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秘密基地
2.願い
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明日は、待ちに待った休日。
蓮と二人で鍵盤に触れる約束が待っている。
私ができないときは、鍵盤を動かしてもらうためだが、
それでも楽しみでしかたない。
朝食と夕食を交代で作ることになり、
今日は蓮が作ってくれた夕食を食べる。
「美味しい」
「よかった」
無邪気な笑みに心臓が跳ねる。
ふいに向けられる無防備な表情は、私にだけだと思いたい。
学校では表情がないことが多いが、
ご両親の再婚の後はますます無くなった気がする。
だからこそ、蓮の特別みたいで嬉しくなってしまう。
ふと、思い出す。
あの青年は誰だろう。
彼が声を重ねなければ、もっと聴けたかもしれないのに。
演奏に合わせて小さいが聞こえたのは、求めていた懐かしい歌声。
お世辞にも上手いとは言えないかもしれないが、
私の演奏を聞いて微笑む蓮が好き。
お願いすると、仕方ないなーって顔で私を優しく見る連が好き。
温かい声の歌を奏でる蓮が好き。
あの日、きっと、本人は自覚なく口ずさんでいた。
理由はどうあれ、やっと…なのに。
あれからは、聞こえない。
一階でピアノを弾くときは何度だってついてきてくれるけど。
叶うことのない願いに、思わずため息が出てしまう。
「誰かと歌いながら演奏するの、楽しいのか」
「楽しいよ」
苦い物を食べたような表情で、唸るように蓮は言う。
質問のような、
そうでないような言葉に応えると蓮は何かを考え始めた。
意図が分からず見ていると、ゆっくりと口が開く。
「俺でいいなら、歌う。綺麗さを求めないなら、な」
「いいの?ありがとう!」
その言葉は、私が待っていたものだった。
あまりの嬉しさに席を立つ。
「いい、から。とりあえず、食べよう」
「そうだね」
何を考えているのだろうか。
見ても分からないと分かっているが、
つい、蓮の穏やかになった表情を眺めながら食べてしまう。
「なに?」
「なんでもない」
「咲、楽しそうだな」
そう、蓮が嬉しそうに目を細めて言うから。
「蓮も。楽しそう」
「俺?俺は、咲が楽しそうだから」
何気ない言葉が、仕草が、表情が胸を打つ。
好き。
大好き。
幼馴染でよかった。
過去に近づく邪悪たちを払ってきてよかった。
「蓮がいるから、私は楽しいの」
「そうか。ありがとう」
その言葉が含む意味は分からないが、
柔らかく微笑む蓮が、今だけでも心穏やかであることを願った。
翌日。
約束は叶った。
一階の窓は閉めたまま、鍵盤を動かす。
楽しくなって演奏を始めると、それに合わせて蓮が歌う。
その時間は、日に日に増えた。
一緒に学校から帰り、共に食事を作る。
そして、鍵盤へ向かう私の傍には穏やかに微笑む蓮がいる。
家族の愚痴や他愛ない話をして、それぞれの部屋へ戻る日々。
幸せ。
これ以上は望まないと思いながら、
膨らんでいく欲深い願いを抑え殺す。
それだけでよかったのに。
暮らし始めて一か月。
電話がなってでると、千さんだった。
「千です。咲さん、蓮へ伝えてください。
明日、そちらへ土井 一さんという方が来るので、
一階で迎えてください。
住まいは、五階に決まっています。
よろしくお願いします」
「はい。明日、人を迎えればいいんですね。
荷物は、どうされるんですか?」
「荷物は、早朝に一階へ置いておきます。
では、お願いします」
「わかりました。その方を五階へ案内しますね。
伝えます。
よろしくお願いします」
電話が切れると、台所にいる蓮を見つける。
「咲?」
「蓮。電話があって…」
伝言を伝えると、蓮は表情を固くした。
「わかった。ありがとう。
叔父さんが認めた人だから大丈夫だとは思うけど。
もし、何かあれば小さいことでもいいから、俺に言えよ」
私は、何かに警戒する蓮の声にうなずく。
前のお父さんを思い出しているのかもしれない。
暴力の記憶は、今でも根強く蝕んでいる。
「うん。約束する」
「ありがとう。
何があっても、俺が守るから」
その、決意を含んだような声に、
思わず蓮を抱き寄せる。
「咲?」
「蓮。ありがとう」
