異世界に帰った想い人を待つ男と、異世界渡りで記憶と顔をなくした想い人が二度目の恋をする話

こぶじ

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第一章

9:お人好しと花2

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 ユセの言う酒屋は、市場の外れの屋台街を抜けた先にあった。店主は若かったが、私の気に入りの蒸留酒の名前を告げると、直ぐ様相性の良い乾物と共に手元に用意してくれた。目端の利く店主に勧められるがまま全て包んでもらうと、ずしりと中々の重さのある紙袋になった。こんなものをただ押し付けて終いにする訳にはいかない。

「ユセの家はここから近いのか?」

 店外に出た所で紙袋を抱えたまま問えば、ユセは警戒もせず「そう遠くないですよ」と元来た道の方を指差すので、「家まで送っても構わないか?」と端的に尋ねるが案の定危機感無くにこにこと頷いて「こっちです」と早速歩き出す。他人の悪意を疑わない事は美徳のように見えるが、あまりに頑是無い無防備さに困惑する。

「普段からそんな容易く他人に家を教えているのか?首都だって治安はそう良くないよ」

 どこまで考えているのかわからないが、ユセは微笑んだまま「ロードリックさんが良い人なのは知ってます」と、私の腕の中の荷物を指差した。荷物持ちをした程度で善性を信じられても困る。反論しようと口を開くが、その前にユセが「それに」と言葉を続けた。

「誰にでも教えてるわけじゃないからそんなに心配しなくて大丈夫ですよ」

 口振りからするに、一応は何も考えていない訳ではないらしい。さすがに子供扱いが過ぎたかと、少しばかり安堵する。

「そうか。なら私の事ももう少し疑ってくれていいよ。私こそあまりいい人間じゃない」

 君くらい人当たりが良ければ、代わりに荷物を持つ男など幾らでもいるだろう。

「そんな事ないですよ。だって、ロードリックさんって誰の誘いも受けないのにモテるじゃないですか」

「……それは関係あるのか?」

 ユセは何故か訳知り顔で、白い歯を見せて笑った。

「ありますよ。よくモテる男はたいてい、誠実な男か都合のいい男かのどっちかです」

 腑に落ちず内心首を捻る。女性達の志向もいまいちわからないし、自分自身がそれに該当するのかもわからない。わからない分際で頭ごなしに否定するのも道理が無いだろうと、私が何も言えずに口籠っているとユセは気を遣ったのか、「ちなみに俺は都合のいい男の方ですね」と冗談めかした。女性によく好かれる自覚はあるらしい。


 市場の大通りから何本か脇道に進んだ先、街灯に照らされた高い白壁があり、黒い鉄柵扉越しに中の大屋敷を指して「あそこでお世話になってます」とユセは言った。夕闇の中でも軒下に黒色で打たれた主教会の印がよく見えた。
 裏路地に多い、単身用の簡素な集合住宅を想像していたので、良くも悪くも堅牢過ぎる住まいに驚く。

「主教会の、宿舎か?」

「よくわかりましたね。主教会の職員宿舎に寝泊まりさせてもらってます」

 主教会の職員とはつまりは全てが神官だ。主教会の規則は知らないが、神官でないものが寄留して問題は無いのだろうか。

「君は主教会に縁者がいるのか?」

 こちらを見たユセは、珍しく悲しげに眉尻を下げた。そして、緩く首を横に振って「いえ。俺には家族も親類もいないので」と眉尻を下げたまま笑った。この子は悲しくても笑うのか、と柄にもなく胸が痛んだ。
 
「どこにも頼れる人がいなくて困ってたら運よく優しい主教会の方と知り合って、ここにはその方の厚意で住まわせてもらってるんです」

「それは」

 それは何か裏があったりしないか?と、無配慮な言葉を口にし掛けて黙する。慈悲深い神職とは言えただの知人を組織内部に関わる部分に招くものなのか、神官等の気風を知らない私にはどうにも判断出来ない。
 言葉を選んでいるうちに、質素ながら牢乎な黒い門扉が開き、そこから神官と思われる若い男が一人顔を出し「おかえり、ユセ」と声を掛けてきた。神官は私には警護神官の敬礼をしたので、こちらも会釈を返す。

「サイモンさん、ただいま。これから仕事ですか?」

「王城までマヌエルさんを迎えに行ってきます。ユセは今日風呂掃除ですよ」

「あ!まずい!忘れてた!」

「日勤のヤツらが帰ってくる前に済ませたら大丈夫。早く行ってきたらいいです」

 サイモンと呼ばれた神官は、ユセに軽く手を挙げて気安い挨拶すると、もう一度私に丁寧な敬礼をして大通りの方へと去っていった。ユセと神官のやり取りに険悪なものは感じられず、一先ずは安堵する。

「ここでの暮らしは楽しいか?」

 今にも風呂掃除に駆け出して行ってしまいそうなユセに、酒類の入った紙袋を渡しながら問う。ユセの形良い大きな目がきょとりと更に大きくなり、それからすぐにいつも通りにこりと笑って首を縦に振った。

「ここにいると、寂しくなることがあんまりないので」

「ここに来る前は寂しかった?」

 生誕祝い中の子供のように両手一杯に荷物抱えたユセは、また悲しげに少しだけ眉が動かしたが、何も言葉にはせずに曖昧に首を傾いだだけだった。

「これ、ありがとうございます。ロードリックさんの好きなものが知れて嬉しいです」

 そう言って酒瓶を示すようにユセが紙袋を軽く揺すると、花束の中の片栗の花が微かに香った。甘い香りがユセの繊細な雰囲気によく似合う。

「私も君の事が知りたい」

 口にしてから、これでは悪い男の口説き文句のようだと気が付くが、どうにも上手く言い直すだけの機転が私に無くただ口を噤む。やや俯き加減の彼の表情は伺えないが、前髪の間から覗く濃い睫毛がゆっくり瞬くのがわかる。

「今度、ご飯に行きませんか」

 願ってもない誘いだった。多くを考える事無く私が「ぜひ」と返事をすると、ユセが嬉しそうに顔を上げた。今までは、親しくなった所で、相手が私に失望するだけだろうと誘いを無碍にするのが常だったが、ユセに対してはその懸念が微塵もない。どうせ、私のしょうもない部分ばかり見られてしまっている。

「また週末酒場に顔を出すから、それまでに良い店を探しておくよ」

「お酒が美味しそうなところがいいですね。俺、店の常連さんたちに聞いてみます。もしかしたら選びきれないかも」

 如何にも困ったと言わんばかりの口振りが微笑ましくて、私の口から珍しく笑い声が漏れた。

「いいじゃないか。選べないなら全て行けばいい。君と一緒なら楽しそうだ。付き合ってくれるか?」

「いいんですか?」

「もちろん」

 花束を包む古紙の先を指先で摘みながら「そっか。全部行ってもいいのか」とユセが独り言つ。

「どうしよう。楽しみです。すごく」

 無邪気な笑顔と言葉に嘘が無いと容易く信じられる。「では、また週末に」と私が目礼すると、ユセは一度上体を揺らすように荷物を抱え直してから私に軽く頭を下げた。

「花をありがとう」

 私が礼を告げると、ユセがもう一度頭を下げた。その律儀さに堪らない気持ちになりながら、私は足取り軽く帰路に着いた。
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