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形見の話
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「形見……?」
思わず声が漏れてしまった。この件に関しては無関係だし、空気を装おうと思っていたのに。
狗守さんは驚愕に目を開くおれを見つめ、またも頭をなでてきた。その優しさに促されるように、おれは言葉をつむいだ。
「形見ということは、その、陽さんは……?」
「去年、亡くなったよ。交通事故でね」
文字数にしてみれば大したことない言葉。だけど、その重みは計り知れない。
狗守さんは温和な表情に影を混ぜて、それでもその重りを口にする。
「もし君が彼とこの先を望むなら、聞いてほしい」
「おい、そいつには関係ないだろう!」
「君だって気づいてるはずだ、辰瀬君が君の力になりたがっていることぐらい」
その言葉に虎豪さんは黙り込む。そして、そっぽを向いてキッチンへと行ってしまった。
だけど、言葉は聞こえているだろう。黒い耳がせわしなく動いて聞き漏らすまいと警戒しているようだ。
「本当に、おれが聞いてもいい話なんでしょうか……?」
狗守さんはしっかりと頷いてくれた。好奇心はあるけど、それで虎豪さんに嫌われるならそんなのは天秤に乗せるまでもないことなのだから。
「大丈夫。虎豪さんだって黙認してくれてる。君の日ごろの行いが導いた結果だよ」
その虎豪さんは何やら作業をしているようだ。甘い匂いを漂わせ、おれのためのケーキを作っていく。
そして狗守さんは語りだす。おれが知らない虎豪さんの一面を。
「『陽』っていうのはね、虎豪さんの弟さんのことなんだよ」
弟がいたなんて初耳だ。自分の事をべらべら話す人じゃなかったから、そんな情報すらおれは持っていない。
続きを促すように、一つ頷きを返した。
「それが全然虎豪さんと似てなくて。陽は誰にでも笑顔で優しくて、本当に太陽みたいだったんだ。虎豪さんも見習ってほしいよね?」
「やかましい、てめえの分のケーキだけ黒こげにするぞ」
「おや、俺にもケーキをくれるなんて優しいね。さっきの言葉は訂正するよ」
「ふん、消し炭をケーキと呼べればな」
キッチンでケーキを作る虎豪さんはいら立ちを隠そうともせず、食器が鋭い悲鳴を上げることにもいとう様子はなかった。
キッチンとのやり取りが終わると、狗守さんはまたおれの方を向いて話を切り出した。
「それで、話を戻そうか。陽は喫茶店をするのが夢でね、いつか自分のお店を持つんだって張り切ってた」
「え、それって……」
「なんでこの店の名前が『サンシャイン』だったと思う?」
にこりと笑んだ狗守さんからの問いかけはすぐに解けた。同時に、すごく寂しくなった。
頭に浮かび上がった猜疑を吐き出すように、おれは恐る恐る考えを述べた。
「それは、このお店を開いたのが陽さんだった……から」
「うん、正解」
気が付くと、キッチンからはもう音がしなくなっていた。代わりに甘い匂いが強くなっていたけど、無音の空間は静寂を際立たせていく。
「単純だよね、名前が太陽の陽だからってさ。でも、ぴったりだと思った」
「それじゃあ、狗守さんは来たことがあるんですか。この、虎豪さんが来る前のお店に」
チンっと軽く音が鳴った。虎豪さんがオーブンを開けたのだろう、暖かい空気が流れ込んできて空腹を刺激する香りが辺りに立ち込めた。
だけどその香りも興味を引くことはなく、おれは真剣な目で狗守さんをうかがった。せっかく虎豪さんが焼いてくれたケーキを見ることもせず、ただ見据えている。目の前の狗守さんは笑顔のままだったけど、少し影が浮かんでいた。
「あるよ」
ドンっと大きく音が鳴った。さすがにこれには注意をひきつけられて、慌てて首をひねりキッチンに視線を移した。すると、虎豪さんが睨み殺さんばかりの顔でキッチンから視線を送っているじゃないか。肉食獣の名に恥じない威圧感を真っ向から叩きつけるその姿は、勇ましく恐ろしい。
でも、虎豪さんは怒っているわけじゃない。小さな耳は動くことなくへたれ、今にも泣きださんばかりに見えているのはおれだけじゃないはずだ。
「虎豪さん……」
おれはもういてもたってもいられなかった。大事な弟さんが死んだ話を語られて、いい気分ではないだろう。おれに何ができるのかわからない。それでも、虎豪さんの傍にいたかった。
キッチンに駆け込むと、こんがり焼けた茶色のケーキを前に虎豪さんが拳を固めて震えているのが目に入った。あんなにきつく握っていたら血が出てしまいそうだ。思いつめた顔は視点が定まっていないらしく、どこかぼーっと見ているように感じられる。
「虎豪さん」
手袋の上からそっと手を置いて呼びかける。こわばっていた手を包むように重ねてみると、驚くほど硬かった。解きほぐれますように、虎豪さんに笑ってほしくて、顔を見上げて笑う。
「おいしそうなケーキですね。粗熱とれるまで暇ならコーヒーを入れてくれませんか? おれ、虎豪さんの入れてくれるコーヒー大好きなんですよ」
