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六章 因果の始まり
孫六の行方
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*いねぐなった……いなくなった
***
それから五年の月日が流れた。新たな海神の子は、予定通り、元の氏神の祠に祀られていた。呪いを心配した又六だったが、犠牲者は結局女中ひとりだけだった。
女中が、がんがら崖から身を投げた直後から、又六は病んだ。自分のせいでと自らを責め、何をするにも恐ろしかった。
氏神とあの女が、いつも背後にいる気がして、わずかも気が休まらない。おたけは、そんな、又六を心底心配したものだ。
しかし、何事もなく過ごせる時を一年、二年、三年と刻むうち、自責の念は嫌でも薄れくる。
藤左衛門も歳を重ねている、又六の体もいたって元気だ。あの時、二歳だった長男、孫六は七歳になり、腹の中にいた子も元気に生まれた。呪いを受けるというよりは、恵まれている。
その証拠に又六は、とても幸せだった。
御神体が割れてしまったのは藤左衛門が言ったように、氏神が天へ還るための儀式めいたものだったのではないか。女中の死も、偶然だったのかもしれない。
そう、思い始めたある日のこと、漁を終えて舟の掃除をしていた時の事だ。
「あんたっ」
おたけが、村の方から血相をかえて走ってきた。まるで坂を転がるようだった。その様子から、ただごとではないと感じた。
「何如したや」
又六は舟のへりをまたいで、浜に降り立つと、息をきらせたおたけの肩を、そっと抱いた。見れば、髪を振り乱したおたけは、鬼子母神のようだった。顔面が真っ青だ。
「あ、んた……ま、孫六が、いねぐなった」
「孫六が?どこさか遊びに行ってんでねえのか」
「それが孫六だけでねえ、藤左衛門の孫っ子の、おつるもいねえんだど」
嫌な汗が、又六の背中を伝う。
「今、女子らで手分けして探してんだけど、どっこ探しても見つからねえ。男どもも漁から帰ったもんらが探してる。あんたも手伝ってけらいや」
「お、おう」
又六は走り出したおたけの後を追おうと、一歩を踏みしめる。ちょうどその時、ふと、風が吹いた。
コオオオオオオ、コオオオオオオと音がする。そちらを見れば、がんがら崖の洞窟が目にとまった。風音が共鳴していた。又六の胸がどくんと高鳴る。
嫌なものでも見たかのように額には汗の玉が浮く。行きたくない。行くな。行ってくれるな。もう一人の又六が頭の中で懸命に騒ぎ立てる。
しかし、ザリッザリッっと、丸石を踏む足は止まらない。又六ががんがら崖の洞窟の方に、歩み寄っていくことに、おたけは気付て、後を追った。
又六は吸い寄せられるように、洞窟の奥へ、奥へと歩を進めた。所々でつまずきながらひたすら奥を目指した。
「あんた、待って」
おたけが又六を呼ぶ。その声に、又六は反応しなかった。目は血走り、滝のように汗をかきながら、前へ前へと突き進む。まるで、もののけにでもとりつかれているようだった。
そして、氏神様を祀るはずだった祭壇の前で、ぴたりと立ち止まった。
「あ……っ、ああああ」
例えようのない声をあげて、又六はガクガクと足を震わせ、やがて、地に膝をつく。あとから追ってきたおたけが、又六に声をかけた。
「あんた、どうし……、え」
おたけの目に入ったのは、おびただしい血だった。洞窟内に入り込んだ波の引きに合わせて、海水が外へ外へと赤い血を運んでいく。
鼻には悪臭が届き、噎せっ返るようだった。視線を移していけば、そこには予想だにしない光景が待ち構えていた。
血だらけの女児が、既に事切れた男児の腹に、食らいついている。じゅる、じゅると、ゆっくり、ゆっくり血を、すすっているようにもうかがえる。
男児の着物は血に染まり、元の色などわからなかったが、わずかに離れた場所に、手拭いが落ちていた。その手拭いを見るなり、おたけの顔は、死人のように青白くなっていった。
***
それから五年の月日が流れた。新たな海神の子は、予定通り、元の氏神の祠に祀られていた。呪いを心配した又六だったが、犠牲者は結局女中ひとりだけだった。
女中が、がんがら崖から身を投げた直後から、又六は病んだ。自分のせいでと自らを責め、何をするにも恐ろしかった。
氏神とあの女が、いつも背後にいる気がして、わずかも気が休まらない。おたけは、そんな、又六を心底心配したものだ。
しかし、何事もなく過ごせる時を一年、二年、三年と刻むうち、自責の念は嫌でも薄れくる。
藤左衛門も歳を重ねている、又六の体もいたって元気だ。あの時、二歳だった長男、孫六は七歳になり、腹の中にいた子も元気に生まれた。呪いを受けるというよりは、恵まれている。
その証拠に又六は、とても幸せだった。
御神体が割れてしまったのは藤左衛門が言ったように、氏神が天へ還るための儀式めいたものだったのではないか。女中の死も、偶然だったのかもしれない。
そう、思い始めたある日のこと、漁を終えて舟の掃除をしていた時の事だ。
「あんたっ」
おたけが、村の方から血相をかえて走ってきた。まるで坂を転がるようだった。その様子から、ただごとではないと感じた。
「何如したや」
又六は舟のへりをまたいで、浜に降り立つと、息をきらせたおたけの肩を、そっと抱いた。見れば、髪を振り乱したおたけは、鬼子母神のようだった。顔面が真っ青だ。
「あ、んた……ま、孫六が、いねぐなった」
「孫六が?どこさか遊びに行ってんでねえのか」
「それが孫六だけでねえ、藤左衛門の孫っ子の、おつるもいねえんだど」
嫌な汗が、又六の背中を伝う。
「今、女子らで手分けして探してんだけど、どっこ探しても見つからねえ。男どもも漁から帰ったもんらが探してる。あんたも手伝ってけらいや」
「お、おう」
又六は走り出したおたけの後を追おうと、一歩を踏みしめる。ちょうどその時、ふと、風が吹いた。
コオオオオオオ、コオオオオオオと音がする。そちらを見れば、がんがら崖の洞窟が目にとまった。風音が共鳴していた。又六の胸がどくんと高鳴る。
嫌なものでも見たかのように額には汗の玉が浮く。行きたくない。行くな。行ってくれるな。もう一人の又六が頭の中で懸命に騒ぎ立てる。
しかし、ザリッザリッっと、丸石を踏む足は止まらない。又六ががんがら崖の洞窟の方に、歩み寄っていくことに、おたけは気付て、後を追った。
又六は吸い寄せられるように、洞窟の奥へ、奥へと歩を進めた。所々でつまずきながらひたすら奥を目指した。
「あんた、待って」
おたけが又六を呼ぶ。その声に、又六は反応しなかった。目は血走り、滝のように汗をかきながら、前へ前へと突き進む。まるで、もののけにでもとりつかれているようだった。
そして、氏神様を祀るはずだった祭壇の前で、ぴたりと立ち止まった。
「あ……っ、ああああ」
例えようのない声をあげて、又六はガクガクと足を震わせ、やがて、地に膝をつく。あとから追ってきたおたけが、又六に声をかけた。
「あんた、どうし……、え」
おたけの目に入ったのは、おびただしい血だった。洞窟内に入り込んだ波の引きに合わせて、海水が外へ外へと赤い血を運んでいく。
鼻には悪臭が届き、噎せっ返るようだった。視線を移していけば、そこには予想だにしない光景が待ち構えていた。
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