春風

福福夢狸

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春風〜第四章【約束の日】

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 連絡先を交換してから、数日が過ぎた。

 メッセージのやり取りはあったが、どこか淡々としていた。
 俺が送った「今度の土曜日なら空いてるけど……」という連絡に、沙月から返ってきたのは「じゃあ、その日にしよっか」と一言だけ。

 あの笑顔を思い出せば、嬉しいはずのやり取りのはずだったのに、どこまで、踏み込んでいいのか分からない距離が残っていた。

 けれど、会える。それだけで十分だった。




 迎えた、約束の日。
 待ち合わせの場所に少し早めに着いてしまい、人の流れをぼんやりと眺めていると――  

「直哉くん!」
 
 名前を呼ばれた先に、顔を向けると、人の流れの先で、ひときわ目を引く姿が目に入りーー

「……っ」

 ーー思わず息を呑んだ。

 ふわりと揺れる、膝にかかるほどの白いシャツワンピース。
 ウエストでほんのりと締まり、そこから優しく広がるスカートが、春風にそよいでいる。
 胸元からウエストまで並んだ小さなボタンが、どこか控えめで上品だった。
 
 頭には、ワンピースと同じ白のキャスケット帽をちょこんと乗せ、肩には、アイスブルーの爽やかな色味のショルダーバッグ
 さらさらと風になびく珊瑚色のロングヘアが、光を受けて柔らかく輝いていた。


 そのすべてが、眩しく見えた。

 清楚で、あたたかくて――
 まるで、春の陽だまりがそのまま歩いてきたみたいだった。


「……沙月?」

 かすれそうな声で呼びかけると、彼女はにこっと笑い、バッグを揺らしながら、小さく手を振ってくれる。
 
 その何気ない仕草さえも愛しくて、
 俺は、胸の奥からじわりと湧き上がる想いに、ただ立ち尽くすしかなかった。

「直哉くん、おはよ。……遅くなかった?」
「ううん、俺も、今、来たとこ。……その、キレイ、だな……」
「え……な、なに、急に、そんな……」

 照れくさそうに頬を赤らめて、沙月が笑う。

「その服……似合ってる。すごく」
「……そ、そう? えへへ、ありがと……ちょっと気合い入れちゃったかも」

 指先で帽子を押さえながら、照れたように笑う沙月。  
 その姿が、胸に優しく響いた。

「そ、それで、今日は……何を話したかったの?」

 話がしたいと言われて、会う約束をしたが、結局、何の話をしたいのかを聞いても「会ってから話す」という返事しか来なくて、今日になるまで、分からずじまいだった為、その理由を聞いた。
 沙月は、すー、はーっと、軽く深呼吸をすると、意を決したように言葉を紡ぐ。

「えっと……話したいというより……実は、今日はね……直哉くんと、デートしたかったから。呼んじゃった」
「デ、デート……?」
「うん。ダメだった?」
「……いや。嬉しい、けど……」

 期待していなかった訳ではないが、沙月の彼氏の事を思うと素直に喜んで良いのか分からず、言葉が詰まる。
 そんな俺の手を沙月が、そっと取り、少しだけ指を絡めた。

「なら良かった! じゃあ、行こっか。今日はいろいろ回りたいとこあるの」

 軽く引かれるままに、俺たちは街へと足を踏み出した。




 いくつかの雑貨屋やカフェを巡りながら、何気ない会話が続く。

 他愛もない話なのに、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。  
 手を繋いだまま歩く街は、見慣れた景色なのに、どこか特別なものに見えた。

 自然な笑顔で隣にいてくれる沙月。  
 そのひとつひとつの仕草が、いちいち愛しく思える自分がいた。

 
「……沙月、疲れてないか? 少し、休憩しよっか?」

 やがて、日が傾き始めた頃。
 歩き疲れた事もあり、俺達は、駅前のベンチで少し、一休みすることにした。 

「俺、ちょっと飲み物、買ってくるよ。コーヒーでいい?」
「うん、ありがと。ブラックで」

 俺はそのまま自販機へ向かった。


 飲み物を手に戻ってきた時、少し先にざわつく人だかりが見えた。  

(……なんだ?)
 何かあったのかと足を速めると、ざわめきの中に、聞き覚えのある声が混じっていた。

「お前、最近マジで、様子がおかしいぞ!」
「……もう、やめてって言ってるでしょ!」
 
 その声に血の気が引く。
 人混みを掻き分けて、ベンチの方へと駆け寄る。中央にいたのは……沙月だった。

 そして、その目の前にいたのは、あの男。尚也。

「尚也……! やめてってば!」
「お前、誰に向かって口きいてんだよ!」

 沙月が、あの尚也に腕を掴まれていた。  
 彼の顔は明らかに怒りに歪んでいて、まわりの目を、一切気にしていない様子だった。

「離して! 今日は大事な用があるから会えないって、言ったでしょ……!」
「……沙月、お前、いったい何、考えてんだ!?」
「…………直哉くんと会って……あなたの、あなたとの関係が、ちゃんと見えたの……!」
「……は?」

