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第三章:王太子の想い
1.コベット国
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午前中に受けていた語学の講師を見送る。
婚約者が手配してくれた講師は、フリーゼグリーン王国の隣であるヒューム国の御出身で、フリーゼグリーン王国の言葉もコベット国の言葉も母国語ではない。
元々は、翻訳の仕事がしたいと近隣各国の言葉を独学で勉強したという元貴族のご令嬢だ。その方から教わるコベット語講座は、正しい発音と綴り方のフリーゼグリーン語を使って行なわれる。
隣国であるヒュームの言葉ならばジュディスも分かる。書くことも読むことも話すことも、王女として隣接している国の言葉は覚えるべきだと思ったからだ。
だから「ヒューム語で教えて貰って大丈夫です」と主張したが、それはレットから拒否された。
「それをすると、ジュディは会話をする時に、フリーゼグリーン語からヒューム語へ頭の中で一度翻訳した後にコベット語へと再翻訳してから口に出すことになってしまうよ」
そう諭されたのだが、その時はいまいちピンとこなかった。
けれど講義を受け続けている内に、レットの言葉に実感が伴って納得できるようになった。
隣国の言葉を覚えようとした時に知ったのだが、フリーゼグリーン語の表記や文法は諸外国と比較して少し、いいや正直な所かなり独特である。
動詞の位置が違うし、なにより表記は右から左へと綴る。ペンの運び方があまりに他国と違うので、それを正しく書き記すことができる異国人に会ったのは、レットに続いて二人目だ。
「講義の説明に使うフリーゼグリーン語の発音や筆記に正確性に欠ける講師から異国語を教わっても違和感が残るでしょうし、この国の学者から選ぶのは諦めた」
初日に引き合わせてくれた時には、レットのその言葉にもピンとくるものはなかった。
だが、フリーゼグリーン王国の民話や詩集などもよく知っているその講師に教わる時間は、ジュディスにとって心休まる時間となった。延いてはこの国で生活を送ることへの安心と信頼を齎した。
今は講師をジュディスの為になるように、と選んでくれたレットの心遣いが理解できるようにもなった。
この国へ嵐のようなレットに連れて来られて一年が過ぎた。
結婚式まであと一年。言葉を覚えることから始めなければならなかったジュディスに取ってあっという一年だったが、あと一年しかないと思うと焦る。
生国でジュディスはずっと居場所を見つけることができなかった。
生まれてくる場所を間違えたとしか思えなかった自分へ手を差し伸べてくれたは、完璧王子と名高いコベット国の第一王子殿下で。
勉強は嫌いではないし、王族として民の為にできることがあるならば尽くしたい。その気持ちのみを共通点として、私達は婚約した。
ここで役に立てることを証明しなくてはと焦る気持ちが先走ることもある。
不安に揺れる夜も、幾夜も過ごした。
ある日突然ひとりで異国へと嫁することになり、忙しい日々を送るジュディスにとって、正しい母国語を耳にすることは、それだけで癒しの時間となった。
なにより講師は同郷人ではない。
だからこそ依存しすぎないでいられるのだということも、ジュディスは正確に理解していた。
「さて。帰る道すがり図書室に寄っていって、課題として出された翻訳に使用する詩集を探してみましょう」
ジュディスは最近、ひとり言が増えた。増えたというより意識して呟くようにしている。
それも、習いたてのコベット語で呟いている。
最初に呟き始めた頃は発音にも文法にも自信がなかったので自分でもアヤシゲだったろうなと思い返す度に苦笑いしてしまう。
それでも恥ずかしさを押して続けてきた甲斐もあって、今のジュディスは思考のベースがフリーゼグリーン語からコベット語に移行しつつある。それがとても嬉しい。
お陰で侍女とも、ヒューズ語とヒューズ語に似ているネシェル語で微妙にかみ合わない会話をして笑いあったり、辞書を引きながらの筆談で意思疎通を図らなくても良くなってきた。
「午後の講義は、マナーだったわよね?」
「はい。講師はナーダ夫人です」
侍女とふたり、午前中に受けた授業を振り返りながら図書室へ歩いていく。
