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第四部

第二十五章 楪、照り輝く 其の九

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◆◇◆

 燃えるような紅葉がハラハラと散る神無月朔日、江は改めて真冬に向けての衣替えを行わせた。同時に、国松の袴着の儀が行われる。 
 お次の若君でもあり、「内々うちうちに」と支度をすすめたが、どこで聞き付けたのか、家臣たちも大勢集まった。 
 大勢の見物人にも国松は臆せず、公家風の松色の童子わらわ服に身を包み、碁盤の上へと昇る。 
 利勝がまず白の袴を着せ、着袴ちゃっこの儀を済ませる。そして、小松を持った若君の尼削ぎの髪を少し削り、深曽木ふかそぎの儀も終わらせると、利勝が恭しく下がった。 
 国松がぴょんと碁盤から飛び降りる。 
「おめでとうござりまする。」 
 利勝の声に、周りの者達が続いた。 

 国松は、タカタカとまっすぐに上座で見ている秀忠のもとへ進む。 
 秀忠が破魔矢と弓を差し出した。 
「強き男子おのこになるのじゃぞ。」 
「はいっ。」 
 部屋中に響く元気な声を国松があげる。 
「木刀はまだにござりまするか。」 
「ああ。しばし待て」 
「では、またすもうを取ってくださいませ。」 
「わかった。」 
 はきはきと元気のよい国松に自然と秀忠の頬も緩む。 
「国松、父上はお忙しいのじゃぞ。」 
 江が横からやんわりとたしなめる。 
「母上、父上はお約束をたがえませぬ。そうでございますね、父上。」 
 幼いながら母をたしなめる国松の言葉に、家臣たちが思わず笑う。
 秀忠が苦笑いを浮かべ、利勝は大笑いしたいのを必死でこらえた。 
「わかった。近いうちに相撲をとろう。兄上も一緒にな。」 
「はいっ。たのしみにいたしまする。」 
 一礼すると、国松は兄の竹千代にもニカッと笑みを向け、乳母のきよの元へと下がった。 
 無事に儀式が終わり、空気がほっと緩む。 

「竹千代。」 
 秀忠がおごそかに嫡男の名を呼んだ。 
「…はっはい。」 
 父に呼ばれるとは思ってもいなかった竹千代が、おどおどと返事をする。 
 将軍らしく秀忠が頷き、竹千代に前に進み出るよう促した。 
 福に一度目をやり、乳母が頷いたのを見て、父を上目づかいに見ながら、竹千代はおずおずと進み出る。
 福がその後ろに控えた。 
「近う寄れ。」 
 秀忠の重々しい声にドキドキしながら、竹千代は作法通り、前へとずり進む。
 秀忠が小姓から三方さんぽうを受けとり、息子へと差し出した。 
「そなたも七つじゃ。これからも文武に励むのじゃぞ。」 
 父から子へ手渡された三方には脇差しと六韜りくとうの書が乗っている。 
「竹千代、真剣じゃ。気を付けよ。」 
「は…はい。」 
 優しい声だが、キリリとした父の顔に、竹千代は小さく返事をした。 
「小さな刀じゃが、人を守ることも、人を殺すこともできる。武士であれば、己を守るため、大事な人を守るため、人をあやめねばならぬときがある。」 
 将軍は竹千代の目をしっかりと見つめ、静かに、しかしゆっくりと語りかける。竹千代は歯を食い縛り、目をぱちぱちさせながら、父の話を聞いている。 
「心せよ。」 
 威厳ある声で将軍はそう結ぶと、ジッと息子を見た。 
「は、はい。」 
 静まり返った部屋の中に、竹千代の小さな返事がささやかに響いた。 
「文武ともに精進いたせ。よき武将となるのじゃぞ。」 
 かすかに微笑んだ秀忠であったが、緊張している竹千代には、父の微笑みは伝わらなかった。 
 小さな声で「はい」と返事した竹千代は、父の隣に座っている母からの言葉がないのが悲しい。 
 江は、秀忠の『武士であれば…』という意味を考え、それを教えねばならない秀忠の心中を考えていた。 
 竹千代のうろつく視線に思いを察した秀忠が、「江」と声をかけ、『竹千代へ』と目配せをする。 
 躊躇ためらった妻に、秀忠が頷いた。
 江が秀忠に微笑み、その微笑みを竹千代に向ける。 
「竹千代、父上のようによき武将となりなされ。母は楽しみにしておりますぞ。」 
「はい。」 
 優しい母の微笑みに、竹千代もやっと子供らしく笑って返事をした。 

