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二人の王子と温室とお祭りの準備
第18話
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本部に着くと、ミツは窓際に据えられた重厚なマホガニーの机の引き出しから、書類を一枚取り出します。
「はい、これ。出店申込書。代表者と、一緒に出店する人のサインを記入して、本部まで提出してね」
「承知しました。ありがとうございます」
私は受け取った書類に一通り目を通すと、筆記帳の間に挟み込みます。ミツはそんな私を眺めながら机の天板に片手をつくと、独りごちるように呟きました。
「私ね、ゲームの世界に生まれ変わったんだってわかったとき、少しがっかりしたの」
唐突な告白に、私は思わず手元から顔を上げます。
「だって、よりによって名前もないモブに生まれ変わっちゃったんだもん。ソウジなんて国、ゲームの中では聞いたこともなかったし。どうせなら、私もヒロインになりたかった」
机の上のインク壺や吸い取り紙の位置を調節しながら、なおも彼女は続けます。窓を背にした彼女の表情は、逆行になってよく見えません。何と声をかけるべきかわからないまま立ちつくす私に、突然彼女は花の綻ぶような笑顔を向けます。
「でもね、今は楽しいよ。体は健康だし、家族も領民のみんなも私のことを思ってくれている。だから、私もみんなの役に立ちたいの」
言うが早いか、彼女は蝶のように身を翻し、机を挟んだ向かい側まで踊るような軽い足取りで移動します。
「ソウジ国はずっと、情報と金融を武器に発展してきた。それ自体は悪い事じゃないけど、過ぎたるは及ばざるが如しって言うでしょ。情報に頼りすぎた結果、本来なら知る必要のない情報まで手当たり次第に集めるようになってしまった。そんなことをしていれば当然、敵も多くなる。今の体制をずっと続けていたら、いずれ領民まで危険に晒してしまうかもしれない」
噛んで含めるような彼女の物言いは、私に説明するというよりも、自分自身に言い聞かせているように思われました。
机の周りをゆっくりと一周し、再び私の前に立った彼女の顔には、平生と変わらぬ慎ましい微笑が浮かんでいたものの、瞳には静かに燃える青い炎にも似た光がみなぎっています。
「私が領主になったら、他国の弱みを握るような外交は改めるつもり。ヴィエルジュ国みたいに、小さくても平和で満ち足りた国にしたいの」
意外でした。確かに我が国は争いらしい争いに巻き込まれた歴史もなく、平和そのものといえます。そのかわり、農業くらいしか取り柄がなく、辛うじて衣食住には困っていないものの、領民の生活はおそらくここ百年ほどの間、ほとんど変化していないはずです。それでも不自由を感じていないということは、満ち足りているという証拠になり得るのでしょうか。よくわからなくなってきました。
「そこまで褒めていただけるなんて恐縮です。有難う存じます」
「本当に? お世辞とか思ってない? いまいち本音なのか建前なのかわかりにくいんだから、シモンは」
素直に本音を言っただけなのに、なぜかミツはぷんぷく頬を膨らませています。不思議なものです。同時に、はたと思い当たった疑問を、私はその場で口に出さずにはいられませんでした。
「……そういえば、ひとつ気になったのですが」
「なあに?」
「ミュゲは、あなたが仰るところのプレイヤー……つまり、あなたが元いた世界に暮らす誰かの分身としての役割を担っているんですよね」
ミツはなぜ今さらそんなことを、と問いたげな表情で頷きます。
「ということは……今まさに、我々は誰かのゲームに参加している最中で、ミュゲの意識には既にプレイヤーが介入している可能性はありませんか」
私の指摘にミツは一瞬息を呑んだ直後、長い溜息を吐きながら眼鏡のブリッジを押し上げました。
「言われてみれば……そうだとしてもおかしくないね」
「もし、ミュゲを操っているどなたかが、意中の相手と結ばれようとしているのであれば、我々がいくら誘導を試みても意味がないかもしれません」
とはいえ、少なくとも日頃の挙動にこれといった変化は見られず、意識だけが見知らぬ何者かに入れ替わっているなどと、にわかには信じられません。
「……ひとまず、しばらくは様子を見るしかないんじゃないかな。今の時点では序盤すぎて、誰を狙ってるのかなんてわからないし。もしかしたら、まだ会ってないキャラが目当てかも」
「それしかありませんか……。何かわかったことがあればお伝えしますので、そのときはまた相談に乗っていただけると助かります」
もちろん、とミツは快諾してくれましたが、ミュゲが自分の知っているミュゲではない可能性に思い至ってしまった今、果たしてこれまで通りに彼女と接することができるのか、私にはいまひとつ自信が持てませんでした。
「心配なことはいろいろあるけど、今は記念祭の準備に集中しないとね。といっても、私にできるのは商品を卸してくれる取引先を紹介するか、融資くらいだけど……」
「えっ。めちゃめちゃ頼もしいじゃないですか」
記念祭までの日数を考慮すると、そろそろ準備を始めなければ間に合わなくなってしまいます。いくら綿密な計画を立てても、実行に移す時間がありませんでした、ではお話になりません。
