悪役令嬢グラッセは婚約破棄を「請求」する!

恋の箱庭

文字の大きさ
9 / 27

9

しおりを挟む
「デート、ですか?」

私は手元の帳簿から顔を上げ、訝しげに眉をひそめた。

ラズベリー公爵邸の応接室。

優雅に紅茶を飲んでいるのは、今日も今日とて全身を高級ブランドで固めたシリル・ヴァン・ノワール公爵だ。

「ああ。たまには息抜きも必要だろう? 君を景色のいい場所へ案内したいと思ってね」

シリルは爽やかな笑顔で言った。

その笑顔は、世の女性なら卒倒するレベルの破壊力だが、私は冷静に電卓を取り出した。

「お誘いは光栄ですが、私の時給は高いですよ? 拘束時間にもよりますが、デートという名目の『同伴業務』であれば、基本料金プラス指名料が発生します」

「……君は、私と過ごす時間にも金を要求するのか」

「当然です。時は金なり。私がこうしている間にも、王都のどこかで誰かが借金を申し込みたがっているかもしれないのですから」

私はキッパリと言い放った。

シリルは呆れるどころか、クククと喉を鳴らして笑った。

「いいだろう。今日の『デート代』として、金貨一千枚を支払おう。これなら文句はないな?」

「一千枚!?」

私はガタッと椅子から立ち上がった。

一千枚といえば、ちょっとした屋敷が一軒建つ金額だ。

「喜んでお供させていただきます! お弁当は持参しますか? それとも現地調達? あ、衣装はドレスより動きやすいものがよろしいでしょうか?」

「現金なやつめ……。いや、服装はそのままでいい。場所は少し遠出になるから、馬車を用意してある」

「承知いたしました! ただいま準備を!」

私は音速で支度を整え、シリルの待つ馬車へと乗り込んだ。

***

「……で、ここが『景色のいい場所』なのですか?」

数時間後。

馬車が到着したのは、花畑でも湖畔でもなく、ゴツゴツとした岩肌が剥き出しになった山岳地帯だった。

土煙が舞い、坑夫たちがツルハシを持って行き交っている。

どう見ても、採掘場(鉱山)だ。

「ああ。私にとっては最高の景色だ」

シリルは馬車を降り、眼下に広がる荒野を満足げに見渡した。

「ここは隣国との国境付近にある、廃坑寸前の銀山だ。最近、所有者が売りに出していてな。……君の意見を聞きたい」

「意見?」

「この山、いくらで買い叩けると思う?」

私はパチクリと瞬きをした。

そして、すぐにニヤリと口角を上げた。

「なるほど。デートというのは、現地視察(デューデリジェンス)のことでしたか」

「正解だ。君なら、この山の『真の価値』を見抜けると思ってな」

「ふふ、ロマンチックな口説き文句ですわね」

私はドレスの裾をまくり上げ、持参した『鑑定用ルーペ』と『地質調査ハンマー』を取り出した。

「いいでしょう。金貨一千枚分の仕事はさせていただきます」

私たちは坑道の中へと足を踏み入れた。

薄暗い坑道内は湿っぽく、決して快適とは言えない。

しかし、私の目は輝いていた。

「ここ、銀山として売り出されているのですね?」

「ああ。だが、近年は産出量が激減し、ただの石ころの山だと笑われている」

「……ふむ」

私は壁面の岩肌をハンマーで軽く叩き、剥がれ落ちた欠片をルーペで覗き込んだ。

そして、舌なめずりをする。

「シリル閣下。これ、買いですわ」

「ほう? 銀が出るのか?」

「いいえ。銀はもう枯渇しています。ですが……ここに含まれているのは『魔導石(マナ・ストーン)』の原石です」

「なに?」

シリルが目を見開く。

「含有量は微量ですが、質が高い。精製すれば、魔導具のコアとして高値で取引されます。しかも、この岩盤の層……地下深くには、さらに巨大な鉱脈が眠っている可能性があります」

