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ヘイデン視点
カフェでアラベラと別れたボクは、意気揚々と帰路についた。
大切な図鑑を根こそぎ奪われた悲しみは吹き飛んだよ。
来週末受け取れる図鑑は、フルカラーで最新の内容らしい。
それだけでも期待値は跳ね上がったけれど、新種の草花が10種加わり、さらには別冊特典まであるんだ。
「オマケはカラーじゃないらしいけど、珍しい薬草図鑑だもの心が躍るなぁ!早く目にしたいよ」
ふたりの侍従を乗せた馬車の中で、ボクは独壇場さながら草花について論じた。
彼らが爪先ほども興味がないのは知っている。
だが興奮したボクには些細なことだ、父上に禁じられた図鑑の購読を告げ口しないように小遣いを握らせておくのも忘れない。
今のボクには痛い出費だったが、希少な図鑑がただ同然で手に入るのだから良しとしよう。
残り僅かな金子から手渡すと、彼らは気まずそうながらも嬉々としているのがわかった。
侍従達の給金は、平民に比べれば高いがそれでも好き勝手遊べる余裕はないだろう。
それに、既婚者の彼らは普段から自由にできる金を持っていない。
ボクにはたったの5万でも彼らには大金に違いない。
「大人は色々物入りだろ?子供のボクには子細はわからないが夜遊びは金がかかると知ってるよ」
「は、はぁ。坊ちゃんにはかないませんね」
「有難く頂戴します」
彼らの反応に気をよくしたボクは、満足に笑って車窓の端に消えていく景色を眺めた。
「ティアの約束をどう断れば角が立たないかなぁ」
この時のボクはかなり傲慢だったと思う。
***
八日後の昼。
ボクはアラベラに指南して貰ったままの言葉でティアに「急用ができた、穴埋めは必ずするから」と伝えた。
貴族が待ち合わせに良く使う大きなカフェで待っていた彼女は、目を見開いて固まった。
「ずいぶんいきなりね、吃驚したわ」
「ごめんよ、どうしても優先すべき事なんだ!わかって欲しい」
「理由を聞いても良くって?」
彼女の澄んだ瞳でまっすぐ捉えられて、ボクは一瞬怯んでしまう。
「そ、それは……。」
バカ正直に”本を手に入れる為”などと言えるはずもない。
いくらボクが図鑑バカだったとしても、それはかなり拙い言い訳だ。
大切な婚約者を疎んじるほど、本が好きなんて外聞が悪すぎる。
父上に知れたら大目玉を食らうし、万が一にも破棄になどなったら一生後悔するだろう。
ボクはティアが大好きなんだ!
なんだっけ……アラベラが用意してくれた逃げ文句…………。ハッ!そうだ。
「ひ、人の用事を詮索するなんて無粋だよ。キミはもっと慎みボクを尊重すべきだ!」
「まぁ!?」
ボクの気弱さ知る彼女は心底驚いたようだ。
貧弱を拭い捨てたボクは生まれ変わったのさ、急に強くなった自分に気分は最高だった。
ど、どうだいティア!
未来の主人としてボクは男らしさを身に着けたんだよ。
これもアラベラのお陰だな!
まぁ、婚約者の行動としては褒められたものじゃないけど。
『恋の駆け引き』らしいから我慢して貰いたい。
そして、クールに変貌したボクをもっと、もーっと好きになってね。
心から愛し、伯爵夫人に相応しい淑女になってくれよ。
やや踏ん反り気味に返答を待っていたら、ティアは微かに震えた声で「わかりました」と言った。
ほんのり瞳を滲ませた悲しい顔に、ズキリと心が痛んだけれど仕方ない。
「……次は絶対デートしてね?お願い」
「あ、あぁもちろんさ。期待しててくれ。人造湖公園が菖蒲の見頃らしいから行こう」
ボクが次のデートプランをいうと、彼女は急速に頬を朱に染めて微笑んだ。
ティアの涙がギリギリで引っ込んだことにボクは安堵する。
「じゃあ本当に急ぐから!またねティア」
「えぇ、気を付けていってらっしゃい」
急ぎ足で馬車に向かうボクの後ろを、ティアは甲斐甲斐しく付いてきて見送ってくれた。
馬車に乗り込み後部の窓を振り返ると、彼女はずっと手を振っていた。
「ふふ、本当にティアはボクが好きなんだな!あんなに必死に手を振ってさ!」
愛されていることを実感したボクはとても高揚した。
これが恋の駆け引きというものか、素晴らしいじゃないか!
