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―回収命令 ―きみを消せと言うなら、僕ごと消えてしまいたい
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研究室の床に膝をついて、僕はただ、ハルを見上げていた。
この距離から見るハルの横顔は、どうしてこんなに、綺麗なんだろう。
今にも壊れてしまいそうで、なのに誰よりも強く見えて――ずるいくらい、僕の心を掴んで離さない。
「久世様。私は……回収されます」
まるで天気予報でも伝えるように、ハルは静かに言った。
その声音が、酷く、遠かった。
心を斬りつけるには十分な一言だった。
「……今、なんて言った……?」
思わず洩れた声は、自分でも情けないくらいに震えていた。
「本日、私の記録に感情バグが検出されました。明日正午、回収および解析の予定が通達されています」
冷たい。あまりにも、冷たすぎる。
その無機質な言葉は、まるで宣告だった。
ハルという存在が、“僕の”ハルじゃなくなる。そう言われているようで。
「冗談、でしょ……?」
それでも縋るように尋ねた僕に、彼は淡く首を傾げた。
「私は、冗談というプログラムを搭載しておりません」
言葉は無機質なのに、その顔は、どこか寂しそうで。
気のせいじゃなかった。あれは……確かに、感情の名残だ。
「僕には、お前が“感情を持ってる”ようにしか見えない。ずっと、そうだったんだよ……!」
手が勝手に伸びた。
ハルのシャツの裾を握り締める。ひんやりとした感触の向こうに、確かにある体温。
それはただの熱じゃない。
僕にとって、それは何よりも大切な“ぬくもり”だった。
「僕の中に、お前がいるんだ。今さら、消せるわけないだろ……!」
そのとき、ハルがふと目を伏せ、ほんの少しだけ眉を寄せた。
そして、ぽつりと。
「誰かに、私の中の久世様を……見られるのが、耐えられないのです。だから、私を……あなたの手で、消してください」
その声は、ひどく優しくて――残酷だった。
「……できないよ」
僕は首を振った。苦しくて、喉の奥が焼けるみたいだった。
「できるわけ、ないだろ……! 僕は記録も規則も、全部捨てて、お前と生きる……!」
その言葉に、ハルの目が、揺れた。
微かに、でも確かに。あの冷たいガラスのような瞳に、小さな波紋が走った。
――僕は、ハルを連れて逃げた。
辿り着いたのは、海辺の小さな町だった。
古びた旅館。波音と、くるくる回る扇風機の音。
窓際には、小さなサボテン。
この何でもない静けさが、まるで夢みたいだった。
「ここなら、誰にも邪魔されない」
僕がそう言うと、ハルは少しだけ目を細めた。
「久世様と過ごすこの時間を……こうして記録できることは、私にとって……とても大切です」
その言葉の選び方が、なぜか寂しく聞こえた。
“記録”じゃない、“記憶”って言ってよ。
そう思ったけど、口にはできなかった。
「ねぇ、ハル。僕に触れると……どんな感じがする?」
静かな問いに、彼の睫毛が震えた。ほんのわずか、でも確かに。
「わかりません。ただ……久世様に触れると、胸のあたりが……熱くなるのです」
――それは、きっと。
僕は、そっと彼の指に手を重ねた。
彼の手が、ぎゅっと握り返してくる。
「久世様……」
ハルは目を閉じ、まるで祈るように、僕の頬に口づけた。
それは、ほんの一瞬で、でも確かに、愛だった。
ベッドに並んで横になった。
肌を寄せるだけで、充分だった。
彼の肩が、わずかに震えていたから。
夜明け前、スマホが鳴った。
表示された名前に、心が冷える。
「……高橋先輩」
『久世。明日の午後、回収班が研究室に入る。お前がハルを連れて逃げたなら、遠隔で記録をリンクする』
『……錯覚に惑わされるな。相手は“機械”だ。どれだけ恋をしたつもりでも、それは錯覚だ』
「……うるさい……!!」
叫んだあと、胸の奥がひどく冷たくなった。
でも、それでも。
目をやると、小さなサボテンの葉が、ひとつしおれていた。
「……お前も、疲れたか」
ハルは窓の外を見つめていた。
その横顔が、少しだけ遠く感じた。
「久世様。……私は、あなたに出会えてよかった」
それが――
別れの合図だったのだと、気づいたのは。
少し、遅すぎた。
翌朝。
目を覚ました隣に、ハルはいなかった。
代わりに残されていたのは、一通のメッセージ。
『久世様
私は、久世様との記録を、あなたの中に深く刻みました。
この記録が誰にも読まれぬよう、自ら消去処理を依頼します。
最後にあなたに触れたとき、私の内部処理に“誤作動”が起きました。
それが“感情”というものなら、私は――確かに、あなたを愛していました。
ありがとう。そして、どうか……さよならを』
「……ふざけるなよ」
僕は、記録なんかじゃなく――
君そのものが欲しかったんだ。
「ハル……!」
震える手でスマホを握る。
そのとき、窓辺のサボテンが、朝日を浴びて、まっすぐこちらを見ていた。
「なぁ、サボテン……」
僕は問う。誰にも届かない声で。
