友達の妹が、入浴してる。

つきのはい

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◇ ◇ ◇


 九月第二週のある日。お天気は曇り空。
 先日山田先生が告知していた通り、その日は避難訓練・防災訓練が行われる日だった。

 とは言っても通常通り、授業が行われることに変わりはない。

 概要としては、授業中に突如として校内サイレンが鳴り響き、みんなで行列を成してグラウンドへぞろぞろと移動する。というものだ。

 そのけたたましい「ウ~~!」というサイレンは、いつ頃鳴らされるのか一切明かされていなかった。

 ただ、去年のデータがあれば話は別である。

 去年何時頃に鳴ったのか。そんなトリビアともウンチクともつかない無駄情報を記憶している者が、大抵クラスに一人は居るもので。
 その筋の情報から、おそらく十時頃に鳴るんじゃね? という情報が、クラス内ではまことしやかに囁かれていた。

 しかし、ぬかったことにサイレンの音量までは誰も覚えていなかった。

 その結果、予想通りの時刻にそのやかましいサイレンが鳴り響くも、生徒達の両肩は約束された未来のようにビクッと浮いてしまうのだった。


「はーい、それじゃあ二列になって。はーい。みんなぁー。静かにしろー。騒ぐなゴルァー」

 担任の山田先生に言われるがまま、夏弥達二年生は廊下で列を作り、移動しはじめる。

 普段ワチャワチャと騒げるだけのスペースがあった廊下も、みんなで出てみるとこんなにもかってくらい狭い。

 そして、列の並びが五十音順であったために、夏弥の前には月浦まど子が立つ形になっていたのだった。

「ねぇ、藤堂くん。避難訓練て、ちょっとワクワクするよね」

「え?」

 移動中、不意にまど子が振り返り、三つ編みを軽く揺らしながらそんなことを告げてくる。

「非日常感があるというか……」

「あ~、確かにね。普段はずっと授業アンド授業だからなぁ」

「席に座ってると、やっぱりどうしても退屈で眠たくなっちゃう時があるし、ワクワクすることも少ないのよね。授業は授業で楽しいんだけど」

「だね。俺なんてずっと眠いし」

「あはは。藤堂くん、やっぱり眠そうにしてる時あるよね?」

「やっぱりって?」

「隣で藤堂くんの頭がフラフラしてると、あ、藤堂くん眠いのかなぁ。って思ったりするから……」 

「いやはや……これはお見苦しいところを…………あははは」

 夏弥とまど子が、そんな風に話していると――

「コラお前ら! 火災から避難してる最中もそうやって笑ってるつもりか⁉ そんな余裕ぶっこいて全身丸焦げになっても先生知らないからな⁉ 置いてっちゃうんだからな⁉」

 山田先生にギャンギャン叱られたのだった。

 訓練中におしゃべりは禁物である。
 小学校の時点で例の条項を習ったはずだ。

「おかしも」とか「おはしもて」とかいう、なぜか地域によって覚える項目が一個多いアレだ。

 それから、ぷんぷん怒っているヤマセン先導のもと、夏弥達はグラウンドへと向かった。

 グラウンドにはすでに他の生徒達が集まっていて、みんな軍隊のように並んでいる。


「さっむ~……今日カーデ着てくればよかったぁー」
「今日って体育館じゃないのー? これ、ほとんど雨天でしょー?」
「うちの県は曇り空のこと快晴って言ったりするからな……」


 グラウンドに出ている生徒達は、思い思いにしゃべりまくっていた。

(ああ、もう関係ないんだなぁ……あの「おかしも」とか、そういうやつ)

 口酸っぱく言われていたさしもの条項はどうしたというのか。
 ヤマセンが単に生真面目な性格をしているんだな、とも夏弥は感じていた。

 しばらくして、三條高校の全校生徒がグラウンドに大集結。

 一年生から三年生まで全員がその土を踏んでいて、前の檀上には一本気合の入ったマイクが立てられてあった。そのそばには、髭をもっさり蓄えた校長先生が立っており。

「ゴホンッ。えー、みなしゃん。本日は大変お日柄もよく、防災訓練にふさわしい陽照りとなりまして――

 ※前述したけれど、お天気は曇り空である。

 さて、この陶芸家のような見た目をした校長先生の長話がスタートして、数分経った頃のことだった。

「ねぇ、なつ兄。…………ねぇ! なつ兄ってば!」

「ん? ……え? ああ。秋乃か」

 どういう列の配置なのか、この時、たまたま夏弥の隣には秋乃が立っていた。

 癖のある黒髪天然パーマに、前方のまど子よりもやや大きい黒縁メガネ。
 それに夏弥は、高校指定のブレザー服を着ている秋乃の姿を、とても久しぶりに見たような気がしていた。

