3 / 20
それぞれの想い
しおりを挟む今にして思えば、本当に生意気な子供だったと自分でも思う。
香織が食材を取りに行ってから、ソファの上で俺はふと過去に思いを馳せていた。正直、俺はあまり過去を思い出すことが得意ではないのだが、香織との出会については時々思い出すことがある。
「なにしてるの?」
公園の隅でうずくまる香織を見つけて俺は初めて彼女に声をかけた。当時はまだお互い六歳で、幼稚園を卒業する少し前だったと思う。
その頃の俺にとって香織は同じ幼稚園の子&隣の家に住んでる女の子というだけだった。しかし、元々俺の両親が積極的にご近所付き合いをするような人間じゃなかったので、ちゃんとした交流を持ったのはこの時が初めてだった。
よく知らない女の子に話しかけるとか、今の俺にはできそうもない。
すごいよお前は。
記憶の中の自分を褒めてやる。
「おばあちゃんがね、ずっとお勉強しなさいって言ってくるの。昨日もおとといも、その前の日だって!」
アリの行列でも眺めているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
みずみずしい声で言い放ち、香織は鼻をすすった。
「ふーん。……で、いまはなにしてるの?」
バカかこいつは!
我ながら情けないと本気で思う。
勉強を強要させられて、逃げてきたに決まってる。
でも、それを読めないのが子供のいいところでもあるのかも、と少し正当化してみる。
「にげてきたの。お勉強がイヤになったから」
案の定な答え。
まあ、昔のことなので俺が答えを知ってるのは当然なんだけど。
「じゃあ、いっしょにあそぶ?」
手に持っていたサッカーボールを突き出して、俺から香織へ遊びのお誘い。
香織は六歳にして既に、周りとは別格のオーラを放っていた。今と変わらないさらさらの黒髪が放つのは、もちろん美少女のオーラである。
可愛いから話しかけたわけじゃない。
ホントだよ?
ただ幼稚園でも注目はしてたから、公園で見かけたときは話しかけない選択肢が俺には無かった。
「あそんでも……いいの?」
不安そうな大きな瞳で俺を見上げた後、きょろきょろ辺りを見回した。監視の目があるか不安だったのだろう。
「いいんじゃない? てかダメなの?」
俺の言葉に香織は人が変わったかのように目をキラキラ輝かせて、「あそびたい!」と大きな声で返事した。
そのときの笑顔がとっても可愛かったもんだから、俺は心臓をこれでもかと高鳴らせた。
ボールを蹴って交互にパスを回す。
たったそれだけのことなのに、香織は信じられないくらい下手だった。
ボールと喧嘩でもしているんだろうか? なんて幼心に俺が思う程度には、香織は明後日の方向にボールを蹴飛ばしたり、逆に止まってるボールに避けられてからぶったりしている。
けど、そんな香織とのパス回しを俺は全力で楽しんでいた。
スマホやゲーム機が普及してから子供は公園で遊ばなくなったという日本の現状を体現しているかのような公園で、俺はずっと一人で遊んでいたからだ。
「あれ、上手になってきた」
五分もしないうちに香織はからぶらなくなっていた。それどころか俺の足元に正確なパスを出してくる。
こうなったらもう楽しくてたまらない。
時間も忘れて俺たちは遊び、空がオレンジに染まる頃になって香織は芝生の上に寝転がった。勉強ばかりさせられてきたと言うだけあって息を切らしていたが、その表情は出会った時とは比べ物にならないほど晴れやかな笑顔だった。
そんな香織の隣に俺も寝転がる。
繰り返すが、こんなこと今では絶対無理である。
「今日はとっても楽しかった! ありがとう!」
「おれもたのしかった。またあそぼうよ」
「またあそんでくれるの!? やったー!」
喜ぶ香織が俺の腕に抱きつく。
俺は顔を反対側に向けて、考えていたことを言う。
「勉強をがんばってるの、おれはすごいと思う。かけざんとかもできるの?」
「できるよ」
「2×3は?」
「6」
「7×8は?」
「56」
「……すげぇ。かっこいい!」
この頃の俺には彼女の答えが正解かどうかも分からなかったが、すぐに答えが返ってくるだけで心からすごいと思った。
今の俺からしたらきっと、エジソンに数学とはなんぞやと説明されているようなもの。
理解できなくても凄いのは分かる。
「かっこいい? はじめて言われたよ、そんなこと」
「マジで? めちゃくちゃかっこいいよ!」
「そうかな?」
「ぜったいそう!」
いつの間にか香織の方を向いていた俺は、彼女とぴったり目が合った。無駄に空気を読もうとする街灯がパッと光って俺たちを照らす。まだ空は十分明るいというのに。
「あぁ……っと、じゃあおれ、そろそろ帰るから」
「わ、わたしも」
しかし、向かう先は同じ。
なにせ家が隣にあるんだから。
恥ずかしさに当てられた俺は口を開けなかったけど、幸い香織が話しかけてくることもなかった。少しだけ距離を空けて俺の後ろをついてくる。
家の前に着くと、香織の方では母親が外に出て待っていた。途端、香織が唇を噛んだので、俺は嫌な予感がしてわざと大きな声で言った。
「きょうはあそんでくれてありがとう! 一人だったらたぶんつまんなかったと思うから、めちゃめちゃ助かった!」
あくまでも誘ったのは俺だぞと主張する。
実際に俺から誘ったのは事実なので、香織は少し首を傾げただけで「わたしもたのしかった」と笑ってくれた。
家に帰った俺は靴を脱ぎ捨て、香織のことを両親に語り聞かせたものだ。二人とも笑顔で俺の話に耳を傾けてくれていた。
それが俺たちの出会い。
目を閉じ思い出しながら、俺は自然と笑っていた。
思えば、斗真との関係が進展しなくなるかもしれないことくらい予想できたはずだった。
「…………」
私たちが中学校に進学してすぐの頃、斗真の両親は事故で他界した。大型トラックの運転手による酒気帯び運転が原因らしいと私はお母さんから聞かされた。
大型トラックと普通自動車の衝突。
ああ、考えただけでも最悪な気分になる。
だってそんなの普通自動車が潰されるって子供でも理解できる。運動エネルギーも運動量も、圧倒的に違いすぎるのだから。