◆◇◆

 葉を落とした木の枝で、すずめ達が日向ぼっこをしている。 
 書状から目を離した将軍が、フゥと溜め息をつき、自らも日向ぼっこをするように、部屋の端へ来て庭を見つめた。 
「今度は平八郎へいはちろうか……。悪いとは聞いておったが。」 
「大御所さまも気を落としておられましょう。」 
 独り言のように呟いた将軍に、老中は後ろから声をかける。 
「気を落とすだけですめばよいが。秀頼むこ殿との対面、段取りをいてくるに違いない。」 
「確かに…」 
 将軍は眩しそうに眉をひそめた。 

 去る葉月八日には、織田秀雄ひでかつが三十にもならぬうちに死んだ。
 その父は信長の次男、織田信雄のぶかつ。家康が小牧こまき長久手ながくての戦いで織田信長の後継者として組んだ男である。 
 秀雄ひでかつのすぐ下の妹である小姫は幼くして死んだが、秀忠の最初の許嫁いいなづけであった。 
 秀雄がひっそりと浅草に住んでいたのを、秀忠が知り、年間三千俵を与えていた。
 書状によれば、京都の父の元で死んだようである。 
 (『豊臣は織田に臣従しておった』か……。確かに、織田はいつの間にか天下から外されてしもうておる。その元を作ったは、太閤殿下……) 
 だからというて、同じように豊臣を追い詰めてよいのか……。残す道はないのか……。 
 秀忠はその報を聞いてから、より考え込んでいる。 

 間をおかず、同月二十日には、細川幽斎ゆうさいが死んだ。 
 足利義輝あしかがよしてるに仕えた幽斎は、田舎侍であった家康、つまりは徳川に宮中と関わる上での作法などを教えた大恩人である。 
 織田信長の力を見抜き、武将とはいえ文化にひいで、主上おかみも一目おいた文人ぶんじんであった。 
 ここにまた、信長や秀吉と同じ時代を生きた人が去った。 

 そして、木枯らしがふく神無月十九日、徳川四天王、いや、徳川三傑さんけつといわれた本多ほんだ平八郎へいはちろう忠勝ただかつが死去。戦場での家康の片腕であった。 

 (『おてんとうさまからもらった運命さだめ』…か…) 
 秀忠は静の言葉を思い出した。 
 人はいつか必ず死ぬとは言いながら、春先の市姫に始まり、因縁浅からぬ人たちの訃報を聞くたびに、親父は自分の寿命を見つめているのではないかと思う。 
 そして、生き延びること・・・・・・・が、何よりも大きな好機となっているのに、秀忠は父の執念深さを感じた。 
 (豊臣は生き延びて天下を治めようとは考えぬのだろうか…) 
 将軍はまたひとつ溜め息をつき、文机へと戻っていく。 

「畳の上で死ぬるなど……と、最後までぼやいておったそうにございまする。」 
 前を通る秀忠に、利勝が独自につかんだ情報を教える。 
「平八郎らしい。したが、強いゆえ戦場いくさばで生き残ったのであろう。」 
 長く頑丈な槍を振り回し、武芸に励んでいた忠勝を思い出して、秀忠は文机の前に座る。 
「老いた身で出ればわかりませぬ。」 
 ニンマリした利勝の軽口に、墨を手にした秀忠はキッとした視線を返した。 
「たわけたことを申すな。武士に死に場所を与えるために戦をしてなんとする。民が迷惑じゃ。」 
「御意。」 
 不機嫌な将軍の声に、利勝はしおらしく返事をする。 
 (このお方は……) 
 利勝は、ただ大御所の言いなりになっているような秀忠が、このあとどう世を治めていくか楽しみになった。 
 (その前に…) 
 利勝が将軍の顔を見ていると、墨を摺っている秀忠が、顔も上げず口を開いた。 
「もう世の流れは徳川に傾いておる。 それでも大坂城を動かぬのは、何故だろうか。戦になったときに勝ち目があると思われておるのか……。 ……のう利勝、戦をせねば、世が収まらぬのか?」 
 硯を見たまま話し終わった秀忠に、利勝は返事をしなかった。 
 それは、自分に尋ねられたのではなく、秀忠が自問をしているのだと解っていたからである。 

 火鉢の炭がパチリと音をたてた。 
「まずは、大御所様と秀頼様のご対面の段取りでございますな。」 
「そうじゃな。」 
 老中の答えに、将軍は静かに返事をした。 

******* 
【神無月朔日】 10月1日。この年の10月1日は、太陽暦の11月15日。 
【本多忠勝死去】 慶長15年10月19日。西暦では12月3日 

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