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出会いはビーフシチューの味わいと共に①
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カンバスに描かれた、絵。
出来上がったばかりのその絵を一花はしばし眺めた。
数分見つめた後、おもむろにその絵を両手で掴む。
それから指にグッと力を入れて下へと引き裂いた。ビリビリビリと布が破れる時の独特の高い音を立てながら、完成した絵は見るも無残に破れ、ズタズタになった。
北条 一花は東京都の美大に通う大学二年生だ。
専攻は油絵学科。
必死に勉強して入学した一年前、一花の胸は希望に溢れていた。
女手一つで育ててくれた母親に無理を言い、自分でもバイトでお金を貯めてやっとの思いで念願の美大へと入れたのだ。これからここでたくさん学び、将来はデザイナーになって大企業に就職するか、もしくは開花させた才能で個展を開き成功を収めたら海外に行くか……いずれにせよ、自分の才能を信じて疑わなかった一花は、希望を胸に大学生活を開始した。
そしてその希望はすぐに粉々に砕かれた。
授業にはついて行くだけで精一杯だし、自分の描いたものはなかなかいい評価を貰えない。同級生たちの独創的な作品を見るたびに己の凡庸さが目につき、何か斬新なものをと思うほどにごく普通の作品しか描く事が出来ない。
進級し二年生になった今、一花は残酷な事実を自覚せざるを得なかった。
————即ち、自分には一欠片の才能すら無い、という事を。
浮かれていたのだ。小さい頃から「一花ちゃんは絵がうまいね」「才能あるよ」「いいなぁいっちゃんは、特技があって」と言われていた。美術の成績はいつもトップだったし、先生にだって褒められていた。学校で選抜されて市のコンクールで表彰された事もある。だから自分には特別な才能があると勘違いしていたのだ。ちょっと絵が描ける程度で調子に乗っていた。そんな人間、この大学には腐るほど存在している。
それは、一花にとって初めての挫折であり苦悩だった。
自分の特技が実は世間にとって大したものではなかったという事実。二十歳の一花にとってこの悩みは大きく心にのしかかった。
「はぁ……」
ビリビリになったカンバスを回収し、油絵具や筆をしまって行く。情けない気分だった。二年生になってからまともに作品を完成させられていない。納得のいくものが、出来上がらない。
「おっす一花、今帰り?」
「流歌……」
教室を出ようとした時、馴染みの顔に行き会った。長谷川 流歌だ。
頭髪をレインボーカラーに染め上げて長く伸ばした前髪を三つ編みにした彼は、全身が油絵具まみれのつなぎを着込んで巨大なバッグを手に、先ほどまで一花が座っていた席にどかりと腰を下ろす。
一花から見えるつなぎの背中には非常にアーティスティックに、とある動物が描かれていた———アルパカだ。
現実のアルパカとかけ離れまくったけばけばしい極彩色をしているのに、一目でアルパカとわかるものを描ける所に流歌の才能を感じる。一花がアルパカを描こうものなら、ゆるキャラっぽい感じの可愛い系になるか写実的なアルパカになるかの二択だ。
まかり間違っても流歌のような個性は出せない。
背中の落書きにすら才能の差を感じつつ、一花は立ち尽くして道具を取り出す流歌を見つめた。
「いんなら俺に連絡くれればよかったのに。寄り道すんじゃなかった」
「やめてよ、アンタと一緒に作業したく無いわよ」
「つめてーな、俺と一花の仲じゃん」
「どんな仲よ」
「え? 油画学科の同級生で、かけがえのない友達だろ」
「…………」
「で、一花は制作課題の絵、もう描けたのか」
首をひねってこちらを見てくる流歌に対し、一花は力なく首を振った。
「そっか。まあでも一花ならチャチャッと描けるだろ。俺、一花の絵が好きだから楽しみにしてんだぜ」
「……よしてよ」
屈託のない流歌の笑顔に、どろりとした黒い感情が溢れてくる。
