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第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く
樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ拾弐
しおりを挟む夏から譲りうけ、麦芽にすべくここまで大切に育ててきた麦たち。それをここで横取りされるわけにはいかなかった。覆いかぶさるようにしてザルを守る。
(わたしだってびいる造りをする仲間の一員……これはわたしが任されたんだ)
つるはぎゅうっと目をつぶると、全身に力を入れた。いつ背中から切りかかられるかわからない恐怖に、心臓が早鐘を打つ。
ここからどうしていいのかわからなかった。でもとにかく村岡達には絶対に渡したくない、この麦を守るんだ、という一心で麦を掻き抱く。
男たちの足音はすぐに裏口へとやってきて、つるを取り囲んだ。
「おい娘、それはなんだ」
いやに静かな村岡の声。薄く笑っているようなその声に、足が震える。
「……なんでもございません」
精一杯声を張ったつもりだったが、口から出たのは細く弱々しいものだった。
「おい!村岡様が聞いているんだぞ。隠すとは何事だ!ここで叩き切ってくれようか!」
他の男の怒号。カチャリという刀の音に、脇から汗がどっと流れる。
「……なんでも……ございません……!!!」
怖かった。目をつぶっていても背中に嫌という程感じる男たちの視線。それらはどれも怒りや悪意に満ち満ちたものであり、まっすぐに麦に向かっているのがわかった。
何も悪いことはしていないのに。わたしたちはただびいるを造りたいだけなのに。どうしてこんな邪魔をされなくてはならないのだろう。造らなければ殺される、なのに造ろうとすれば邪魔される。あまりに理不尽ではないか。
つるはぐっと息を止めた。そうしなければ涙がぽろぽろとこぼれてしまいそうだった。村岡がやってきてから、この町はどんどんおかしくなってきている。でもどうすることもできないことが悔しかった。
「まあまあ、そうカッカするな」
村岡の声がゆっくりと近づいてくる。粘着質にまとわりつくその声に全身が粟立つのを感じる。
「なにもそれがびいるの材料だと決まったわけではなかろう?娘が『なんでもない』と言っているのだ、ひょっとしたら娘は急に腹が痛くなって、そこにうずくまっているだけなのかもしれんしな!」
おちゃらけたような村岡の言葉に、男たちが笑い声を立てる。
「でも、もしだぞ?もし、仮に娘がびいるの材料を隠しているのだとすれば。それは我ら同心に嘘をついたということ。その場合にはそれなりの罰を受けてもらわねばならん」
気配で村岡が刀を抜いたのがわかった。次の瞬間、怒声が飛ぶ。
「娘、隠しているものを見せよ!」
つるは小さく深呼吸をすると、自分の下にある麦に目を向けた。たっぷりと太陽を浴びた麦たちは、あたたかな寝息をたてながら、すやすやと眠っているように見える。
たった数日世話をしただけなのに、どうしようもなく愛おしかった。「酒を造りたい」、女として生まれてしまった以上、許されるはずもなかったその夢を、叶えてくれるかもしれない希望の種。
ここでもしこの麦を取られてしまったとしても、町中を探し回れば別の麦を入手できる可能性はあるのかもしれない。
でも。
つるは顔をあげると、村岡の顔を真っすぐに見た。
でもここで麦を簡単に渡してしまったら、何か大切なものをなくしてしまう気がする。とにかく今自分の下にある、酒の「いのち」を守りたかった。だってわたしもびいる造りをする杜氏のひとりなのだから。
刀の切っ先は真っすぐつるの方を向いていた。意地悪そうに顔をゆがめている村岡と、男たち。そしてその後ろには騒ぎを聞きつけた町の人たちが、わらわらと集まり始めている。その中に、崩れ落ちるようにして涙を流している夏の姿が見えた。
つるは「大丈夫だよ」という想いをこめて夏に微笑みかけると、身体を持ち上げ、ざるの横に背筋を伸ばして座った。
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