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クロの車

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 クロが、大ちゃんから車を買わないかと、言われたらしい。
 いつもクロは、歩いてココへ来て、歩いて帰る。
 たまに誰かに送ってもらって来るが、歩いて帰る。
 散歩しながら町に買い物に行くから、町から少し離れていて、歩くと時間が掛かるのは良く知っている。
「車を買えば、ここに居れる時間が長くなるの?」
「まあ、そうだな…帰る時間が短くなるし…」
 …ココに居てくれる時間も長くなる。
「聖は何処かに行ってみたい場所があるか?」
 クロがそんなことを聞いてきた。
 何処か、行きたい所…。
「…特には…。考えたこと無かった」
「…。」
 人混みは苦手だし、特に行きたい場所はない。
 ココでのんびりと暮らせれば良い。
 ずっとそう思っていたから…。
「車を買ったら、出かけよう。どこが良いか、考えておいてくれ」
 …どこが良いか…。
「…クロと一緒だったら、どこでも良いよ」
 クロと一緒なら…クロが行ってみたい場所へ行ってみたい。
「…。」
 不意にクロの顔が近付いて来て、聖の唇に触れ、クロは嬉しそうに笑いかけてくる。
「だったら一緒に考えよう」
「うん」
 聖は嬉しくて微笑んでいた。
 クロと一緒に車でお出かけ。


 聖の家に週二回、日用品を運んでくれる、いつもの人にの車に乗せてもらって、小納谷にやって来た。
 いつものように、風呂場の掃除を見に来ただけでなく、気になった車を見に来たのだ。
「この間言っていた車ってどれ?」
「こっちだ」
 聖がクロに訪ねると、小納谷の駐車場に向かった。
 小納谷の敷地内の端に有る、回りを木々で覆われた駐車場には、送迎用の車や、マイクロバスなども止まっていた。
 クロに案内されたのは、駐車場の端に有る、少し大きめの車。
 聖はクロを見上げた。
「中に入れるの?」
「カギ持ってるから、見れるぞ」
 クロは車をカギで開けて、後部座席の扉を開いてくれた。
 聖は中を覗き込む。
 後部座席は真ん中に二人、後ろに三人乗れるくらいある。
 お客さんを乗せている車だから、余裕がある。
「広いね…」
 聖は車の中に乗り込み、真ん中の座席に座った。
 車の高さも有るから、余計に広く感じるのかもしれない。
「これだけ大きいと、中で昼寝も出来てしまうね…。この座席、倒せるのかな…」
 そんな事を思った。
 車の中だけど、まるで小さな部屋の中にいるみたいに、広く感じる。
 ココで、ごろ寝しながら、移動できたら最高なのにな…。
 聖はそんなことを思っていた。


 クロが送迎用の車を買うことに決めたみたいだ。
 小納谷の新しい車が、夏の終わり頃に来るから、その後、整備して、黒龍の物になるらしい。
 どこに連れていってくれるのだろう。
 聖は楽しみだった。


 その日は珍しく、夜になって車の音がした。
 静かな夜は、家を挟んで、庭とは反対側の横にある空き地に車がバックする音が、時々聞こえる。
 誰だろう…。
 聖は玄関から顔を覗かせ、空き地を見た。
「クロ!」
 車の中のクロと目が合い、クロが微笑んだ。
 クロが車を止め、運転席から降りて来た。
「ついに来たんだね!」
 聖は興奮してクロに近付いた。
「ああ。中も綺麗にしてくれているから、新品みたいたぞ」
 そう言って、クロが後ろの車の扉を開けてくれ、聖は覗きこんだ。
 綺麗に掃除され、長年使って摩擦で摩れていた座席の横が綺麗に…新しくなっている。
「本当だ!車のシートも綺麗になってる」
「…本当だ…張り替えてくれたのか…」
 クロは何か動揺していたが、聖は綺麗になった車の中を覗き込んでいた。
「それより、今日は早く来れたんだ。中でゆっくりしようぜ」
「そうだね。て、事は、いつもより遅くまで居れるのか?」
 聖は振り向いて、嬉しそうにクロを見た。
 クロは微笑んで、聖の髪を撫でてくれる。
「ああ。…一緒に風呂に入るくらい、時間はあるぞ」
 クロにそう言われて、風呂場でのアレコレを思いだし、聖は耳を赤く染め、うつむいた。
 思い出したじゃないか!
 一緒に入って、明るい風呂場で、確かめるように身体を触り合って、風呂場に声が響いて、クロに全てをさらけ出して…。
 そんな聖を横目にクロはのんびりと言った。
「…車は今度の日曜日に、いろいろ動かしてみよう。言っていたみたいに、車のシートをどこまで倒せるか確かめたいし…」
 昼寝、車の中で出きるかな…。
「楽しみ」
 耳を赤くしたまま、聖は微笑み、クロは車の扉を閉め、一緒に家の中に入っていった。
 

 約束通り、一緒に風呂に入って、身体を洗い合い、触って擦り合って、身体を暖めた。
 クロと一緒に湯船に浸かっていると、思い出したかのように、クロが言い出した。
「時期的には少し遅いが、海へ行ってみないか?」
「海?」
 聖はクロの方を向いた。
「泳げないが、足を浸からせるぐらいは出きるだろう」
 海へは行った事が無い。
 写真や、物語などで語られるぐらいで、実物は見たことが無い。
 だから…クロと一緒になら…。
「行った事無いから…行ってみたい…」
 どれだけ大きいものなのか、想像でしかない。
「大輔に連休もらって、泊まりで海に行こう」
「うん!」
 聖は微笑んだ。
 …そうだ。
 物語や写真でしか見たことの無い場所に、実際行って見るのも良いのかもしれない。
 言葉や写真だけでは伝わらない何かを、見せてくれるかもしれない。
 それも、…クロと一緒なら、楽しい旅になりそうだ。
 
 聖は初めて自分の意思で、外に行ってみたいと思った。
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