王城内についても個人の部屋以外は自由に歩いていいと許可してくれたので、時間がある時に一緒に歩いて回って説明して貰ったので、今は案内がなくとも迷うことはない。
「ごきげんよう、ジュディス様。どちらへ行かれるのですか」
「あら。アーリーン様、ごきげんよう。講師の方から出された課題の資料を探しに、図書室へ行くところです」
第二王子ヤミソンの婚約者 アーリーン・ペイター 侯爵令嬢とは、コベット国へ連れて来られてすぐに、レットから紹介を受けた。
「ジュディと近い立場となる。ふたりが仲良くしてくれると嬉しい」
フリーゼグリーンでの会話の事が頭に浮かんでついレットを恨めしく思ったが、実際にあって話をしてみると、これ以上話の合う令嬢とお会いしたことはないと思うほど気が合った。
初めて会った時に完璧な発音のフリーゼグリーン語で挨拶された時の衝撃は忘れられない。
『筆記は、自分で見てもヘタだなって笑ってしまうんですけどね』
ペンの握り方自体が違うのだとお教えすれば、翠色の瞳をきらきらと輝かせていた。
ジュディスは、令嬢と会話していてこれほど楽しいと思ったのは初めてだった。それにより改めて、生国にどれだけ味方がいなかったのかを思い知った。そのこと自体にも、衝撃を受けた。
しかもアーリーンは、ジュディスから見てとても可愛かった。
リリアーヌとは違う愛らしさだ。媚びを感じない愛らしさというのは、ジュディスに取って未知のものだ。こんな自然な可愛さがあるのだと衝撃だった。
婚約者のヤミソンも交えての会話中に輸出予定の商品について『もう少し改善してみたいのです』と言い出しただけでも驚いたのだが、悩んでいるのは改善方法ではなくそのコストだと言う。その際の、悩む仕草すら可愛いのだ。
しかも、おずおずとジュディスがフリーゼグリーンでの似たような製品についての説明を伝えてみると「是非試してみたいです。つきましては、詳しい者を後ほど連れてきてもよろしいでしょうか」と笑顔で申し入れてくれた。
その顔はもっと可愛かった。
ふわふわした金の髪を婚約者であるヤミソン第二王子から貰ったという銀の髪留めを使って編み込んでいるのだが、ふとした拍子に手をやっているのも、可愛い。
こんなに可愛らしいのに、勉強までできる。
ジュディスにとって、アーリーンは理想の令嬢像となった。
午前中に受けていた語学の講師を見送る。
婚約者が手配してくれた講師は、フリーゼグリーン王国の隣であるヒューム国の御出身で、フリーゼグリーン王国の言葉もコベット国の言葉も母国語ではない。
元々は、翻訳の仕事がしたいと近隣各国の言葉を独学で勉強したという元貴族のご令嬢だ。その方から教わるコベット語講座は、正しい発音と綴り方のフリーゼグリーン語を使って行なわれる。
隣国であるヒュームの言葉ならばジュディスも分かる。書くことも読むことも話すことも、王女として隣接している国の言葉は覚えるべきだと思ったからだ。
だから「ヒューム語で教えて貰って大丈夫です」と主張したが、それはレットから拒否された。
「それをすると、ジュディは会話をする時に、フリーゼグリーン語からヒューム語へ頭の中で一度翻訳した後にコベット語へと再翻訳してから口に出すことになってしまうよ」
そう諭されたのだが、その時はいまいちピンとこなかった。
けれど講義を受け続けている内に、レットの言葉に実感が伴って納得できるようになった。
隣国の言葉を覚えようとした時に知ったのだが、フリーゼグリーン語の表記や文法は諸外国と比較して少し、いいや正直な所かなり独特である。
動詞の位置が違うし、なにより表記は右から左へと綴る。ペンの運び方があまりに他国と違うので、それを正しく書き記すことができる異国人に会ったのは、レットに続いて二人目だ。
「講義の説明に使うフリーゼグリーン語の発音や筆記に正確性に欠ける講師から異国語を教わっても違和感が残るでしょうし、この国の学者から選ぶのは諦めた」
初日に引き合わせてくれた時には、レットのその言葉にもピンとくるものはなかった。
だが、フリーゼグリーン王国の民話や詩集などもよく知っているその講師に教わる時間は、ジュディスにとって心休まる時間となった。延いてはこの国で生活を送ることへの安心と信頼を齎した。
今は講師をジュディスの為になるように、と選んでくれたレットの心遣いが理解できるようにもなった。
この国へ嵐のようなレットに連れて来られて一年が過ぎた。