「あ、ああ……」
こっちを見てくれた。それだけでうれしい。
思わず声が漏れてしまった。この件に関しては無関係だし、空気を装おうと思っていたのに。
狗守さんは驚愕に目を開くおれを見つめ、またも頭をなでてきた。その優しさに促されるように、おれは言葉をつむいだ。
「形見ということは、その、陽さんは……?」
「去年、亡くなったよ。交通事故でね」
文字数にしてみれば大したことない言葉。だけど、その重みは計り知れない。
狗守さんは温和な表情に影を混ぜて、それでもその重りを口にする。
「もし君が彼とこの先を望むなら、聞いてほしい」
「おい、そいつには関係ないだろう!」
「君だって気づいてるはずだ、辰瀬君が君の力になりたがっていることぐらい」
その言葉に虎豪さんは黙り込む。そして、そっぽを向いてキッチンへと行ってしまった。
だけど、言葉は聞こえているだろう。黒い耳がせわしなく動いて聞き漏らすまいと警戒しているようだ。
「本当に、おれが聞いてもいい話なんでしょうか……?」
狗守さんはしっかりと頷いてくれた。好奇心はあるけど、それで虎豪さんに嫌われるならそんなのは天秤に乗せるまでもないことなのだから。
「大丈夫。虎豪さんだって黙認してくれてる。君の日ごろの行いが導いた結果だよ」
その虎豪さんは何やら作業をしているようだ。甘い匂いを漂わせ、おれのためのケーキを作っていく。
そして狗守さんは語りだす。おれが知らない虎豪さんの一面を。
「『陽』っていうのはね、虎豪さんの弟さんのことなんだよ」
弟がいたなんて初耳だ。自分の事をべらべら話す人じゃなかったから、そんな情報すらおれは持っていない。
続きを促すように、一つ頷きを返した。
「それが全然虎豪さんと似てなくて。陽は誰にでも笑顔で優しくて、本当に太陽みたいだったんだ。虎豪さんも見習ってほしいよね?」
「やかましい、てめえの分のケーキだけ黒こげにするぞ」
「おや、俺にもケーキをくれるなんて優しいね。さっきの言葉は訂正するよ」
「ふん、消し炭をケーキと呼べればな」
キッチンでケーキを作る虎豪さんはいら立ちを隠そうともせず、食器が鋭い悲鳴を上げることにもいとう様子はなかった。
キッチンとのやり取りが終わると、狗守さんはまたおれの方を向いて話を切り出した。
「それで、話を戻そうか。陽は喫茶店をするのが夢でね、いつか自分のお店を持つんだって張り切ってた」
「え、それって……」
「なんでこの店の名前が『サンシャイン』だったと思う?」
にこりと笑んだ狗守さんからの問いかけはすぐに解けた。同時に、すごく寂しくなった。
頭に浮かび上がった猜疑を吐き出すように、おれは恐る恐る考えを述べた。
「それは、このお店を開いたのが陽さんだった……から」
「うん、正解」
気が付くと、キッチンからはもう音がしなくなっていた。代わりに甘い匂いが強くなっていたけど、無音の空間は静寂を際立たせていく。
「単純だよね、名前が太陽の陽だからってさ。でも、ぴったりだと思った」
「それじゃあ、狗守さんは来たことがあるんですか。この、虎豪さんが来る前のお店に」
チンっと軽く音が鳴った。虎豪さんがオーブンを開けたのだろう、暖かい空気が流れ込んできて空腹を刺激する香りが辺りに立ち込めた。
だけどその香りも興味を引くことはなく、おれは真剣な目で狗守さんをうかがった。せっかく虎豪さんが焼いてくれたケーキを見ることもせず、ただ見据えている。目の前の狗守さんは笑顔のままだったけど、少し影が浮かんでいた。
「あるよ」
ドンっと大きく音が鳴った。さすがにこれには注意をひきつけられて、慌てて首をひねりキッチンに視線を移した。すると、虎豪さんが睨み殺さんばかりの顔でキッチンから視線を送っているじゃないか。肉食獣の名に恥じない威圧感を真っ向から叩きつけるその姿は、勇ましく恐ろしい。
でも、虎豪さんは怒っているわけじゃない。小さな耳は動くことなくへたれ、今にも泣きださんばかりに見えているのはおれだけじゃないはずだ。
「虎豪さん……」
おれはもういてもたってもいられなかった。大事な弟さんが死んだ話を語られて、いい気分ではないだろう。おれに何ができるのかわからない。それでも、虎豪さんの傍にいたかった。
キッチンに駆け込むと、こんがり焼けた茶色のケーキを前に虎豪さんが拳を固めて震えているのが目に入った。あんなにきつく握っていたら血が出てしまいそうだ。思いつめた顔は視点が定まっていないらしく、どこかぼーっと見ているように感じられる。
「虎豪さん」
手袋の上からそっと手を置いて呼びかける。こわばっていた手を包むように重ねてみると、驚くほど硬かった。解きほぐれますように、虎豪さんに笑ってほしくて、顔を見上げて笑う。
「おいしそうなケーキですね。粗熱とれるまで暇ならコーヒーを入れてくれませんか? おれ、虎豪さんの入れてくれるコーヒー大好きなんですよ」
「あ、ああ……」
こっちを見てくれた。それだけでうれしい。
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