M00N!!

望月来夢

文字の大きさ
上 下
15 / 51

美貌の秀才

しおりを挟む
「……しかし、そのピアニスト、僕も是非会ってみたくなったよ」
 しばらくの後、レジーナが話し疲れた頃を見計らって、ムーンがおもむろに独り言ちた。耳聡く聞きつけた彼女は、シャンパンで喉を潤してから、問いかけてくる。
「あらムーン、あなたもメレフの良さに目覚めたの?」
「少し、気になっただけさ。君たちを招待したのが彼だとしたら、知っているはずじゃないのかい?招待状に種類があることも、一部の客がいかがわしい目的で呼ばれていることも」
 既にガイアモンド宛に送付された招待状は、確認を済ませていた。それは紙ではなく電子メールで、送信先はメレフの所属する事務所のサーバーであった。この会場に入るには、最低でも二種類の方法があると分かったわけだ。また、客人たちの行動や振る舞いを、主催者たる人物が全く認識していないというのも考えにくい。
 ムーンは顎に手を当てて思案しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。皿に乗ったサイコロステーキを頬張り、マティーニが頷いた。
「それは、その通りだな……世界的なピアニストが、売買春の場となるような催しを開いている。結構なスキャンダルだ」
 たとえ手続的なことは、悉く秘書やマネージャーに任せたとしても、報告くらいは耳に入れるだろう。客を喜ばせるためにどんな”もてなし”が用意されるのか、把握していた可能性は十分あり得る。あるいは彼自身が積極的に、手を回しているのかも知れなかった。だとすれば、大問題である。
「それだけじゃない。招かれた女性の一部が悲惨な目に遭っていることも、気が付いているとしたら?彼は事件について、何か知っているかも知れない」
 被害者たちの実名は、捜査のため、報道規制をかけている。だが、察しのいい者なら薄々勘付いていてもおかしくはない。少なくとも、彼女たちと関わっていた人物の名前程度は、聞き出せるのではないだろうか。可能ならば直接話をしたいところだが、ムーンの憶測は留まるところを知らなかった。
「もしくは……彼が、全ての元凶か」
 彼は糸目が薄く開き、真っ赤な瞳孔を隙間から覗かせる。その衝撃的な推理に、一瞬場の空気が凍り付いた。
「流石に、穿ち過ぎじゃないか?」
 最も早く冷静さを取り戻したガイアモンドが、疑わしげな口調で反論する。
「一介のピアニストが、テロまがいの事件に関わる理由がない」
「そうよ。メレフがそんなことするはずないわ!」
 レジーナも推しを侮辱された怒りに、語気を荒げて彼に詰め寄る。彼女が抗弁のために、分厚い手を振り払ったちょうどその時。通りがかりの青年が、弾き飛ばされウェイターとぶつかった。ウェイターは更に他の客とぶつかり、玉突きのように連鎖が発生する。
「ひぎゃあ!」
 誰かのヒールに爪先を踏まれた三十路男が、足を押さえてその場に蹲った。彼の顔面に、別の者から突き飛ばされ、よろけたご婦人の、ピンクのドレスに包まれたヒップが正面衝突する。まるでバランスボールのような弾力と反発性を持つ厚い脂肪に、彼の身体はあっさり吹き飛ばされ、気を失ってぐったりと地面に伸びる。
 そこへ、屋敷から現れた水着の女が、アンニュイな表情で階段を下ってきた。彼女は全身から水を滴らせており、さっきまでプールで泳いでいたことが窺える。そして、男のだらしなく投げ出された足に気が付かず、思い切りサンダルの爪先を引っかけた。甲高い悲鳴を発する女を、そばにいた紳士がかろうじて受け止める。立派に口髭なんかを生やしているが、このエセ紳士、なんと女を抱き止める際に、手にしていたシャンパングラスを放り出してしまっていた。彼の視線は女の水浸しの胸や、腰に釘付けられていて、己の失態を失念していた。彼の手から飛んでいったグラスは、中空で弧を描き、重力に従って落下を始めるところである。そのちょうど真下には、人々の愚かな振る舞いに呆れ、不機嫌顔を隠そうともしていないガイアモンドの姿があった。
「わぁっ!?」
 ばしゃっと派手な音を立てて、淡いピンク色の液体が彼に降りかかる。頭から肩、背中にかけてを冷たいシャンパンで汚され、彼は叫びを上げた。
「わぁ、ピタ◯ラスイッチ」
 一連のアクシデント全てを高い動体視力で見抜いていたムーンは、あまりのタイミングの良さと出来映えに、思わず感想を漏らす。
「え?えっ!?」
 何も見えていなかったマティーニは、困惑に囚われ、キョロキョロと左右を見回していた。
「しゃ、社長!!大丈夫ですか!?」
 レジーナは彼を突き飛ばし、血相を変えてガイアモンドに駆け寄る。
「な……な……!!」
 彼は額にかかった前髪から雫を滴らせ、呆然とその場に立ち尽くしていた。ショックが強過ぎて、レジーナの心配の声も耳に入らないらしい。だが、次第に事態が飲み込めてくると、整った顔立ちに憤怒の色が募り始めた。彼の拳はワナワナと震え、急速に湧き立つ屈辱と激情が、今にも口から迸りそうになる。
