美丈夫から地味な俺に生まれ変わったけど、前世の恋人王子とまた恋に落ちる話

こぶじ

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【おまけ】3

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 殿下はどこまでも有言実行の人だった。本当に件の宣言通り“一晩で済まない”とは思わなかった。
 例によって腰どころか全身が死んだ俺は、殿下に下にも置かない扱いでそれはもう甲斐甲斐しく世話を焼かれた。俺はあれからほとんど寝室を出ずに怠惰に過ごしてしまった。婚約者とはいえ、一国の王子にそんな真似をさせる事に罪悪感もあったが、殿下に「俺がかしずくのは君だけだ」ととろりと微笑まれてしまえば俺はもうされるがままだった。
 国王陛下の遣いが、ジェラード殿への用向きで我が家に訪れなければ、俺は今も家内に留め置かれ今もその介護のような生活をしていた事だろう。

 豊饒祭から三日が過ぎたものの、本来であればジェラード殿下は公務等に就く予定はなく、陛下の呼び立てに応じる気が本人に微塵もなかった。しかし、万が一急を要する事柄だと困るので、「婚約者のもとに入りびたり、王族としての勤めを果たしていないなんて言われたら俺も困ります」と進言した所、しばし熟考した末にやっと殿下は首を縦に振った。
 ただし、俺を伴うことを条件にだ。



 殿下の指示で用意された、高位武官用の馬車で王城に向かった。馬車の外装は控えめだが、懸架装置が付いた上等なもので揺れが少なく、前述の通り諸事情で全身を弱らせている俺としては非常に有り難かった。

 俺が同行している為、遠回りにはなるが今回も裏門側から王城に入る。そこから陛下の遣いに先導されて陛下の執務室に向かうが、陛下は謁見の間に出ていて不在だと居合わせた政務官に告げられ、殿下の機嫌がひと段階下降したのが何となくわかった。

「トマス、辛くないか?先に俺の私室に行っているか?」

 執務室を出るとすぐに、殿下らしい柔らかな声で体調を気遣われた。どうやら俺の体の事を懸念して不機嫌になっていたらしい。愛しさに頬を緩ませて「大丈夫です。殿下の用向きが済むまでお待ちしてます」と告げると、俺の大好きなヘーゼルグリーンがとろりと溶ける。
 ここ数日いちゃつき過ぎて呆けた頭に、今すぐキスしたいなあ、などと呆けた欲求が浮かぶがもちろん我慢だ。殿下の右手が俺の顎先に触れる手前まで来て、はっとしたようにその手を下ろした。殿下も同じことを考えていたのかも知れない。

「では、近くの客室で休めるように用意させよう」

 案内を終えて立ち去ろうとしていた陛下の遣いに、殿下は手短に指示を出して歩き始める。

「謁見の間の近くに広い部屋がある。そこで俺も共に待とう」



 謁見の間に近づくと、行き交う使用人たちも増えて複数の来客があるのだろう事が伺えた。

「陛下、もしかしたらすぐには戻られないかもしれませんね」

「ああ。だが、トマスといられるなら俺は構わない」

「うう。俺への威力がすごい」

 指示を伝え聞いて駆けつけた侍女に案内され、謁見の間の前を通り過ぎる。謁見中の賓客がいるのだろう。謁見の間の大扉の横に二人騎士が立っているのが視界の端に写った。そのうち片方が「あ」と勤め中の騎士にあるまじき間の抜けた声を上げた為、無意識にそちらを振り返った。

「あれ。やっぱりトマスくんじゃん」

 先日知り合ったユーインさんが嬉しそうな顔で手まで振っていた。騎士がこんなに天真爛漫でいいのだろうか。
 ちらりと殿下を見上げると、すでに王子らしい鷹揚な笑みを浮かべて俺を見つめていた。殿下は素知らぬ振りで適当に誤魔化すつもりのようだ。そりゃそうだ。殿下と俺が親しいことをいちいち説明するのも面倒だろう。藪蛇になりかねない。

「あー…ユーインさん奇遇ですね」

 あまり大声を張り上げられても困るので渋々ユーインさんのそばに移動する。

「この間のお礼できてなかったから気になってたんだよな。後で時間もらえないかな?坊っちゃんもお礼したいって言っててさ」

「いやー、改まってお礼を言われる程のことはしてないので気になさらないでください。今は連れがいますので失礼しますね」

「ええ!待ってよトマスくん」

 慌てていたようで、ユーインさんが咄嗟に力加減出来ず俺の腕を強く引いた。殿下のように逞しい人間なら何の問題もない程度の力だったのだろうが、貧弱な俺はよろけて無様にも尻もちをついてしまった。痛みに情けない声が出そうになるが、奥歯を食いしばって堪える。
 周囲の視線を一身に集めてしまい、ど偉く恥ずかしい。

「うわー!ごめんなごめんな!怪我してない?」

 すぐさまユーインさんがそばにしゃがみこんで、床について少し赤くなってしまった俺の手のひらや腕を取ってやわやわと撫でさすってくれる。

「こちらこそすみません。ちょっとコケただけで大したこと無いです。本当に大丈夫です…」

 酷く焦って俺に肩を貸そうとまでするユーインさんを両手で押し留め、俺は大丈夫を連呼する。何が恥ずかしいって、人前でずっこけたこともだが、今の尻もちで腰が抜けてしまったらしい。尻も腰も痛えし足に力を入らないしで情けなくなる。
 でも、ずっとこのままというわけにもいかない。意を決して踏ん張ろうとしたところで、脇と膝裏に腕を入れられ、ぐん、と引っ張り上げられる。愛おしい香りがしてそれが誰の腕かすぐに理解する。