 尚也の表情が歪む。周囲の空気がぴりついた。

「だからもう、いい加減にして……!」
「ふざけんな! 見てたぞ、コソコソと、他の男と遊びやがって!」

 尚也の声が荒れる。  
 そして次の瞬間、彼の手が大きく振り上げられた。


「やめろっ!!」

 気づけば、俺は人だかりを掻き分けていた。
 咄嗟に飛び込んで、沙月の前に立ちはだかった瞬間ーー尚也の拳が俺の頬を打った。

 ドンッ、と鈍い音がして、頬に衝撃が走り、世界が一瞬、霞む。

「っ……直哉くん……!」

 その場の空気が凍りついた気がした。

「……っつ……!」
 
 頬を押さえながらも、俺は尚也を睨み返した。
 
「沙月に……女にも、手をあげるのか、お前……」
「あぁ? てめぇ、誰だよ……!」

「お前こそ……何してんだ、自分の彼女に、手をあげるとか……恥ずかしくねぇのかよ……!」

 怒鳴り返すと、周囲からもざわつく声が上がる。

「最低だな、あの男……」
「見てた? 今、手出そうとしたよな……」
「通報した方がいいんじゃない?」
「殴られた彼、大丈夫なの?」

 遠巻きに見ていた、まわりの人々が、ざわざわと非難の声を上げ始める。
 それを聞いた尚也は、明らかに焦った顔をして、舌打ちをする。

「チッ、なんだよ、うぜぇ……帰るわ。 あとで、ちゃんと話、聞かせてもらうからな、沙月ぃ!」

 分が悪いと悟ったのか、尚也は沙月を突き放し、捨て台詞を吐いて背を向けて、その場から立ち去っていった。


 ――静寂が戻ったあと、俺はその場にへたり込みそうになった。


「直哉くん、大丈夫!?」

 沙月がすぐに駆け寄り、俺の顔を覗き込む。
「……ごめん、ごめんね……私のせいで……」

 沙月の声が震えていた。

「……平気だよ、これくらい……ただちょっと、びっくりしただけだから」
 
 今にも泣きそうなくらい、目に涙を貯める沙月の顔を見ていられなくて、まだ殴られた箇所が痛むが、俺はおどけた様子で大丈夫とアピールする。

「バカ……もう、ほんと、無理しないでよ……」
 
 俺の様子を見て、ホッとしたのか、沙月は少し笑顔を見せた。

「あっ! そうだ、応急処置、させて……!」
 
 ゴソゴソと、沙月がカバンから小さなポーチを取り出し、持っていた絆創膏やウェットティッシュで応急処置をしてくれた。

「……痛くない?」
「うん、大丈夫」
 
 応急処置の間、指先が頬に触れるたび、かすかな痛みと、それを上回る温かさがあった。
 その優しい手の温もりに、心まで癒されていくようだった。

「……ありがと、沙月」
「ううん……私のせい、だから」
「違う。 俺が勝手に飛び出して、守ろうとしただけだよ。 だから、沙月のせいじゃない」
「……うん、ありがとう、直哉……くん」

 短く返したあと、沙月はそっと、俺の手を握ってきた。




 ――――夜。人通りも落ち着いてきた頃。  

 俺たちは街の外れにある、おしゃれなバーへ立ち寄っていた。
 店内は落ち着いた照明で、小さなジャズが流れていた。

 洒落たカウンター席に、肩を並べて腰掛ける。  
 グラスの中で揺れる琥珀色の液体が、店内のライトを受けてきらりと光っていた。

「……痛み、大丈夫?」
「うん。もうほとんど引いてるよ」
「……良かった……ほんとに、ごめんね……あんな場面、見せちゃって」
「いいって。沙月が無事なら、それでいい」
「ほんとに、ありがとう……私……こんな風に優しくされたの、久しぶりかも?」

 沙月は小さく笑って、グラスに口をつけた。

 しばらく沈黙が流れたあと、ふと沙月が口を開く。

「ねぇ、直哉くん……」
「ん?」
「……初めて会った時のこと、覚えてる?」
 沙月はグラスの中を覗き込むようにしながら、ぽつりと呟く。

「えっ……」

 意外な問いだった。  
 思い出そうと記憶を巡らせていると、沙月はテーブルに置いてあるグラスの底を覗き込みながら、懐かしそうに微笑んだ。

「私は、よく覚えてるよ……」

 その声に、あの頃の記憶がゆっくりと蘇ってくる。

 まるで、春風に導かれるように――
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