「こ、この僕にシャンパンを引っかけるなんて……!お前たち、一体どういう」
「大変失礼致しました。お怪我はありませんか?」
 それを遮るようにして、彼の目の前に白いハンカチが差し出された。同時に、落ち着きのある低音が、優雅に謝意を告げる。
「ひゃ……!」
 レジーナがパッと頬を染めて、マティーニの腕を掴んだ。彼女の怪力に握り締められて、マティーニは腕の肉がもがれるような恐怖感を味わう。
 立っていたのは、息を飲むような容貌の男だった。ピアニストとしては円熟した年齢のはずだが、そんなことは完全に意識の範疇から追い出されてしまうほど、麗しい外見をしている。艶々の黒髪と、ぱっちりとした瑠璃色の瞳。柳型の眉と、緩やかに垂れた目尻のバランスが、最高に甘やかな色香を添えている。左目の下に散った泣きぼくろは、まるで宝石からこぼれた星屑のようだ。白いカッターシャツ一枚というラフな装いと、胸元を開けた着こなしが無防備で優婉な印象を醸している。パーティーという場には相応しくなかったが、不思議と卑しさを感じさせない、上品な佇まいであった。
「よろしければ、着替えを手配しましょう。こちらへ。皆様も是非」
 彼は丁寧な態度で、そっとガイアモンドを促す。服に香水でも振っているのか、彼が身動ぐ度に、わずかな香りが宙に舞った。清潔感のあるフローラルな香りに、ムーンは鼻腔を引くつかせる。
「あ、あぁ……助かる」
 いきなりのことにすっかり気を削がれた彼は、先刻までの激怒も忘れて首を縦に振った。あるいは、男のあまりの美しさに、圧倒されていたのかも知れない。彼に続いて、他の三人もメレフの後に従う。
「メレフ……!!あの、メレフ……!!あぁ嘘みたい!天才ピアニストメレフ!!まさか本当に会えるなんて!!」
 横を歩くマティーニの腕をがっしりと握ったまま、レジーナが彼を揺さぶった。彼女の強い力に抵抗出来ず、哀れなマティーニはがくがくと頭を前後させる。
「れ、レジーナ、落ち着いて……!」
「落ち着けないわよ!!だって、あのメレフが目の前にいるのよ!?本当格好いいわ……!私服姿もステキ」
 彼女は実際、ほとんど感極まっていた。何せ、長年恋焦がれた男にようやく対面することが出来たのだ。毎日CDや公演の録音を聴き、インタビュー動画やライブ配信の映像を繰り返し見ていて、脳裏に焼き付けていたメレフその人に。
 会いたかった。生身の彼に会って、自分の好きな気持ち、彼を応援する思いを受け取ってもらいたかった。別に、付き合いたいだとかそこまで烏滸がましいことは微塵も考えていない。いないけれども、自分の伝えた言葉が、少しでも彼の頑張る源になればいいと、夢想してしまっていた。だから、招待状が届いた時は、飛び上がるほど嬉しかった。これで夢が叶うと、今日という日を本当に待ち望んで、生きる希望にしてきた。そうして、やっと会うことが出来たのだ。世間を賑わせる天才ピアニスト、絶世の美男子、その他諸々の計り知れない賞賛を受ける、メレフその人に。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:1,506pt お気に入り:30

突然の契約結婚は……楽、でした。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:136,051pt お気に入り:4,750

円満な婚約解消が目標です!~没落予定の悪役令嬢は平穏を望む~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:25,880pt お気に入り:305

愛しい人、妹が好きなら私は身を引きます。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:159,133pt お気に入り:4,360

夫は私を愛してくれない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:43,475pt お気に入り:224

妹に婚約者を奪われましたが今は幸せです

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:58,292pt お気に入り:1,153

大江戸の朝、君と駆ける

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:127pt お気に入り:2

桐壺の更衣になるはずだった私は受領の妻を目指します

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:569pt お気に入り:8

大好きなあなたを忘れる方法

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:4,018pt お気に入り:1,057

処理中です...