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二人を繋ぐ誓約 2

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帝国の公爵家から子爵家への申し込みーーこんな破格な求婚をイザベルがはねつけるとは、誰もが思わなかったらしい。
静まり返ってしまったその場を取り仕切ったのは、さすがの宰相だった。

「ーーメローズ嬢。これはけっして悪い話ではないのだよ。もう少し時間をかけて、なんなら一旦持ち帰って子爵と相談されるのもよかろう。いかがかな?」
「……わたくしには身に余るお話でございます」
「ああ、なるほど。身分であれば、心配せずともゼダル侯爵家がそなたを養女として迎え入れる」

宰相の言葉を受け、ゼダル侯爵は力強く頷いた。

「もちろんですとも。セシリアを救ってくださった令嬢のためなら、これしきのこと。喜んで協力いたしましょう」

どう考えても異例な縁組なのに、もう綿密に根回しされている。
驚かずにはいられないけど、ゼダル家への養子縁組と知って決心はますます固くなった。

「皆様のご厚意と深いご配慮には心から感謝申し上げますわ。ですがやはり私には、過ぎたことに思われます」

丁寧に礼を述べたものの、前言を撤回しないイザベルにファリラとセシリアはオロオロしている。

「あの……この申し込みはあまりにも突然で、イザベルは混乱しているのではないでしょうか?」
「そうですわね。わたくしも情緒不安な日々を過ごしましたもの。気絶するほど恐ろしい目に遭われて、目が覚めた途端に婚姻などと言われても、戸惑ってしまいますわ……」

必死でフォローしてくれるのはありがたいけど、混乱など毛ほどもしていない。
イザベルはこんな状況だからこそ、この話は断ると決めた。なぜならシルタニア帝国の王侯貴族は複数の妻を娶る。
イグナスは王位継承権を持つビストルジュ公爵家の次子で、帝国軍でNo.2という地位についているのだから例外ではないだろう。
婚約者である侯爵令嬢セシリアは、王族に望まれてもおかしくない貴重な光魔法の使い手であり、正妻という形でなくてはカラート王もゼダル侯爵も婚姻を許すはずがない。イザベルへの申し込みはよくて二番目の妻、たぶんもっと下位の側妻にだ。
はっきり言って、断固としてお断りである。
セシリアが帝国の花嫁になるなら、ついでであろうイザベルとの婚姻など断っても角は立たない……もしかしたら姉妹で嫁ぐ名目で正妻セシリアの補佐を期待されているのかもしれないが、そんなの受け入れられない。
イザベルの返事が芳しくない状況に、それまでのやりとりを慎重に見守っていたイグナスがようやく口を開いた。

「カラート国王、無礼を承知でお願い申し上げる。しばしの間、メローズ子爵令嬢と二人きりで話をする許可をいただけないだろうか」
「ふむ、よかろう。貴殿から直接申し込まれた方が、いい結果を生むやもしれん」

ーーっ⁉︎ 嘘でしょうっ! 未婚の男女に二人きりを許すなんて……もしや陛下までがこの婚姻に前向きなの⁉︎
あまりにも意外で、心の中で瞠目したイザベルは覚悟した。
イグナスと話をつける。
逃げ出したい心を押しやると、通された控えの間の扉を閉めるなりイグナスが詰め寄ってくる。

「ベル! いったいどういうつもりだ。なぜイエスと言わない!」
「イグナス様こそ、なぜこんな真似を?」
「なぜって、お前は私のものだからに決まっている」

そう、きたか。出会った時の誓いーーその責をこんな形で。

「それは、セシリア様の支えになれと……」

どういえばいいのかわからなくて口篭ってしまう。

「セシリア嬢? なぜここで他の女の名が出る。ベルが頷けばいいだけの話だ」
「そんな簡単にはいきませんわ」
「そんな簡単なことだ。ゼダル侯爵家の令嬢ならば帝国内での自由は保障されている。そういう約束だからな。懸念があるのであればベルも同行すれば良い」
「っ……やっぱり……そうですわね……」

ーー思った通り、正妻セシリア様を陰で支えろと……当然かもしれないけど。
自分はイグナスのものであっても、それとこれとは別だ。
ぎゅぅっと握りしめた手のひらに爪が食い込む。閉じた口の中で唇を噛んだイザベルは、まつ毛を伏せた。
……ダメ。どうしても心が納得しないわ。
その顎にイグナスの指がかかり、少しやつれた顔をそっと持ち上げた。

「どうしてそんなに目を曇らせる? もはや憂慮すべき問題はない。私はカリッサ殿下のお供で明後日には立つ。だから早々に申し込みにきた」

マリンブルーの瞳がピタとこちらを見据える。

「なぜ私を拒む!」
「……帝国は一夫多妻制ですわ。けれどカラートは違います」
「承知している。私も妻は一人で十分だ。ベルに不自由はさせないから、心配せずともよい」

ーーえ? ということは、ただ単に名目上だけ妻にするってことなの?

