春風

福福夢狸

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春風〜第六章【期待】

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 街の灯りが、少しずつ落ち着きを帯びはじめる時間。  
 直哉くんと並んで歩く帰り道は、静かで、心地よくて――だけど、それ以上に、心の奥がじんわりと熱を帯びていた。


 今日、あの人と過ごした時間。  
 優しさも、言葉も、あたたかな笑顔も。  
 全部が、昔と変わらなくて。
 変わっていないのに、どこか大人になっていて。  
 きっと私は、今日、この手を離したら、また後悔する――そう思った。 
 
 だから、私から言った。「……もう少しだけ一緒にいたい」と。


 その先の時間を、ふたりで静かに過ごせる場所を考えて、一番自然に思い立ったのが、私の部屋だった。
 
「うち……来る?」
 
 その一言を、彼は少し迷った顔のまま、でも優しく頷いてくれた。




 そうして辿り着いた、私のマンション。  
 けれど、玄関の前まで来たときだった。

「あ……」

 見上げた五階の私の部屋に、灯りがついていた。
 その明かりは、私がつけたものじゃない。

「……尚也、かも」

 私の言葉に、直哉の足が静かに止まる。

「同棲はしてないんだけど……」と、言い訳がましく私は続けた。

「……でも、合鍵持ってるから……たまに、勝手に来てることがあって……部屋にある男物も……私が用意したものじゃなくて……尚也が運び入れたもの、なの」

 静かに、けれど確実に落ちていく気持ち。  
 せっかく、一歩踏み出せると思っていたのに。

「……今日は、やめとこうか」
「えっ……あ、うん……そ、うだよね……」

 直哉の言葉は、優しかったけど、その分、余計に切なくて。  

「おやすみ」と、そう言って去っていった彼の背中が、夜の中に静かに消えていくのを、私はただ見つめるしかなかった。



 
 マンションのエントランス。  
 エントランスのドアを開ける為に、カードキーを取り出そうと、カバンに手をかけた瞬間――その手が、止まった。


 ーー帰りたくない。


 このまま帰れば、部屋の中には、尚也がいる。  
 きっと昼間のことを蒸し返す。直哉の名前を出せば、また怒る。
 あの手の動き。あの視線。

 嫌な予感がする。

 今までの経験で分かる。ああいう時の尚也は、必ず『そう』してくる。  

 
 無理矢理じゃなくて、『それが当たり前』みたいな顔で。  
 自分の欲求だけを押し付けて、私を抱いてくる。
 今日のデートも、優しい時間も、全部汚れてしまう。
 尚也は、怒ったあと、いつも『そう』だったから。

 拒んでも無駄だって、私は、もう知ってる。


「……嫌だ」

 声に出した瞬間、涙が滲みそうになった。


 そのときだった。  
 後ろから、足音が聞こえた。

(……直哉!?)
 心が跳ねた。思わず振り返る。

「……っ」

 けれどそこにいたのは、同じマンションの住人だった。  
 軽く会釈をして、通り過ぎていく。

 人違い。それが分かった瞬間、胸がぎゅっと、痛くなった。
 落胆と羞恥で、心が締めつけられる。


(私……期待、してたんだ……)
 あの足音が、直哉のものであってほしいと。 
 また振り返ったら、あの人が笑ってくれるんじゃないかって。

 ずっと、我慢してた気持ちが、胸の奥で、ぶわっと溢れた。

 直哉に触れたい。触れられたい。もっと一緒にいたい。  
 あの夜、ベッドで見つめ合った時、あの人の身体が反応していたのに気づいていた。  

 私も……同じだった。

 
 誰もいないエントランスの壁に、手をつくと、誰にも見られないように、背を向ける。
 入口に背を向ける形で、そっとスカートの上から指を這わせると、すぐに、ビクンと腰が震えて、反応した。

「……ん……っ」

 (こんな所で……何してるの、私……)
 
 ダメなのに。 
 ーーでも、止められなかった。
 

 溢れた感情と、疼いた身体が一致して、理性を超えていく。  
  
 直哉が、私の身体を、胸を、秘裂を触ってくれるのを、そして……
 再会したあの夜に見た、反応して硬くなっていた直哉の熱いものが、私の秘裂を貫いてくれるのを想像して、スカート越しの手を動かしていく。

 彼の笑顔、彼の手、彼の声を思い浮かべては、スカート越しの布に染みるほど、指先が濡れていくのがわかる。
  
「直、哉……」

 小さく名前を漏らした途端、一瞬、世界が白く飛び、腰が震えた。
 

「……んっ……っ……はぁ、ん……ぁあ……」
  
 達してしまった身体は、力なく壁にもたれかかる。
 肩は上下に揺れて息をし、スカートには、はっきりと分かるほどの染みが浮かんでおり、ぬるりとした熱が、指先に伝わる。

 熱をもった透明な雫が、太腿を伝い、静かに流れ落ちていく。
 

「……私……なにやってんだろう……」
 
 情けなさと虚無感が押し寄せ、涙が頬を伝った。

  
 そのときだった。

「……沙月」

 耳に届いた、その声。
 それは、今、一番、聞きたいと思っていた声だった。

「……っ、え……?」

 顔を上げて、振り返る。

「……直……哉?」
 
 そこにいたのは――直哉だった。
 彼の瞳が、まっすぐに私を見つめていた。
 
 まっすぐな瞳に見つめられて、嘘じゃないのだと、心臓が痛いほど高鳴った。
  
 どちらからともなく、走り出す。
 気づけば、私たちは互いに腕の中に飛び込んでいた。

「良かった……まだいた」

 そう言って、強く、優しく、直哉は私を抱き締めてくれた。

「直哉……!」

 その胸の鼓動が、私の身体に伝わってくる。

「沙月……ごめん、やっぱり今日は、ずっと一緒にいてくれないか?」

 囁かれたその言葉に、心が震えた。

「俺の家、ちょっと遠いけど、今ならまだ電車もあるし……なんだったらタクシーでもいい。そこなら、誰にも邪魔されないから」

 返事をしようとしたそのとき――

 ポケットの中で、スマホが震えた。
 画面に浮かんだのは、『尚也』の名前。
 
 これは浮気かもしれない。
 でも、もう何を選ぶべきか、私は分かっている。
 だから、私は、もう迷わないーー

「うん……私も、今日はあなたと一緒にいたい……」

 彼に微笑んで言った。
 そして私は、静かにスマホの電源を落とした。

「ほら、これで静かになったから……行こう?」

 
 直哉の熱が、私の下腹部に静かに触れていた。私の身体も、それに応えるように……震えた。
 
 抱き合う二人の身体は、互いの熱を確かめるように、ぴったりと寄り添う。
 下腹部に伝わる鼓動が、重なっていく。


 あの時、聞こえた足音に期待してしまった私は――今、答えをもらった気がした。
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