友達の妹が、入浴してる。

つきのはい

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◇ ◇ ◇

「俺が付きまとう意味は……?」

 夏弥のその言葉に、美咲ははじめから答えを持っていたかのように反応する。

「キモい感じで付きまとってくれたら、それを見掛けた犯人が自己嫌悪になってくれるかもしれないでしょ。「うわ、自分もあんな感じでキモいんだ……」的な」

「……なるほどね。ていうか、俺すごいこと言われてない?」

「自己嫌悪っていうか、まぁ夏弥さんを見て引くだけかもしれないけど。それはそれでアリ。変な人って、自分より変な人見たら冷静になると思うし」

「あれ、やっぱり俺、ひどいこと言われてるよな?」

「まぁ、その、全部夏弥さんの腕次第なところあるから。キモい感じでお願い」

「あ、これ気のせいじゃないわ。バカにされてる。決まりだ決まり」

「そんなことないし。……ていうか、無理ならいい。あたし、別に助けてほしいわけじゃないし。こういうのも今までたくさんあったから、気にしても仕方ないことだってわかってるよ」

 半分は諦めモードなのか、美咲の目はどこか遠くを見つめているようだった。

 美咲の整い切った顔には、憂いに浸ったそんな表情がよく似合っている。けれど会話の流れからしてその美しさはかえって夏弥を煽るだけだった。

「わかった。いいよ。それやる」

「え、やるの?」

「キモい感じで美咲に付きまとって、変人のナニガシ君をドン引きさせればいいんだろ? たぶんいける」

「そう、だけど。夏弥さんも大変だね」

「お前が言うな」

「ふっ。……それで、今日は夕飯何作るの?」

「ああ。特に考えてなかったけど、パスタにするかな」

 夏弥は腕を組んで考え始めた。

「ふぅん。パスタね」

「何? なんか要望あった?」

「いや。パスタの何かなって思ったから」

「そうだな。じゃあ今日はイカスミパスタ――「は?」

 ――は、そもそもイカスミがなくてできないから、……あ! じゃあサッパリめに和風ポン酢――「えっ」

 ――も、ポン酢切らしそうだったからやめて、じゃあここは王道のミートソース――「ええー」

 ――いやもうハッキリ言ってくれ。そこまで話の腰バキバキに折られるくらいなら、オーダーされたもの丹精込めて作るから」

「そう? ……じゃあ、あたし今日はカルボナーラがいい」

「はい、カルボナーラね。……最初からそう言えばいいのに」

「……うるさい」

 最近、美咲はカルボナーラにハマっているらしい。
 確か先週のパスタもカルボナーラだった。
 だからこそ、夏弥は同じメニューを自然と避けていて名前をあげなかったのだ。

 もちろん、デリバリーやコンビニのものではなく、夏弥の作るカルボナーラに限ってハマっているらしい。胃袋をつかむことは、やはり罪である。

「カルボナーラ、一皿千五百円になります」

「え」

「一皿、千五百円です」

「たかっ。今、現金とか持ってないんだけど」

「あぁ。クレジット払いはお断りしてまして――

「うざっ! 今時キャッシュレス不可とかありえないんだけど。……ていうか、なにこの茶番。意味わかんないから。あたし、部屋に戻る!」

 ダンッ! と勢いよく美咲の部屋の戸が閉められてしまった。
 いくらなんでも、夏弥は調子に乗りすぎたのかもしれない。
 夏弥は反省した。

 それからしばらくして、カルボナーラのとろけるような良い匂いが、キッチンからリビングへとただよいはじめる。すると、まるでお腹を空かせた犬のように、美咲が部屋から出てくる。

 先ほどの、ダンッ! は一体なんだったのかと不思議に思えてしまうくらい、美咲は自然とリビングのソファに腰かけていた。

 さて、カルボナーラは奥が深い。
 たまごや牛乳、生クリームなどなど、特にソースはこだわりだすとキリがない。

 だからこそ、即席タイプの安いソースに少し手を加える程度が、もっとも効率が良いことを夏弥は理解している。

「よし、できた」

 美咲仕様の半熟たまご・オン・カルボナーラが、二つの皿に盛り付けられる。

 レタスやトマトなどのサラダ盛り合わせもしっかりと用意していた。

 美咲はたまねぎドレッシングが好きなのだけれど、かける量はその時の気分による。ちなみに夏弥は青じそ系ドレッシングが好みなので、サラダを出すときにはいつもテーブルにサラダ用ドレッシングの容器が二種類並ぶ。

