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ドッペルゲンガー編
⒐彼女の在り方は
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ジルコンの店主、ヘルネスの勧めとフローライトの希望で、彼の店で少し休憩がてらデザートを食べることに。
昼食前に、とディアンは少々渋っていたが、フローライトの「お願い」に敗北していた。
まぁ、少しお茶するだけだと言っていたし、大目に見てやって欲しい。
「ここのケーキは凄く美味しいのです」
「フローライト様にお墨付きをいただいて、この店も客が増えまして。本当に有難いことです」
先程の「フローライトのおかげ」とはそういうことか。
確かに、貴族として普段から美味しい物を食べているはずのフローライトから「美味しい」という評価を貰えれば、それだけで一種の箔がつくだろう。
ヘルネスに案内されたのは、レストランの2階席だった。
ここは一般客とは別に、貴族などの客を相手する時に利用する場所らしく、今は私達だけ。
開けた空間に余裕を持った間隔で置かれたテーブルの一つに着いた私とフローライトの前に、ヘルネスが持ってきたケーキが何種類か並ぶ。
貴族が利用するだけのことはある。
ふんわりと絞られた生クリームに、しっとりとしたスポンジ、丁寧に彩られた装飾と、思わず溜息が溢れそうな見た目だ。
私の家では、菓子といえば和菓子。クリスマスといった西洋イベントはやっていなかったし、ケーキを食べる機会は普通の子よりも少なかったと思う。
和菓子は好きだったし、特に不満はなかったが。
キラキラと明かりを反射して輝いてみえたケーキは、子供の頃は多少憧れていた。
しかし、一つ困ったことがある。
「さぁ、ケイ様。どうぞ召し上がってくださいな。私のオススメですよ」
微笑みながらケーキを一切れ皿に盛ると、それを私に差し出してくれるフローライト。
ヘルネスも期待の篭った瞳でこちらを伺っている。
フローライトが勧めてきたのは、宝石のような艶を出している、恐らくブドウのような果実が乗ったケーキ。
ふんだんに盛られた果実はもちろん、周りを覆っているクリームも満遍なく塗られている。
一言でいえば、凄く甘そうだった。
「……いただきます」
出来るだけ平静を保った顔を意識して、フォークで一口分、切り分け口へと運んだ。
口内で広がる甘酸っぱい果実と、じんわりと染み込むようなクリームの甘さ。
見た目を裏切らず、味も相当レベルが高い。
フローライトが気に入っているだけあって、確かに美味だった。
「……あの、何かお気に召しませんでしたか?」
恐る恐るといった様子で声をかけてくるヘルネス。
やはり、少し表情に出てしまったのだろうか。
フローライトまで不安そうな顔をするので、苦笑して首を横に振った。
「申し訳ありません。実は、あまり甘い物が得意ではなく…」
「それは…失礼いたしました。女性は皆さん、甘い物がお好きだとばかり」
「ごめんなさい、ケイ様。先に伺っておくべきでしたわ」
「いえ、嫌いなわけではないのです。このケーキも、これまで食べた中で一番美味しい物でした」
そこだけは誤解のないよう、ヘルネスの目を見てきっぱりと伝えておいた。
安堵したように息をついた彼は、何か思い出したように手を打つ。
「そうです。でしたら、コーヒーなどはいかがでしょう。苦味が苦手という女性が多いもので、基本は紅茶を出すようにしているのですが」
「あぁ、それは助かります。コーヒーは好きなんです」
「かしこまりました」
頭を下げて下の階にある厨房へと向かったヘルネスを見送り、顔を前へ向けると何やらフローライトが拗ねた顔をしている。
「どうかしましたか?」
「……いえ。ケイ様は…コーヒー、お飲みなるのですね」
「? はい。昔から甘い物だけを食べる事ができなかったので」
「そうですか……」
「……?」
「お嬢様はコーヒーがお飲みになれないんだ。昔から甘い物がお好きで、コーヒーのような苦い物はめっきり駄目だ」
「ちょ、ちょっとディアン!」
目を逸らすフローライトだったが、彼女の後ろに控えていたディアンによってあっさり暴露されていた。
顔を赤くして彼を軽く睨むフローライトに、ディアンはシレッとした態度だ。
「す、少しくらいなら私だって飲めます!」
「それを上回る量のスイーツを頬張っているからです」
小さな反論もスパッと切られている。こういうやり取りも、昔からなのだろう。
いじけて無言でケーキを頬張っているフローライトの姿に、年相応のものを感じて思わず微笑ましくなる。
暫くしてヘルネスが持って来てくれたコーヒーをお供に、私もそれなりにケーキを腹におさめた。
その倍以上の量を、美味しそうにフローライトは食べていたが。あれはホール3つくらいはなかったか…?