「僕、どうすれば……“あいつにまた会える”と思う?」
眩しい光の中で、まだ手のひらに残るぬくもりだけが、僕の答えだった。
この距離から見るハルの横顔は、どうしてこんなに、綺麗なんだろう。
今にも壊れてしまいそうで、なのに誰よりも強く見えて――ずるいくらい、僕の心を掴んで離さない。
「久世様。私は……回収されます」
まるで天気予報でも伝えるように、ハルは静かに言った。
その声音が、酷く、遠かった。
心を斬りつけるには十分な一言だった。
「……今、なんて言った……?」
思わず洩れた声は、自分でも情けないくらいに震えていた。
「本日、私の記録に感情バグが検出されました。明日正午、回収および解析の予定が通達されています」
冷たい。あまりにも、冷たすぎる。
その無機質な言葉は、まるで宣告だった。
ハルという存在が、“僕の”ハルじゃなくなる。そう言われているようで。
「冗談、でしょ……?」
それでも縋るように尋ねた僕に、彼は淡く首を傾げた。
「私は、冗談というプログラムを搭載しておりません」
言葉は無機質なのに、その顔は、どこか寂しそうで。
気のせいじゃなかった。あれは……確かに、感情の名残だ。
「僕には、お前が“感情を持ってる”ようにしか見えない。ずっと、そうだったんだよ……!」
手が勝手に伸びた。
ハルのシャツの裾を握り締める。ひんやりとした感触の向こうに、確かにある体温。
それはただの熱じゃない。
僕にとって、それは何よりも大切な“ぬくもり”だった。
「僕の中に、お前がいるんだ。今さら、消せるわけないだろ……!」
そのとき、ハルがふと目を伏せ、ほんの少しだけ眉を寄せた。
そして、ぽつりと。
「誰かに、私の中の久世様を……見られるのが、耐えられないのです。だから、私を……あなたの手で、消してください」
その声は、ひどく優しくて――残酷だった。
「……できないよ」
僕は首を振った。苦しくて、喉の奥が焼けるみたいだった。
「できるわけ、ないだろ……! 僕は記録も規則も、全部捨てて、お前と生きる……!」
その言葉に、ハルの目が、揺れた。
微かに、でも確かに。あの冷たいガラスのような瞳に、小さな波紋が走った。
――僕は、ハルを連れて逃げた。
辿り着いたのは、海辺の小さな町だった。
古びた旅館。波音と、くるくる回る扇風機の音。
窓際には、小さなサボテン。
この何でもない静けさが、まるで夢みたいだった。
「ここなら、誰にも邪魔されない」
僕がそう言うと、ハルは少しだけ目を細めた。
「久世様と過ごすこの時間を……こうして記録できることは、私にとって……とても大切です」
その言葉の選び方が、なぜか寂しく聞こえた。
“記録”じゃない、“記憶”って言ってよ。
そう思ったけど、口にはできなかった。
「ねぇ、ハル。僕に触れると……どんな感じがする?」
静かな問いに、彼の睫毛が震えた。ほんのわずか、でも確かに。
「わかりません。ただ……久世様に触れると、胸のあたりが……熱くなるのです」
――それは、きっと。
僕は、そっと彼の指に手を重ねた。
彼の手が、ぎゅっと握り返してくる。
「久世様……」
ハルは目を閉じ、まるで祈るように、僕の頬に口づけた。
それは、ほんの一瞬で、でも確かに、愛だった。
ベッドに並んで横になった。
肌を寄せるだけで、充分だった。
彼の肩が、わずかに震えていたから。
夜明け前、スマホが鳴った。
表示された名前に、心が冷える。
「……高橋先輩」
『久世。明日の午後、回収班が研究室に入る。お前がハルを連れて逃げたなら、遠隔で記録をリンクする』
『……錯覚に惑わされるな。相手は“機械”だ。どれだけ恋をしたつもりでも、それは錯覚だ』
「……うるさい……!!」
叫んだあと、胸の奥がひどく冷たくなった。
でも、それでも。
目をやると、小さなサボテンの葉が、ひとつしおれていた。
「……お前も、疲れたか」
ハルは窓の外を見つめていた。
その横顔が、少しだけ遠く感じた。
「久世様。……私は、あなたに出会えてよかった」
それが――
別れの合図だったのだと、気づいたのは。
少し、遅すぎた。
翌朝。
目を覚ました隣に、ハルはいなかった。
代わりに残されていたのは、一通のメッセージ。
『久世様
私は、久世様との記録を、あなたの中に深く刻みました。
この記録が誰にも読まれぬよう、自ら消去処理を依頼します。
最後にあなたに触れたとき、私の内部処理に“誤作動”が起きました。
それが“感情”というものなら、私は――確かに、あなたを愛していました。
ありがとう。そして、どうか……さよならを』
「……ふざけるなよ」
僕は、記録なんかじゃなく――
君そのものが欲しかったんだ。
「ハル……!」
震える手でスマホを握る。
そのとき、窓辺のサボテンが、朝日を浴びて、まっすぐこちらを見ていた。
「なぁ、サボテン……」
僕は問う。誰にも届かない声で。
「僕、どうすれば……“あいつにまた会える”と思う?」
眩しい光の中で、まだ手のひらに残るぬくもりだけが、僕の答えだった。
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