「ちょっと、今話せる?」

「なんだよ? ……こんな時に」

 コソコソと話し始める藤堂兄妹。
 訓練中、おしゃべりがはばかられると言っても、周りの生徒達も割とそこそこ話していて、移動の時ほど厳しく見られているわけではなさそうだった。

「あれから洋平とどうなってる?」

「どう……って……」

 そう。秋乃は、あの化学準備室での揉め事に巻き込まれてから、その詳細について、今日の今日まで一切尋ねてこなかった。

 中身まで触れるのは野暮だと判断していたのか、単に関心がなかったのか。
 それは夏弥にもわからないことだった。

「洋平とは……現状維持って感じかな。別に仲が悪くなったわけじゃないよ。ちゃんと、あの後お互いに謝ったし」

「へぇ~……。そっかそっか。まぁ、仲が悪くなってないなら、私はそれだけで十分なんだけどさ。それにしても早くない? 仲直りするのが」

「……。うん。ていうかさ、あくまでアイツの考えを聞いただけで、明確に仲直りしたのかって訊かれると……」

「仲直りしてないんだ? ……じゃあ、また悪化するかもしれない。と……」

「色々あるからな。……ただ、喧嘩はもうしないから」

「……。色々ある、ね」

 秋乃のその言葉に、夏弥は少し胸の奥がちくちくする想いだった。

 美咲と付き合っていることが洋平に知られれば、夏弥と洋平の間にはまた亀裂が入るはずだ。

 これは夏弥でも簡単に想像がつく。

 しかも秋乃は秋乃で、夏弥と洋平の仲は絶えず良いものであってほしいと思っている。それは幼い頃から現在に至るまで、固く一貫してきた気持ちなのだろう。

 その気持ちを思えば、夏弥の後ろめたさに拍車がかかるのも自然なことである。

 さて、夏弥は今この瞬間まで、秋乃の一貫されてきたその想いを感じていたのだけれど。

「――洋平との仲が微妙なら、のかも……」

「え?」

 秋乃のその発言に、夏弥は驚きの声をあげてしまう。

(ちょうどいい、ってなんだよ……?)