結婚式まであと一年。言葉を覚えることから始めなければならなかったジュディスに取ってあっという一年だったが、あと一年しかないと思うと焦る。
生国でジュディスはずっと居場所を見つけることができなかった。
生まれてくる場所を間違えたとしか思えなかった自分へ手を差し伸べてくれたは、完璧王子と名高いコベット国の第一王子殿下で。
勉強は嫌いではないし、王族として民の為にできることがあるならば尽くしたい。その気持ちのみを共通点として、私達は婚約した。
ここで役に立てることを証明しなくてはと焦る気持ちが先走ることもある。
不安に揺れる夜も、幾夜も過ごした。
ある日突然ひとりで異国へと嫁することになり、忙しい日々を送るジュディスにとって、正しい母国語を耳にすることは、それだけで癒しの時間となった。
なにより講師は同郷人ではない。
だからこそ依存しすぎないでいられるのだということも、ジュディスは正確に理解していた。
「さて。帰る道すがり図書室に寄っていって、課題として出された翻訳に使用する詩集を探してみましょう」
ジュディスは最近、ひとり言が増えた。増えたというより意識して呟くようにしている。
それも、習いたてのコベット語で呟いている。
最初に呟き始めた頃は発音にも文法にも自信がなかったので自分でもアヤシゲだったろうなと思い返す度に苦笑いしてしまう。
それでも恥ずかしさを押して続けてきた甲斐もあって、今のジュディスは思考のベースがフリーゼグリーン語からコベット語に移行しつつある。それがとても嬉しい。
お陰で侍女とも、ヒューズ語とヒューズ語に似ているネシェル語で微妙にかみ合わない会話をして笑いあったり、辞書を引きながらの筆談で意思疎通を図らなくても良くなってきた。
「午後の講義は、マナーだったわよね?」
「はい。講師はナーダ夫人です」
侍女とふたり、午前中に受けた授業を振り返りながら図書室へ歩いていく。
王城内についても個人の部屋以外は自由に歩いていいと許可してくれたので、時間がある時に一緒に歩いて回って説明して貰ったので、今は案内がなくとも迷うことはない。
「ごきげんよう、ジュディス様。どちらへ行かれるのですか」
「あら。アーリーン様、ごきげんよう。講師の方から出された課題の資料を探しに、図書室へ行くところです」
第二王子ヤミソンの婚約者 アーリーン・ペイター 侯爵令嬢とは、コベット国へ連れて来られてすぐに、レットから紹介を受けた。
「ジュディと近い立場となる。ふたりが仲良くしてくれると嬉しい」
フリーゼグリーンでの会話の事が頭に浮かんでついレットを恨めしく思ったが、実際にあって話をしてみると、これ以上話の合う令嬢とお会いしたことはないと思うほど気が合った。
初めて会った時に完璧な発音のフリーゼグリーン語で挨拶された時の衝撃は忘れられない。
『筆記は、自分で見てもヘタだなって笑ってしまうんですけどね』
ペンの握り方自体が違うのだとお教えすれば、翠色の瞳をきらきらと輝かせていた。
ジュディスは、令嬢と会話していてこれほど楽しいと思ったのは初めてだった。それにより改めて、生国にどれだけ味方がいなかったのかを思い知った。そのこと自体にも、衝撃を受けた。
しかもアーリーンは、ジュディスから見てとても可愛かった。
リリアーヌとは違う愛らしさだ。媚びを感じない愛らしさというのは、ジュディスに取って未知のものだ。こんな自然な可愛さがあるのだと衝撃だった。
婚約者のヤミソンも交えての会話中に輸出予定の商品について『もう少し改善してみたいのです』と言い出しただけでも驚いたのだが、悩んでいるのは改善方法ではなくそのコストだと言う。その際の、悩む仕草すら可愛いのだ。
しかも、おずおずとジュディスがフリーゼグリーンでの似たような製品についての説明を伝えてみると「是非試してみたいです。つきましては、詳しい者を後ほど連れてきてもよろしいでしょうか」と笑顔で申し入れてくれた。
その顔はもっと可愛かった。
ふわふわした金の髪を婚約者であるヤミソン第二王子から貰ったという銀の髪留めを使って編み込んでいるのだが、ふとした拍子に手をやっているのも、可愛い。
こんなに可愛らしいのに、勉強までできる。
ジュディスにとって、アーリーンは理想の令嬢像となった。
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