悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

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「……グラッセ。僕が悪かった。やり直そう」

ラズベリー公爵邸の応接室。

目の前に座るアラン王子は、真剣な眼差しで私を見つめ、そう切り出した。

私は手元のティーカップ(来客用の二番目に安い茶葉)を置き、首をかしげた。

「やり直す? 何をです?」

「婚約だよ! 僕と君の!」

アラン王子が身を乗り出す。

その姿を見て、私は内心で眉をひそめた。

(……痩せたわね、この人)

かつては王族らしいふくよかさと輝きがあった肌はカサつき、目の下には隈ができている。

着ている服も、よく見れば袖口が少しほつれていた。

王族が服を修繕して着回している?

私の容赦ない取り立て(玉座の売却など)が、ボディブローのように効いているらしい。

「殿下。婚約破棄を宣言されたのはそちらですが?」

「あ、あれは間違いだったんだ! ミナの可愛さに目が眩んでいただけだ! 冷静になって気づいたんだ、本当に僕を支えてくれていたのは、グラッセ、君だったと!」

王子が私の手を取ろうとする。

私はスッと手を引いて回避した。

「触らないでいただけますか。手垢がつくと商品価値が下がりますので」

「商、商品価値……?」

「それで? 『支えてくれていた』というのは、精神的な意味ではなく、財政的な意味ですよね?」

「うっ……」

図星をつかれ、王子が視線を泳がせる。

「そ、そんなことはないぞ! ただ、その……君がいなくなってから、城の食事が質素になって……昨日の夕食なんて、具のないスープと硬いパンだけだったんだ!」

「あら、健康的でよろしいのでは? ダイエットにお金がかからなくて済みますね」

「冬なのに暖炉の薪も節約させられている! 寒くて眠れないんだ! ミナも『こんな貧乏くさい生活、耐えられない』って泣いているし……」

「それは大変ですね。で、私にどうしろと?」

アラン王子はゴクリと唾を飲み込み、必死の形相で訴えた。

「だから、復縁だ! 君が王太子妃に戻れば、ラズベリー家の資産は王家のもの……いや、夫婦の共有財産になるだろう? そうすれば、借金もチャラにできるし、また豊かな生活が送れる!」

この男、本気で言っているのか。

私は呆れを通り越して感心した。ここまで清々しいほどの「ヒモ根性」は、ある意味才能だ。

「……なるほど。要約すると『金がないからATM(私)の元に戻りたい』ということですね」

「い、言い方が悪いな! 愛だよ、愛! 僕たちは幼馴染じゃないか!」

「幼馴染だからこそ、あなたの金遣いの荒さには辟易しているのです」

私は懐から、一枚の紙を取り出した。

「復縁、検討しなくもありません」

「ほ、本当か!?」

王子の顔がパァッと明るくなる。

「ただし、条件があります」

「なんだ? なんでも聞くぞ! 君を第一王妃にするし、ミナは側室……いや、メイドに降格させてもいい!」

(ミナ様も哀れね……)

