悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

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「お帰りなさいませ、お嬢様!」

ラズベリー公爵家の屋敷に到着するなり、使用人たちが一斉に整列して私を出迎えた。

その光景は、深々と頭を下げる角度に至るまで、軍隊のように統率が取れている。

「ただいま。執事長、私の不在中に変わったことは?」

馬車から降りた私は、手袋を外しながら尋ねた。

白髪の老執事が、恭しく一歩進み出る。

「はい。先ほど、王城より早馬が参りまして、旦那様が書斎で荒れておられます。『グラッセをすぐによこせ』と」

「あらそう。予想通りね。――で、今月の『ボーナス』は支給されたかしら?」

「はい! お嬢様の個人口座より、全使用人に『特別手当』が振り込まれております! 一同、感謝の極みでございます!」

「ありがとうございます! グラッセお嬢様万歳!」

使用人たちの目が、現金な輝きを放っている。

当然だ。

父上は「名誉」や「家格」ばかりを口にして給料を出し渋るが、私は「成果」に対して現金を出す。

どちらにつくほうが得か、赤ん坊でもわかる計算だ。

「よろしい。では、私はこれから『前』当主と話をしてきます。夕食は少し豪華にしなさい。私の勝利祝いよ」

「「「御意!」」」

力強い返事に見送られ、私は屋敷の中へと足を踏み入れた。

向かうは二階の奥、当主の書斎だ。

扉の前まで来ると、中から怒鳴り声と、何かが割れる音が聞こえてきた。

「ええい、あの馬鹿娘が! 王家に泥を塗りおって!」

ガシャーン!

私はため息をつき、ノックもせずに扉を開け放った。

「失礼します、お父様。陶器が割れる音がしましたが、まさか『東方の青磁壺(時価金貨百枚)』ではありませんよね?」

「グラッセ!」

書斎の中央で顔を真っ赤にしていたのは、私の父、ラズベリー公爵だ。

足元には、見事に粉砕された壺の破片が散らばっている。

「き、貴様……! よくもぬけぬけと帰ってきたな! 王城でのあの狼藉、すでに報告が入っておるぞ!」

「狼藉とは人聞きが悪い。私は正当な債権回収を行っただけです」

「黙れ! アラン殿下に対し、一億枚の請求だと!? 気でも狂ったか! 公爵家の面汚しめ!」

父上は机をバンと叩き、私を睨みつけた。

「今すぐ城へ戻って謝罪してこい! そして請求を取り下げろ! さもなくば……この家から勘当だ!」

勘当。

貴族令嬢にとって、それは社会的死を意味する言葉だ。

普通ならば泣いて縋(すが)るところだろう。

だが、私は冷ややかに笑った。

「勘当、ですか。それは困りましたね」

「ふん、わかったらさっさと……」

「困るのはお父様の方ですよ?」

「……なに?」

私は部屋に入り、優雅にソファへと腰を下ろした。

そして、持っていたバッグから新たな書類の束を取り出し、テーブルの上に置く。

「お父様。勘当する前に、この『裏帳簿』の説明をしていただけますか?」

父上の動きが止まった。

「な、なんだそれは」

「ラズベリー公爵家の、真の財務諸表です。表向きの帳簿とは随分数字が違いますね」

私は書類をめくり、淡々と読み上げる。

「三年前、領地の治水工事費用として国から下りた補助金。その三割が『使途不明金』として消えています。同時期に、お父様は愛人の家に別宅を建てていますね?」

「なっ……!?」

「一昨年、隣国との貿易事業への投資失敗。これを隠すために、領民からの税収を水増しして報告しています。これは脱税および横領にあたります」

「き、貴様、どこでそれを……!」

父上の顔から脂汗が流れ落ちる。

「どこで? 家の金庫番をしているのは誰だと思っているのです。お父様が数字に弱いのをいいことに、私がすべて管理していたのをお忘れですか?」

そう。この家の財政は、数年前から実質私が回している。

父上は判子を押すだけの飾りだ。

「さらに、ここにあるのが……お父様が骨董品収集につぎ込んだ借金のリストです。闇ギルド系の金融業者からの借り入れもありますね。金利が高いですよ、これ」

「う、うう……」

「もし私が勘当されれば、私はこの帳簿を持って司法省と税務局、そして闇ギルドに駆け込みます。そうなれば公爵家は取り潰し、お父様は投獄、あるいは借金取りに海に沈められる……どちらがお好みですか?」

