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特別な存在

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「お嬢様、お待ちください」

 ネイサンの声が追いかけてきた。

 涙がこぼれないように目に力を入れて、何でもなかったように振り返る。

「何?」

 ネイサンがハンカチを取り出した。一瞬涙が出ていたかしらと、狼狽えてしまう。

「口元にティラミスが」

 顔が赤くなる。ネイサンがクスッと笑ってから、提案してきた。

「差し支えなければ、私がお読みいたしましょうか?」
「え?」
「寝る前のご本でございますよ。さすがに添い寝はいたしかねますが」

 子どもっぽかったかしら……。糸目の奥の黒い瞳には、からかう様な色が浮かんでいる。私は悔しくなって、プイッと横を向く。

 ネイサンだって、私を一番に考えてはくれないもの。

 ネイサンが私に本を読んでくれたって、添い寝してくれたって、それって義務じゃないの。仕事だからでしょ?

 そうじゃないの。そういうんじゃなくて、私は……。

 ──あれ?

 その時気づいた。

 私は、愛されたい。家族の情くらい深く……激しく……。

 そして──。

 ネイサンを振り仰いだ。

 笑ったような糸目をじっと見つめた。ネイサンは、私から穴が空くほど凝視され、怪訝そうに首を少し傾げた。

 私、嫌なんだ。

 ネイサンが仕事で私の傍にいるってことが、たまらなく嫌。仕事で仕えてくれている。それは報酬を貰っているから。

 今までお兄様からもらっていた家族愛ですら、横から現れたどこの馬の骨とも知らない女にかっさらわれる。

 私が望んで都に出てきたとはいえ、お父様とお母さまは、遠く離れた辺境伯領だし。

 だから寂しくて、使用人の世話に愛情を見出そうとしている?

「──? 何か?」

 無言で見つめられて、ネイサンが戸惑っているのが分かった。私は我に返ると、気になっていたことを質問する。

「ネイサン、今彼女居るの?」
「え?」
「お休みのチュウ、してくれなかったわ」

 彼は呆れたように息をついた。

「それは、さすがに使用人としての仕事の一環を超えております」
「──彼女とはするんでしょ?」
「え?」
「チュウよ」
「いつ彼女を作る時間が? 休日はこの前ご覧になったような生活でございますよ」

 それもそうか。私はほっとした。

「結婚、いつまでもできないじゃない……。もういい歳なのに」
「いい歳言うな。いや、言わないでくださいませ」

 ちょっと考え込むネイサン。

「結婚願望はございませんので、あまりそういう心配はしておりませんが」

 そうですねぇ、とネイサンは言葉を選ぶようにしながら続ける。

「執事が家族を作るのは難しい。だから報酬が専属騎士並みに高いんです。伴侶を得ようと思えば、四六時中拘束されるこの仕事に、よほど理解がある方を選ぶか、まあ結婚するなら、多くは辞めて別の仕事につきますね」

 拘束……。しょんぼりした。お金を払って、彼を拘束しているんだ、私。しかも結婚したいなら辞めるだなんて。執事ってストイックな職業ね。

「なんで、執事になろうと思ったの?」

 ネイサンは面白そうに私を見下ろして言った。

「急にいかがいたしましたか? 執事の仕事にご興味をお持ちで?」

 あなたに興味が有るの! なんて言えない。その取り澄ました糸目を大きくこじ開けてやりたくなったけど、むすっと黙り込むに留まった。

 ネイサンは私の様子を不思議な表情で見守っていたけど、しばらくしてポツポツと語り出した。

「やはり……第一は報酬でございますね。父を早くに亡くしまして、母は体が弱かったので──弟の学費を稼がなくてはいけませんでしたから」
「弟さん?」
「ええ、エイベル坊ちゃまの同級生です。小さいころから医者志望でございました。学院卒業後、医大に進学させることができたのも、この仕事のおかげです」

 へえええ、じゃあ今はもうお医者さんなんだ!

「ええ。奇遇ですが、弟も結婚するんです。うちは来年ですが。お互いに招待しあっているようですよ」

 そうか。好きな仕事につけたのは、ネイサンのおかげね。でもネイサン、自分の夢は良かったのかしら。

「ネイサンは、頭も要領もいいし、武道も習っているし……執事以外もできそうじゃない? やりたいこと無かったの?」

 ネイサンは首を傾げた。

「それほど、仕事に拘りはございませんでしたので。……執事はクライアントからの要望に臨機応変に対応しなければならない難しい仕事です。領地経営や館の管理、使用人の手配などの秘書的業務の全てをこなさなければならない。だからこそやりがいがあるし、私には苦ではございません」

 めんどくさそう。顔に出たのか、ネイサンは苦笑いだ。

「坊っちゃまのように国の防衛に携わる仕事は、どなたがご覧になっても素晴らしい。護衛騎士も華があります。ですが地味でも、クライアントに快適な生活を提供する執事という職業を、私は誇りに思っておりますし、自分には向いていると思うのです」

 そう、と私は呟いた。

 ネイサンの返答は真っ当なもので、特におかしなことは言っていない。

 なのに、無性にムカムカした。

 クライアント。

 ……そうよね。

「執事が、ネイサンじゃなければ良かった」

 私はうっかり呟いていた。
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