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第七章 |老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する
老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する 其ノ弐拾
しおりを挟む日本酒を造らない。
そう決めたのは10歳の頃だった。みぞれまじりの雨が降る、ある夜明け時。喜兵寿は寒造りを見ようと、こっそり布団を抜け出した。
この冬は兄である源蔵が、酒造りに参加する初めての年だった。頭が良くて頼りがいがあって、いつだって「大丈夫だ、まかせておけ」と守ってくれる源蔵は、喜兵寿にとって自慢の兄。父と祖父が相次いて死去してしまった後でも寂しくなかったのは、年の離れた源蔵が喜兵寿とつるの父親代わりをしてくれていたからに違いなかった。
そんな兄の門出の時だ。喜兵寿は胸を弾ませ蔵をのぞき込んだ。
しかしなんだか様子がおかしかった。杜氏である忠勝が険しい顔で腕組をしており、その足元には源蔵が大の字になって倒れている。
何事かと驚いていると、周りの職人たちのこそこそ声が耳に入ってきた。
「たった一杯酒を飲んだくらいで倒れちまった」
「次期杜氏がこんなんでどうすんだ……!?」
「おまけに味の違いが全くわからなかったじゃねえか」
あの時の心臓をひゅっと掴まれるような感覚は、いまだに忘れることができない。
見てはいけないものを見てしまった……
喜兵寿は慌てて踵を返すと、自分の部屋に戻り布団にもぐりこんだ。兄はどうしたというのだろう。一体どういうことなのだろう。得体のしれない不安は、喜兵寿の身体いっぱいに広がり、もう眠りにつくことはできなかった。
翌日、恐る恐る部屋を訪れると、源蔵はいたって普通だった。姿勢正しく帳簿をつけている。自分の見たものは夢だったのではないか、そう思えばそんな気がしてくるくらい、蔵も、源蔵もいつも通りだった。
しかしそこから数週間後、蔵人たちの大半は柳やを辞めた。直接何を言われたわけではなかったが、喜兵寿は薄々源蔵が理由であることに気づいていた。
源蔵は酒を飲めなかった。それだけではなく、味覚というものを持っていなかった。
それは酒造りにおいて致命的だ。味がわからず、酒も飲めない。そんな人間がどうやってうまい酒を造ることができるというのか。
喜兵寿は早朝の酒蔵で、何度も言い合いを聞いた。
「次男坊の方は舌がいいそうじゃないか!源蔵、悪いことは言わねえ。杜氏は弟に譲り、おまえは売り手としてやっていけ。お前じゃ柳やは潰れちまう」
しかしどれだけ何を言われようとも、源蔵は首を縦には振らなかった。「大丈夫だ。まかせておけ」そう言い続け、蔵人として酒造りに参加し続けたのだ。
酒に強くなるために、そして味の良し悪しを少しでもわかるようになるために。源蔵が隠れて酒を飲み続けた。身体が受け付けないにも関わらず、毎日、毎日。毎日、毎日。
無謀にも思える源蔵の努力。それを喜兵寿は応援し続けた。兄は困難を乗り越え、杜氏を目指そうとしている。自分も大きくなったら、絶対にその後を追うのだと。
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