君の喫茶店

とりあえず

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したかったこと

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「好きなのはわかるけどよ。ちょっとばかし身を粉にしすぎなんだよ。そりゃ、お前が来てくれてうれしいさ。でも、世話焼かれてばかりだと俺が不安になるんだよ」
「え、あ、はい。あの、でも、おれは虎豪さんの役に立ちたくて……」
「わかってる。事実、お前には助けられてばかりだ」

 言葉を区切ると部屋に静寂が訪れる。店内のベルが鳴ることはなく、この建物の中にいるのは二人だけなのだと無音が囁いた。

「だけど、俺が受け取ってばかりなのは納得がいかん。確かに俺はさえないおっさんだが、お前のわがままくらい受け止められる器量はあるつもりだ。……その、なんだ、そりゃお前に迷惑はかけてるが、だが……」

 一瞬しおらしくなったかに思えたが、すぐさまギンッととがる肉食の目。素直じゃない虎豪さんが、精いっぱいの発破をかけて本音を口にしている。それにおれはあっけにとられてしまう。朱に変えた恥ずかしさで頬を彩り、虚勢を張るように牙をむく虎は新鮮な驚きを与える。

「何か困ったことがあったら、絶対俺に言えよ! いいな!」

 大仰なリアクションで吠えたせいで胸元のボタンがはじけ飛ぶ。でも、虎豪さんはそんなことに構う余裕などないようだ。緊張で尻尾の先まで硬直させた大人が俺を頼れと吐き出した。

 今日の虎豪さんは信じられないほど素直だ。いつもなら減らず口を叩いて流すはずなのに、今日に限っては真摯に接してくれている。

 自分が何を言われたのか、わからなかった。それは、だって―――

「甘えてもいいってことです、か……?」

 確認するように聞くと、荒い鼻息での返答が返ってきた。口元を引き締めおれを睨む虎の相貌は、それを是と肯定している。

 どうしよう。おれはずっと虎豪さんのために何ができるかを考えていて、虎豪さんに何をしてほしいかなんて考えてなかった。

 もっと図々しくなった方がいい、なんて猫柳は言っていたけれど、確かに事ここにいたって初めてその本当の意味を痛感してしまう。してほしいことがないんだ。だって、何をされても嬉しいのだから。したいこととかあったはずなのに、いざ聞かれるとものすごく困ってしまう。

「い、言いたいことが、ないんだったら、俺は店に戻るぞ……」

 甘えることが苦手なだけじゃなく、甘えさえることも不得手な虎豪さんはそれで会話を切り上げようとしてくる。羞恥で死にそうなのはわかるけど、せっかくの機会なんだから逃したくないと心が騒ぐ。

「あのっ!」

 踵を返した縞模様の尻尾が視界に入り、おれはすがりつくように声をかけた。

 広い肩がピクリと震え、黙って耳を傾ける。何か言わなければと思うけど、言葉が出てこない。本当にしてほしいこと。おれが虎豪さんに望むこと。

 絡まり合った思考の中、その奥に鎮座する欲求の声がおれを突き動かした。

「手、を握ってもらっても……い、いいです、か……?」

 それはもっとも簡単で、原始的な本能。好きな人と繋がりたいという恋心の根幹をなす声。

 こちらを振り向いた虎豪さんはおもむろに手袋を外すと、毛皮に覆われた温かい手でおれを握ってくれた。初めてここに来た時と同じぬくもり。固いけど優しい手。

「こんなことでいいのか……?」
「はい」
「もっと他にあるだろうが。聞きたいこととか、やってほしいこととか」
「はい」
「でも、お前はこれがいいんだな」
「はい」

 おれは返事をすることしかできなくて、好きな人と繋がれた喜びをかみしめるのに忙しくて。前と違うのはきっと、気持ちが通じ合ってるせいだろうか。温かい気持ちが流れ込んでくるかのように、頬に熱がたまってしまう。

 どうしようもなく心がうるさい。頭がぼうっとなって思考が蕩けていくようだ。

「虎豪さんにとってはこんなことかもしれませんが、おれはずっと望んでたんです」

 好きな人と手をつなぐ。同性という壁を前に、それがどれだけの高さでそびえたっていることか。一度はあきらめていたからこそ、それは輝いて見えるのだ。

「お前はまだ、俺のことが好きなんだよな?」
「はい……迷惑ですか?」
「いや、あんな目にあっといて、よくその気持ちが保てるなって思ってさ」
「虎豪さん、謝ってくれたじゃないですか」

 そこで虎の顔が苦々しくゆがみ、自分を責めていく。それはおれの望むところではなかったので、手をぎゅっと握って笑いかけることで意思を伝えよう。

「お前の気持ちに応えられないのに、今でもこんなに付き合ってくれて感謝してる」
「いつか、おれに惚れさせるつもりですから」

 できるだけ挑発的になるようにおれは口角を上げる。そのためにバイトさせてもらってるんだ。いつかおれが立派な大人になって、虎豪さんと同じ目線に立てたら、また告白をする。

「お前は強いな」
「虎豪さんの前ですから」

 おれがこんなに強がれるのは、やっぱり好きな人の前だから。猫柳の前ではだいぶ弱いところを見せてしまったが、その分ご飯を奮発してるのでお互いさまという事にしておこう。

 そうやって、人は支え合うと思うから。思えるようになったから。猫柳が弱った時はおれが支えるし、おれが弱った時は虎豪さんに支えてもらいたい。だから、おれは今自分ができることをしよう。虎豪さんの為に、自分の為に。

「俺にできることなら、遠慮せず言えよ」

 おれを直視できなくて顔をそらす虎豪さんがそう言ってくれる。それがとてもうれしくて、つい、指をからめてしまう。

 指と指の間に虎豪さんの指を滑り込ませると、その太さと毛皮の感覚がより鮮明に感じられる。使い込んだ男の指は武骨だが、それがいかにも虎豪さんを思わせてくれる。

「ありがとうございました」
「お礼を言うことでもねえだろうが。おれはただ手を出しただけだ」

 どうやら素直な虎豪さんはもうおしまいらしい。耳を震わせながらそうつぶやくと、そそくさと店に戻っていく。猫柳より尻尾のふり幅は小さく。でも、身悶えるかのようにくねっている尻尾は本当に感情豊かだ。

「あーあ」

 そして、一人の静寂が訪れる。おれは顔を後ろに傾け、ため息を吐く。手にはまだあの熱が残っているようだ。

 虎豪さんからあんなことを言うなんて。これは距離が縮まったと解釈してもいいんだろうか。おれのことを少しは意識してくれたってうぬぼれてもいいんだろうか。

「レポートできないだろうな……」

 こんなにふわふわした幸福感の中にいるんだ。できるわけがないだろう。

 結局、あたりが暗くなるまで、おれは全く進まないレポートとにらめっこをする羽目になる。
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