美丈夫から地味な俺に生まれ変わったけど、前世の恋人王子とまた恋に落ちる話

こぶじ

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研究室にて

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 本日中を期限とした提出課題の紙束を自クラス分持って、放課後に国教学教諭を訪ねた。研究室の入口でその旨を伝えると、担当教諭の老熟した声でなく、低く落ち着いているが張りのある声が入室を促した。足を踏み入れるとほぼ同時に「デーンくんじゃないか」と、優しく柔らかに名を呼ばれた。なぜか講堂でマイク越しに聞くのと比べ物にならない程甘やかに感じる。

 入って右手奥、両面収納の書架が3台並ぶその合間に、見知った高貴な人を見つけた。艷やかな金糸混じりのブラウンの髪が、大振りな窓から注ぐ陽光に煌めいて後光すら見えそうだ。

「奇遇ですね、殿下。お元気そうで喜ばしいです」

 心底本音だが、言葉にすると社交辞令としか取れないな、と我ながら思う。素直に感情を乗せて笑むと、殿下も柔らかく微笑み返してくれる。

 気づかず素通りしてしまったが、入ってきた内開きの扉の陰に、見覚えのある壮年の騎士が立っていたので、遅れ馳せながら「お疲れさまです」と腰を折ると、目線で控えめな会釈をしてくれた。

「こんなところでデーンくんと会えるとは思っていなかったから嬉しい。今ウィンストン先生は席を外しているんだ。それは提出物だろう?デスクに置いておけばいい」

 常に紳士然とした王子殿下はさも当然のように俺の手から紙束を奪うと、ウィンストン先生のものであろう部屋奥の書斎机の上に置いた。

「ありがとうございます。殿下は、よくこちらにいらっしゃるのですか」

「いや。今、近代の国教会についてのレポートの参考文献を探していたんだ。学内図書館にちょうどいいものがなかったから、先生が所有している稀少本をいくつかお借りしようかと思って来たんだ」

 そ、と殿下の視線が向けられた窓際の書架机の上には抜き出された数冊の書籍が置かれている。

「ウィンストン先生がお持ちの本なんてどれもお高そうですね。俺は怖くて触れそうもありません」

 現在は学院で教鞭を執ってはいるが、ウィンストン先生は国教本神殿の大神官の地位についている。本神殿の大神官が私的に所有する稀少本がお高くないわけがない。弁償なんてことになれば俺は退学して働くしかないだろう。

「君が望むなら俺からプレゼントしようか」

 一歩近づき、耳元に吹き込むように囁かれて、どきりと心臓が不整脈を打つ。咄嗟に身を引きながら殿下を仰ぎ見ると、それはそれは楽しそうに笑んでおり誂われているのだとわかる。

「殿下は意外と意地悪ですね」

「半分は本気だ。デーンくんくらい勤勉な生徒には援助を惜しまないという話だな。君は先生方からの覚えもいいし、近年稀に見る優秀な生徒だと聞いている」

 楽しげに話すさまが、先日生徒会室で話した時より親しみを籠められているように感じ、どうにもむず痒い。「お言葉だけで十分です」と素気なくしてしまった。

「殿下はどんな文献をお探しなのですか」

 急に水を向けられたにも関わらず、殿下は楽しそうな様子を崩さない。

「本神殿内部の権力関係の変遷や、高位神官の派閥勢力図を窺えるものがあれば理想なんだが、どうにも神殿内部について書かれたものはたいてい予定調和で取り繕われていて実情が見えない」

「ああ、なんとなくわかります。国教会関連の書籍ってだいたいが経典に倣い過ぎて神聖ぶってて歪曲的ですし、それに――」

 特別意図があるわけではなく、単純に遠い記憶の中のことを思い起こしてしまいつい失笑してしまう。

「――神殿は敵が多いですからね」

 だから、あまりあけすけにものを語れない。そして、最大の敵対勢力は王室なのだが、そんな純然たる事実は言葉にする必要もなく殿下は承知している。

 前世の思い出し笑いなんていう意味の分からないことをしている俺を不審がるでもなく、殿下も薄く笑った。

「とても気になる含みを感じるな。何か良からぬことを知っているならこっそり教えてくれ」

 真剣に隠し事を疑るような声色ではなく、何か面白い言葉遊びでもしているかのような無邪気な様子だ。

「残念ながら、読書が好きな子供が得られる程度のことしか知りませんよ。チビの頃は、豊饒祭の度に神殿の書館に忍び込んで読み漁ってましたが、それでも知れるのはその程度ってことです」

