彼と私と甘い月

藤谷藍

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予兆

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次の日の朝も、変わりなく出勤して帰りに買い物をしてマンションのロータリーにある樹木を通りがかった時、花蓮はふと視線のようなものを感じて足を止めた。
周りを見渡すが特に変わった様子もなく、気のせいかとそのまま警備員とコンシェルジュに挨拶をしてマンションに帰ってきた。
俊幸が帰って来る予定の水曜日の朝、駅で電車を待っていると、やはり昨日と同じような視線を感じる。
どこかおかしかったかしらと慌てて服装点検するが、スカートがパンストにかかっているわけでもなく、伝線がはしってるわけでもない事を確認してホッとする。視線は敵意を持ったものに思えず、ただ観察している、という感じなので自意識過剰気味なのかもと気にしない事にする。
そして夕方、今度は最寄りの駅から出た途端から気配を感じた。周りを見渡すも、人が多すぎて視線は特定できない。やっぱり敵意は感じないが昨日より嫌な感じがする。
今日は俊幸が帰って来る日だ。昨晩の電話では気のせいだと思って何も言わなかったが、やっぱり今夜ちょっと相談しようと決めながら、そのままスーパーに寄って買い物を済まし、マンションに向かうと樹木の茂ったロータリ前のベンチあたりで声を掛けられた。
「すいません、ちょっとお尋ねしたいんですが。」
花蓮が振り向くと、若い20代後半ぐらいの綺麗な女性が携帯を片手にベンチに腰掛けている。
携帯を切ったその人は立ち上がって花蓮に近づくと、手前まできて花蓮を値踏みするように上から下までじっと見て、花蓮が訝しそうに視線を返すと、おもむろにどこか居丈高に質問してきた。
「このマンションに最近引っ越しされてきた方ですよね。私もこのマンションに住みたいと思っているのですが、どこの不動産屋で紹介されたか教えてもらえませんか?」
この質問に花蓮の中の警戒警報がいっぺんに鳴り出した。
突っ込みどころ満載のこの質問に、若い女性は自分の質問が花蓮に不信感を与えたとは微塵にも思っていない様子で早く答えろとばかりに威圧的に見てくる。
花蓮はスッと姿勢を正し威圧感を撥ね付けると、丁寧だが頑とした態度で質問を質問で返した。
「失礼ですけど、どちら様でしょうか。何処かでお会いしましたか?」
「もちろん会ったことなどないわよ。」
花蓮の毅然とした態度に多少たじろいだ様子で急いで質問を繰り返す。
「そんなことより不動産屋の名前を教えてちょうだい。この付近の不動産屋は扱ってないと言うのよ。一体どこを仲介しているの?」
「いえ。ですからどちら様ですか?」
「誰でもいいじゃない、いずれ近所に引っ越してくるかも知れないんだから、近所のよしみで教えてちょうだい。」
と言葉遣いも乱れ、言っている事も全く意味を成さないのにごり押しで聞いてくる。
その時彼女の後ろに足音が聞こえて、
「どうかしましたか?」
と言う警備員の声が聞こえた。すると彼女は慌てて振り向かず花蓮に向かって、
「ああ、じゃあまた。」
と言ってそそくさのその場から足早に立ち去った。
警備員が警戒を解かず花蓮を気遣ってくる。
「大丈夫ですか、何かお困りですか?」
花蓮は少し考えて、正直に今起こった出来事を報告した。
すると警備員は周りを鋭く見渡して、肩のスピーカーらしきものに向かって話しかけ、頷いてから花蓮にマンションまで同行して写真を確認して欲しいと言ってきた。
花蓮が快諾すると、そのまま警備員室に通された。
そこには前に俊幸が声をかけていた前川警備員がいて花蓮を気遣ってとりあえずお茶でも入れましょうかと聞いてくる。
花蓮が、それより長くなるようなら一旦家に帰って冷蔵庫に買った物を仕舞ってきて良いか、と尋ねると、
「ああ、そうですよね。どうぞどうぞ、では後でこちらにもう一度ご足労頂けますか?こちらもちょっとオーナーに確認しておきます。」
と言って開放してくれた。花蓮が所用を済まし、また戻ってくるとすぐさまお茶が出てきて写真を何枚か見せられた。
「この中に先ほど声をかけてきた女性はいますか?」
花蓮が最後の写真を指差すと、頷いて何があったか覚えている限り正確に話してほしい、と手帳を取り出した。
どこか堂に入ったその姿に、
(もしかして元警察関係?)とふと思いつく。花蓮が起こった出来事を手ばやく話すと、的確に質問してきて花蓮が想像した通りの結論を出した。
