甘く謳う二重奏~氷の天才ヴァイオリニストは執着アルファに溺愛される~

翡翠蓮

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第五十三話「帰省」

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◇◇◇

 蒼馬とテーマパークに行き、ホテルに泊まってから一週間後。
 俺は新幹線に乗って京都に戻ってきた。

 久々の京都は底冷えして、吐く息が真っ白だ。
 京都駅から一駅の東寺駅に住んでいるから、新幹線からでもすぐに着く。

 約二年ぶりに見た実家は前と全然変わらなくて、二人で住むには広い三階建ての戸建てだ。
 もちろん防音室も設えていて、あの思い出したくもない父さんからの教育がよみがえる。
 緊張してしまって、インターホンを押せずにその場で佇んでいると携帯がブーっと鳴った。
 蒼馬からメッセージだ。

「頑張って……」

 その後に、ウサギがチアガールになって応援しているスタンプが送られてくる。
 蒼馬が支えてくれているなら心強いと、自分を鼓舞してインターホンを押した。
 一分後くらいに、ガチャ、とドアが開く音がして父さんがやってきた。

「久しぶりだな、湊」
「……久しぶり」

 一言だけ交わして、中に入る。
 一階は寒いからと二階に上がらせてもらって、リビングルームの一人用ソファに座った。

 リビングの部屋の雰囲気も家の匂いもソファの柔らかさも全部変わらなくて、懐かしく感じた。
 確か、俺が寮に行ってから利き手が動かない父さんは家政婦を雇って家事をやってもらっていたはずだ。
 その家政婦がいる気配がないということは、父さんが空気を読んで休みにしていたのだろう。

「それで、話とはなんだ?」

 父さんが温かいコーヒーを入れてくれて、それをローテーブルに置いてくれた。
 父さんも向かい側の一人用ソファに座る。
 コーヒーは砂糖も入ってなければミルクも入っていない、当然ブラックだ。
 いつも苦手なんだけど、言えないんだよな。父さんはぐびぐび飲んでるし。

「お前から話があると電話してくるなんて、珍しいじゃないか」
「あ、うん……」

 父さんは無表情で俺と話してくる。
 その感情のない瞳が何を考えているかわからなくて、いつも怖かった。
 沈黙が訪れて、父さんのコーヒーを飲んでティーカップをソーサーに置く音だけが聞こえる。

 大丈夫。
 俺なら言える。
 そっとうなじを触ってから、父さんを真っ直ぐ見据えた。

「俺は、交響楽団に入りたい。だから、留学してもソリストじゃなくて、オーケストラ奏者としての勉強を学びたいんだ」
「……それは、何故だ?」
「東京ハーモニー交響楽団に入るのが俺の夢だから」

 緊張で手が震えながらも、俺は父さんと目を逸らすことなく告げた。
 父さんは楽団名を聞いた途端眉をぴくりと動かしたけど、何も言わずにしばらく黙っていた。
 父さんがコーヒーを飲んで、ふっと息を吐く。

「……お前は俺を恨んでいるか?」
「え……?」
「俺は、お前にひどく厳しい教育を施した。何があってもソリストになれと……。教育していたが、俺のせいで、ソリストになるのは嫌になってしまったのか?」
「それは……」

 父さんを百パーセント恨んでいないかといえば、嘘になる。
 でも、父さんがソリストになれと言ってきたから、ソリストになるのが嫌になったわけではない。
 父さんは……ヴァイオリニストになることすらも自分のせいで嫌になってしまっていないか、不安なのだろう。

「ソリストになるのが、父さんのせいで嫌になったんじゃない。元から交響楽団に入るのが夢だっただけだ」
「そうか……」

 父さんが、俺と視線を合わせた。
 今まで無表情で何を考えているかわからなかったのに、何故か寂しさを滲ませているような瞳に見えて、心もとない気持ちになる。

「お前が決めたのなら、それでいい」
「……え」
「お前から意見を言ってくることは、お前が生まれてから一度もなかった。それほどお前にとって重要なことなのだろう。……立派なオーケストラ奏者になりなさい」
「え、まって。どうして、許してくれるの? ソリストにならないと、父さんは夢を叶えられないだろ」

