異世界に帰った想い人を待つ男と、異世界渡りで記憶と顔をなくした想い人が二度目の恋をする話

こぶじ

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第一章

8:お人好しと花1

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 昼過ぎから店舗街を延々と歩き回り、まもなく日が傾くというのに、私はたったひとつの目的すら達せていなかった。ユセへの礼の品を見計らう、たったそれだけだというのに。
 朝からずっと頭を悩ませていた。装飾品の類はさすがに重いだろう。とは言え、甘味の類では軽過ぎるだろう。せめて、彼の好みでもわかっていたら話が違うのだが、私が彼の事で知っているのは、ユセという名前と、第十三通り沿いにある酒場で働いていて、女性関係が派手で、多分首都でない地方出身なのだろうという事くらいだ。成人はしているだろうが、歳は私より五、六は確実に若いだろう。
 たったそれだけで彼の何がわかるのか。不覚にも溜め息が漏れる。まるで子供のお使いだ。
 こんなに悩んでしまうくらいならば、いっそ実家が贔屓にしている大店の外商でも呼び付けてしまった方が良かったのではないか、と心を掠める程だ。当然そんな事をすれば、あの男に探られる腹が増えるので思うだけに留まる。
 例の事件以来あの男とはほぼ冷戦状態だ。私にはもう実家に関わる気が少しも無いし、アーバインさえ赦してくれるなら、私はペイトンの名を捨てる事も考えている。

 噴水広場を中心に広がる店舗街の目抜き通りから、住宅の多い西地区方面へ抜けていくと主教会の大聖堂があり、その更を先に進めば数多くの屋台がひしめき合う大規模な市場に出る。大きな恩ある相手への贈答品を探すには、日常的に賑わう市場はどうにも不釣り合いだ。だからと言って、目抜き通りまでとって返して全て最初から熟考し直す気にはならない。この案件は後日に回そう。
 大聖堂前の民芸品屋台を横目に通り過ぎながら、このまま屋台で軽食と酒でも買って今日は帰ろうと結論付けて、思考の中心からあどけない笑顔の記憶を追い出す。
 夕刻の市場は人通り豊かだが、片隅では日中で店仕舞いをする店も多い。何の気も無しに、荷車に水桶や立て看板を積んでいる花屋らしき少年の手際良い作業に視線を滑らせていると、その少年と花束を抱えたまま談笑している長身痩躯に目が止まった。つい先程、後日に回したばかりの案件の人物が、私の記憶の中のものより大人立った表情で笑っていた。
 このまま通り過ぎてしまおうか、などとしょうもない逃げを打とうとしたが、どんな因果かユセがこちらを振り返るのが早かった。天の巡りに私自身の怠慢を見抜かれていたようで少々気不味い。

「ロードリックさん!」

 私を視界に入れると、ユセの陳ねこびていた笑顔が途端に飼い主を見つけた遊び盛りの仔犬のように緩く崩れた。私の記憶通りのあどけなさに、不覚にも胸射抜かれる。 
 花屋と一言二言交わして小さく手を振ると、仔犬は真っ直ぐ私の下に駆けてきた。ユセが軽く頭を下げると、褐色髪の愛らしいつむじがよく見えた。

「呼び止めてすみません。買い出しですか?」

 無邪気な笑顔に目が眩む思いだ。妙な見栄が出て、君への謝礼品を選びあぐねて不貞腐れて帰ろうとしていたところだ、と開け透けには言い辛い。

「少し店舗街の方を見てきたんだが、気に入るものがなかったので日を改めようとしていたところだよ」

 嘘はない。事実だ。

「じゃあこの後は帰るんですか?」

「まあ、そうだな」

 これ以上慣れない事に頭を使うのは御免だ。

「よかった」

 良かった、とは?どういう意味か目で問うと、楽しそうに細められていた琥珀色が更に薄くなり、ふへへ、と間の抜けた声で笑った。「あのさ」と言いながら、手に持っていた雑紙に包まれたの花束から数本の菫を引き抜いて私に差し出した。