「…………」

父上は膝から崩れ落ちた。

アラン王子と同じ反応だ。血筋は争えないというべきか(血は繋がっていないが)。

「ま、待ってくれグラッセ。わ、私が悪かった。だからその帳簿だけは……」

「あら、謝罪の言葉だけですか? 誠意というものは、形で見せないと伝わりませんわ」

私はソファに座ったまま、床に這いつくばる父上を見下ろした。

父上は屈辱に顔を歪ませながらも、プライドと保身の天秤にかけ――。

「す、すまん……! この通りだ!」

公爵である父が、娘に土下座をした。

床に額を擦り付けるその姿に、私は微塵の同情も抱かなかった。

なぜなら、この男の浪費のせいで、私がどれだけ苦労して家計をやりくりしてきたか。

「顔を上げてください、お父様」

「許してくれるのか……?」

父上が希望に満ちた顔で顔を上げる。

私はニッコリと微笑んだ。

「ええ。ただし、条件があります」

「じ、条件?」

私はあらかじめ用意していた『当主代行委任状』を突きつけた。

「今日から、ラズベリー公爵家の全権限を私が預かります。領地の経営、人事権、資産運用、すべてです。お父様は隠居して、離れの小屋で静かに暮らしてください」

「な、なんだと!? 私から当主の座を奪う気か!」

「奪うのではありません。『経営再建』です。お父様の経営能力は査定の結果、Eランク(解雇相当)と判断されました」

「ふざけるな! 誰がそんな書類にサインなど……」

「サインしないのであれば、この裏帳簿のコピーを、今から号外として街中にバラ撒きますが」

「ペンをよこせ!!」

父上は引ったくるようにペンを取り、震える手で委任状にサインをした。

これで完了だ。

私は書類を確認し、満足げに頷いた。

「商談成立ですね。――執事長!」

「はっ! ここにおります!」

いつの間にか部屋の隅に控えていた執事長が現れる。

「お父様を離れの小屋へご案内して。ああ、小屋の家具は最低限でいいわ。贅沢は敵ですので」

「かしこまりました。さあ、大旦那様、参りましょう」

「お、おい、離せ! 私は公爵だぞ! グラッセ、覚えていろー!」

父上は両脇を使用人に抱えられ、ズルズルと部屋から連れ出されていった。

静寂が戻った書斎。

私は主のいなくなった重厚な執務机に歩み寄り、革張りの椅子に腰を下ろした。

座り心地は悪くない。

「ふぅ……。まずは第一段階クリア、ね」

私は机の上に置かれた王家の紋章が入った手紙を手に取った。

先ほど届いたという、王城からの呼び出し状だ。

『至急登城せよ。沙汰を言い渡す』

おそらく、王子の婚約破棄騒動について、国王陛下直々のお叱りがあるのだろう。

普通なら震え上がるところだが、今の私には切り札がある。

「さて、次は国相手に商売といきましょうか」

私は引き出しから、新しい帳簿を取り出した。

タイトルは『国家買収計画書(仮)』。

ふふ、と笑みがこぼれる。

その時、窓の外からカラスが鳴いた。

まるで不吉な予兆のようだが、私には「儲け話の匂い」にしか感じられなかった。

「お嬢様」

扉から、メイドの頭(ヘッドメイド)が顔を覗かせた。

「お客様がお見えです。……隣国の、シリル・ヴァン・ノワール公爵様が」

「シリル公爵?」

私は眉をひそめた。

あの冷徹で有名な、大陸一の大富豪?

なぜ彼がここに?

第1話のパーティー会場で少し目が合った気はしたが……。

「通して。最高級の茶葉を用意して頂戴。……いいえ、待って」

私は考え直した。

「二番目に安い茶葉でいいわ。商談相手に最初から手の内(最高級品)を見せる必要はないもの」

「……さすがはお嬢様」

メイドが呆れたように、しかし尊敬を込めて一礼し、下がっていった。

私は服の襟を正し、鏡に向かって「営業スマイル」の練習をする。

「いらっしゃいませ、カモ……いいえ、お客様」

新たな「金蔓(かねづる)」の予感に、私の胸は高鳴っていた。
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