***
それから直ぐにアラベラと合流したボクは一部始終を報告した。
「あら、良かったじゃない。愛が確かめられたのよね!」
アラベラは私が言った通りでしょとドヤ顔になって笑う。
「はは、まさかたった一回でこんなに効果があるなんて思わなかったよ。泣くのを耐えてる彼女のいじらしさときたら可愛くてさ。人目を憚らず抱きしめたくなったよ。馬車が見えなくなるまで手を振ってくれたよ大成功だね!」
ボクは脳裏に焼き付けたティアの様子に満足しつつ、アイスカフェオレを飲んだ。
いつもの薄いカフェオレがなんだか味まで深くなった気がする。
少し落ち着いてからアラベラが約束の図鑑を渡してくれた。
それは想像以上に素晴らしいものでボクは驚喜した。
「じゃあ約束通り、これを預かってね。期限は半年ほどよ」
アラベラはそう言うと麻袋に入れたブリキ製の鍵付き箱をボクに押し付けた。
「ほんとに預かるだけで良いの?」
「ええ、とても助かるわ。でも決して開けないでね。それから誰にも見せちゃ駄目」
ボクは快く引き受けると感謝を述べた。
だって貴重な図鑑はボクの小遣い3か月分はありそうな価値なのだから。
手書きの羊皮紙本はモノクロでもかなり高いのだ。
ボクらはそれから他愛ない会話を交わして談笑した。
「ところでねぇ、効果覿面ならば次もドタキャンしてみたら?」
アラベラの言葉に、ボクは口の中のものを吹き出しそうになって咳き込んだ。
「ゲッホ、ゴッホ!な、なにを言うんだ!いくらなんでもそんな可哀そうなことできないよ!公園へ行く約束までしてきたのに」
慌てて反論するボクに、アラベラは残念なものを見る目で肩を竦めた。
「やーね、たった一回で有頂天になるなんて!恋は単純じゃないし、女心は貴方が思うより複雑怪奇なのよ?」
「え?へ……?どういうこと?」
カフェでアラベラと別れたボクは、意気揚々と帰路についた。
大切な図鑑を根こそぎ奪われた悲しみは吹き飛んだよ。
来週末受け取れる図鑑は、フルカラーで最新の内容らしい。
それだけでも期待値は跳ね上がったけれど、新種の草花が10種加わり、さらには別冊特典まであるんだ。
「オマケはカラーじゃないらしいけど、珍しい薬草図鑑だもの心が躍るなぁ!早く目にしたいよ」
ふたりの侍従を乗せた馬車の中で、ボクは独壇場さながら草花について論じた。
彼らが爪先ほども興味がないのは知っている。
だが興奮したボクには些細なことだ、父上に禁じられた図鑑の購読を告げ口しないように小遣いを握らせておくのも忘れない。
今のボクには痛い出費だったが、希少な図鑑がただ同然で手に入るのだから良しとしよう。
残り僅かな金子から手渡すと、彼らは気まずそうながらも嬉々としているのがわかった。
侍従達の給金は、平民に比べれば高いがそれでも好き勝手遊べる余裕はないだろう。
それに、既婚者の彼らは普段から自由にできる金を持っていない。
ボクにはたったの5万でも彼らには大金に違いない。
「大人は色々物入りだろ?子供のボクには子細はわからないが夜遊びは金がかかると知ってるよ」
「は、はぁ。坊ちゃんにはかないませんね」
「有難く頂戴します」
彼らの反応に気をよくしたボクは、満足に笑って車窓の端に消えていく景色を眺めた。
「ティアの約束をどう断れば角が立たないかなぁ」
この時のボクはかなり傲慢だったと思う。
***
八日後の昼。
ボクはアラベラに指南して貰ったままの言葉でティアに「急用ができた、穴埋めは必ずするから」と伝えた。
貴族が待ち合わせに良く使う大きなカフェで待っていた彼女は、目を見開いて固まった。
「ずいぶんいきなりね、吃驚したわ」
「ごめんよ、どうしても優先すべき事なんだ!わかって欲しい」
「理由を聞いても良くって?」
彼女の澄んだ瞳でまっすぐ捉えられて、ボクは一瞬怯んでしまう。
「そ、それは……。」
バカ正直に”本を手に入れる為”などと言えるはずもない。
いくらボクが図鑑バカだったとしても、それはかなり拙い言い訳だ。
大切な婚約者を疎んじるほど、本が好きなんて外聞が悪すぎる。
父上に知れたら大目玉を食らうし、万が一にも破棄になどなったら一生後悔するだろう。
ボクはティアが大好きなんだ!