私は早速園芸委員会一同と話し合うべく、温室へ向かいました。
「はい、これ。出店申込書。代表者と、一緒に出店する人のサインを記入して、本部まで提出してね」
「承知しました。ありがとうございます」
私は受け取った書類に一通り目を通すと、筆記帳の間に挟み込みます。ミツはそんな私を眺めながら机の天板に片手をつくと、独りごちるように呟きました。
「私ね、ゲームの世界に生まれ変わったんだってわかったとき、少しがっかりしたの」
唐突な告白に、私は思わず手元から顔を上げます。
「だって、よりによって名前もないモブに生まれ変わっちゃったんだもん。ソウジなんて国、ゲームの中では聞いたこともなかったし。どうせなら、私もヒロインになりたかった」
机の上のインク壺や吸い取り紙の位置を調節しながら、なおも彼女は続けます。窓を背にした彼女の表情は、逆行になってよく見えません。何と声をかけるべきかわからないまま立ちつくす私に、突然彼女は花の綻ぶような笑顔を向けます。
「でもね、今は楽しいよ。体は健康だし、家族も領民のみんなも私のことを思ってくれている。だから、私もみんなの役に立ちたいの」
言うが早いか、彼女は蝶のように身を翻し、机を挟んだ向かい側まで踊るような軽い足取りで移動します。
「ソウジ国はずっと、情報と金融を武器に発展してきた。それ自体は悪い事じゃないけど、過ぎたるは及ばざるが如しって言うでしょ。情報に頼りすぎた結果、本来なら知る必要のない情報まで手当たり次第に集めるようになってしまった。そんなことをしていれば当然、敵も多くなる。今の体制をずっと続けていたら、いずれ領民まで危険に晒してしまうかもしれない」
噛んで含めるような彼女の物言いは、私に説明するというよりも、自分自身に言い聞かせているように思われました。
机の周りをゆっくりと一周し、再び私の前に立った彼女の顔には、平生と変わらぬ慎ましい微笑が浮かんでいたものの、瞳には静かに燃える青い炎にも似た光がみなぎっています。
「私が領主になったら、他国の弱みを握るような外交は改めるつもり。ヴィエルジュ国みたいに、小さくても平和で満ち足りた国にしたいの」
意外でした。確かに我が国は争いらしい争いに巻き込まれた歴史もなく、平和そのものといえます。そのかわり、農業くらいしか取り柄がなく、辛うじて衣食住には困っていないものの、領民の生活はおそらくここ百年ほどの間、ほとんど変化していないはずです。それでも不自由を感じていないということは、満ち足りているという証拠になり得るのでしょうか。よくわからなくなってきました。
「そこまで褒めていただけるなんて恐縮です。有難う存じます」
「本当に? お世辞とか思ってない? いまいち本音なのか建前なのかわかりにくいんだから、シモンは」
素直に本音を言っただけなのに、なぜかミツはぷんぷく頬を膨らませています。不思議なものです。同時に、はたと思い当たった疑問を、私はその場で口に出さずにはいられませんでした。
「……そういえば、ひとつ気になったのですが」
「なあに?」
「ミュゲは、あなたが仰るところのプレイヤー……つまり、あなたが元いた世界に暮らす誰かの分身としての役割を担っているんですよね」
ミツはなぜ今さらそんなことを、と問いたげな表情で頷きます。
「ということは……今まさに、我々は誰かのゲームに参加している最中で、ミュゲの意識には既にプレイヤーが介入している可能性はありませんか」
私の指摘にミツは一瞬息を呑んだ直後、長い溜息を吐きながら眼鏡のブリッジを押し上げました。
「言われてみれば……そうだとしてもおかしくないね」
「もし、ミュゲを操っているどなたかが、意中の相手と結ばれようとしているのであれば、我々がいくら誘導を試みても意味がないかもしれません」
とはいえ、少なくとも日頃の挙動にこれといった変化は見られず、意識だけが見知らぬ何者かに入れ替わっているなどと、にわかには信じられません。
「……ひとまず、しばらくは様子を見るしかないんじゃないかな。今の時点では序盤すぎて、誰を狙ってるのかなんてわからないし。もしかしたら、まだ会ってないキャラが目当てかも」
「それしかありませんか……。何かわかったことがあればお伝えしますので、そのときはまた相談に乗っていただけると助かります」
もちろん、とミツは快諾してくれましたが、ミュゲが自分の知っているミュゲではない可能性に思い至ってしまった今、果たしてこれまで通りに彼女と接することができるのか、私にはいまひとつ自信が持てませんでした。
「心配なことはいろいろあるけど、今は記念祭の準備に集中しないとね。といっても、私にできるのは商品を卸してくれる取引先を紹介するか、融資くらいだけど……」
「えっ。めちゃめちゃ頼もしいじゃないですか」
記念祭までの日数を考慮すると、そろそろ準備を始めなければ間に合わなくなってしまいます。いくら綿密な計画を立てても、実行に移す時間がありませんでした、ではお話になりません。
私は早速園芸委員会一同と話し合うべく、温室へ向かいました。
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