 ソファから立ち上がろうとする父さんをすぐに呼びとめる。
 父さんがゆっくりこちらを振り向く。

「……お前にこないだ電話した日、朱音からの手紙を読み返したんだ。読んだら、『生まれてくる子どもが優しい子になるように、たくさん愛情注いで、優しく育ててあげようね』と書かれていた。……当時の俺は、朱音が亡くなって利き手も動かなくなって、追い詰められていたのだと、思う。……お前ももう成人だ。好きなように生きてくれ」

 朱音は、俺の母さんの名だ。
 母さんはよく入院していたから、そのときの手紙なのだろう。
 そんな風に思ってくれていたのか。

 父さんが追い詰められるのも、今なら少し理解できる。
 俺も蒼馬が亡くなってヴァイオリンも弾けなくなったら、自分の子どもに夢を託すようなことはしないけれど、絶望していただろう。

 それに……父さんがヴァイオリンを弾くことを俺に教えたから、蒼馬と出会えた。
 だから、今の俺は厳しかった練習も蒼馬に会うためだったと思えば、父さんのことは恨んでないわけではないけど、感謝も一割くらいはある。

 最後に父さんは少しだけ笑みを湛え、リビングから去って行った。
 その後ろ姿は、俺が小さかったときに見た背中よりも小さくて、一縷の寂寥感が募っていた。

 その日の夕食、俺がシチューを作ってダイニングテーブルに並べると、父さんが俺を呼びとめた。

「湊、番ができたのか?」
「え? ……あ」

 すっかり実家の空間に慣れてしまって、詰襟だった服を脱いでダボっとした部屋着に着替えてしまっていた。
 慌ててうなじを押さえるけど、父さんにそんなことを言われた以上隠しても遅い。

「望んで番になったのか?」
「う、うん。ちゃんと両想いだよ」

 事実だけど自分で言って恥ずかしくなる。
 自分の親に照れているところを見せたくなくて、冷蔵庫に飲み物は何が入っているか確認する仕草をした。

「今度、俺に紹介しなさい」
「えっ、ま、まあ、紹介してほしいならするけど……」
「そのアルファはどんな人なんだ?」
「どんな人って言われても……ピアノ科専攻の人で、すごいピアノ上手い人」
「それで? そいつはお前を大事にする覚悟があるのか」
「あ、あると思うよ……」

 夕食では散々蒼馬について聞かれてしまって、自分で作ったから味わいたかったのに、シチューの味が全然わからなかった。

 冬休みが終わるまで、俺は実家にいた。
 家政婦に来てもらうからいいと父さんは言っていたけど、断って俺が料理や洗濯などの家事を行った。

 防音室での練習は……父さんは、教えにくることはなかった。
 食事のときだけ父さんと必要最低限の会話をして、利き手が使えなくてもできる仕事をしている父さんを見守って、ヴァイオリンを練習して、時間は過ぎていく。

 俺は京都にいて、蒼馬は東京にいる。
 そんな少し離れたところにいてもこんなに寂しく思うなんて、国を跨いでしまったらどうなるんだろう。
 自分の部屋にいる間も、蒼馬から連絡はきてないかなってスマホを何度も見てしまう。

 どうしても寂しいときは蒼馬に連絡する。
 蒼馬は練習室にいるときは返信が遅いけど、基本すぐに返してくれる。
 時々通話なんかもして、そのときは寝落ちしちゃったりする。
 蒼馬が寝落ちしちゃうこともあって、蒼馬の寝息を聞いていると安心するから俺もすぐ寝てしまう。

 冬休みはそんな生活を過ごした。
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