私は冷ややかに思いつつ、紙をテーブルに置いた。

「復縁に伴う『再契約一時金』として、金貨五億枚を前払いしていただきます」

「ご、五億……ッ!?」

王子の目が飛び出る。

「さ、さらに高くなっているじゃないか!」

「当然です。一度破棄された契約を再締結するのですから、リスクプレミアムが上乗せされます。さらに、過去の未払い分とは別枠ですので、合計六億枚ですね」

「払えるわけがないだろう!! そもそも金がないから頼みに来ているのに!」

王子がキレた。

「なら、諦めてください。貧乏人に売る商品はございません」

「き、貴様……! 王族に向かって貧乏人とは……!」

「事実でしょう? 現に今、あなたのポケットには銅貨数枚しか入っていない音がしますわよ」

チャリ、と音がしたのを私は聞き逃していない。

王子は顔を真っ赤にして、震える拳を握りしめた。

「ぐぬぬ……! こうなったら、力ずくでも……!」

「おや、実力行使ですか? おすすめしませんよ」

私がパチンと指を鳴らすと、部屋の四隅から殺気が溢れ出した。

カーテンの影から、天井裏から、屈強な男たちが姿を現す。

私が雇った私設警備隊(元傭兵たち)だ。

「な、なんだこいつらは!」

「うちの警備スタッフです。ちなみに、彼らの給料は歩合制でして。『不審者を撃退した場合、ボーナス支給』という契約になっています」

傭兵たちが、ギラギラした目で王子を見ている。

「へへ……殿下をどつけばボーナスか」

「おい、俺にやらせろ。借金返さなきゃなんねえんだ」

獲物を狙うハイエナの群れだ。

アラン王子は「ひぃっ!」と悲鳴を上げ、後ずさりした。

「わ、わかった! 帰る! 帰ればいいんだろう!」

「賢明な判断です。――あ、お待ちになって」

逃げようとする王子を呼び止める。

「な、なんだ! まだ何かあるのか!」

「本日の相談料を頂いておりません」

私はニッコリと微笑み、手を差し出した。

「人生相談30分コース。通常価格は金貨一枚ですが、殿下は『特別会員(ブラックリスト)』ですので、割増料金で金貨三枚になります」

「金まで取るのかよ!!」

「時は金なり。私の貴重な時間を消費したのですから、対価を払うのは当然です」

「くそっ……! 覚えてろー!」

アラン王子は泣きそうな顔で、ポケットに入っていたなけなしの小銭(銀貨数枚と銅貨)をテーブルに叩きつけ、脱兎のごとく部屋から逃げ出した。

「あ、足りませんわよ! ……まあいいわ。残りはツケにしておきましょう。利子をつけて」

私はテーブルの小銭をチャリンと回収し、満足げに頷いた。

「……鬼だな」

部屋の隅で、事の顛末を眺めていたシリルが、呆れ顔で呟く。

「あら、シリル閣下。いらしていたのですか」

「君があまりに楽しそうに王子をいたぶるから、声をかけるタイミングを失っていたんだ」

シリルは笑いながら、私の向かいに座った。

「しかし、いいのか? 王子をあそこまで追い詰めて。国が傾けば、君の商売にも影響が出るぞ」

「ご心配なく。国が傾いたら、私が買い取って『株式会社ラズベリー王国』として再建しますから」

「……君なら本気でやりかねないのが怖い」

シリルは肩をすくめたが、その目は楽しそうだ。

「だが、王子のあの様子だと、次はミナが動くかもしれないな。彼女、意外としたたかだぞ」

「ミナ様ですか? ええ、お待ちしていますわ」

私は優雅に紅茶を啜った。

「彼女にはまだ、支払ってもらわなければならない『ツケ』が山ほどありますから」

その時。

執事長が慌てた様子で駆け込んできた。

「お、お嬢様! 大変です! 玄関先に……!」

「何? また王子が戻ってきたの?」

「いえ、違います! 大量の塩が……!」

「塩?」

私が玄関に向かうと、そこには。

屋敷の門前に、うず高く盛られた「盛り塩」があった。

そして、その頂点には札が刺さっている。

『悪霊退散』

「……なんですの、これ」

「ミナ様が……『この屋敷には悪魔が住んでいるから、お清めに来ました』と……」

見れば、遠くの方でミナがピンク色のドレスをなびかせながら、さらに塩を撒いているのが見えた。

「エイッ! エイッ! 悪魔グラッセよ、去れー! アラン様を惑わすなー!」

「…………」

私はこめかみを指で押さえた。

「……執事長」

「はっ」

「あの塩、全部回収して」

「捨ててまいりますか?」

「馬鹿ね。あんな良質な岩塩、捨てるわけないでしょう。袋詰めにして『聖女(自称)のお清め塩』として売り出しなさい。一袋銀貨五枚で」

「さ、さすがはお嬢様……!」

「転んでもタダでは起きない。撒かれた塩すら商品にする。それが私よ」

遠くで祈祷(?)を続けるミナを見ながら、私は新たな商機に口元を歪めた。

「もっと撒きなさい、ミナ様。在庫が潤沢になるわ」

私の「錬金術」は、誰にも止められないのだった。
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