「……なるほど。所有者はそれに気づいていないのか」

「ええ。単なる不純物の多い銀鉱石だと思っているのでしょう。二束三文で手放そうとしているはずです」

私は電卓を叩いた。

「提示価格の十分の一……いや、さらに買い叩いて二十分の一で買収しましょう。『ゴミ山を処分してやる』と恩を売れば、向こうも喜んで契約書にサインしますわ」

「くくく……悪魔的だな」

「ビジネスと言ってください。……あ、あそこ! 見てくださいシリル閣下!」

私は坑道の奥を指差した。

そこには、キラキラと光る結晶の塊が露出していた。

「素晴らしい……! あれだけで金貨五千枚にはなりますわ!」

私は思わず駆け寄り、その結晶に頬ずりをした。

「愛しい……なんて美しい輝きなの。あなたたち、私が綺麗に加工して、高値で売り飛ばしてあげるからね」

「……君、私に向けたことのないような熱い視線を石に向けているな」

背後でシリルが呆れた声を出したが、今の私には石の輝きしか見えていない。

「シリル閣下! この山、絶対に買いましょう! 私が共同出資しても構いませんことよ!」

「いや、私の単独出資にする。君を噛ませると、利益の九割を持っていかれそうだからな」

「ちっ、バレましたか」

私が舌打ちをすると、シリルが近づいてきた。

そして、不意に私の腰に手を回し、引き寄せた。

「え?」

顔が近づく。

薄暗い坑道の中で、彼の蒼い瞳が妖しく光る。

「……だが、君のその鑑定眼は素晴らしい。やはり君は、私の隣に置くにふさわしい」

「そ、それはどうも」

「どうだ? この山を買い取ったら、その管理を君に任せようか? 報酬は……そうだな」

彼は私の耳元で囁いた。

「『私の婚約者』という肩書きと、この山の採掘権の半分で」

ドキン。

心臓が跳ねた。

採掘権の半分……!

つまり、この山から出る利益の半分が、何もしなくても私の懐に入ってくるということ!?

「……結婚、前提ですか?」

「ああ。君以外の女と結婚しても、退屈で死にそうだからな」

これは、実質的なプロポーズだ。

普通の令嬢なら、顔を赤らめて「はい」と答える場面だろう。

しかし、私はグラッセ・ド・ラズベリー。

即座に脳内で損益分岐点を計算する。

(公爵夫人になれば社会的地位は向上。しかし、自由な商売活動に制限がかかる可能性あり。さらに、彼の資産管理までするとなると労働過多……)

私は彼の手をそっと押し返した。

「……魅力的なオファーですが、保留で」

「即決ではないのか?」

「条件の精査が必要です。特に『婚約者』という契約内容について。私が自由に商売を続けられるか、そして家庭内での財布の紐は誰が握るのか。その辺りを明確にしてからでないと、サインはできません」

シリルは一瞬きょとんとし、それから坑道が揺れるほどの大爆笑をした。

「ははははっ! そうだ、そうでなくては! 金や地位に靡(なび)かない、その強欲さこそが君だ!」

彼は涙を拭いながら、私の頭をポンと撫でた。

「いいだろう。契約内容は追って詰めよう。今日はとりあえず、この山の買収計画を立てるとしようか」

「はい! まずは売主の弱点を探るところから始めましょう!」

私たちは顔を見合わせて悪い笑みを浮かべた。

坑道の外に出ると、夕日が沈みかけていた。

荒涼とした風景だが、私にはそこが「黄金郷」に見えた。

「ああ、楽しかった。最高のデートでしたわ、シリル閣下」

「それはよかった。……しかし、君のドレス、煤(すす)だらけだぞ」

「あら、本当。……クリーニング代、経費で落ちますよね?」

「……領収書を回しておけ」

私たちは並んで馬車へと歩き出した。

手をつないではいない。

甘い言葉も交わしていない。

けれど、私たちの間には確かに、「共犯者」としての固い絆(と金銭的な信頼関係)が芽生えていた。

……まあ、それはそれとして。

「あ、帰りにあの結晶、一つ持って帰ってもいいですか? サンプルとして」

「……ポケットに入れるな。それは窃盗だぞ」

「チッ」

私の恋路は、まだまだ前途多難(主に金銭面で)のようである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

親切なミザリー

みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。 ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。 ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。 こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。 ‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。 ※不定期更新です。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

さよなら私の愛しい人

ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。 ※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます! ※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

処理中です...