チラリと流歌の絵を見ると、そこには己のものとは比べ物にならないほど美しく独創性にあふれた絵が描かれていた。この絵と私の絵が並んで評価されるなんて冗談じゃない。恥さらしもいいところだわ。そんな思いを胸に一花は目を背けたが、流歌はそれに気づいた様子もなく着々と作業のための用意をしている。課題の件に興味を失ったのか全く別の話題を振ってきた。
「この後どっか行くの?」
「……吉祥寺」
「はー、デート?」
「そんな相手いないの、知ってるでしょ。桃子とお茶すんの」
「あぁ、そういや圭人がそんな事言ってたか」
から笑いをする流歌が一花の方を向くと、こんな事を言い出す。
「なぁ、俺も作業すぐに終わらせっから。合流してカラオケでも一緒に行かね?」
「遠慮しとく」
流歌の誘いを一花は即座に断る。理由は二つあった。
第一に、流歌は作業にのめり込むと時間を忘れる性質のためにきっと待ちぼうけを食らうであろうから。第二に、流歌は壊滅的に音痴だから。
入学したての頃に何人かの同級生と連れ立ってカラオケに行った時、その事件は起こった。変人揃いの美大生の中でも群を抜いて派手な髪色と変な髪型の流歌はやたらにカラオケに行こうと皆を誘いまくり、「俺、歌上手いから! ほら名前にも歌って漢字が入ってるだろ⁉︎」と豪語していたので、流歌が歌う時には注目が集まっていた。そして歌い出して二秒後に、皆は期待とは真逆の方向に驚かされる事となった。
ジャイアンもびっくりの音痴っぷりで、しかも歌唱力が必要なバラードを朗々と歌い上げる流歌。その表情は悦に浸っており、完全に自分の世界に入り込んでいた。「もうやめて!」「すぐにやめろ!」という周囲の声を無視して、ど下手くそに歌いきった流歌の姿を見て一花は絶対にもう二度とこいつと一緒にカラオケには行かないと心に誓っていた。
そんなことを思い出しつつ、作業に集中しつつある流歌に一花は挨拶をした。
「じゃ、私もう行くから」
「んあ、お疲れ」
右手を上げる流歌に一花も手を振ると、彼の三つ編みの先でキャンディー飾りのヘアゴムが揺れた。このくらいのぶっ飛んだ髪型に出来る程の度胸がないと、才能っていうのはついてこないのかしら、と沈む気持ちを抱えながら大学構内にあるアトリエを後にした。
出来上がったばかりのその絵を一花はしばし眺めた。
数分見つめた後、おもむろにその絵を両手で掴む。
それから指にグッと力を入れて下へと引き裂いた。ビリビリビリと布が破れる時の独特の高い音を立てながら、完成した絵は見るも無残に破れ、ズタズタになった。
北条 一花は東京都の美大に通う大学二年生だ。
専攻は油絵学科。
必死に勉強して入学した一年前、一花の胸は希望に溢れていた。
女手一つで育ててくれた母親に無理を言い、自分でもバイトでお金を貯めてやっとの思いで念願の美大へと入れたのだ。これからここでたくさん学び、将来はデザイナーになって大企業に就職するか、もしくは開花させた才能で個展を開き成功を収めたら海外に行くか……いずれにせよ、自分の才能を信じて疑わなかった一花は、希望を胸に大学生活を開始した。
そしてその希望はすぐに粉々に砕かれた。
授業にはついて行くだけで精一杯だし、自分の描いたものはなかなかいい評価を貰えない。同級生たちの独創的な作品を見るたびに己の凡庸さが目につき、何か斬新なものをと思うほどにごく普通の作品しか描く事が出来ない。
進級し二年生になった今、一花は残酷な事実を自覚せざるを得なかった。
————即ち、自分には一欠片の才能すら無い、という事を。
浮かれていたのだ。小さい頃から「一花ちゃんは絵がうまいね」「才能あるよ」「いいなぁいっちゃんは、特技があって」と言われていた。美術の成績はいつもトップだったし、先生にだって褒められていた。学校で選抜されて市のコンクールで表彰された事もある。だから自分には特別な才能があると勘違いしていたのだ。ちょっと絵が描ける程度で調子に乗っていた。そんな人間、この大学には腐るほど存在している。
それは、一花にとって初めての挫折であり苦悩だった。
自分の特技が実は世間にとって大したものではなかったという事実。二十歳の一花にとってこの悩みは大きく心にのしかかった。
「はぁ……」