「これ、少しもらってくれますか?この三色菫が特にきれいなのでどうぞ。鮮度はそんなに良くないですけど、まだ二、三日はきれいに咲くらしいです」

 たぶん売り切り品なのだろう。何度か水切りしたのかどれも茎が短いが、濃淡様々な花弁にはまだ張りがある。唐突な申し出に躊躇いつつも、礼を言って受け取る。

「私が貰っていいのか?」

「なんとなく買ってみただけで、他にあげる当てもないですし、ロードリックさんがもらってくれたら俺は嬉しいです」

 言葉通りユセは満足気だ。口振りから普段から花を買う習慣があるわけでは無さそうだし、おおかた売れ残りを義侠心で買い取ったのだろう。相変わらずの人の良さに、自然と口元が緩む。
 三色菫の控えめながら美しい咲き振りが、どことなくユセを思わせる。

「花は初めて貰ったが、思っていたより嬉しいものだな」

「ふふ。ロードリックさんってなんだか可愛いですね」

 滅多矢鱈に持ち上げる社交辞令はよく聞かされるが、可愛いと形容された事は今までなく不思議な心地になる。若さも愛想も無い私に、可愛い部分などあるだろうか。第一、可愛いのはユセの方だろう。

「……君は、人から何をもらうと嬉しい?」

 彼ならこんな事を尋ねてしまっても許してくれるのではないだろうか、という甘えた考えが私の口を軽くした。案の定、ユセは楽しくて仕方ないような無邪気な素振りで、「そういうの考えるの楽しいですよね」と声を弾ませた。

「あ。もしかして今日は誰かへの贈り物を探してたんですか?」

 察しの良さに瞠目する。

「ああ。君には言葉では返し切れない恩を受けたから、どうにか喜んでもらえるものを選びたくて商業区まで行ったが、何も良いものを見つけられなかった」

 今度はユセが目を丸くする。

「俺に?」

「そう。ユセに」

 これ以上無い恩があるはずなのに、ユセはまるでそんな事実は記憶に無いと言うように首ごと視線を斜め上に傾げた。しらばっくれてくれるな。つい先程の察しの良さはどこに行ったのか。

「この間の件です?」

「そう」

 きょろり、と右上から左上に動く琥珀色。瞼が半分下がって、それからこちらに大きな目を向けた。

「俺が勝手にやったことって言ったじゃないですか」

「そんな詭弁に納得する訳が無いだろう」

 私が苦笑いすると、ユセは「えー」と不満そうに腕を組んだ。花束の扱いに慣れていないようで、腕組みにすらもたついているのがなんだか可笑しい。口の中で笑いを噛み殺す。

「じゃあ、ロードリックさんの好きなものはなんですか?」

「私の?」

「そう。食べ物でも、趣味でも、なんでも。何かないですか?」

「好きなもの……」

 そう言われてすぐ思いつくものがないところが、如何にもつまらない私らしいと思う。しばし悩んで、「魔導具と酒」くらいしか浮かばなかった。

「魔導具、好きなんですか?」

「回路が上手く組めると気分が良い」

「あ。作る方なんですね」

「仕事が魔導具師だ」

「なるほど。じゃあそれはいつか見せてもらうとして、酒屋さんに行きましょう。近くにうちの酒場がお世話になってるお店があるんです」

 さっさと歩き出してしまったユセに驚きつつも、それに従い横に並ぶ。ユセは日の沈みかけた薄暗い市場にも慣れているらしく、足運びに迷いが無い。

「君も酒が好きか?」

「いいえ。成人してしばらく経ちますけど、実は飲んだことないんです。でも貴方からもらうなら、貴方の好きなものがいいです」

 こちらを覗き込むように首を傾げ「いいですか?」なんて囁かれて堪らず、ぐっと息を飲む。口説き文句のような言葉に反して、その笑顔は涼やかで何の含みも無い。動揺しているのは私だけらしく苦笑いと共に歯噛みする。この子は思っていた以上に危険だ。誑される女性客等が多いのも頷ける。

「……私の好みは飲みやすくないがいいか?」

「かまいません。ものは試しです。でも俺が大酒飲みになったらロードリックさんに責任とってもらいましょう」

 花束を片手に抱えながら満面の笑みを浮かべる美貌の青年の、その厄介な魔性振りに思わず溜め息が漏れた。
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