あんな細い身体のどこに入るのか、と思うほどペロリと平らげたフローライトは、満足そうにヘルネスに微笑みかける。
「ありがとう、美味しかったわ。また来ますね」
「はい、フローライト様。ケイ様も、またいらしてください」
「あぁ。ありがとう」
**********
ヘルネスに見送られ、レストラン前の通りに出た時だった。
別れ際の挨拶をしていた私達の耳に、女性の甲高い悲鳴が聞こえた。
とっさに悲鳴の方角からフローライトを背に庇ったディアンが、鋭い視線を遠くに向ける。
そして、信じられない、といった様子で目を見開いた。
「…あれは……」
私も、その方角を見て気持ちを引き締めた。
そこには、巨大な熊がいた。
いや、頭に一本の大きなツノが生えているところを見るに、正確には私の知る熊ではない。
サイズも1回りほど大きくみえる。
すでに何かを狩った後なのか、ソイツの口元と手の爪は赤い液体で染まっている。
ぱっと見、街の人が被害にあったような形跡はない。
街の入り口からここまでは直線。熊モドキが立っている場所は入り口付近。恐らく入ろうとしたところを、発見した女性が悲鳴をあげたか。
女性の悲鳴に警戒しているのか、低いグルグルした唸り声をあげはするものの、まだ襲いかかるような気配はない。
「ディアン殿。フローライト様を抱えて反対側へ走れ」
「……そちらはどうする」
「足止めする」
「はっ⁈」
驚きの声をあげるディアンの横を通り、近くに立てかけられていた鉄棒を手に取る。
長さはちょうど刀くらい。重さをそれなりにあり、当たれば熊とてかなりのダメージになるだろう。
「できれば追い払いたいところだが、誤って街中に逃げられたら大変だ。だからフローライト様をここから離してくれ。ヘルネス殿、貴方も少しの間離れていた方が良い」
「本気で言っているのか⁉︎ 一角熊だぞ!」
「一角熊というのか? まぁ、あの爪とツノは脅威だが……なに、要は当たらなければ良い話だろう」
刀を持った人間を相手にするのと変わらない。攻撃も当たらなければ問題にはならない。
ただ少しばかりサイズが大きくなり、力が強くなるだけだ。むしろ的が大きくて助かる。
一角熊というらしい熊モドキの方を見ると、すでに近くにいた住民は避難できたようだ。
反応からして、始めての事ではないのかもしれない。
鉄棒を握り直し、よし、と気合を入れて一角熊へと足を踏み込んだ。
一人だけ向かってきた私を警戒するように、唸り声を大きくさせ上体を下げる一角熊。
突き出されたツノは、まともに当たれば即死だろう。
手の中の感触を確かめるように、何度か鉄棒を握り込む。
一角熊から5歩ほどの距離を開け、いつものように自然体で、左側の腰に添えるように鉄棒を持ち、左足を1歩引いて腰を深く落とす。
ふっ、と鋭く息を吐き、一角熊の目を覗き込むようにする。
心を鎮め、相手の心に同調させるように呼吸を合わせる。
音が消え、視界に一角熊だけが残った瞬間。
「ーーーふっ」
襲いかかってきた一角熊に対し、息を吐き出すと同時に鉄棒を振り抜いた。
弧を描いた鉄棒は、そのまま一角熊のツノへ直撃。
パキン、という音を響かせてツノは折れ、遠くの石畳の道へと落ちた。
ツノにも痛覚があるのか、一気に突進の勢いがなくなったところを、顔面に回し蹴りを叩き込んだ。
グルリ、と身体を回転させ、背中から倒れる一角熊。いや、もうツノはないのだからただの熊か。
悲鳴のような呻き声をあげる熊の近くへ寄り、その顔へと鉄棒を突きつけた。
「野生動物なら、格の違いを察せるようでなければ生き残れないぞ」
闘気を込めて睨みつけると、熊は怯えた声を上げ、慌てたように立ち上がると、4つ脚で街の外へと駆け出していった。
この街に来るまでに、大きな森があった。きっと普段はそこで暮らしているのだろう。
餌が無くなったのか分からないが、人里へ安易に入り込むのは危険だと、これで理解できれば良いが。
人間側の為にも、あの熊の為にも、お互い出会わない方が良いのだ。
とりあえず、そのままにしておくわけにもいかず、道の端へと転がっていたツノを回収して、踵を返す。
すると、先程と同じ位置、つまりジルコンの前に立っているフローライトとディアン、それにヘルネスの姿まで確認できて、思わず顔を顰める。
あれ程危険だから避難しておいてくれ、と言ったのに。少々危機感が足りないのではないか?
