タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~

ルッぱらかなえ

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第二章 | 江戸のストーカー、麦をくれる

江戸のストーカー、麦をくれる 其ノ伍

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あたたかい麦茶を湯飲みで提供する「麦湯」。

こんな暑い日に、それもお茶だけを売る店に果たして需要はあるのだろうか。
最初に屋台を見た時なおはそう思ったが、見ていると入れ代わり立ち代わり様々な客がやってくる。

買い物帰りの女性に、大きな籠を担いだ物売り。
皆、汗をぬぐいながら麦湯をゴクゴクと飲んでいるのだ。

「暑い日に熱いもん飲むんだな……絶対ビールの方がいいだろ」

麦湯はうまいが、湯飲みを通じて熱さがじんじんと伝わってくるのはやはりつらいものがある。

店が落ち着いたら大麦を持ってきてくれる、というのでなおと喜兵寿は椅子に腰かけて待っているわけだが、日陰にいるとはいえ汗が止まらない。

暑くて喉が渇く、麦湯を飲んでまた暑くなる繰り返しで、「ああ、ビール飲みたいわ」なおは額をぬぐいながら叫んだ。

「びいるは暑い時に飲む酒なのか」

喜兵寿が興味津々に食いついてくる。

「そうだな、ビールはいつ飲んでもうまいんだけど、やっぱり暑い日に飲むビールは格別だな。苦味感じる冷たい炭酸が喉を刺激しながら落ちていくあの感じ……あれはやっぱりビールだからこその魅力だよな」

「たんさん、というのはなんだ?」

「ビール飲んだ時、しゅわしゅわ、パチパチっとしただろ?あれだよ」

なおと一緒にタイムスリップしてきたビールの味わいを思い出そうとしているのだろう。
喜兵寿は眉間に皺を寄せると、思い出すように口を動かす。

「あの酒がはねる感じがいいのか……今は想像すらできないが、びいるが出来たあかつきには外で飲んでみることにしよう」

喜兵寿が麦湯を飲みながら、「楽しみだ」と笑った。

「そうだな、大麦も手に入りそうだし、他の原材料もなんとかなるだろ。外で飲むビールはうまいぞ!俺は天才ブルワーだからな。期待していいぞ」

なおの言葉に、喜兵寿が急に真顔になる。

「いまさらだがびいるは大麦の他には何が必要なんだ?朝市を見ていて造れそうな材料はありそうだったか?」

「ビールは必要なのは麦芽とホップに酵母。日本酒があるってことは酵母はどうにかなるんだろうけど……問題はホップだろうな」

「ほっぷ、というのはなんだ?」

「簡単にいうと植物の実だな。その実を使ってビールの苦みをつけるんだよ。俺が普段使ってるホップは海外からの輸入もんなんだけど、日本で栽培してるとこもあるわけだし……まあ探せばどっかに生えてんじゃないか?」

「どっかに生えてんじゃないか?じゃないでしょ!」

なおの呑気な言葉に、突然隣の椅子にいたつるが突っかかってきた。
他の女性たちと話しつつも、喜兵寿となおの会話に耳をそばだてていたのだろう。

噛みつかんばかりにこちらを睨みつけている。

「びいるが出来なきゃ、牢屋敷に入れられちゃうんだからね!わかってる?!」

「……わかってるって!」

つるの大きな声に、なおは思わず耳をふさいだ。
空気がびりびりと震えるような音量だ。耳元でまくしたてられたらたまったもんじゃない。

「牢屋敷に入れられたら帰ってこれないんだからね!」

「だからわかってるって!」

「いや、わかってないでしょ!わかってるんだったらもうちょっと危機感とか……!」

「つる、落ち着きなさい」

喜兵寿はつるを引き寄せると、ポンポンと優しく頭を叩いた。

「心配かけてすまんな」

「殺されちゃうかもしれないのに、なんでこんなに呑気なんだろって……そりゃあイライラもするでしょ!」

そういって再びなおをギロリと睨む。
そんなつるを見て、喜兵寿はにっこりと笑って言った。

「大丈夫だ。必ずなんとかするからつるは心配しなくていい。

後で蘭学者の幸民先生のところにも行ってみるよ。
西洋の酒にも詳しいはずだから、びいるについてなにかしらの助言をくれるはずだ。

あわよくば一緒にびいるを造ろうと誘ってみようとも思ってるよ。
心配だろうけど、つるはそんなに心配しなくていい。困ったら必ず相談するから」

つるは黙って聞いていたが、最後に小さく頷いた。

「……わかった。でも本当なにかあったら必ず相談してよね」

そういうと、なおに向かってべえっと大きく舌を出し、「店の準備があるから帰る」と荷物をまとめて帰っていった。

「やっぱり俺、つるに嫌われてるよなあ。なんでだろうな」

心底不思議そうに首を傾げるなおを、喜兵寿は奇異の目で見ながら「お前は本当いままで幸せに生きてきたんだろうな」と大きくため息をついた。

「きっちゃん大丈夫?あれ、つるちゃんは?」

先ほどのピリピリとした空気を感じたのだろう。
夏がお盆片手にパタパタと駆け寄ってくる。

「つるは仕込みがあるから帰ったよ。すまんな、夏。騒がしてしまった。」

喜兵寿が片手をあげると、夏は「そっか!全然だよ~」とほほ笑む。そして

「お待たせしちゃってごめんね。もうちょっとしたら落ち着くと思うから、そうしたら麦もってくるからね。あ、これお隣の屋台のお団子。最近わたしこれにハマってるんだあ。よかったら食べててね」

