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1985年香港・サムの話③

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 サムを警察に引き渡してから、事務所に戻った。俺が戻ると、メンバーは一斉に俺を見た。みんな不安そうな、なんとも言えない顔をしている。ヤンは、俺のそばに歩み寄ってきた。
「兄貴、、、。サムの兄貴は。」
「、、、、警察に渡した。一応検死するらしい。」
 ヤンはうなだれて、黙っていた。そして、小さな声で俺にこう言った。
「兄貴、ボスが兄貴を呼んでいます。」
 俺はボスの部屋のドアを見た。
「わかった、、、。」
 俺はゆっくり、ボスの部屋に歩いて行きドアをノックした。
「入れ」
 ボスのいつもの低い声がした。
 ドアを開けると、ボスはいつものでかい椅子にではなく、来客用のソファの上に座っていた。タバコを吸っていた。俺がソファのそばに立つと、こう聞いてきた。
「、、、サムはどうした?」
「麻薬の過剰摂取で死にました。、、、監禁していた部屋から逃げて、九龍城の地下で倒れていました」
 すると突然ボスが勢いよく立ち上がり、俺の顔を平手で強く叩いた。「バチン!!」と高い音が鳴り響き、頬に痛みが走る。
 ボスは腹の底から絞り出したような声で怒鳴った。
「お前がいながら、何をやっていたんだ!」
 ボスの肩が小刻みに震えていた。顔を赤くして鬼のような形相をしていた。
「仲間の管理はリーダーであるお前の役割だろう!、、、なぜ、サムが麻薬に手をだしていたことに気づかなかった?!サムが死んだのはお前の責任だ。」
「申し訳ありません」
 口の中に血の味が広がった。叩かれた時に切れたらしい。俺は歯を食いしばって、ボスに謝罪した。謝っても謝りきれなかった。

 俺のせいでサムは死んだ。

 俺がもっと奴を見守ってやるべきだった。
 ボスは行き場のない怒りを持て余すかのように、荒々しくソファにまた座った。そして、呟くように言った。
「、、、キョン、俺はな。俺がボスとして存在している内は仲間の誰1人死なせたくなかった。死んでほしくはなかった。、、、サムは、お前のことを慕っていたな。奴がいると周りが明るくなるかのようだった。惜しい奴を失くしたな」
 それから、ボスは何も言わなかった。
 俺は黙ってボスに対して深く会釈し、部屋を後にした。
 ヤンが駆け寄ってくる。俺の頬が叩かれて赤くなっているのを見て、さらに心配そうな顔をした。
「兄貴、、、大丈夫ですか!」
 俺は、ヤンの顔を見て言った。
「少し、外に出てくる。事務所頼んだぞ。」
 そうして俺は事務所を出た。九龍城内の通路を早足で歩いて、外へ出る。人が闊歩する通りを歩き、いつものあの場所へ行った。
 サムと前に来た、九龍城が見える公園。俺は前にサムと一緒に座ったベンチに腰掛け、ポケットからタバコを取り出し、火をつけゆっくりと煙を吐き出した。
 全てが現実ではないようだった。サムが死んだこと。もうあいつとくだらない話ができないこと、一緒にタバコを吸えないこと。あいつの笑顔がもう見れないこと。
 まるで悪い夢を見ている感覚だった。夢なら早く覚めてほしいと心の底から思った。

 俺は、あいつに何かを与えてやれたのだろうか?