もう具体的に何日かなんて覚えていないけど、両親を亡くしてから斗真はしばらく学校に行かなくなった。当然だ。私だって絶対に同じことをしただろう。斗真にとって唯一の家族だった親を失くすという傷心は、到底中学生に耐えられるものじゃなかったと思う。
実際、これは少し良くない表現になってしまうけど、彼の心はずっと生きていないようだった。
虚な目をして部屋の明かりすらつけず、何日間も枯れない涙を流し続けていた。
動くのはトイレと水のためだけ。
ご飯はろくに食べていないようだった。
合鍵があるので斗真の家にはいつでも入れる。
しかし、それすら怖くなってしまうくらいには彼の精気は吸われ尽くしていて、家には悪魔が住み着いていたようだった。
それでも私は毎日彼の元に行った。
共感も慰めもできない小娘だったけど、どうしても私が側に居てあげたかった。時には学校を休んでさえ。
「一口だけでいいから、食べて」
そう言ってパンを食べさせた。
「身体は私が洗ってあげるから、お願い」
そう言ってお風呂に入らせた。
斗真の傷心を理解できるだなんて口が裂けても言えなかったけれど、元気の欠片もない斗真の姿を見ているだけではきっと私の心も保たなかっただろう。
もっと何かしてあげたい。
そう思っても、できることなんてご飯とお風呂の手伝いくらいで、既に「完璧」だともてはやされていた当時の私は自分の無力さを痛感した。
いつも笑って、勉強に疲れた私と遊んでくれていた斗真。厳しい祖母から逃げ出したかった私が彼にどれだけ救われていたことか。
またあの笑顔が見たい。ただそれだけなのに、それが絶望的に難しかった。
斗真は家族に飢えていた。
母親に会いたい、父親に会いたい、心が通じ合う家族に会いたい。その頃の彼は口を開けば祈るようにそう呟いていた。
「なら……私が」
我慢の限界。
卑怯以外のなにものでもないが、私は泣きながら彼を抱きしめた。
「私が斗真の家族になるから! お母さんやお父さんみたいには無理だけど、斗真の妹……ううん、お姉ちゃんに、私がなってあげるから!」
他にどんな選択肢があっただろう。
今でも私はこれしか言葉が出てこない。
「だから笑って? 今までみたいに笑ってさ、私といっぱい遊んでよ。斗真の元気な姿をお母さんたちにも見せてあげようよ」
お姉ちゃんになる。家族になる。
その言葉の意味を、高校二年生になって私はようやく思い知っていた。
だが、しかし。
私は下を向くつもりもなければ、諦めて振り返るつもりもない。家族になるという選択を後悔だってしていない。
幼馴染のお姉ちゃん。
そんなよく分からない立場でも、私のやることはただ一つだ。
斗真をドキドキさせて、照れさせる。
大好きな男の子に恋愛感情を抱いてもらう、ただそれだけである。
「よしっ!」
自宅の冷蔵庫をパタンと閉めて、夜ご飯の材料を入れた袋を手に私は隣家へ移動した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
美人委員長、デレる。クールな学級委員長は僕の実況配信の「全肯定スパチャ」古参ファンだった件について
静内燕
恋愛
高校二年生の黒羽 竜牙(くろはねりゅうが) は、学校では黒縁メガネで目立たない地味な陰キャを装っている。しかし、その裏の顔は、多くのファンを持つ人気ゲーム実況者「クロ」。彼の人生は、誰にも秘密にしているこの二重生活(ダブルライフ)で成り立っている。
ある日、竜牙は、学校生活で最も近寄りがたい存在である花市 凜委員長に、秘密を悟られてしまう。成績優秀、品行方正、誰に対しても厳格な「学園の模範生」である花市委員長は、竜牙の地味な外見には興味を示さない。
しかし、彼女のもう一つの顔は、クロチャンネルの最古参にして最大のファン「ユキ」だった。彼女は、配信で桁外れのスパチャを投げ、クロを全力で「全肯定」する、熱狂的な推し活狂だったのだ。
「竜牙くん、私はあなたの秘密を守る。その代わり、私と**『推し活契約』**を結んでちょうだい」
委員長は、学校では周囲の目を欺くため、今まで以上に竜牙を無視し、冷淡に振る舞うことを要求する。しかし、放課後の旧校舎裏では一転、目を輝かせ「クロさん!昨日の配信最高でした!」と熱烈な愛をぶつけてくる。
誰も知らない秘密の「裏の顔」を共有した地味な僕と、完璧な仮面の下で推しを溺愛する委員長。
これは、二重生活が生み出す勘違いと、溺愛とツンデレが入り乱れる、甘くて内緒な学園ラブコメディ!
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語
ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。
だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。
それで終わるはずだった――なのに。
ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。
さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。
そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。
由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。
一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。
そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。
罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。
ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。
そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。
これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる