シクレさんの呪い

本編

春の影､墨の声【前編】

　春の雨が校庭の砂を湿らせていた。小さな水たまりに空の雲が滲み、そこに遠い校舎の影が揺れた。響平は屋上へ続く階段を、誰もいない放課後に一人で上っていた。金属の手すりが冷え、指先に伝わる感触が、封筒の紙の冷たさと同じだった。
　屋上の扉は、わずかに軋む音を立てて開いた。冷たい風が制服の裾を叩く。遠くの町の灯りが滲む夕暮れ、その奥に鉄柵の影が立っていた。沙織が最後に立った場所。足元のコンクリートには、雨粒が小さく跳ねていた。
　ポケットから、机の奥で見つけた最後の紙片を取り出した。

《あの夜、誰がいた》

問いは雨に濡れて、墨の文字がわずかに滲んだ。誰がここにいたのか。沙織は何を残そうとしたのか。足元に、誰かの靴跡が雨に濡れて残っていた。だが、それが何時間前のものかは分からない。
　屋上の奥から靴音が近づいた。振り向くと、関谷天が立っていた。その背後には、諸星奏の影もあった。二人の間に沈黙が落ちた。雨が鉄柵を叩く音だけが遠くに続いている。
　「……お前、ここで何を探してる。」
天の声は低く、しかしどこか怯えていた。響平は紙片を見せた。
　「お前は、何を隠してる。」
問いに、天は口を開きかけて、すぐに視線を落とした。
　奏が薄く笑った。その笑いは、墨の匂いを纏った封筒の声と同じだった。
　「知りたいか。シクレが何か。」
奏の指先にはスマホがあった。画面には、見慣れた掲示板のスレッドが映っている。

《#あの夜の真実》

　「沙織は、自分で全部を撒いたんだよ。」
奏が言った。雨が靴音をかき消した。
　「自分が死んだ後も、残したくてさ。」
その言葉の奥で、何かが軋んだ。
　響平は拳を握った。だが、問いは喉に絡まって出なかった。天は目を伏せたまま、雨に濡れた柵の奥を見つめていた。雨が屋上の鉄柵を叩く音が、遠くの町の雑踏を隠していた。響平は、紙片を指先で握りしめたまま動けなかった。
　「沙織は、何を残したんだ。」
問いは雨に消えそうにかすれた。奏はスマホを胸元で弄びながら、視線だけで答えを投げた。
　「誰もが誰かの秘密を持ってた。ただ、それを知ってる奴が必要だっただけだ。」
奏の声には、温度がなかった。