「怪我人は俺が預かろう。速やかに職務に戻れ」

 俺を軽く横抱きにした殿下が、穏やかに微笑みながらも鋭い声色でユーインさんを制する。
 しかし、ユーインさんは威圧に近い殿下の声にも臆すことなく、殿下と俺を交互に見る。

「ん?もしかして、ジェッドくん?」

 なんでだ。この人、無駄に勘がいいな。

「あの、ユーインさん、また後で。また後でお話しましょう。お礼も喜んで受け入れますんで」

「あ、本当?良かったー。主に許可取れたら行くね」

 俺にしか聞こえないくらいのささやかな溜め息を吐いた殿下は、通路先にある豪奢な扉を指して「あの部屋に来い」と言い置いてその場を離れた。





「トマス、痛みはどうだ?」

 柔らかく清潔なベッドに寝かされた俺の髪を、殿下の胼胝のある大きい手が撫で梳いてくれる。心地良くてまぶたを閉じてしまいたくなる。

「じっとしていればだいぶ楽です。ありがとうございます」

「間もなく侍医が来る。よく見てもらえ」

 心配気な殿下の瞳がゆっくり近づいて、「守ってやれなくてすまなかった」と囁いてから、俺の唇を軽く食んですぐ離れた。

「俺はお姫様じゃないんですから、殿下がいちいち守らなくていいんです」

「俺が守りたいんだ」

 殿下が自身を責めるようなことを言うのは少し気が咎めるが、俺を大切にしてくれていることは嬉しい。口元が緩んでしまう。

「じゃあずっと守ってください」

「もちろんだ。命に代えても」



 寝室の扉が叩かれ、殿下が許可を出すと殿下の護衛騎士がユーインさんともう一人の若い赤毛の男を伴って入室した。護衛騎士は二人を殿下の真面に立つよう促し、自身は扉横の定位置についた。

 寝台に横になっている俺を見て、ユーインさんがぎょっと目をむいて明らかに慌て出した。

「うわ!トマスくんの怪我そんなに悪いのか?私のせいでごめんね!」

「いえ。大したこと無いんです。大事をとってこうしてるだけです」

 俺が上体を起こそうとすると、すぐに気付いた殿下が背に二つ枕を当てて丁寧に起こしてくれる。「ありがとうございます」と礼を言うと、とろりと蕩けた瞳に覗き込まれたまま額に口付けられる。「ジェッドくんそんな感じなのか」となぜか感心したように言われて羞恥で変な汗をかく。

「ユーイン、お前はひっこんでろよ。まじでお前不敬で首飛ぶぞ」

 赤毛の男が力まかせにユーインさんの肩を拳で殴って下がらせる。かなり自然な動きなのでいつものことなのだろう。

 姿勢を正した赤毛の男は、半歩前に出て恭しく王族に対しての礼をとる。それを受けた殿下が、泰然と頷き発言を促す。

「隣国バフェルのリーデン領を治めておりますダグラム子爵家の嫡男、コンラッドと申します。此度は病に伏していた所、殿下のお連れ様のお心遣いを頂きました。その機転に大変感銘を受け、ぜひ謝辞を述べたく参じました」

 その名乗りを聞いて、はた、と気付く。「坊っちゃん」って子供じゃないのか。どう見てもユーインさんと同じ年頃、俺より十は上だろう。
 俺は勝手に子供の手助けをした気になっていただけのようだ。

「ジェラード殿下、お連れ様と少々お話させて頂いても宜しいでしょうか」

「構わない」

 殿下が俺を振り返り「トマス、君の話したいように話していい」と言い置くと、寝台近くの椅子に腰掛け静観の姿勢を取った。

「トマス様、先日は繊細なお気遣いを賜り、恐悦の極みでございます。つきましては後日僭越ながら御礼の品を奉じさせて頂きたく思います。ご希望の品など御座いますか」

「コンラッド様、このような不躾な格好で申し訳御座いません。私の稚拙な提案が、少しでもコンラッド様の療養のお役に立てたのであれば幸いです。ただ、今回の件の功労者は私ではなくユーインさんですので、もし私のわがままを聞いてくださるのであれば、私ではなくユーインさんにご褒美を差し上げてください」

「謙虚過ぎるよ。トマスくんの気遣い、すごく役に立ったんだ。あれから坊っちゃんすんごいナツメ気に入っちゃって、今朝も食べてたよ。私毎日買いに行かされてさ」

 今度は太腿を殴られている。痛そう。

「口の聞き方に気をつけろ。正統な王族のお相手だぞ」

「でも急に態度変えられたら嫌じゃない?トマスくん」

「コンラッド様とユーインさんの楽なようにしてもらって構わないです。俺はこちらのジェラード殿下の庇護を受けているだけで、俺自身はただの平民です。気安く接して頂けることも嬉しく思います」

「しかし貴方様は…」

 言い淀んだコンラッド様が気まずそうに目をそらし、しばし沈黙が続いた。まるでそれを救うかのように、寝室の扉が叩かれ侍医の到着が知らされた。

 殿下が悠然と立ち上がり、二人の客人を見る。

「コンラッド卿、ユーイン卿。二人には残念だが、トマスは侍医の診察を受ける。面会は終了だ。“我らは寝室の外で話をしよう”」
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