「当然だ。咲は俺が守る。絶対に」
抱きしめ返された腕に身を寄せる。
冷たく震えている蓮を少しでも温められればいいと思った。
蓮と二人で鍵盤に触れる約束が待っている。
私ができないときは、鍵盤を動かしてもらうためだが、
それでも楽しみでしかたない。
朝食と夕食を交代で作ることになり、
今日は蓮が作ってくれた夕食を食べる。
「美味しい」
「よかった」
無邪気な笑みに心臓が跳ねる。
ふいに向けられる無防備な表情は、私にだけだと思いたい。
学校では表情がないことが多いが、
ご両親の再婚の後はますます無くなった気がする。
だからこそ、蓮の特別みたいで嬉しくなってしまう。
ふと、思い出す。
あの青年は誰だろう。
彼が声を重ねなければ、もっと聴けたかもしれないのに。
演奏に合わせて小さいが聞こえたのは、求めていた懐かしい歌声。
お世辞にも上手いとは言えないかもしれないが、
私の演奏を聞いて微笑む蓮が好き。
お願いすると、仕方ないなーって顔で私を優しく見る連が好き。
温かい声の歌を奏でる蓮が好き。
あの日、きっと、本人は自覚なく口ずさんでいた。
理由はどうあれ、やっと…なのに。
あれからは、聞こえない。
一階でピアノを弾くときは何度だってついてきてくれるけど。
叶うことのない願いに、思わずため息が出てしまう。
「誰かと歌いながら演奏するの、楽しいのか」
「楽しいよ」
苦い物を食べたような表情で、唸るように蓮は言う。
質問のような、
そうでないような言葉に応えると蓮は何かを考え始めた。
意図が分からず見ていると、ゆっくりと口が開く。
「俺でいいなら、歌う。綺麗さを求めないなら、な」
「いいの?ありがとう!」
その言葉は、私が待っていたものだった。
あまりの嬉しさに席を立つ。
「いい、から。とりあえず、食べよう」
「そうだね」
何を考えているのだろうか。
見ても分からないと分かっているが、
つい、蓮の穏やかになった表情を眺めながら食べてしまう。
「なに?」
「なんでもない」
「咲、楽しそうだな」
そう、蓮が嬉しそうに目を細めて言うから。
「蓮も。楽しそう」
「俺?俺は、咲が楽しそうだから」
何気ない言葉が、仕草が、表情が胸を打つ。
好き。
大好き。
幼馴染でよかった。
過去に近づく邪悪たちを払ってきてよかった。
「蓮がいるから、私は楽しいの」
「そうか。ありがとう」
その言葉が含む意味は分からないが、
柔らかく微笑む蓮が、今だけでも心穏やかであることを願った。
翌日。
約束は叶った。
一階の窓は閉めたまま、鍵盤を動かす。
楽しくなって演奏を始めると、それに合わせて蓮が歌う。
その時間は、日に日に増えた。
一緒に学校から帰り、共に食事を作る。
そして、鍵盤へ向かう私の傍には穏やかに微笑む蓮がいる。
家族の愚痴や他愛ない話をして、それぞれの部屋へ戻る日々。
幸せ。
これ以上は望まないと思いながら、
膨らんでいく欲深い願いを抑え殺す。
それだけでよかったのに。
暮らし始めて一か月。
電話がなってでると、千さんだった。
「千です。咲さん、蓮へ伝えてください。
明日、そちらへ土井 一さんという方が来るので、
一階で迎えてください。
住まいは、五階に決まっています。
よろしくお願いします」
「はい。明日、人を迎えればいいんですね。
荷物は、どうされるんですか?」
「荷物は、早朝に一階へ置いておきます。
では、お願いします」
「わかりました。その方を五階へ案内しますね。
伝えます。
よろしくお願いします」
電話が切れると、台所にいる蓮を見つける。
「咲?」
「蓮。電話があって…」
伝言を伝えると、蓮は表情を固くした。
「わかった。ありがとう。
叔父さんが認めた人だから大丈夫だとは思うけど。
もし、何かあれば小さいことでもいいから、俺に言えよ」
私は、何かに警戒する蓮の声にうなずく。
前のお父さんを思い出しているのかもしれない。
暴力の記憶は、今でも根強く蝕んでいる。
「うん。約束する」
「ありがとう。
何があっても、俺が守るから」
その、決意を含んだような声に、
思わず蓮を抱き寄せる。
「咲?」
「蓮。ありがとう」
「当然だ。咲は俺が守る。絶対に」
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