「あなたを新しい住人だと特定してきたということは、つまり彼女はこのマンションをずっと定期的に見張らせておいて、マンションの住人のリストを把握していた事になりますな。今朝の駅でも視線を感じたのだとしたら、あなたの勤め先まで調べ上げている可能性もあります。ただ質問の内容から察するに、あなた個人に興味があるのではなくて、あなたがどうやってこのマンションに入居したか、その手段に興味があると思われます。ですから危害を加える気はなく直接あなたに接触したのでしょう。う~んですが今はその気が無くても、この手のストーカーは欲しがる物が手に入らないと強硬手段にうって出る可能性が多大です。問題は、白河さんが彼女に声をかけられた時、相手が携帯で誰かと話していたようだとおっしゃってましたよね。このマンションの見張りにしても誰か第三者を使う、もしくは雇っていると思われます。彼女自身はこちらで把握している限り素人、いえ一般人ですが、雇われている者がそうだとは言い切れません。荒事になるならむしろこちらを警戒した方がいいかもしれません。今はただ白河さんから情報を得たいだけのようですし、手荒なことにはならないと思われますが十分身の回りには警戒して下さい。それからちょっとこちらに来て頂けますか?」
と言って側の部屋に通された。
そこは監視モニターで埋められたこのマンションの司令塔のようなところだった。
「オーナーに許可をもらっているのでどうぞ。ここはこのマンションの監視モニター室です。オーナーからの言伝で白河さんには特にマンションの外とペントハウス関連のモニターが、何処からどこまで映るのか、覚えて頂きたいそうです。ここは24時間警備員とは別にセキュリティ会社が管理していて異常があると知らせてくれますし、録画も自動で管理されています。もしマンション近辺で異常事態に接した時に、取り敢えず監視カメラに映る場所に移動していただければ、こちらで異常を察知出来ますし後々証拠として届け出ることも可能です。」
と言って忠告してくれた、それから言いにくそうに。
「もうお察しだと思いますが、今回の件は、白河さんの婚約者の橘さん狙いが最終目的だと思われます。今は相手に白河さんの素性を知られていませんが、もし婚約者だと相手が知ったら、どんな手段に出るやもしれません。こういうケースは事件が起こらないと警察も動けませんし、やり難いですよ。」
と知っている情報を告げた。花蓮は俊幸がどうやら花蓮を婚約者だとマンションの関係者に告知している事は嬉し恥ずかしだったが、それはともかく、と暫く考えてある案を提案した。
「詳しい事情はわかりませんが、こちらの自衛手段と言ってもたかが知れています。私から情報を引き出すのが無理だと分かったらどんな手段に訴えてくるかわかりませんし、怯えて暮らすのも真っ平です。何よりこんな事、鬱陶しくてかないません。ですのでもし相手が接触してきたらこういう手段に出ていいですか?」
と相手に説明し始めた。
前川は最初は驚き、とんでもない、花蓮にそんな無茶はさせられないと渋ったが、花蓮が携帯を見せて最後の切り札を出すと、目を見張らせて驚き、最後には頷いて同意してくれた。そして細かい打ち合わせを終えると、花蓮は念の為と最後にお願いしておいた。
「これはいわゆる賭けです。向こうにそこまで悪意がないのなら大ごとにはならないと思われます。ですので俊幸さんにはこの計画は打ち明けないで下さい。心配してくれるのは嬉しいのですが止められると思いますので。」
「そりゃ普通の男性なら当然ですよ。あなたは本当に度胸がありますね。普通の女性なら怯えて泣き出しても不思議じゃないのに、鬱陶しいで片付けるんですから。分かりました、貴方がそこまでいうのならこちらでも出来るだけ協力しましょう。」
「有り難うございます。ははは・・・」
と笑って誤魔化してとりあえず家路についた。彼の家に着くと直ぐに携帯の着信が鳴り響く。
「はい、もしもし花蓮です。」
「花蓮、無事か、大丈夫か怪我とか・・」
焦った様子の彼に花蓮は落ち着いた声で遮った。
「俊幸さん、落ち着いて。私は大丈夫ですから。ただ声を掛けられただけですよ、一体どうして怪我なぞするんです。」
「ああ、まあそうかも知れないが心配だから今夜は早く帰る。」
「俊幸さん、今週は遅くなるって言ってましたよね。」
「いやでも・・」
「はっきり言って今更俊幸さんが帰ってきても、出来ることはありませんし、私も俊幸さんが無理して帰ってくるのは嫌です。私を信用してここは普段通りにしてもらえませんか。俊幸さんが帰ってくるの楽しみに待ってますから。」
何とか心配する彼を説得して落ち着かせる。花蓮の言い分に最後には彼も折れて、
「分かった。花蓮がそこまでいうなら今日は仕事に戻る。でも明日の朝は僕が会社まで送る、これは譲れない。」
花蓮も彼の気遣いは嬉しかったので快く承知し、電話を終えるとご飯の支度をし、所用を済ませていつも通り就寝の準備を終え、午後10時にはスーピーと気持ちよくベッドについた。
夜中に背中からふわりと温かい体が触れて、硬く花蓮を抱き締める。花蓮はぼんやり振り返ると、うっすら月明かりに彼の顔が浮かんでいて愛しそうに花蓮を見ている。
「ぉかえりなさぃ」
「ただいま、花蓮。」
そのまま二人で抱き合って眠りについた。
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