そう思いながら、彼らの元へと足を運ぶ。
「ディアン殿、フローライト様を安全な場所まで避難させるよう頼んでいたはずだが。ヘルネス殿、念の為に逃げろと申し上げたはず」
少しばかりきつい言い方になってしまうが、命の危険もあるのだ。もっと気を使って欲しい。
フローライトにも一言、と思い彼女を伺う。
「え、フローライト様っ! どうされました⁉︎ どこかお怪我をっ⁈」
涙を流す彼女に、オロオロと狼狽してしまった。
まさか、ツノのカケラでも飛んできたのだろうか?
「も、申し訳ありませんっ。できるだけ距離は空けていたつもりでしたので、まさかここまで飛翔するとは…」
「…………ます」
「え?」
「違いますっ!」
彼女からあがった怒鳴り声に、思わず身体が固まった。
表情からして怒っているのだろう。なのに、どこか悲鳴のような声だった。
「あんな…あんな、騎士でも数人で挑むような一角熊に単身で、しかもそのような鉄の棒だけで向かうだなんて、命知らずにもほどがあります!
それなのに、私達には逃げろなど、挙げ句の果てに、私の怪我を心配するなんて、どうかしてますわ!」
「フローライト様……」
「私はっ! 私は……ケイ様が、死んでしまうのではと、とても恐ろしかったのです……」
そう静かに涙を零すフローライトは、目元は赤くさせて私へと抱きついてきた。
ギュウッと背中へと回された腕の力に、かなり心配させたのだと己を責める。
「申し訳ありません、フローライト様」
「っう……ふぅ……うぅ…」
「申し訳ありません」
震える背中を、ポンポンとあやすようにゆっくり撫でる。
その身体は、私と同じようで、それでいて私より少しだけ小柄に感じた。
背も、少し私の方が高いようだ。
私の事を姉のようだと言ってくれたフローライト。
たとえそれが、ヘルネスや他の住民への説明の為の嘘だとしても、嬉しかった。
我が身の心配よりも、私の事を気遣って涙を流すこの人を、私は守りたいと思った。
昼食前に、とディアンは少々渋っていたが、フローライトの「お願い」に敗北していた。
まぁ、少しお茶するだけだと言っていたし、大目に見てやって欲しい。
「ここのケーキは凄く美味しいのです」
「フローライト様にお墨付きをいただいて、この店も客が増えまして。本当に有難いことです」
先程の「フローライトのおかげ」とはそういうことか。
確かに、貴族として普段から美味しい物を食べているはずのフローライトから「美味しい」という評価を貰えれば、それだけで一種の箔がつくだろう。
ヘルネスに案内されたのは、レストランの2階席だった。
ここは一般客とは別に、貴族などの客を相手する時に利用する場所らしく、今は私達だけ。
開けた空間に余裕を持った間隔で置かれたテーブルの一つに着いた私とフローライトの前に、ヘルネスが持ってきたケーキが何種類か並ぶ。
貴族が利用するだけのことはある。
ふんわりと絞られた生クリームに、しっとりとしたスポンジ、丁寧に彩られた装飾と、思わず溜息が溢れそうな見た目だ。
私の家では、菓子といえば和菓子。クリスマスといった西洋イベントはやっていなかったし、ケーキを食べる機会は普通の子よりも少なかったと思う。
和菓子は好きだったし、特に不満はなかったが。
キラキラと明かりを反射して輝いてみえたケーキは、子供の頃は多少憧れていた。
しかし、一つ困ったことがある。
「さぁ、ケイ様。どうぞ召し上がってくださいな。私のオススメですよ」
微笑みながらケーキを一切れ皿に盛ると、それを私に差し出してくれるフローライト。
ヘルネスも期待の篭った瞳でこちらを伺っている。
フローライトが勧めてきたのは、宝石のような艶を出している、恐らくブドウのような果実が乗ったケーキ。
ふんだんに盛られた果実はもちろん、周りを覆っているクリームも満遍なく塗られている。
一言でいえば、凄く甘そうだった。
「……いただきます」
出来るだけ平静を保った顔を意識して、フォークで一口分、切り分け口へと運んだ。
口内で広がる甘酸っぱい果実と、じんわりと染み込むようなクリームの甘さ。
見た目を裏切らず、味も相当レベルが高い。
フローライトが気に入っているだけあって、確かに美味だった。
「……あの、何かお気に召しませんでしたか?」
