M00N!!

望月来夢

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ムーンという男

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 遥か地底の奥深く、広大な洞窟を巣に栄える、<魔界>。”魔法”と呼ばれる神秘の力と、闇を好み悪に生きる”悪魔”たちが跋扈する、もう一つの世界である。
 彼らが築いた文明は、地上で暮らす人間たちにも劣らない。高い技術力と柔軟な発想、”権力者インペラトル”の統率とに導かれて、社会は大いなる繁栄の時代を迎えた。この街アメジストもまた、首都ハデスに次ぐ大規模なビジネスタウンとして、栄華を誇っている。
 空は快晴。街で一番の大通りには、今日もまた大勢の悪魔が行き交っている。片側6車線の車道を沢山の車が走り、道沿いに展開する各種店舗は、楽しげに笑う客たちで満ち満ちている。そこここに立ち並ぶビルには、全て『Ω』のマークが掲げられ、はしゃぐ子供たちの手にも一様に、同じマークを冠したポータブルゲーム機が収まっている。放射状に伸びる幹線道路の中心に、どっしりと聳える無数の立方体を積み重ねて作ったような三角形。その上部に、一際大きく目立つサイズの『Ω』が輝く。魔界に名だたるゲーム会社であり、街の中核を成す大企業、<オメガ・クリスタル・コーポレーション>の本社ビルだ。ガラス張りの特徴な外観から、世間からはクリスタル・ピラミッドと呼ばれている。
 午前の陽光を反射して光るピラミッドを眺めながら、一人の紳士がコーヒーを啜っていた。柔らかそうな金髪と、温厚そうな顔立ちを持つ、優しげな中年男性だ。黒縁眼鏡の奥の瞳は柔和に細められ、口元は綺麗に弧を描いている。シンプルな黒のスーツを身に纏い、長い足を組んで座る様は、絵画にでも登場しそうな優美さだった。傍には、長年の連れ添いのようにして、長方形をしたナイロン素材のケースが置かれている。
 彼は閑散としたカフェテリアのテラス席で、休日の朗らかな時間をのんびりと過ごしていた。手元には、愛読している新聞と、小ぶりのスマートフォン。ページを捲る片手間に、コーヒーを嗜む。
 初めて入った店だが、存外に悪くない。コーヒーは泥水よりマシというレベルで、クッキーは非常食みたいなパサパサの質感だが、それ以外の点は概ねマトモだ。静かだし、何より混雑していないのが良い。うん、とっても”マトモ”な店の部類だと、彼は半ば本気で頷きかけた。少なくとも、彼が若い頃身を置いていた境遇から考えれば、あり得ないほどの贅沢である。
 店内では、いかにも貧血の酷そうな、無愛想な女性が一人でホールを仕切っている。仕事はそこそこ出来るようだが、如何せん藪を睨む蛇のような目付きが災いして、テーブルのほとんどが空き状態だ。彼はさりげなく後ろを見遣ってから、スマートフォンを取った。
 登録している各種SNSのチェック、ブックマークしているデジタル新聞やニュースサイトの巡回、メールの確認を済ませて、各々に返信やコメントを書いていく。涼しい顔をして、キーパッドを叩く指は恐ろしいほど速い。
 ところが、いきなり画面が切り替わった。着信を告げる音と共に、発信者の名前が表示される。彼はコーヒーカップを置き、通話に応じた。
『ムーン、どこにいるんだ!!』
 途端に、画面を突き破る勢いで怒鳴り声が聞こえてくる。鼓膜をキーンと震わせる声量に耐えかねて、思わず端末を耳から離した。
『さっきからずっとかけていたんだぞ!どうして出ない!?』
「さぁ、どうしてだろう……あぁ、あんまりうるさいから拒否したんだった」
 相手の剣幕にも、ムーンは流されずに飄々と応じる。ふと思い出したように呟くと、男の怒りがヒートアップした。
緊急用直通番号ホットラインだぞ!?それを、着信拒否だと!?一体どういう神経をしているんだ!!』
 烈火の如き叱責は、止まらない。何も押していないはずだが、いつの間にスピーカーモードに変わったのかと思うくらいだ。
『おいムーン!聞いているのか!?』
「聞いてるよ。それより、用件は何かな。わざわざプライベート用の番号まで使って、目的は雑談じゃないだろう?」
 話を遮りつつ、少々稚気に富む発言をしてやると、怒涛の奔流が一瞬止まった。彼の態度が余程腹に据えかねたのか、それとも本題を思い出したのか。
『っ強盗だよ、強盗!!アメジスト信用金庫に強盗だ!!』
 答えは、後者であった。今まで以上に息急き切って告げられる知らせに、ムーンは眉を顰める。
「ほう……それはそれは」
 物騒な話だ。この平和な街で、白昼堂々銀行強盗を働く不届者が現れるとは。ムーンの、三日月形の口元がピクリと動く。電話の向こうの男の声が、端的に命令を伝えてきた。
アメジスト地域警察ALPDからの要請だ!直ちに、犯人らの逃走を阻止しろ!連中は車に乗ってる!数は三人!現在の位置情報は……』
 指示は、しかし、途中でかき消される。どこからか響いてきたパトカーのサイレンが、急速に大きくなって、他の音を全て圧殺した。目の前を、迷彩色に塗られたいかつい四輪駆動車が駆け抜けていく。軍用車のような、四角い形だ。違法改造されているのか、タイヤがやたらとでかい。濃いスモークを通して、覆面をつけた数人の人物が見えた。一瞬でそれだけの情報を吸い取れたのは、単にムーンの高過ぎる動体視力の所業である。
 車の後ろには、けたたましいサイレンを鳴らすパトカーが、複数台連なっていた。だが、到底勝ち目はありそうもない。法定速度を優にぶっ千切って爆走する車に、振り切られないようにするのがやっとという有様だ。
「あぁ、今目視した。警察も随分情けないね」
 一行が眼前を行き過ぎるのを見送って、彼は通話の相手に呼びかけた。彼の目元には笑い皺が寄り、丸めた指の触れる口からはくすくすと失笑が漏れている。
『は!?君、何言って』
 まさか、話題の連中がちょうどよく通りかかるなんて、想像だにしていなかったのだろう。向こうでは、驚愕の声と共に何かをひっくり返すような音が生じていた。
「後は任せて」
 彼は取り合わず、一言だけ残して通話を終了させる。スマホを仕舞いつつ、側のケースを取り上げ、颯爽と席を立つ。適当に紙幣をテーブルに置き、テラスを囲む洒落たフェンスを気軽な動作でひょいと飛び越えた。
 カフェの前には、先刻の騒ぎに気を取られた若者が、自転車から降りた姿勢のまま呆けていた。すぐそこに現れたスーツの紳士に面食らい、軽く顎を反らせている。彼のそばに停められているのは、曲がったハンドルが特徴的な、ロードバイクだった。拘りなのか、車体も軽量化されていて、速そうだ。
「ちょっと借りるよ」
 紳士は紳士らしく、平然と彼の自転車に手をかけ、引ったくりを働いた。某フードデリバリーのリュックを背負った彼が抗議の声を上げる頃には、既にペダルを踏み込み発進を始めている。
 青年の自転車は、やはり速い。靴裏に残る地面の感触が消える間もなく、全身に風が吹き付けてきた。ムーンはにこやかな笑顔で、粛々と街道を駆けていった。
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