Apricot Candy ～黄金色の瞳は夜に濡れて～

068

「僕の家は古い歴史を持つ、とても悪い組織だ」
「……マフィアなの？」

　深く息を吸い、迷った末に訊ねた。日本では反社会組織というとカルト集団か暴力団くらいのものだけれど、どちらも世界的凶悪犯罪とは言いがたい。なぜなら、日本は信仰と軍隊を棄てた国だから。だから日本人は、世界的に見ても危機感が低い。
　彼は短く首をふった。

「秘密結社って、わかる？　目標を掲げて存続させ、敵対組織と殺し合いをする。でも内輪揉めがいちばん酷い。小さな、とても小さな、戦争の絶えない宗教国家みたいなものだよ。今はもう、何が何だかわからない……って、それは僕か」

　彼が日本人なら、悪い冗談か笑い話にもなる。ありえないから。でも、この国ではありえないことが、世界でもありえないのかというと、決してそうではない。

「酔ってないよ」
「ええ。わかってる」

　真面目に、うちあけ話をしているのだ。

「あなたは、正教と徴兵制度のある国から来たのよ。そういう人たちがいても、不思議じゃないわ」
「犯罪者だよ」

　困ったという顔で、彼が苦く笑う。

「人里を襲うような事はないんでしょう？」
「それを取締ったりもするよ」

　私も少し笑って、逞しい腕を撫でる。

「時代のせいよ」

　彼は首をふった。

「もう何世代も前からだ、関係ない」
「正義は、戦争に勝った側が定めた常識。それだけよ。あなたは悪い人じゃないわ」

　泣きそうに眉を絞り、かぶりをふって彼が離れる。思いつめた瞳が、熱く潤んでいる。すがるように手を掴んだ。ふりはらう彼の仕草は、とても痛々しかった。

「僕は……だめだ、僕は悪い人間なんだ。きっと嫌いになる」
「ミーチャ」
「いいか」

　彼はまっすぐ私を見おろし、人差し指を立てた。まるで、私がおばけかなにかみたいに、怯えている。

「君は僕を嫌いになる。だけど、君を守ってあげられるのは僕たちだけだ。タツオとすばるを頼れ。ふたりは、ふたりだけは、本当のいい人間だから」
「ねえ、ミーチャ」

　長谷は義姉だからわかる。日高が彼の実家とどうつながっているのかわからない。けれど、些細な疑問だった。彼の痛みに、胸が破れた。黄金の瞳がゆれる。傷ついている。私よりもずっと。
　手を伸ばした。けれど、そっと、押し返される。

「まりえ。約束して。僕を許せなくても、タツオを信じるんだ。君の望む形でなくても、タツオは絶対に守ってくれる。約束だまりえ。君は彼を頼って────」

　私は奥歯を噛み、逃げる彼の手をつかまえ、その甲に唇をおしあてた。彼はまた口を噤んだ。大きなてのひらはふるえていて、冷たい。ずっしりとした指の重みを、とても頼りなく感じる。やっとまともに話せるようになったと思ったら、彼は自分を卑下してばかりだ。頭にきた。私の好きになったひとがまるで不幸なようで、悔しい。頑丈な身体と、素晴らしい才能と、愛される人柄。これほど恵まれたひとなのに、いったい何が彼の価値を曇らせているのだろう。
　きっと痛みだ。彼の傷は、膿んでしまっている。

「誓うわ、ドミトリー・クズネツォフ。あなたを敬い、信じます」

　わずかに唇を浮かせ、強く、肌に刻むように囁く。彼が息を呑んだ。もう一度、誓いのキスをくり返す。彼が認めるまで、顔をあげるつもりはなかった。

　ああ、きっと、私の役目ではない。出すぎた真似をしている。だけど、彼の傷を、開いてあげたい。どうせ誰よりも早く死んでしまうのだから、痛みを引取って、消えてしまおう。隣に立つより、ずっと相応しい。
かたく目を閉じた。
　涙が出そう。

　大きな手に頭を包まれた。角度でも確かめるように、ゆっくり、髪を撫でて、彼は指先で私の耳朶を挟んだ。誓いを、彼より先にしてしまったけれど、受け取ってもらえたらしい。
　顔をあげる。彼は少し目を丸くして、とても無防備な表情で、一筋の涙を流していた。とても美しかった。