恐る恐るといった様子で声をかけてくるヘルネス。
やはり、少し表情に出てしまったのだろうか。
フローライトまで不安そうな顔をするので、苦笑して首を横に振った。
「申し訳ありません。実は、あまり甘い物が得意ではなく…」
「それは…失礼いたしました。女性は皆さん、甘い物がお好きだとばかり」
「ごめんなさい、ケイ様。先に伺っておくべきでしたわ」
「いえ、嫌いなわけではないのです。このケーキも、これまで食べた中で一番美味しい物でした」
そこだけは誤解のないよう、ヘルネスの目を見てきっぱりと伝えておいた。
安堵したように息をついた彼は、何か思い出したように手を打つ。
「そうです。でしたら、コーヒーなどはいかがでしょう。苦味が苦手という女性が多いもので、基本は紅茶を出すようにしているのですが」
「あぁ、それは助かります。コーヒーは好きなんです」
「かしこまりました」
頭を下げて下の階にある厨房へと向かったヘルネスを見送り、顔を前へ向けると何やらフローライトが拗ねた顔をしている。
「どうかしましたか?」
「……いえ。ケイ様は…コーヒー、お飲みなるのですね」
「? はい。昔から甘い物だけを食べる事ができなかったので」
「そうですか……」
「……?」
「お嬢様はコーヒーがお飲みになれないんだ。昔から甘い物がお好きで、コーヒーのような苦い物はめっきり駄目だ」
「ちょ、ちょっとディアン!」
目を逸らすフローライトだったが、彼女の後ろに控えていたディアンによってあっさり暴露されていた。
顔を赤くして彼を軽く睨むフローライトに、ディアンはシレッとした態度だ。
「す、少しくらいなら私だって飲めます!」
「それを上回る量のスイーツを頬張っているからです」
小さな反論もスパッと切られている。こういうやり取りも、昔からなのだろう。
いじけて無言でケーキを頬張っているフローライトの姿に、年相応のものを感じて思わず微笑ましくなる。
暫くしてヘルネスが持って来てくれたコーヒーをお供に、私もそれなりにケーキを腹におさめた。
その倍以上の量を、美味しそうにフローライトは食べていたが。あれはホール3つくらいはなかったか…?
あんな細い身体のどこに入るのか、と思うほどペロリと平らげたフローライトは、満足そうにヘルネスに微笑みかける。
「ありがとう、美味しかったわ。また来ますね」
「はい、フローライト様。ケイ様も、またいらしてください」
「あぁ。ありがとう」
**********
ヘルネスに見送られ、レストラン前の通りに出た時だった。
別れ際の挨拶をしていた私達の耳に、女性の甲高い悲鳴が聞こえた。
とっさに悲鳴の方角からフローライトを背に庇ったディアンが、鋭い視線を遠くに向ける。
そして、信じられない、といった様子で目を見開いた。
「…あれは……」
私も、その方角を見て気持ちを引き締めた。
そこには、巨大な熊がいた。
いや、頭に一本の大きなツノが生えているところを見るに、正確には私の知る熊ではない。
サイズも1回りほど大きくみえる。
すでに何かを狩った後なのか、ソイツの口元と手の爪は赤い液体で染まっている。
ぱっと見、街の人が被害にあったような形跡はない。
街の入り口からここまでは直線。熊モドキが立っている場所は入り口付近。恐らく入ろうとしたところを、発見した女性が悲鳴をあげたか。
女性の悲鳴に警戒しているのか、低いグルグルした唸り声をあげはするものの、まだ襲いかかるような気配はない。
「ディアン殿。フローライト様を抱えて反対側へ走れ」
「……そちらはどうする」
「足止めする」
「はっ⁈」
驚きの声をあげるディアンの横を通り、近くに立てかけられていた鉄棒を手に取る。
長さはちょうど刀くらい。重さをそれなりにあり、当たれば熊とてかなりのダメージになるだろう。
「できれば追い払いたいところだが、誤って街中に逃げられたら大変だ。だからフローライト様をここから離してくれ。ヘルネス殿、貴方も少しの間離れていた方が良い」
「本気で言っているのか⁉︎ 一角熊だぞ!」
「一角熊というのか? まぁ、あの爪とツノは脅威だが……なに、要は当たらなければ良い話だろう」
刀を持った人間を相手にするのと変わらない。攻撃も当たらなければ問題にはならない。