なんだっけ……アラベラが用意してくれた逃げ文句…………。ハッ!そうだ。
「ひ、人の用事を詮索するなんて無粋だよ。キミはもっと慎みボクを尊重すべきだ!」
「まぁ!?」
ボクの気弱さ知る彼女は心底驚いたようだ。
貧弱を拭い捨てたボクは生まれ変わったのさ、急に強くなった自分に気分は最高だった。
ど、どうだいティア!
未来の主人としてボクは男らしさを身に着けたんだよ。
これもアラベラのお陰だな!
まぁ、婚約者の行動としては褒められたものじゃないけど。
『恋の駆け引き』らしいから我慢して貰いたい。
そして、クールに変貌したボクをもっと、もーっと好きになってね。
心から愛し、伯爵夫人に相応しい淑女になってくれよ。
やや踏ん反り気味に返答を待っていたら、ティアは微かに震えた声で「わかりました」と言った。
ほんのり瞳を滲ませた悲しい顔に、ズキリと心が痛んだけれど仕方ない。
「……次は絶対デートしてね?お願い」
「あ、あぁもちろんさ。期待しててくれ。人造湖公園が菖蒲の見頃らしいから行こう」
ボクが次のデートプランをいうと、彼女は急速に頬を朱に染めて微笑んだ。
ティアの涙がギリギリで引っ込んだことにボクは安堵する。
「じゃあ本当に急ぐから!またねティア」
「えぇ、気を付けていってらっしゃい」
急ぎ足で馬車に向かうボクの後ろを、ティアは甲斐甲斐しく付いてきて見送ってくれた。
馬車に乗り込み後部の窓を振り返ると、彼女はずっと手を振っていた。
「ふふ、本当にティアはボクが好きなんだな!あんなに必死に手を振ってさ!」
愛されていることを実感したボクはとても高揚した。
これが恋の駆け引きというものか、素晴らしいじゃないか!
***
それから直ぐにアラベラと合流したボクは一部始終を報告した。
「あら、良かったじゃない。愛が確かめられたのよね!」
アラベラは私が言った通りでしょとドヤ顔になって笑う。
「はは、まさかたった一回でこんなに効果があるなんて思わなかったよ。泣くのを耐えてる彼女のいじらしさときたら可愛くてさ。人目を憚らず抱きしめたくなったよ。馬車が見えなくなるまで手を振ってくれたよ大成功だね!」
ボクは脳裏に焼き付けたティアの様子に満足しつつ、アイスカフェオレを飲んだ。
いつもの薄いカフェオレがなんだか味まで深くなった気がする。
少し落ち着いてからアラベラが約束の図鑑を渡してくれた。
それは想像以上に素晴らしいものでボクは驚喜した。
「じゃあ約束通り、これを預かってね。期限は半年ほどよ」
アラベラはそう言うと麻袋に入れたブリキ製の鍵付き箱をボクに押し付けた。
「ほんとに預かるだけで良いの?」
「ええ、とても助かるわ。でも決して開けないでね。それから誰にも見せちゃ駄目」
ボクは快く引き受けると感謝を述べた。
だって貴重な図鑑はボクの小遣い3か月分はありそうな価値なのだから。
手書きの羊皮紙本はモノクロでもかなり高いのだ。
ボクらはそれから他愛ない会話を交わして談笑した。
「ところでねぇ、効果覿面ならば次もドタキャンしてみたら?」
アラベラの言葉に、ボクは口の中のものを吹き出しそうになって咳き込んだ。
「ゲッホ、ゴッホ!な、なにを言うんだ!いくらなんでもそんな可哀そうなことできないよ!公園へ行く約束までしてきたのに」
慌てて反論するボクに、アラベラは残念なものを見る目で肩を竦めた。
「やーね、たった一回で有頂天になるなんて!恋は単純じゃないし、女心は貴方が思うより複雑怪奇なのよ?」
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