 そこでふとあることを思い立ち、俺はタバコを地面に捨てて足で火を消した。
 そのまま元来た道に戻り、九龍城の前にある紋身モン・シン屋に入った。狭い店内は、彫り師の50代くらいの男と、客用の簡素な椅子が一つあるだけでいっぱいになってしまうような広さだった。壁にいろいろな紋身モン・シンのデザインが貼ってある。
薔薇や、英語、中国語、ハート、どんなデザインでも彫ってくれるらしい。
彫り師の男は、俺の顔を見ると、低い声でこう言った。
「いらっしゃい。どんなふうにしたいんだ?」
俺は説明した。
「3ヶ月くらい前に、背中に昇竜の紋身モン・シンを入れたデカい男が来なかったか?あいつと同じ紋身モン・シンを入れたい」
 彫り師の男は少し考えて、思い出したように言った。
「ああ、、、来たな。若くて背が高い男。昇竜を入れてやるとすごく嬉しそうな顔をしていた。」
「それと同じものを頼む」
「、、、わかった。上の服を脱いで背中をこっちに向けな」
 俺は彫り師の言われた通りにした。
 タトゥーマシンの針が俺の背中に触れる。鋭い痛みを感じる。ただ、こんなものサムがいなくなったことに比べればなんてことはない。
 今さらこんなものを入れてあいつは喜ぶのだろうか。でも、何かあいつが喜びそうなことをしてやりたかった。
 サムの弱さを責めることはできない。
 、、、彼は弱かったのかもしれない。でも、俺たちなんてみんな一皮むけば同じようなものだ。いつだって、簡単に闇に落ちてしまう可能性はある。
 ごめんな、サム。俺が気づいてやれなくて。お前は何回も俺に助けを求めていた。
 、、、どんなに苦しかっただろう。でもな、お前は一つ勘違いしている。お前は俺のことを強いと言った。けど、俺はそんなに強くはない。いつもギリギリのところで歯を食いしばって耐えてるだけだ。周りに弱いと思われたくないから、平気なふりをしているだけだ。今でも気を抜いたら、バランスを崩しておかしくなってしまうかもしれない。

だから、お前は俺に力を貸してくれ。
いつも俺の背中で見守っていてくれ。もっと強くなれるように。もう2度と過ちを起こさないように。

 サムの葬式も終わり1ヶ月が過ぎた。九龍城にはいつもの日常が戻ってきた。皆、何事もなかったかのように働いている。こうして段々とサムのことは忘れられていくんだろう。
 俺はヤンといつものように、13Kが運営している城内のストリップバーや、売春宿、賭博場の見回りをしていた。そして、ついでに今日は九龍城内の屋上に出て一休みしようということになった。
城内の複雑な階段と通路を歩き、最上階の14階まで上がり屋上へ向かう。暗くて湿っぽい城内から出ると、屋上は青空で風が吹いていていい気持ちだった。
 ヤンは背伸びをして、大きな声で言った。
「兄貴!今日は天気がいいですね!昼寝でもしたくなっちゃいますね。」
 俺は屋上のテレビアンテナがはりめぐされ、無数の住民の洗濯物が干されており、その中で無邪気に遊ぶ子供たちの光景を見て、思わずホッとした気持ちになる。
 遠くを見ると、前に香港島が見える。近くには空港があるため、九龍城の屋上スレスレの位置を飛行機が轟音をあげて飛んでいく。
「おいヤン!」
 俺は飛行機の轟音に負けじと声を張り上げる。
 ヤンは笑顔で俺の方を向き、同じように声を張り上げる。
「なんすかあ!兄貴!!」
「いいもの見せてやろうか!」
 そう言って俺はきていたシャツを脱ぎ、背中をキョンに見せた。
 俺の背中には昇竜がいた。サムの背中にいたのと同じ龍だ。そいつは生き生きと描かれていた。
「兄貴、、、それ」
 ヤンは何も言えなかった。感慨深げにじっとその紋身モン・シンを見つめていた。キョンの目の端に涙が浮かんでいた。そして数秒黙って見ていたあと、泣き笑いのような顔で、こう言った。
「最高ですね!すごくかっこいいです!」
 俺はニヤッと笑った。
「だろ?」
 俺はシャツを着ると、外の空気を思い切り吸い込んだ。

 サム、また会えたらくだらない話でもしよう。とりあえず、俺は大丈夫だ。
 ヤンは頼りないけども、一生懸命なのがいいところだ。ボスも小言は多いが、情に厚い人だ。最近また太ったと言って嘆いていたから、俺が気遣ってやらなきゃ。
 お前が俺に言ってくれたあの事、いつか考えてみてもいいかもな。俺がどこまでやれるかわからない。ただ、今は俺は13Kのリーダーとして、仲間たちを守りたいんだ。もう少し九龍城にいたい。いつもお前が俺の背中で見ていてくれるから、俺は安心して生きていけるんだ。
 またな。
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