ビリビリになったカンバスを回収し、油絵具や筆をしまって行く。情けない気分だった。二年生になってからまともに作品を完成させられていない。納得のいくものが、出来上がらない。
「おっす一花、今帰り?」
「流歌……」
教室を出ようとした時、馴染みの顔に行き会った。長谷川 流歌だ。
頭髪をレインボーカラーに染め上げて長く伸ばした前髪を三つ編みにした彼は、全身が油絵具まみれのつなぎを着込んで巨大なバッグを手に、先ほどまで一花が座っていた席にどかりと腰を下ろす。
一花から見えるつなぎの背中には非常にアーティスティックに、とある動物が描かれていた———アルパカだ。
現実のアルパカとかけ離れまくったけばけばしい極彩色をしているのに、一目でアルパカとわかるものを描ける所に流歌の才能を感じる。一花がアルパカを描こうものなら、ゆるキャラっぽい感じの可愛い系になるか写実的なアルパカになるかの二択だ。
まかり間違っても流歌のような個性は出せない。
背中の落書きにすら才能の差を感じつつ、一花は立ち尽くして道具を取り出す流歌を見つめた。
「いんなら俺に連絡くれればよかったのに。寄り道すんじゃなかった」
「やめてよ、アンタと一緒に作業したく無いわよ」
「つめてーな、俺と一花の仲じゃん」
「どんな仲よ」
「え? 油画学科の同級生で、かけがえのない友達だろ」
「…………」
「で、一花は制作課題の絵、もう描けたのか」
首をひねってこちらを見てくる流歌に対し、一花は力なく首を振った。
「そっか。まあでも一花ならチャチャッと描けるだろ。俺、一花の絵が好きだから楽しみにしてんだぜ」
「……よしてよ」
屈託のない流歌の笑顔に、どろりとした黒い感情が溢れてくる。
チラリと流歌の絵を見ると、そこには己のものとは比べ物にならないほど美しく独創性にあふれた絵が描かれていた。この絵と私の絵が並んで評価されるなんて冗談じゃない。恥さらしもいいところだわ。そんな思いを胸に一花は目を背けたが、流歌はそれに気づいた様子もなく着々と作業のための用意をしている。課題の件に興味を失ったのか全く別の話題を振ってきた。
「この後どっか行くの?」
「……吉祥寺」
「はー、デート?」
「そんな相手いないの、知ってるでしょ。桃子とお茶すんの」
「あぁ、そういや圭人がそんな事言ってたか」
から笑いをする流歌が一花の方を向くと、こんな事を言い出す。
「なぁ、俺も作業すぐに終わらせっから。合流してカラオケでも一緒に行かね?」
「遠慮しとく」
流歌の誘いを一花は即座に断る。理由は二つあった。
第一に、流歌は作業にのめり込むと時間を忘れる性質のためにきっと待ちぼうけを食らうであろうから。第二に、流歌は壊滅的に音痴だから。
入学したての頃に何人かの同級生と連れ立ってカラオケに行った時、その事件は起こった。変人揃いの美大生の中でも群を抜いて派手な髪色と変な髪型の流歌はやたらにカラオケに行こうと皆を誘いまくり、「俺、歌上手いから! ほら名前にも歌って漢字が入ってるだろ⁉︎」と豪語していたので、流歌が歌う時には注目が集まっていた。そして歌い出して二秒後に、皆は期待とは真逆の方向に驚かされる事となった。
ジャイアンもびっくりの音痴っぷりで、しかも歌唱力が必要なバラードを朗々と歌い上げる流歌。その表情は悦に浸っており、完全に自分の世界に入り込んでいた。「もうやめて!」「すぐにやめろ!」という周囲の声を無視して、ど下手くそに歌いきった流歌の姿を見て一花は絶対にもう二度とこいつと一緒にカラオケには行かないと心に誓っていた。
そんなことを思い出しつつ、作業に集中しつつある流歌に一花は挨拶をした。
「じゃ、私もう行くから」
「んあ、お疲れ」
右手を上げる流歌に一花も手を振ると、彼の三つ編みの先でキャンディー飾りのヘアゴムが揺れた。このくらいのぶっ飛んだ髪型に出来る程の度胸がないと、才能っていうのはついてこないのかしら、と沈む気持ちを抱えながら大学構内にあるアトリエを後にした。
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