悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

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「おい、リリィ! 聞いているのか! この地味女が!」

王都のカフェテラス。

華やかなパラソルの下で、男の怒鳴り声が響いた。

声の主は、キザな伯爵令息ナルシソ。

その向かいで小さくなっているのは、私の可愛い教え子、リリィ男爵令嬢だ。

少し離れた席で、私とシリルはその様子を観察していた。

「……始まったな。君の教え子の『卒業試験』だ」

シリルが面白そうにグラスを傾ける。

「ええ。今日の彼女の装備は完璧ですわ。私が貸し出した『戦闘用計算機』と『精神的装甲(プライド)』を身につけていますから」

私は優雅に紅茶(カフェの備品なので飲み放題)を啜った。

ナルシソは、隣に派手な女性を侍らせ、リリィを指さして罵倒を続けている。

「いいか? 僕が誰と遊ぼうが勝手だ。お前のような魅力のない女は、黙って僕の財布になればいいんだよ!」

「きゃはは! 本当、リリィさんって暗いですよねぇ。ナルシソ様が可哀想!」

浮気相手の女も一緒になって嘲笑う。

周囲の客たちは「可哀想に……」とヒソヒソ噂しているが、助けに入ろうとする者はいない。

以前のリリィなら、ここで泣いて走り去っていただろう。

だが。

今日の彼女は違った。

俯いていたリリィが、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳に、涙はない。

あるのは、獲物を見定めた冷徹な光――直伝の『グラッセ・アイ』だ。

「……お黙りください、ナルシソ様」

「あぁ!? なんだその口の利き方は!」

「口の利き方? それはこちらの台詞です」

リリィはスッと立ち上がった。

そして、テーブルの上にドン! と分厚いファイルを叩きつけた。

「な、なんだこれは」

「過去三年間、あなたが私に吐いた暴言の録音記録、および浮気現場の証拠写真、そして……あなたが私の実家から『事業資金』と称して借りた金の借用書リストです」

「は……?」

リリィはファイルをめくり、朗々と読み上げ始めた。

「日付、×月×日。あなたは私に『ブス』と言いましたね? これは人格否定にあたります。慰謝料請求対象です」

「なっ……」

「同日、あなたは私の父に『金を出さないと婚約破棄するぞ』と脅しましたね? これは恐喝罪にあたります」

「おい、待て……」

「さらに、隣のその女性。……あなたが身につけているドレス、私のカードで購入されたものですね? 横領および窃盗の疑いで、衛兵を呼びましょうか?」

リリィの声は、震えるどころかドスが効いていた。

「ひぃっ!?」

浮気相手の女が青ざめてナルシソから離れる。

ナルシソは顔を真っ赤にして立ち上がった。

「ふ、ふざけるな! 婚約者に向かってなんだその態度は! 僕を誰だと思っている!」

彼はリリィに手を上げようと振りかぶった。

「リリィ!」

私が立ち上がろうとした瞬間。

バシィッ!!

乾いた音が響いた。

ナルシソが頬を押さえてよろめく。

リリィが、彼の手を鮮やかに払い除け、逆に平手打ちを食らわせたのだ。

「暴力反対! ……ですが、これは正当防衛です!」

リリィは叫んだ。

「教官(グラッセ様)は言いました! 『殴られる前に殴れ。そして殴った手の治療費も請求しろ』と!」

「な、な……っ!」

「ナルシソ様! あなたとの婚約は、本日ただいまをもって破棄させていただきます!」

リリィは懐から、見覚えのある魔道具を取り出した。

私が売りつけた『特製電卓』だ。

パチパチパチパチッ!

目にも止まらぬ早業でキーを叩く。

「貸付金の元本、利息、慰謝料、弁護士費用、そして私の貴重な青春を無駄にした『時間損失補填金』……締めて金貨五千枚! 一括でお支払いください!」

「ご、五千……!?」

「払えないとは言わせません。あなたの屋敷の権利書は、すでに私の父が債権として押さえてあります。――さあ、払うのですか? それとも、裸で路頭に迷いますか?」

リリィが一歩踏み出すと、ナルシソは「ひぃぃ!」と悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちた。

「ご、ごめんなさい! 許してくれリリィ! 僕が悪かった!」

「謝罪は現金でお願いします。言葉だけの謝罪は、市場価値ゼロですので」

リリィは冷たく言い放ち、ナルシソを見下ろした。

その姿は、かつての気弱な少女ではない。

立派な、一人の「悪役令嬢」だった。

「す、凄い……」

周囲の客から拍手が沸き起こる。

「よく言った!」

「スカッとしたぞ!」

リリィは恥ずかしそうに、しかし誇らしげに微笑み、優雅にカーテシーをした。

「お騒がせいたしました。……では、失礼いたします」

彼女は踵を返し、私たちのテーブルへとやってきた。

「グラッセ様! やりました! 私、勝てました!」

リリィは私の手を取り、興奮気味に報告してくる。

私は彼女の頭をポンポンと撫でた。

「ええ、合格です。見事な論破、そして素晴らしい右ストレートでしたわ」

「はい! 手が少し痛いですけど……気分は最高です!」

「その痛みも、治療費として彼に請求しなさい」

「はいっ!」

リリィは満面の笑みを見せた。

その横で、シリルが呆れ半分、感心半分といった顔をしている。

「……恐ろしいな。純朴な少女を、ここまで冷徹な集金マシーンに変えるとは」

「人聞きの悪い。私は彼女に『生きる力』を与えただけです」

私はリリィに向き直った。

「さて、リリィ様。商談成立ですね」

「え?」

私は手を出した。

「成功報酬です。回収予定額の二割、きっちり頂きますよ?」

「あ……」

リリィは一瞬キョトンとし、すぐに吹き出した。

「ふふっ、もちろんです! グラッセ様のおかげで、未来が開けたんですもの。お安い御用です!」

「いい心がけです。これからもその調子で、男(カモ)を見る目を養いなさい」

「はい! 師匠!」

こうして、私の「悪役令嬢コンサルタント」第一号は大成功を収めた。

リリィの活躍(と元婚約者の破滅)は瞬く間に社交界の噂となり、私の元には新たな「入会希望者」が殺到することになる。

『私も強くなりたい!』

『夫の浮気を精算させたい!』

『姑を黙らせたい!』

悩める女性たちの行列を見て、私はほくそ笑んだ。

「ふふふ……。この国には、まだまだ『金脈』が埋まっているようね」

シリルが呟く。

「……そのうち、この国の男性全員が君の敵になりそうだな」

「望むところです。全員まとめて請求書を送って差し上げますわ」

私は優雅に扇を開き、新たな顧客たちの元へと向かった。

だが、その背後で。

私の成功を妬む影が、忍び寄っていることに、私はまだ気づいていなかった。

アラン王子とミナ。

彼らが、起死回生の(そして大失敗するであろう)反撃計画を練っていることを――。
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