
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