「絶対に、嫌ですわ」

ますますもって、頑なに拒んだ。
飼い殺しなんて死んでもごめんだ。そうなるくらいならはじめから結婚などしない。

「ーー今度は何を拗ねている? それとも照れているのか? 急な申し込みで気が立つのもわかるがさっさと頷け!」

ーーこっの、鈍感男ーーーーっ! 
大蛇の時から思っていたが、あれだけ翻弄しておいてまだこちらの気持ちがわからないなんて、ほんとどうしてくれよう! 顔を洗って乙女心を学び直してこいっ‼︎
おもいっきり心で叫んだから、さすがのイザベルも語気が荒くなった。

「頷けませんわ。こんなことにはっ!」

ここでうっかり流されたら、本妻セシリアを愛するイグナスに放置される日々がやってくる。そんなホラーな毎日は考えただけでも身震いしそうになる。
ーーそれに、セシリア様が身籠ったら……
いっそ大蛇でも構わない。そう想う自分はさぞみじめな道化だろう。
イザベルは激しい憤りを抑えるのに精一杯で、あやすような男の瞳が不安げに揺れたのに気づかない。

「まさかとは思うが、気になる男でもできたか? もしや、夜会で踊った近衛ではあるまいなっ!」
「あれは偶然ですわ。ロイス様は、たまたま……」

ーーどうやったら、こんな見当違いな言葉がその口から出てくるの!
イザベルは憤慨したが、ロイスの名を口にした途端、イグナスの機嫌が急降下した。

「私以外と踊るなと言ったそばから、見せつけおって……それも名前呼びだと? 許せんっ!」

昏い目をしたイグナスが白い頬に手をかける。

「私と踊った時より、随分と楽しそうであったな」
「誤解ですわ!」

イザベルがきっと睨むと、眉間に深い皺を刻んだイグナスがゆっくり息を吐き出した。

「……ベルは私のものだと、公知せねば気が済まん。明後日までにイエスと頷け」
「それはお断りしますーーって、イグナス様っ、聞いてますの?」

声を荒げても、まったくとりあってもらえない。見かけからは想像もつかない力で、イグナスはイザベルをがっちり掴んで離さない。

「この強情っ張りめが。だがそんなところも愛おしいのだから、よもや私も末期だ。だが、譲れないものは譲れん。今日こそとことん分からせてやる。たっぷりその身に注いで、離してやるものか!」

そのまま部屋を連れ出されそうになって、イザベルの不動の表情筋がついに躍動した。

「こっのぉぉっ、唐変木のわからずやーーっ‼︎」

イザベルの堪忍袋の緒が切れたのと、部屋の扉が外から開いたのは同時だった。

「お飾りの妻なんてまっぴらだって、言ってるじゃないのーー‼︎」

活きの良い怒鳴り声が部屋中にこだまするようにやけに響いた。
シーーーーーーン。
ーーあ、やってしまったわ!
心配でたまらないといった様子のファリラは、何かを言いかけた途中でピタと止まった。イザベルの罵倒は一言一句ばっちり聞こえたようだ。
令嬢から発された暴言にその場は不気味なほど静まり返ってしまい、びっくり顔の上司は大きく目を見開いている。

「あ、あの、何だか穏やかでない声が聞こえたから……ノックをしても返事がないし……」

いいところに来てくれたっ! ファリラなら絶対に味方になってくれる。
国賓への無作法を後悔したのは一瞬で、今のイザベルは取り繕う余裕さえない。いつもの無表情はどこへやら、青白い頬をうっすら染めて全身の毛を逆立てる。
イグナスが腕の力を緩めた隙に、イザベルはその腕をパシっと払い落とした。

「聞いてくださいっ! 形だけの側妻なんてごめんだって言ってるのにっ。イグナス様ったら、まったく取り合ってくれなくて」 
「は? え……側妻って……?」
「さっきから、何を訳のわからないことを言っている!」

イグナスはすぐさま腰を抱こうとする。

「私の花嫁はベルだけだ」

イザベルが口にした呼称は心の底から不服だ。いかにもそう言いたげに眉をひそめたイグナスを押し除けようと密かにイザベルは必死になった。
ーー何をしてくれるのよ、この鈍ちんは! 
ファリラの後ろから入室したくる本妻のセシリアに気づいて、焦りつつも動揺を押し隠す。

「セシリア様だってっ、イグナス様に愛妾がわらわらいたら許せないと思われませんかっ⁉︎」
「わらわら……あの……イザベル様。ビストルジュ卿は誠実な方ですわ。何か誤解をなさっているのでは……?」