と、お盆に乗せていた団子とおかわりの麦湯を椅子の上に置いた。

「いや、気持ちはありがたいんだが、さすがにこんなには……」

先ほどから夏は何かにつけて食べ物を持ってきてくれていた。
くず餅に大福、焼き芋などふたりが座る椅子は甘味でいっぱいだ。そしてその都度、夏は嬉々としておかわりの麦湯を持ってきてくれるのだった。

「いいの!いいの!きっちゃん甘いものすきでしょう?遠慮しないで食べてね」

夏は喜兵寿の飲みさしの湯飲みをお盆に乗せると、うふふっと立ち去って行った。

「なあ喜兵寿、夏ちゃん、めっちゃ尽くしてくれてんじゃん。あんなにかわいいんだしさ、付き合ったりしないわけ?」

夏の背中を見ながら、なおはにやにやと喜兵寿の肩を組む。

「付き合わないな」

「なんでだ?あ、他に付き合ってる人がいるのか」

「いない。というか誰とも付き合う気はない」

「なんで?」

なおが怪訝そうに眉をしかめるのを見て、喜兵寿は面倒くさそうにため息をついた。

「誰と付き合ったとしても、自分が浮気することがわかってるからだよ。嫌なんだよ、女性を泣かすの。誰とも付き合わなかったら、別に何をしても誰も傷付けないだろ?」

「なるほど……って、そういうもんなのか?!」

たしかに彼女や妻がいなければ、何人と関係を持ったところで浮気にはならないのかもしれないが、傷つけたくないと優しげなことを言いつつも、なかなかにゲスい発言だ。

「付き合ってる人はいないが、身体の関係がある女性は複数いると」

なおの言葉に、喜兵寿は「まあそういうことだ」と頷いた。

「じゃあひょっとして夏ちゃんとも……」

「そんなわけないだろ!夏はつるの昔馴染みの友人だぞ。言ってしまえば妹のようなもんだ。夏だって俺のことを兄のように思って慕ってくれているだけだろうよ」

「いや、あの感じはどう見たって恋だと思うけど」

「そんなわけないだろ。しつこいぞ。それに今は色恋の話をしている場合ではないだろ」

「はいはい、わかってますよ~」

なおはにやにやと喜兵寿を眺めながら麦湯を飲み干すと、立ち上がって屋台へと向かった。

「おかわりもらってくるわ。喜兵寿には毎回新しい湯飲みで持ってきてくれるけど、俺には持ってきてくれないからさ」

しかし屋台には夏の姿は見当たらなかった。
大きな鍋に入った麦湯からはゆらゆらと湯気が立ち上っている。

湯飲みはきっちりと揃えて置かれていて、店主である夏の几帳面な性格が空けて見えるようだった。

ちょうど客足も途絶えたタイミングのようだし、厠にでも行っているのだろうか?ふと屋台の下に目をやると、向こう側に草履を履いた足がみえる。

「なんだ、夏ちゃんいるんじゃん」

なおがひょいと覗き込むと、夏はしゃがみ込んだ姿勢で作業をしていた。
湯飲みの中身をゆっくり一滴も残らないように徳利に移し、風呂敷で一つずつ大事そうに包む。

その横顔があまりにも真剣なので、なおはしばらく黙ってその様子を眺めていた。

「ずいぶん丁寧に仕事するんだね」

作業がひと段落した時点で声をかけると、夏はきゃっと小さな声をあげた。

「びっくりしたあ。なおさんですか。見てたなら声かけてくださいよ」

「いや、集中してるみたいだったから黙ってた。店の片付け?何か手伝うよ」

なおが屋台の裏側に回ろうとするのを、夏は「大丈夫です!」と慌てて止めてくる。

「これ洗い物じゃなくて、宝物なので!」

「ん?」

意味がわからずなおが戸惑っていると、夏は大事そうに風呂敷を抱え言った。

「これ、きっちゃんがいま飲んだ湯飲みなんです。ふふ、すごいですよね。きっちゃん忙しくてたまにしか来てくれないし、来てもいつもすぐに帰っちゃうので、最近は全然わたしの宝物増えなかったのですが……今日はこんなに集まっちゃいました!」

「ん?」

にこにこと説明してくれる夏の言葉がまったく頭に入ってこない。

「嗚呼、うれしいなあ。でもこれ、なおさんのおかげでもありますね。ありがとうございます。大事に使いますね!」

そう言ってゆっくりと風呂敷を撫で、徳利を愛おしそうに眺める。

「使うって何にだ!?」そんなツッコミが頭いっぱいに浮かんだなおだったが、夏の横顔があまりにも嬉しそうで、言葉はどうにも出てこなかった。

「あ、これきっちゃんには秘密にしてくださいね!恥ずかしいので。じゃあわたし、麦を取りに帰るついでにこれをおうちにしまってきますので、すみませんが少し店番をお願いできますでしょうか?」

「お、おう……」

なおが思わず返事をすると、夏は「ではちょっと行ってきますね」と頭を下げ、パタパタと走っていったのであった。
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