ただ少しばかりサイズが大きくなり、力が強くなるだけだ。むしろ的が大きくて助かる。
一角熊というらしい熊モドキの方を見ると、すでに近くにいた住民は避難できたようだ。
反応からして、始めての事ではないのかもしれない。
鉄棒を握り直し、よし、と気合を入れて一角熊へと足を踏み込んだ。
一人だけ向かってきた私を警戒するように、唸り声を大きくさせ上体を下げる一角熊。
突き出されたツノは、まともに当たれば即死だろう。
手の中の感触を確かめるように、何度か鉄棒を握り込む。
一角熊から5歩ほどの距離を開け、いつものように自然体で、左側の腰に添えるように鉄棒を持ち、左足を1歩引いて腰を深く落とす。
ふっ、と鋭く息を吐き、一角熊の目を覗き込むようにする。
心を鎮め、相手の心に同調させるように呼吸を合わせる。
音が消え、視界に一角熊だけが残った瞬間。
「ーーーふっ」
襲いかかってきた一角熊に対し、息を吐き出すと同時に鉄棒を振り抜いた。
弧を描いた鉄棒は、そのまま一角熊のツノへ直撃。
パキン、という音を響かせてツノは折れ、遠くの石畳の道へと落ちた。
ツノにも痛覚があるのか、一気に突進の勢いがなくなったところを、顔面に回し蹴りを叩き込んだ。
グルリ、と身体を回転させ、背中から倒れる一角熊。いや、もうツノはないのだからただの熊か。
悲鳴のような呻き声をあげる熊の近くへ寄り、その顔へと鉄棒を突きつけた。
「野生動物なら、格の違いを察せるようでなければ生き残れないぞ」
闘気を込めて睨みつけると、熊は怯えた声を上げ、慌てたように立ち上がると、4つ脚で街の外へと駆け出していった。
この街に来るまでに、大きな森があった。きっと普段はそこで暮らしているのだろう。
餌が無くなったのか分からないが、人里へ安易に入り込むのは危険だと、これで理解できれば良いが。
人間側の為にも、あの熊の為にも、お互い出会わない方が良いのだ。
とりあえず、そのままにしておくわけにもいかず、道の端へと転がっていたツノを回収して、踵を返す。
すると、先程と同じ位置、つまりジルコンの前に立っているフローライトとディアン、それにヘルネスの姿まで確認できて、思わず顔を顰める。
あれ程危険だから避難しておいてくれ、と言ったのに。少々危機感が足りないのではないか?
そう思いながら、彼らの元へと足を運ぶ。
「ディアン殿、フローライト様を安全な場所まで避難させるよう頼んでいたはずだが。ヘルネス殿、念の為に逃げろと申し上げたはず」
少しばかりきつい言い方になってしまうが、命の危険もあるのだ。もっと気を使って欲しい。
フローライトにも一言、と思い彼女を伺う。
「え、フローライト様っ! どうされました⁉︎ どこかお怪我をっ⁈」
涙を流す彼女に、オロオロと狼狽してしまった。
まさか、ツノのカケラでも飛んできたのだろうか?
「も、申し訳ありませんっ。できるだけ距離は空けていたつもりでしたので、まさかここまで飛翔するとは…」
「…………ます」
「え?」
「違いますっ!」
彼女からあがった怒鳴り声に、思わず身体が固まった。
表情からして怒っているのだろう。なのに、どこか悲鳴のような声だった。
「あんな…あんな、騎士でも数人で挑むような一角熊に単身で、しかもそのような鉄の棒だけで向かうだなんて、命知らずにもほどがあります!
それなのに、私達には逃げろなど、挙げ句の果てに、私の怪我を心配するなんて、どうかしてますわ!」
「フローライト様……」
「私はっ! 私は……ケイ様が、死んでしまうのではと、とても恐ろしかったのです……」
そう静かに涙を零すフローライトは、目元は赤くさせて私へと抱きついてきた。
ギュウッと背中へと回された腕の力に、かなり心配させたのだと己を責める。
「申し訳ありません、フローライト様」
「っう……ふぅ……うぅ…」
「申し訳ありません」
震える背中を、ポンポンとあやすようにゆっくり撫でる。
その身体は、私と同じようで、それでいて私より少しだけ小柄に感じた。
背も、少し私の方が高いようだ。
私の事を姉のようだと言ってくれたフローライト。
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