 夏弥は、ドレッシングを勝手にふりかけて食卓に出したりはしない。

「勝手にかけないで」と「いやかけておいてよ」の二択は、よく衝突や気まずさの理由になりがちだ。

 料理によって「かけておく・おかない」は、夏弥と美咲で捉え方が異なるものだし、ある程度の時間をかけて歩み寄らなければ、こういう生活習慣の違いはそれなりにストレスを生む。

 だから、料理についてのこの機微でいえば、夏弥はとっくに美咲を理解していて、「美咲のために尽くしている」と言えるのかもしれない。

「カルボナーラ。はいどうぞ」

「うん」

 湯気の立つその皿をリビングのローテーブルに置く。
 ご注文の品を出された美咲は、特に謝辞を述べることもなく、銀のフォークにくるくると麺を絡ませはじめた。

「今日は、少しだけ砂糖を入れてみたんだ」

「うん……。良いね」

「それだけ?」

「味付け、甘いね」

「ありがとう。……ん? それって、隙があるほうの「甘い」?」

「いや、味覚的なほう。……ていうかさ、あんまり食べてるとき、あたしの口とか見ないでよ。……なんだか…………でしょ……」

「あ、ごめん。だな」

 美咲に指摘され、夏弥は無意識に注いでしまっていた視線をそらす。

(少し無遠慮だったかな)

 物を口に入れるシーンというのは、ひょっとしたら女子が日常の中で一番無防備になる瞬間なのかもしれない。いや、日常で見ることのできる刺激的なシーンと言ってもいい。

 夏弥は、自分の下心に火がついてしまう前に、さっさと目の前のカルボナーラを食べてしまおうと考えた。

 麺とソースの上に乗った半熟たまごの薄皮を、フォークの先で割る。
 どろっとした溶岩みたいな半熟の黄身が、あっという間にその皿を制圧していく。

(我ながらかなり上出来だな。正直有料でもイケそうなくらいだ)

 チラッと美咲のほうを盗み見ると、かなりお気に召したのか、時々にっこりとしている。
 そんな美咲を見て、夏弥のほうもつられるように口角をあげた。

 こんな場面でくらいは、冴えない夏弥も天狗になりたいのである。


◇ ◇ ◇


 その日の夜、夏弥はうまく寝付けなかった。

 ベッドで眠る体勢をとりつつも、「キモい感じで付きまとう自分」というイメージが入眠を邪魔していたのだ。

(キモい感じでって何? ハァハァ言いながら尾行しろってこと……? 無理だろ。俺はそういうの、したことないし。大体ハァハァとかできない。秋乃じゃないんだから)

 夏弥のそんな心の声に、「なつ兄、その場に居ない妹をコケにしないで?」なんて秋乃の悲しい声が聞こえてきそうである。

 暗いリビングの中、モノクロウサギの描かれたいつもの壁掛け時計から、またチクタクと秒針の動く音が響いてきていた。

(美咲は二番目の妹みたいな存在だ。妹相手に、誰が荒い息遣いなんてできると思うんだ……? 確かにアイツは見た目もかわいい。

 そんなことは百も承知だけど、小さい頃から知ってるっていうだけあって、もうほとんど俺のなかじゃ秋乃と変わらないポジションだ。

 血の繋がりとかないし、そりゃあ前に乾燥機で下着見つけちゃった時とか、車に轢かれそうになった美咲を引き寄せた時はドキドキもしたけど……。……うん、それはそれでおかしいな。さっきの夕食の時もそうだ。俺はどうかしてる時がある。……考えるのはよそう)

 夏弥が、こうしてあれこれ考えている間。引き戸を隔てた向こう側。
 自分の部屋でベッドに就いていた美咲も、夏弥と同じく悶々と思考とめぐらせているところだった。
 もちろん、そんなことを夏弥は知る由もないのだけれど。

(明日から無駄に帰り道でキモい感じにならないといけないのか……。これも、洋平の言うところの「尽くす」に入るのか? 

 だとしたら本当に茨の道だな……一歩目から足の裏がトゲだらけになりそうなんだが。洋平、見てるか? もうすでに限界の予感しかない)

 夜が更けていくなか、夏弥は憂鬱な気持ちのまま眠りに就くしかなかった。
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