 まるで夏弥と洋平が不仲であることを望んでいるような言い草。
 夏弥は不思議に思い、気が付けばそのまま秋乃に話し掛けていたのだった。

「ちょうどいいってお前もしかして…………洋平と何かあったのか?」

「え⁉ あ、いやいや。別になんもないよー」

 秋乃はえへへ。と白々しい笑みをそこに浮かべていた。
 黒髪のパーマを片手でもしゃっと触り、メガネの奥の瞳を泳がせていて。

「…………」

「あ、それよりなつ兄。聞いたよ? 最近、美咲ちゃんと一緒に学校来てるんでしょ?」

 思いついたように、秋乃はそんな話題を夏弥に振る。

 土壇場で変える話題のチョイスとしては、なかなかに上出来である。なぜなら、そちらの話題も巷では十分ホットニュースだからだ。

「……。そうだな。一緒に学校来てるよ」

「それってどういう風の吹き回しなん? 美咲ちゃんから言ってきたの?」

「いや……それは……。ちょっとここだと言いにくいっていうか……」

「そうなんだ……。じゃあそれを聞くって意味で、今日の夜に行っていい?」

「え。そっちって……俺達のいるアパートの方?」

「うん」


 秋乃は前を向きながら軽く返事をする。それから、

「…………私もなつ兄に相談したいことあるしね」と、小声でそんなことを言うのだった。


「相談……? 秋乃が俺に?」

 秋乃のボソボソとしたその声のボリュームに、夏弥は確認の意味も込め、で訊き返していた。

 そう。大きめの声で、訊き返してしまったのだ。

 すぐそばに、どういった人物がいるのかもよく確かめずに。

「秋乃ちゃん……?」

「あっ」

 夏弥の前に立ち、背を向けていた女子。その月浦まど子が振り返り、なにやら後ろでごにょごにょとやっていた藤堂兄妹に目を向ける。

 ああなんてこと。
 夏弥と秋乃の会話から、まど子は後ろに秋乃(※美咲)がいるものだと思っていたのだ。

 だけれど、振り向いた先にいたのは夏弥と、真の秋乃。
 美咲本人でもなければ、秋乃に変装した三つ編みヘアの美咲でもない。

「秋乃ちゃん……て。……え?」

「ん? なつ兄、この人……私のこと知ってるんだ?」


「あ、えっと……ん? ……これは…………ん⁉」


 夏弥の脳内が、音を立てるようにこんがらがる。

 どっちにどう説明したらいいのかわからなくなる。

 まず、美咲が変装していた件をまど子に打ち明けるべきか。秋乃に、まずはまど子を紹介するべきなのか。こっちにああ言うか。あっちにこう言うか。

 夏弥はまど子と秋乃を前にして、一瞬パニックになりそうだった。

「…………」

 数秒の沈黙。
 その間に、夏弥はこの場の段取りを整理する。
 混乱した脳みそでも、しっかり働いてくれたのは奇跡だったかもしれない。

 そうして、まずはこれまでの事情を踏まえ、まど子に謝罪をしたのち、秋乃を紹介すべきだと判断したのだった。

 ここで関係性の複雑さに発狂しなかっただけ、まだ夏弥は偉い。

「ごめん月浦さん。本当にごめん!」

「藤堂くん……?」

 夏弥はまど子の前で思いっ切り頭を下げた。

「な、なつ兄どうしたの⁉」

 秋乃は、隣で謎の謝罪を始めるお兄ちゃんに対し、困惑の色を隠せない。
 また、一方的に謝罪されたまど子のほうも、戸惑いを隠せずにいて。

「と、とりあえず後でいくらでも質問受けるし、事情も説明させてもらうんだけど……月浦さん。……こっちにいるのが、実は秋乃なんだ。……俺の…………本当の妹です」

「えっ? ……えぇぇぇ⁉」

 びっくりしすぎて大きな声をあげるまど子。
 片手を口にあて、若干その身をのけぞらせ。

 ここまで見事に「オーマイガッ」みたいなリアクションを体現できるまど子は、将来舞台俳優として世界に羽ばたけるのかもしれない。もちろん彼女にそんな夢はないけれど。

「そこぉ‼ 静かにしなさぁい! 校長先生がお話しているんですよ⁉」

 すかさず、ずいぶん前の方にいた教頭先生がメガホンを使って注意してくる。
 怒号とはこういうセリフのことである。

 まど子は、本日二度目の注意とあって、一気にしゅんとした。

「……?」

 さて対する秋乃のほうは、なぜか自分の名前で驚くまど子の様子に、やっぱり困惑し続けていた。

 謎も謎。

 これまでの人生、ここまで純度100%の不透明感を抱いたことはない。といった顔をしている。そして、

「どうしてそんなに驚いてるんですか……?」

 と秋乃がまど子に質問をするも、すぐさま夏弥が横からフォローに入った。

「あ、まぁまぁ秋乃。これには複雑怪奇に絡まったパソコン周りのコードみたいな理由があってだな……。お前にもあとでちゃんと説明するから。だから今は、とりあえず受け止めておいてくれ…………。お願いします」

「ふぅん。そうなん……? まぁ、あとで説明してくれるならいいんだけどさ」

 今ひとつ納得いかない様子の秋乃だったけれど、一応は夏弥の言う通りにしておこうと思ったらしい。

 そんな秋乃を見て、夏弥は自分を戒めていた。

(……俺と美咲が蒔いた種だけど、そのツケがよりによってこんな防災訓練中のタイミングで回ってくるなんてなぁ……)

 本当にその通りである。

 念のため改めて注釈をいれるが、これは校長先生が未だに延々お話を続けている最中でのことだ。

 いくらそのお話の果てが見えないからといって、校風が自由だからといって、先生がロクロの一つでも回してそうだからといって、なんでもアリなわけではない。そのことをお忘れなきよう私語は慎むべきである。

 ちなみにその頃、美咲はというと――――。

「ねぇねぇ、みちゃん! 今日の実技指導。代表で鈴川先輩が出るってマジなの?」

「え? そうなんだ? ……知らなかった。てか、興味もなかったけど……」

「ぷはっ。冷たすぎない? 秋風みたいに冷たいじゃん」

「なんでもいいけど、アイツが消火器使うってこと? それならもうあたし教室戻ってていい?」

「ダメに決まってるでしょ。ウチと一緒に見届けてってよ⁉」

 名簿順などどこ吹く風。
 クラスメイトである戸島芽衣と、フリーダムな雑談に明け暮れていたのだった。
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