思いがけないセシリアの言葉にイザベルは怯んだ。その隙に、鍛えられた身体に抱きすくまれてしまい身動きできない。

「だからっ、私の妻は一生涯ベル一人だけだと言ってるだろう! なぜごねる?」

イザベルを真っ直ぐに見つめながら、訳がわからないと眉を下げたイグナスの顔は真剣そのもの。悩ましげなその語気は切なさをふんだんに含んでいる。
イザベルもその言葉の意味を計りかねるように眉をひそめた。
二人の攻防を顎に手を当てふむと見ていたファリラは、このにっちもさっちも行かない状況に助け舟を出した。

「ーーあのね、イジィ、今回のお話は正式な手順を得てビストルジュ公爵家から申し込みがあったのよ。貴女だけよ、花嫁にと望まれたのは。きちんと事前に話をしなかったのは悪かったけど、何度話を振っても貴女は関心がなさそうだったから。だからそこは誤解しないでね」
「え、私……だけ……?」

思いがけないことを言われて、頭がパニックになった。ーーどういうこと?

「当たり前だ。ベル以外に興味はない」
 
珍しく呆然とした顔を隠しもしないイザベルを見て、ファリラは付け加える。

「ビストルジュ様。こう言ってはなんですが、イザベルの反応も無理はないですわ。ビストルジュ様はカラート滞在中、そんな素振りをイザベルにはまったくお見せにならなかった」

その通りだ。心の中で大きく賛同して頷いたら、わずかに動いた肩をイグナスが宥めるようにさすってくる。だけど続いたファリラの言葉に驚いた。

「あの晩にーーあの忌まわしい夜に、報告書に記された以外は何があったかは存じません。ですが木っ端微塵に吹き飛ばされたロンサール伯爵の館には烈しい魔法戦の跡がありましたし、瓦礫から幾人もの傭兵賞金首を捕えましたわ。そんな場所からイザベルを救い出したのはビストルジュ様なのですよね」

……イグナスの一方的な殴り込みの形跡だろう。だけどこの感じ……もしかしなくても、あの夜に何かあったと思われている?

「イザベルはめったに動じない魔導士です。そのイザベルが気絶するなんて、よほどひどい戦いだったのですね? だって世間話さえ交わさなかったお二方が、今や苦戦を共にしたかのように名前や愛称で呼び合っているのですから」

あ。うかつだった!
固まってしまったイザベルと違って、イグナスは大きく頷いた。

「ーーイザベル嬢は私の命を救ってくれた恩人です」
「なっ、何をおっしゃいますのっ……⁉︎」

助けられたのはこちらだ。まるっきり詭弁だ。なのにイグナスは堂々と言い切った。

「絶望的な状況であったのに、彼女はその身を削って私に尽くしてくれました。その気高く美しい姿に心を強く打たれずにはいられなかった。ですから私も未来永劫この身を捧げると誓ったのです」

ーーないない、ナイっ! あの晩にそんな大イベントはありませんでしたわっ‼︎

心の中でブンブンと首を振ってイザベルは否定をするが、実際は沈黙したまま。真摯に語るイグナスの姿にファリアもその後からそっと部屋に入ってきたセシリアもうんうんと涙ぐんでいる。

ーーみんな騙されているわ! 

貴公子然としたイグナスはイザベルの知る顔と別人のよう。穏やかな笑顔や人を惹きつける声にその苛烈な本性を上手に隠している。

「やはり、そうでしたか……」
「私とイザベル嬢はすでに揺るぎない絆で結ばれています。この婚姻はそんな勇気ある彼女の風評を払拭し、目に見える形で真実を明らかにするでしょう」

上司や令嬢の前なのに、愛おしそうに抱き込んでくる姿が掬い上げた真紅の髪を唇へ当ててきた。騎士らしく振る舞っているイグナスの甘い仕草は、ファリラやセシリアが赤面するほどだ。
ーーこんな急になぜなの? 
イグナスの瞳はイザベルだけを見つめて、その熱烈な求愛を隠しもしない。夜会前と180度転換の溺愛態度に、いったいどうして⁉︎とイザベルは初めて目に見えてオロオロと動揺した。

「でしたら、それを分かりやすくーーそんな風にもっと態度に出すことをお勧めしますわ。誰もが納得する公然のアプローチをイザベルにしてから、返事を求めてはいかがでしょうか?」

ファリラのそんな大胆とも言える勧めに、イグナスはイザベルの手を握り「喜んで励みましょう」とにっこり笑った。イザベルはますますアワアワと狼狽えてしまう。
これはーーどういう状況だろう。
誤解だらけのツンデレ設定にどう応えるべきが分からなくて、イザベルが途方に暮れているとファリラに同調する深みある若い女性の声が部屋に響いた。

「ボルガ嬢の言う通りだぞ、イグナス」

ーーまさか、この声って……?

信じられないことに! 扉の向こうにはカリッサ皇女殿下、その隣には国王陛下や宰相までいるではないか!
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