 幼い日の自身の悪事を晒せば、殿下は高らかに笑った。豊饒祭は毎年、今季の豊饒を祝い、次季の豊饒を願う。国教会の神殿で行われる、王都で最も大きな祭りだ。

「読書好きな少年は放っておくと何をするかわからないな」

「育ちが悪いですからね。しょびかれるようなことはしてませんけど、顔馴染の大人にはイタズラばかりする悪ガキだと思われてました」

 悪い意味で子供らしかった俺と、品行方正な殿下では共通点の一つもないだろうなと思う。

「“優秀な生徒”が悪ガキでがっかりしましたか?」

 意地悪への意趣返しでニヤリと笑いながら問えば、「いいや」と思っていたより優しい顔をされてしまった。

「君の心根が善良なことはわかっているからな。でなければ俺の身をあれ程気にかけたりしないだろう」

 殿下の身を気にかけた、と言われて一瞬何のことかわからなかったが、先日生徒会室でのやり取りを指しているのだと思いいたり少しばかり驚いた。

「やんごとなき身分の方の身を案ずるのは当たり前のことでしょう。心根のありようとは関係ないですよ」

 俺の答えは少し考え足らずだったようで、殿下の眉根が寄った。

「当たり前ではない」

 静かに殿下の右手が俺の頭に置かれ、ゆっくりと撫でる。先日から子供のように扱われている気がするが、その手に悪意は無いのがわかるのでされるがままになる。

「所詮は立太子されていない一王子だ。軽んじられる事も切り捨てられる事もザラにある。本当の意味で俺を案じる人間は僅かだ。利害関係もなく心砕いてくれた、君の存在を心から嬉しく思う」

 どうやら殿下は俺を買いかぶってらっしゃるようだ。このまま放っておいたら俺の評価を不当に上げられて息苦しくなりそうだ。

「殿下、俺の言い方が間違ってました。あなたに安寧であって欲しいと思うのは、あなたがただ王子だからなのではなく、善良で優しい王子だからですよ」

 俺が優しいんじゃなく、あなたが優しいから、俺もあなたに優しくしたいんだ。次代の為政者が賢明で善良である事を喜んで尽くすべきだろう。

 俺が恥ずかしいくらいに大真面目なのに、当の殿下は鋭利な程の男前をきょとんとさせていて、いっそ愛らしくすらある。

「俺は善良ではない。そう思ってくれることは嬉しいが、騙してしまっているようで心苦しいな」

「え!そこ謙遜しちゃうんですか!」

 あまりにも話が噛み合わない。話題の着地点が不明なさまに、殿下相手にも関わらず間抜けなほど声を張ってしまった。「謙遜しているのは君だろう」と、真剣な顔の殿下が解せぬ様子で腕を組んだ。真に善良な人間は、自分が善良である自覚がなくても仕方ないのかもしれない。もう面倒になって、肯定なのか否定なのかわからない「いや、まあ」という相槌を返すと、殿下もこれ以上この話を続けるつもりはなかったようで、「うん」と満足気に柔らかく微笑んだ。



 背を向けていた研究室の扉が開けられる音がして、反射的にそちらを振り向いた。そこにはこの研究室の主が聖職者に相応しいにこやかさと、教師らしい矍鑠とした所作で入室して来るところだった。

「おや、見慣れぬ組み合わせだ。ジェラード殿下とトマス・デーンくんは仲がいいのかい」

 薄い白髪と対象的な豊かな白い髭を撫でながら老境の教師は、自身の書斎椅子にゆったりと腰掛ける。

「そうですね。先日知り合ったばかりですが、デーンくんは非常に得難い人材なので長い付き合いになりそうです」

 殿下はウィンストン先生に向けていた視線を不意にこちらにへ投げて、何故か意味深に微笑んだ。

「…過分なお言葉です」

 居たたまれず目が泳ぎそうになる。しかしウィンストン先生は俺をチラと見ただけで、俺の挙動不審を気にかける様子はない。

「市井から青田買いとは意外なことだ。てっきりジェラード殿下は、手堅く古馴染みで身辺を固めるものとばかり思っていた」

「私は俯瞰してみるとそのような保守的な印象なのでしょうか。自分ではわからないものですね」

「神官の立場から見れば、堅実は美徳だよ。何も恥ずべきことではないさ。まあ、若いのだから少々冒険心溢れても構わないとも思うがね」

「肝に銘じます」

 決して表立っては棘も毒も無い教師と生徒の会話だが、大神官と第一王子によって交わされていると思うと何か含みがある応酬のようにも受け取れて、部外者にも関わらず少しばかりドキドキしてしまう。


「ああ、そうだ。先程教会に決定事項として内部通達があった所だから、ジェラード殿下もすぐ知るところになるだろうが、今年の豊饒祭は王家にも一枚噛んでもらうことになったそうだよ。伝統と堅実が大好物な我が教会も冒険心溢れる時代になったんだねえ」

 書斎机上の書類に手を伸ばしながら、老成の教師は自嘲気味な笑みを浮かべた。

「ほう。それは興味深いですね」

「他人事ではないぞ、ジェラード殿下。次期王太子として訴求力の高い貴方も担ぎ出される可能性は大いにあるだろうねえ。貴方は見目が良いから民衆の目につくところに出せば若年層の取り込みもしやすいだろうなあ」

「客寄せ狒にはなりたくないものです。先んじて私に鉢が回らないよう陛下に上奏しておきましょうか」

「いやあ、陛下への根回しはあまり意味がないんじゃないか。此度の変革は公爵家が主導している。ヴィンセント国王陛下は公爵家に甘いからあちらさんが望めばジェラード殿下は差し出されるだろうね」

「ああ、それは目に浮かぶようですね」

 特に動じた様子もなく「困りました」なんて微笑んでいる殿下を横目に、俺は所在無げに立ち尽くしている。
完全に立ち去るタイミングを逃した哀れな俺は、ぼんやりと殿下とウィンストン先生を交互に見やる。

 目が合った殿下が、「そろそろお暇しよう」と助け舟を出してくれた。

「ウィンストン先生今回こちらの3冊をお借りします。今週中には返却に伺いますので宜しくお願いします」

「相分かった」

「さあデーンくん行こうか」

「はい。では失礼致します」

 背を殿下の手のひらで軽く押されながら退室し、一拍遅れて殿下の護衛騎士も後に続く。教室棟に繋がる東通路に向かって歩き出す。

「先程の豊饒祭の件、俺も聞いてしまって大丈夫でしたか?」

「構わないだろう。ウィンストン先生が勝手に言い出しただけで君が聞き出したわけでもない。第一口外しても何の旨みもない大枠だけの話だ」

「まあ、そうですね」

「それとも、新しい催しの喧騒に乗してまた書館に忍び込むか?」

 先程より更に無邪気さの増した満面の笑顔で問われて頬が熱くなった。

「…意地悪は嫌です」

 良いように誂われている事が気恥ずかしくて、目を逸らし口元をいじけた子供のように歪めてしまう。そんな悔しさを全面に押し出した顔してしまえば、殿下に尚更面白がられてしまうだろう。しかし、ちらりと睨むように殿下の反応を伺えば、予想外にも表情の無い鋭い容貌があり驚く。表情が無いのに、視線だけは異様に熱を帯びているように感じる。

「それは卑怯だ」

 囁くようにこぼされた言葉は何故か吐息混じりの弱々しい声色で、尚更意図が知れない。

「え…と、申し訳ございません」

 正直何に謝っているのか自分でもわからない。謝る事が正解なのか、答え合わせを待つつもりで殿下を凝視していると、やおら殿下の右腕が上がり、俺の左耳を殿下の手のひらが掠め、指先が輪郭を確かめるように顎先まで滑った。鍛えられた体躯に見合った、剣によく馴染むだろう硬い手のひらだ。それがひどく優しく触れたのだ。くすぐったさに首が竦み、自然と引かれた顎が殿下の指先から逃げるような形になったが、殿下は何故か少し口の端を笑みの形に持ち上げた。

「君は可愛いな」

「な、にを、仰っているのか、わかりません」

「そのままの意味だ。俺は西棟へ行くのでここでわかれよう」

「ええと、はい」

「日を改めてゆっくり話そう」

「はい、また今度」

 殿下の精悍な瞳の鋭利さは、いつもの優しげな笑顔を浮かべるとすんなり隠れてしまう。それがどこか騙されているような気になって、昂然とした後ろ姿をただただぼんやりと見送った。
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